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    haruichiaporo

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    haruichiaporo

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    なとりさん熱が再燃したので全年齢向けななつを再編しています ひっそり増やします

    #名夏
    nameSummer

    初恋の甘さも知らず まだ朝露に日も当たらない山道、名取は木の陰に隠れるように石段に腰を下ろして待ち人の姿を思い浮かべる。ふ、と吐いた息が白く濁り、冷えた風に掻き消されていく。夜中に冷え込みが強くなったせいで些か薄着とも思われる襟元を引き寄せる。鼻の奥に冷気が沁みて、鼻先が赤らんで見えていないといいなと手の甲で隠した。
     土曜だというのに学校に向かうのだろう、幼子たちが息の白さを競いながら通り過ぎていく。あんな頃もあっただろうかと目を細め、いややはり友人との登下校など記憶にないなとかぶりを振った。
    こんな早朝に、飛ばした紙人形は無事に彼に届いたのだろうか。力の強い彼のことだ。うまく捕らえられずにまた燃え滓になっているかもしれないと目を伏せて、そういえばあれ以来手が焼けたなんて言われたことがないなと思うとくすりと笑いが漏れた。
    「まぁ、焼けてしまってもいいんだけれど」
     瞬きをしようとした睫毛さえも冷え切って、座った途端に襲い来る睡魔に思考が鈍る。式は後片付けを終えただろうか。一晩眠らないぐらいで堪えることなどなかったのに、この冷え込みのせいで余計に、疲弊してしまった気がする。
    「……なつめ」
     吐息の色と同じに、呼んだ声もそこらに溶けて消えていく。約束でもしていれば良かったけれど、このままでは睡魔に負けてしまいそうだ。会えてもうまくきらめきで返せる自信もなく───そう、最近は彼の真っ直ぐな眼差しにうまく笑い返せないことが増えた。
    『同じものが視える』『仲間だよ』と言った名取が、自分よりも『視えていない』ことに彼は気付いているのだろうか。いつか気付いたとしてその時、彼は今までのように『視えるものが違う』ことを諦めるんだろうか。
    名取は抱えた片膝に頬を乗せて、ひとつ、深呼吸をした。多分、届かなかったのだろう。それでもいいのだ、彼の生活を邪魔する気などさらさらない。藤原夫妻の元で温かく眠り、用心棒である猫と賑やかに、同級生と笑い合える日々。そこに自分は異なるもので、必要なものではない。
    「……あーあ」
    組んだ腕に額を擦り付けて、奥歯を噛み締めた。友人だなどと、よく言えたものだと思う。自分が抱く感情は友情のそれをとっくに超えている。それでも友人として会いに来た自分の浅ましさに、息が詰まりそうになる。
    「ごめん」
    首を垂れて、溢れ出そうになるものを堰き止める。見透かされる前に、こんな感情は捻じ伏せて仕舞えばいい。いや、あの用心棒にはもう見透かされているのかもしれない。
    「……好きだ、なぁ」
    今まで誰にも抱いたことのない思慕が、会う度に強くなる。それを伝える覚悟さえもないのに、焦がれて止まないのはどうしてなんだろう。



    ぱさりと何かを掛けられた重みに名取は薄目を開けた。近くで聞こえるひそひそ声、掛けられた温みの温かい匂い。
    「こんなところで風邪ひかないかな」
    「知るか、小僧など放っておけ」
    「そんな訳にはいかないだろ…柊たちはまだかな」
    声の方に顔を向けると、辺りに満ちた日差しが眩しい。瞬目しつつ開かれた視界の先、逆光に隠れた姿がまだ夢の続きのように見えた。
    「あ、おはようございます」
    「   」
     名取はぽかんと口を開けたまま、自分の喉仏を撫でた。かふっと掠れた音だけが喉から洩れる。夏目は首を捻って名取の前にしゃがみ込み、名取はかふかふと空を食んでいる。
    「名取さん?」
     名取の顔を覗き込んだ夏目に笑い返して、なんでもないよと手を振ってみる。目の前の顔がますます怪訝そうに近付いて、名取は観念したように溜息をついた。
    「声……出ないんですか」
     名取がこくりと頷いた途端、夏目の後ろで猫がぶふっと吹き出した。
    「こら!先生!」
    「はーはっはっは、これが笑わずにいられるか!いっつも胡散臭いことばかり言っているから報いと言うもんだろ、はっははは」
     腹を抱えて笑い転げる姿に名取は言い返すこともできず、口を噤む。夏目が柊から聞いたということの次第は、こうだ。

