夕刻、花の香り「私はお前を大切に思っているよ。だが私は……、私の意思と欲に基づいて人を愛し、恋い慕うという感情が未だにわからない」
「それでも構いませんよ」
「グロスタ。……私はもう、ルートヴィヒではないのだよ?」
「貴方が貴方でなくなったわけではありません。貴方は、お名前やお立場が変わろうとも俺にとっては唯一の人です」
「……お前のそばにもいない」
「それは少し寂しくも思いますが、貴方には自由が必要だ。違いますか?」
「ゆく先々で、お前以外を求めるかもしれないだろう?」
「そんなことをなさるんですか? だとしても、この胸の誓いには何ら支障はございません」
「ならば、お前の、気持ちが重くて逃げてしまったら?」
「それでも遠く、何処かの空のもとにおられるであろう、貴方の幸せを祈り続けるでしょう」
「私が、……旅先で死んだら?」
「それでも俺は貴方のお帰りを待ち続けるでしょう、何年であろうと」
「それは駄目だ、お前の時をそのように使っては……!」
「ふふっ。なんて顔をなさるのですか」
「……それは、お前が……!」
「もう、ご観念なさいませ」
「ああ、観念したよ」
アラミスは肩をすくめる
「賢明なご判断です」
グロスタはその様子をおかしそうに笑う
「グロスタ」
「はい」
「……お前を、恋しく思うよ。遠く旅の空。或いはお前が仕事でいない時。それから、お前のことを愛おしく思う。土産を選んでいるとき、もうすぐお前に会えるとこの街への道を急いでいるとき。それから、お前とまた、別れるときに次の再会を約束するとき」
「……」
「それから、お前に抱かれてキスをするとき。お前の体温を、肌の感触を鼓動と息遣いを感じるとき。お前が私の中に来て、果てるとき」
アラミスはグロスタの目を見る。
「これは、恋慕かな?」
「それを、貴方が好ましいと。……嬉しく思ってくださるなら」
「そうか」
「けれど、感情に名前をつけて限定してしまうことは必ずしも必要なことではないと俺は思います」
「必要、ではない?」
「貴方の心の在りよう、それ自体を尊く思います。貴方がなんと名乗られても、俺にとっては何も変わらぬように」
翌朝、朝食を共にするとグロスタは仕事に出掛けていった
邸に残されたアラミスはグロスタの書斎で本を読んだり使用人の手伝いをしたり街の散策をして過ごす
この街はグロスタが作ったもので、そのどこにでも彼の息吹を感じられた
夕方、邸の中庭に戻ってくる
そこにはグロスタがアラミスのために作ったささやかな花壇がある
花の咲かない国で花の好きなアラミスのために作られた花壇はグロスタの愛の証そのものだった
同時に、根無し草を選んだアラミスの「帰る場所」がそこであると示すものでもあった
ベンチに腰掛け、夕凪の中をうたた寝しているとそっと髪を撫でられる
「砂漠の夜は冷えますよ」
「うん」
アラミスは目を開けず、傍らの男に身を預ける
「花の香りがする」
「これは夕方になると香るのです」
「そうか。なら、もう少しこの香りを楽しもう」
「日が沈むまでですよ」