「これ、手土産コージくんから渡してね。パパの好物のどら焼きだから」
「はぁ~? お前が渡せよ、お前が買ってきたんだから」
「コージくんから! ってのが大事なんでしょ!」
ぷりぷりと怒り「第一印象!」なんて言いながら紙袋を押し付けてくるので仕方なしに受け取る。
(帰りてぇ……)
決して口には出さないが、俺はそんなことばっかり考えていた。堅苦しいスーツも、俺が買ったことにされる手土産も、妙に浮かれてるコイツも、どうしてか、何もかもが気に食わない。
あと五分も歩けば着くというカエデの実家に、俺は永遠に辿り着かなければいいのにと思った。
◇
「おかえり、カエデ」
「ただいまぁ、こちらがコージくん、ね、すっごいかっこいいでしょ」
「いらっしゃいコージさん、まあ、挨拶は中で」
「……どうも」
出迎えるや否や、仲良さげにハグをするカエデとその母親と、丸いメガネの奥で温和に笑う人当たりの良さそうな父親に俺は食傷気味になる。
「コージくん……!」
カエデに肘でつつかれて、渋々父親に向かって紙袋を差し出す。
「あ~~、これ、良かったら」
「パパ好きでしょ~」
「ありがとう、さっそくお出ししようか、みんなで食べよう」
まるでリレーのように俺から父親から母親に紙袋が手渡される。
奥へ通されてリビングテーブルへ着くが、やっぱり落ち着かない。
よく手入れされた庭、ホコリの被ってない家具、リビングに飾られたいっぱいの家族写真、真新しい生花。カエデはこの家で、さぞ愛されながら育ってきたんだろう。俺と違って。
「私ね、コージくんと結婚するから」
開口一番、どストレートな言葉に思わず飲んでいた味の分からねぇ茶をむせ込みそうになる。
「おい……!」
「なんで、ホントのことじゃん。ていうかそれ言いにきたんだし」
「コージさんは、冒険者、でしたっけ?」
「あ、あぁ……そっす」
「結婚してからも続けるおつもりで?」
「まぁ……はい」
温和な口調で、しかし嘘を冗談や嘘を許さない圧を感じながら答える。居心地が悪い。
「単刀直入に言います。無礼を申し訳ない。もし、冒険中に何かありカエデを一人残していくようなことも、あり得るという訳ですよね?」
「………」
「パ、パパっ! なに言ってんの!」
「大事なことだ。この子は、優しくて、寂しがりやで泣き虫です。コージさんのことが大好きなんでしょう、だからこそです」
なにを言ってんだ、コイツは。冒険者と付き合うならそういう覚悟持ち合わせてもらってなきゃ困る。
オロオロしながら俺の言葉を待つカエデ、こっちをじっと見つめてくる親ども、全部が、出来の悪い、安っぽい茶番に見えて仕方がない。
「……冒険者を、辞める気はないです」
異物感を感じながら、俺はそんな一言を絞り出すので精一杯だった。
「いいの! 私は冒険者のコージくんが好きなんだから!」
「分かってる。お前になるべく悲しい思いをしてもらいたくないだけだ。覚えておきなさい、子の幸せを願わない親なんていないって」
菩薩みてぇな顔をして、気色の悪い綺麗ごとをことをのうのうと語るこの男が、俺はどうにも気に入らなかった。
◇
「俺と結婚すんなら、親とは縁切れよ」
帰宅して早々、スーツを脱ぎ捨てながらそうカエデに告げる。
「…………え?」
「そうだろ、しょっちゅう会いにいけなくもなるし」
「ちょっ、ちょ、待って! そりゃそう、だけど、縁切り?」
戸惑って、俺の肩を掴むカエデの手を振り払って、掴んで、そのまま腕の中に閉じ込める。
「お前の家族は、俺だけいりゃいいだろ。何、やなの?」
「いや、って……そういう訳じゃ……」
この戸惑う態度が俺をどうにも苛つかせてしょうがない。何でだよ、何迷ってんだよ。お前が好きなのは、必要なのは、俺だろうが。俺だけじゃ、駄目なのかよ。
「もしかして、冒険者辞めろって言われたの、怒ってる?」
「べつに」
恐々と問いかけられるのを軽くいなしてカエデを離す。
「大体、挨拶だっていく必要あったか?」
「……」
一度吐露されたどす黒い感情は止まることを知らない。
「こうやって俺にはね~実家を見せびらかして気持ちいいか? 良かったな、頼れる『優しい両親』がいて」
「! ち、ちがうよ……私、パパとコージくんにも、仲良くして欲しくて……」
「ハッ! 仲良くだとよ!」
カエデの傷付く顔を見て、俺はすっと胸の内がすくのを感じた。
例え義理だろうと俺の人生に親なんて必要ない。
「コージくんと、普通に、幸せになりたいの」
「っ……!」
普通、そんな言葉が俺の心に突き刺さった。
気がついたら、手が出ていた。じんじんと、手のひらに残る痺れが俺を一瞬冷静にさせる。
みるみるカエデの顔が歪んでいく。やっちまった。と思った時にはもう遅かった。
「ご、めん……私、酷いこと言いたかった訳じゃなくて」
黙れよ。
「見せつけたかったとか、そんなんじゃないの……」
嘘つけ。
「ねぇ……コージくん「あぁあ!! うるっっせぇ!!」
昂った感情は引っ込みどころを無くして、吹きこぼれるしかなくなる。
俺にとって家族は呪いでしかなかった。壊れてて当たり前のものだった。その価値観に、カエデが当たり前だと感じていた温かさがぶつかって、劣等感とか、憧れとか、怒りとか、諦めとか全部を引っ張り出される。
ぬくぬくと育ってきた「当たり前」の延長にあるひとことが、優しくて、まっすぐで、だからこそ苛つく。
「俺への当てつけか!? なぁ!? 俺の親はなぁ! ガキの幸せなんて一瞬たりとも祈ったことねぇよ!! 俺のアレは親じゃねぇってか! じゃあなんなんだよ! イ!! テメーの娘がボコボコにされてんのに助けにもこねぇ親の癖に! 何が幸せだよ! 死ね!!」
いつもいい香りがする、よく手入れされた髪を引っ掴む。コンプレックスだって言う丸っこい、でも、俺は実はそんなところが好きな柔らかい頬を思い切り殴り付ける。
「っひ……ぐ……う、ぅ……、う゛~~~」
「はぁ……っ! はぁ! っふ――! はぁ……!」
ひとしきり拳を振り下ろしたことで、怒りを発露したお陰か頭が急速に冷えていく。うずくまって泣くカエデに手を差し伸べようとしたが、躊躇って、辞める。それを無視してソファーの背もたれに顔を向け目を瞑った。
俺は、お前となら結婚も悪くないかもって、本気で思ってた。はじめてまともな形の家族が出来ると思った。でも、本当の家族を見せつけられて、それが俺にはどうしようもなく無理なものだと悟ってしまった。
俺は出来損ないだ。愛情も温もりも知らない。与えてもらったことなんてない。決定的に違うこの女と並んで幸せになることなんか出来るわけなかった。
多角形にいくら頂点を足そうと円になることが出来ないように。
翌日、目を覚ますとカエデは居なくなってた。床に脱ぎ捨てられたままのスーツをチラリと見て、俺は二度寝するために目を閉じる。