    明け方まで掛かった裏の仕事を終えたところで、封印された妖の片割れが何某かの呪いをかけようとしたところに出くわした。弱い呪いではあるが寝入っている主を起こすより妖を追う方が先だ、と柊はそれを追って立ち去った。その途中でたまたま夏目たちと擦れ違い──やはり紙人形は届いていなかったらしい──急遽この場を任され、ここで小一時間ほど待っている。しかし式たちが戻る様子はな未だない。

    「大丈夫ですか?他に何か異変は」
     用心棒の猫に鉄拳を落とした夏目が名取の隣に座る。名取はそれを一瞥して、出せる限りのきらめきを放ってぱたぱたと手を振った。
    「そう、ならいいですけど」
     視線を落として、夏目はきゅっと唇の端を引き締めた。その様子を見ながら、名取は空を仰いで気付かれないように嘆息する。夏目の様子を見に訪れた筈が逆に心配させてしまう始末に、消沈せずにはいられない。細く、長い息を吐き終えて俯いたつむじを見下ろして、掌を伸ばす。と、それに気付いた夏目に見上げられ、名取はその翠緑の深さに息を飲んだ。丸い瞳を縁取った長い睫毛、水の底を見るような潤んだ翠、まっすぐに名取を見つめる視線にはいつも、澱みがない。それに見透かされてしまいそうで、伸ばした指を縮ませ髪の先を撫でて笑んで返す。
    「名取さん?」
     疑問符と共に寄せられた眉根に、名取は自分の眉間に指を当ててきらめきを振り撒く。そんなものが彼になんの効果もないことは分かっているけれど、夏目にそんな表情をさせていたくない。
    「見ろ、裏目も大丈夫だと言っておる。さっさと行くぞ!芋が無くなるぞ」
    「芋と名取さんと……そうだ、名取さんも一緒に行きませんか?」
     猫の脇を抱え上げたまま振り向いた夏目に、名取は首を傾げて返した。
    「焼き芋を貰いに行くんです。ええと…友人たちが集まっていて」
     夏目の言い淀んだ様子に名取は緩めていた口元を締めて、友人たちとは誰のことだろうと思った。それを悟ったのか猫は夏目の肩によじ登り耳打ちし、それに返す夏目の表情もどこか戸惑って見える。
    「あの、」
     夏目の背後から注がれる欺瞞に満ちた猫の視線に名取は胡散臭く笑い返し、掌を揺らしながら首を振った。
    「でも」
     友人達とは、多分妖達のことなんだろう。詳しくは聞いていないが、夏目の周りには人と同じように妖の友人も多いらしい。柊達に言わせれば「夏目様」と慕っている自称犬の会という数匹らしいが、そこに祓い屋である名取が現れてただで済むとは思えない。
    「行くぞ、夏目。目が覚めたなら小僧も祓い屋だ、受けた呪いの返し方ぐらい知っているだろう」
    「そうなんですか?」
     まだ迷っている夏目に笑顔で数回頷いて、名取はお別れの合図のようにひらひらと手を振った。夏目は唇を一文字に結んだまま見開いた眼で名取を見つめた後、数回の瞬きをしてこくりと頷く。そのまま足元を見つめる夏目のつむじを見下ろしながら名取は少しの焦燥と、同じぐらいに安堵を覚えた。猫の言う通り呪いの返し方ぐらい心得ている。式達さえ戻ればなんとでもできる筈なのだ。
    と、下げていた名取の指先に何かが触れる。
    「やっぱり」
     両手で引き上げられて、触れたそれが夏目の掌なのだと分かった。
    「今朝、霜が降りるぐらいだったんですよ。こんなに冷え切ってしまうぐらいなら──」
     名取の手をきゅっと包んで、夏目は少しだけ身を屈めた。
    「 」
     名取が声にならない声を上げる。感覚が鈍りそうにかじかんだ指先にはっきりと分かる、熱い吐息が掛けられて名取の鼓動がどきりと跳ねた。
    「どんなに名取さんが体力に自信があっても風邪引いちゃいますよ。待っててください、すぐ、そこなので」
     夏目は名取の手をもう一度包み直して、まるで指切りでもするかのようにぎゅっ、ぎゅっと握り込んだ。名取はそれを見下ろしながら、表情を取り繕う暇もなくこくこくと頷いた。
    「早くしろ〜!なっつめ〜!!」
     痺れをきらした猫が茂みの向こうから呼びかける。夏目はその声に急かされながら走り出し、一度名取の方を振り返って念押しするように見つめ返した。呆気に取られている名取を見てふわりと花弁が綻んで行くように笑んで、また走り出した。名取はその背中を見送って、へたりとその場に座り込んだ。

