『小さなわがまま』 普段よりもゆっくり進めていた足は、駅前のロータリーでピタリと止まった。それが合図のように、こちらを向く青灰色の表情は見えない。つい数分前まではあんなに笑顔でアレコレと楽しそうに話していたのに、駅に近づくほどに静かになっていくネロは言葉は素直でないのに、態度はこんなにもわかりやすい。今日は早めに帰るから引き留めてくれるなと、待ち合わせのときに言っていた男の行動とは到底思えなかった。このまま帰したくない気持ちを押し込め、ブラッドリーは努めて明るく送り出した。
「じゃ、気をつけて帰れよ」
「……おぅ」
そう言ったは良いが、ネロはそのまま動かない。どこか戸惑うように、別れがたいと全身で伝えてくる。これも無意識なのだろうか。思わず抱きしめたい衝動に駆られるが、公衆の面前でそんな事をすればどうなるかくらいはブラッドリーにも分かっていた。今すぐ動き出してしまいそうな手が勝手なことをしないように、コートのポケットの中で強く握りしめる。
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