     浮ついた声が出なかったことに、命拾いした。夏目は、優しい。きっと誰にでもそうするのだろうと自分に言い聞かせ、名取は逸る鼓動の煩わしさにシャツの胸元を握りしめる。溜息交じりに息を吐き出して、吐息が掛かった拳に唇を寄せる。愛しい少年の吐息の熱さは名取のそれにしっかりと刻み込まれた。優しさと無邪気さは時に残酷で、愚か者のささやかな抵抗さえも許してくれない。あの熱の出所を、その薄紅色を、いっそこの衝動のままに塞いで仕舞えば。溢れてしまいそうな衝動を押さえ込みながら、名取は盛大に溜息を吐いた。


    「はい、どうぞ。熱いですよ」
     半分こに割られた焼き芋を差し出して、夏目が笑う。断面からはまだ湯気が上り、本当に直ぐ戻ってきてくれたことにも、『妖と焼き芋』という名取の中ではとてもアンバランスな組み合わせに面食らいながらもそれを受け取る。
    「きっとおいしいですよ、あいつらおいしいものについては勘がいいので」
    『あいつら』というぐらいに気安い間柄なのだなとか、やはり日常的に妖と友人であるのだなとか、声が出ない分だけ頭の中がおしゃべりになる。けれど隣で、はふっと息を吐きながら焼き芋を頬張る夏目を見ていればそんなことは杞憂なのかなとも思う。
    「食べないんですか?あったまりますよ。あっ、もしかして苦手ですか?」
     名取は頰を膨らませたまま話しかける夏目に笑い返して、小さく首を振って芋の断面に噛り付いた。名取にとってそう食べ慣れていないそれはとても素朴で、温かくて、夏目が言う通りに、甘い。
    『美味しいよ』と口パクで答えてそれを見た夏目が嬉しそうに笑う。ただそれだけで名取の胸は温かく、先程まで冷え切っていた指先もほかほかとして心地いい。
    「よかったです。よかったらもう一つあるので」
     と、徐にバッグからもう一つ取り出された焼き芋に名取は思わず吹き出した。
    「えっ、何か可笑しかったですか⁉︎先生がすぐがっつくから大きいの探すの大変だったんですよ…って、名取さん⁈」
     夏目の言い分のまっとうさと、その手に握られた大きな芋、容易に想像できる猫の様子にと、名取は大笑いし始めた。なんで笑われているのか分からないでむすくれる夏目の姿とは裏腹に名取の心は弾み、この少年を愛しく思う理由を改めて自覚したように感じた。


    小一時間ほど経っただろうか。まだ式が戻る様子はなく、食べ終わった芋の皮を手の平にまとめる夏目に名取は懐紙を一枚差し出した。一瞬、夏目の動きが止まって裏の仕事に使うものを不用意に差し出したことを後悔した。けれど引っ込めることもできず、夏目の手の中にあるそれを受け取ってくしゃりと紙ごと丸めた。薄くて丈夫なそれは術にも文にも使い勝手がよく、名取にとっては汎用性が高いものだ。けれど夏目にとっては呪術とは非日常なものなのだと改めて感じた。
     もう、日は高くもうすぐ正午をさす頃だ。夏目にも予定はあるだろうし、名取も電車を乗り過ごす訳にはいかない。丸めた紙をポケットに放り込んで名取は立ち上がろうと手を突いた。
    「帰るんですか?」
     座ったままの夏目から見上げられて、時計を指差して夏目自身にも帰宅を促す。
    「だってまだ……柊達も戻らないのに」
     不安げな夏目に大丈夫だと笑い返して、名取は夏目の頭を撫でた。そうすると少し俯いたり、肩を竦めたり、少し照れたように見えるその姿も名取の中に甘やかな色を落とす。
    『だ い じょ う ぶ』
     名取の唇の動きを読み取った夏目の視線が泳ぐ。その視線が先程までと違って、名取は立ち上がるのを止めた。
    「あ、の」
     躊躇いがちに開かれた唇はまた堅く閉じて、目尻もわずかに赤らんで見える。
    「あの、オレ」
     石段に突いたままの名取の手に夏目の手が重なる。もうその指先に冷たさはなくて、夏目の指先の方が余程強張って、冷たいような気がした。
    「すみません」
     瞬間、夏目の顔が近付いて名取は反射的に身を引いた。重ねられた手が押さえつけられていなければ夏目の唇が届く筈はなかったけれど、虚をつかれた名取にそれを拒絶と感じさせないように振り払う余裕はなかった。
     ふに、と唇に押し当てられる感触に名取は目を見開いた。対する夏目は力一杯に瞼を閉じ、赤らんだ肌の色さえも分かるぐらいに、近い距離にいる。夏目は空いた手を名取の腿に突いて体を寄せる。名取は起こっている事象の意図が分からず、ただぱちぱちと瞬目するしかできなかった。
     はむ、と夏目の唇が名取の唇を噛んだ。甘噛みするようなそれはぎこちなくも名取の唇を開こうとしている気がする。何がどうなっているのか、それともこれも受けた呪いの影響なのかと名取は眉を顰めつつも、うっすらと開かれた夏目の視線が懇願するようにゆっくりと瞬くのを見て、名取の心の堰が緩む。
    「ん…っ」
     空いた手を夏目の背中に回して、重ねられていた手に指を絡ませた。熟れた果実のように柔さと張力を併せ持った唇を食んで返すと、答えるように吐息が漏れる。
    「あ、なと、りさ」
     夏目の手が名取の腿から脇へと這わされ、唇から湿った音が立つ。時折目を合わせれば潤んだ視線が返されて、拒まれていないことを確認する。何が、どうしてなどと考える余裕は名取の中から消えた。在るのはただこの少年への愛しさだけで、唇の皺ひとつひとつまで舐めとるように丁寧になぞっていく。
    「ん……っは、ぁ」
     唇の隙間から溢れる音も鈴の音のように心地よく、名取の心を満たしていく。絡めた手を引き寄せ、凭れかかる重みさえも心地いい。キスシーンなど何度も演じたけれど、愛しいという言葉の意味を初めて理解した。夏目の、苦しそうに漏らされた声にやっと名取はその柔さをそっと解放した。上気した夏目の頬を撫でて、潤んだ目尻を指でなぞる。
    「な、とりさん」
    「うん」
     夏目の虚ろな視線が見つめ返して、赤く色付いた唇が途切れながらその先を繋ぐ。夏目の指がそっと名取の唇をなぞって、呼吸を整えるように息を吐いた。
    「こえ、は」
    「……うん?」
     掛けられた問いに、名取は自分の喉仏を撫で下ろしてみる。
    「あ、あれ?」
    「よかった。効いたんですね、はは」
     ぽすん、と名取の肩に頭を乗せて夏目が呟く。まだ普段通りとは思えない夏目が名取の首筋に鼻先を擦り付け、安堵したように深い吐息を落とした。
    「すみません、オレ、ちゃんと説明できなくて」
    「ええと……どういうことだい」
    「ヒノエが…あぁ、焼き芋を分けてくれた妖なんですけど、呪いに詳しくて…名取さんのことを話したらオレの…吐息、とか唾、液が…あの、祓えるだろうよって…ええと、すみません。説明したら絶対断られると思って」
     名取は肩に額を付けたまま項垂れた夏目の、背中をぽすんと撫でてやる。謝罪とともに贈られた突然の口付けはそういうことかと納得し、名取が抱くような邪さを夏目が抱いている筈がないと妙に納得した。
    「怒ってますか?」
    「いや、そんなことはないよ。私のためにしてくれたんだからね、ありがとう」
    「……はい」
    「でも」
     名取の声色に、腕の中で夏目がぴくりと体を揺らす。名取は怯えさせないように慎重に細い背中を撫で、腰のあたりで手を止めた。
    「こういう解術は感心しないな、勘違いさせてしまうからね」
    「……勘違い」
    「うん、もしかしたら───夏目が、私に好意を持ってくれているのかも、とか」
     名取の上着に中に潜った夏目の手が名取のシャツをきゅっと握りしめた。今の今まで自分自身が期待していたことを口に出してみて、その瞬間に名取は後悔した。夏目は、優しい。誰にでも等しく、人にも妖にも、勿論名取にも優しいことなど分かっていたのに、年長者でありながらそれを解術だと気付かなかったこちらの方が非があるのに、意地悪な言い方をしてしまった。
    「誰にでもするわけじゃない、ですから」
    「うん?」 
     名取の背中に夏目の手がぴたりと張り付く。
    「名取さんだから、できるんです。名取さんだってもし……そうなったら、同じことしてくれるでしょう?」
     胸元から見上げられて、夏目の瞳にはもう惚けた色は無くてどちらかというと名取の唇をこじ開けようと懇願して瞬間の色に似ている。
    「していいんだ?」
     夏目の前髪を梳いて、微笑んで返す。こめかみに親指を押し当てて、名取は額に触れるだけのキスを落とした。
    「もう一回」
    「うん」
    「もう一回、してもいいですか。くち…に」
     語尾が小さくなった夏目の耳朶に触れて、その縁を親指で辿る。名取は夏目の頬を掌で包み、ゆっくりと唇の形を合わせる。遠慮がちに開かれた唇を音を立てて啄む。それに応える夏目の唇も、先ほどと同じに甘やかに柔い。
     もしも逆の立場になったら、などと考えてみても答えは出ない。夏目が受ける呪いの類に名取の吐息や唾液といったものがどれだけ効力を持つかなんて、未知数でしかない。それでももし、自分に何かできるというのなら勿論、できる限りのことをするだろう。血でも肉でも、夏目を救えると言われれれば差し出してしまいそうな───気は、している。
      淡い潤みとささやかなリップ音を残して名取は唇を離した。夏目は真っ直ぐに見つめ返して、唇を合わせている間もきっと目を開けていたのだろうと思った。
    「……あまい」
    「うん?」
    「甘く…感じるんです。オレ、おかしいですか」
    「あぁ、焼き芋の味?」
     そんな筈があるものか思いながら、名取は自分の痕を擦り取るように夏目の唇をごしごしと指の腹で拭った。夏目はそれを擽ったそうにしながら、笑い返す。
    「焼き芋の味だったんですね」
    「うん、そうだろうね」
     まだ十五の、彼に対して抱く感情を気取られないように包み隠す。思わぬ出来事に思いを吐露してしまわなくてよかったと胸を撫で下ろしつつ、名取はもう一度だけと夏目のつむじに唇を寄せて体を離した。
    「帰ろうか、お昼時だよ」
    「はい」
     先に立ち上がった名取の手を取って、夏目も立ち上がる。まだ名残惜しい気がして、名取はその手を繋ぎ直して藤原家への道を歩き出す。
    「あったまりましたね」
    「あぁ」
    「そうだ、これ。すみません、ニャンコ先生が寝ぼけて背中に敷いてしまっていたみたいで」
     夏目はポケットからしわくちゃになった紙人形を取り出して、名取の方に差し出した。焼き芋を受け取る途中で、猫の背中に付いていたそれに気付いたらしい。申し訳なさそうに見上げたその姿に笑んで返して、名取自身もその笑い方が先程までと違うことを自覚した。
    「会いに来てくれて、嬉しいです」
    「そう?」
    「そうですよ、うれしいです」
     繋いだ指を握り返され、名取もその爪床を指でなぞって返す。勘違いではあるとしても、一度合わせた肌は熱が灯るようで、名取の胸の奥でちりちりと燻る。
    「夏目も、来てくれるといいなぁ」
    「はい、休みに入ったら、是非」
    「あぁ、楽しみにしてるよ」
     交わしても果たされる確証もない約束をして、林道を抜けたところで名取は手を離した。夏目はゆっくりとその指先を折り、反対の手で名取に手を振った。
    「おい」
    「わっ…先生」
     茂みの中から先生が顔を出し、名取の顔を凝視して鼻を鳴らした。
    「あの程度の呪いも一人で返せんとはな」
    「ははは、してないだけでできない訳ではないよ。ほんと、随分な猫ちゃんだなぁ」
    「どーだか。行くぞ、夏目」
    「あっ先生。待てよ、一緒に……」
     藤原家の方向に駆け出した猫の後を追って、夏目も駆け出す。振り返って笑んだ夏目があまりに柔らしく笑うので、それを見送って名取は、無意識に手の甲で唇を擦っていた。


    「ヒノエのいう通りにするとはな、お節介も程々にしろよ」
    「先生が言ったんじゃないか、声が出せなければ文言も出せないしあれじゃあ名取さんは視えるだけの人と変わりないって…そんなの、危なすぎて一人で帰せないだろ」
    「ふん、それでどうだった」
    「どうって」
    「解術はどうだった。接吻したのだろう」
    「せっ…」
     いつもながらのストレートな物言いに口籠もり、夏目は唇を擦った。あの場を通りかかったのは偶然だけれど、いつも雄弁な名取が喋らない分、余計に見つめられている気がして。向けられた視線がとても、とても優しく笑うからなんだか、胸のあたりがそわそわして。
    「甘かったよ、焼き芋の味がして」
    「んん???」
    「だから、甘かったよ。解術もうまくいったし、よかった」
    「……小僧が不憫に思えてきたわ」
    「えっ、どうしてだよ」
    「お前にはまだ100万年早いわ」
     座布団の上を陣取って昼寝を決め込んだ猫を尻目に、名取が乗っているだろう電車の走る方を見つめて夏目は口元を緩ませた。休みになったら、会いに行けるといいなと思った。夏目が名取とのキスを、焼き芋を食べていなくても甘いと知るのは、もう少し先のお話。
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