11.interval(side:L) 他人の秘密は財産と同じだ。握る秘密の数が多ければ多いほど自分の意のままに過ごすことが出来る。ローレンツは初対面の時からクロードを訝しみ何とかして秘密を暴こうとしていたがその結果思いもよらない秘密をその手に握ってしまった。クロードのことだけなら計算づくで淡々と処理するだけだがヒルダの名誉も絡んでいる。
釘を刺すような祖父は亡くクロードですら無視ができないようなリーガン家の年嵩の家臣たちはエドマンド辺境伯と話していたし国境を守るゴネリル家からはヒルダしかデアドラに来ていない。きっと今後身動きの取れない父と兄に代わってヒルダが様々な場所に顔を出すのだろう。将来の円卓会議をクロード、マリアンヌ、ローレンツと共に彼女が担うのかもしれない。
そんな遠い将来のはともかく年頃の男女のことであるし葬儀の場というのはただでさえ感情が昂るものだ。ローレンツにしてもリーガン公を悼む気持ちとクロードへの苛立ちが混ざりあっている。弔い酒と共に苦々しい思いを飲み下していた時にローレンツはマリアンヌを見かけたのだ。ガルグ=マクにいる時と違い身の回りの世話をする侍女が帯同しているのか今晩の彼女は美しく髪を結い上げている。一瞬で苛立ちが吹き飛び給仕が注いだ弔い酒を今度は心を落ち着けるために飲み干した。
マリアンヌは当然ヒルダに会いたがっているが握ってしまった秘密がローレンツに歯止めをかける。少し早めにリーガン邸に到着しクロードと一言二言話したローレンツは父であるグロスタール伯に連れられ共に他の弔問客たちと歓談していた。その場を学友たちがいるので挨拶を、と言って中座した時にローレンツはクロードが姿を消していることに気づいた。
そして彼を探すうちに暗がりで抱き合う喪服姿の二人を目撃し今に至る。気づかないふりをして通り過ぎたが未だに弔問客のうろつく一階や二階に戻っていないなら二人は客が入れないようになっている三階にでもいるのかもしれない。その先のことはマリアンヌと共にいる今は考えたくなかった。
「すいません……私があの時すぐヒルダさんに声をかけておけばこんな風にローレンツさんにご迷惑をかけることもなかったのに」
「迷惑だなんてとんでもない。中々お役に立てなくて申し訳ないね」
杯を持って邸内を歩いていると周りからどうしても献杯を、と言われる。ローレンツは可能な限りマリアンヌに代わって献杯しているつもりだったがそれでもマリアンヌに全く呑ませずに済んだわけではない。それなりに弔い酒を口にしていたせいだろうか。彼女の顔はかなり赤くなっているし足元も少しおぼつかなくなっている。ローレンツも父であるグロスタール伯と共にリーガン邸を訪れているのでとてもではないがクロードやヒルダのような振る舞いは出来ない。ヒルダを探すふりをやめて本当にエドマンド辺境伯を探した方が良さそうだった。
「マリアンヌさん、今晩はもうお義父上と上屋敷へ戻った方がいい」
マリアンヌによるとエドマンド辺境伯はリーガン家の家臣たちと話がある、とのことだったのでローレンツは改めて足元のおぼつかない彼女に肘を差し出し会議が出来そうな大きさの部屋を順ぐりに確かめていく。三部屋目でようやくローレンツはマリアンヌと同じく水色の髪をした壮年の男性を見つけることが出来た。円卓会議に帯同した際に顔を見たことがあるので人違いではない。話し合いはちょうど終わったところのようだった。
「失礼します、エドマンド辺境伯」
ローレンツはエドマンド辺境伯とマリアンヌが並んでいるところを初めて見た。二人を見比べてみると顔立ちや体つきがよく似ていて実の親子ではないにしても血縁関係にあることが分かる。ただし二人が醸し出す雰囲気は全く違う。酒に酔っていない時のマリアンヌが常に何かにおびえて伏し目がちであるのに対しエドマンド辺境伯は自信に満ち溢れ何者にも譲らない気の強さを感じる。
「君はグロスタール伯の嫡子だね」
「はい。ローレンツ=ヘルマン=グロスタールです」
ローレンツはクロードが現れる前は五大諸侯の家に生まれた唯一の男子であったのでエドマンド辺境伯が自分の名を知らぬはずがない。しかし彼はローレンツの名を呼ばなかった。彼の口元は笑っているが酔ったマリアンヌの白い指先が添えられている肘とローレンツの顔を見比べていてその二点間を行き来する視線がまるで刃物のようだ。ローレンツの肉体も危険を感じているのかマリアンヌの代わりにかなり弔い酒を煽ったと言うのに酔いが急激に冷めていく。
「まあ、お義父様!こんなところにいらしたのですね、ローレンツさんが探していたのでここでお会いできて本当に良かったです」
酔っているマリアンヌの頭からは誰のためにエドマンド辺境伯を探していたのかがすっぽ抜けてしまったらしい。養女の毒気のない言葉を聞いてローレンツの言動には何ひとつやましいところがない、と判断しエドマンド辺境伯は肘とローレンツの顔を交互に見ることをやめた。
「マリアンヌは少々酒が過ぎたようだね。デアドラは水路が多いから酔って歩けば命取りだ。感謝するよローレンツくん」
「いいえ、名誉ある貴族として当然のことです」
マリアンヌがエドマンド辺境伯の腕を取り二人が退室するまでローレンツは生きた心地がしなかった。それもこれも全てクロードのせいだ。ローレンツはマリアンヌがくれた手巾で汗を拭きながら明日は絶対にクロード何か言ってやろうと誓った。
翌日、葬儀の会場であるデアドラ中央教会に訪れたローレンツは貴賓席に着席しているのを良いことに神妙な顔をして喪主として振る舞っているクロードの足の甲を他の者には分からないように思いきり強く踏んだ。一瞬、クロードは後で仕返ししてやるから覚えていろ、という顔をしてローレンツを睨みつけてきたがどうやら葬儀が終わるまでの間に貴賓席に座っていたヒルダとマリアンヌの会話を小耳に挟んだらしい。教会での一連の儀式が終わるとクロードは慌ててローレンツを人気のないところへ連れ出した。
「マリアンヌのこと誤魔化してくれたんだな」
「ふん、どうやら心当たりがあるようだな」
「言っておくがあの状況じゃ風呂は使えないしうちはじいさんと俺の男所帯で子馬がない。だからそこまでやましいことはしてない」
子馬とは女性が足や下腹部を洗う時に使う椅子型の器具のことだ。跨って使うので子馬と呼ばれる。ローレンツは自分の頬に熱が集まっていることを自覚した。きっと顔は真っ赤に染まっていることだろう。
「君、なんてこと言うのだ!そもそも前夜式の最中に姿を消したから僕相手に取り繕う羽目になっているのだぞ!」
「ヒルダのためにもまずお前の誤解を解かないとまずいだろう!」
ローレンツは頭が痛くなってきた。そこまで、という含みのある表現が気になったがそもそも当事者抜きに男二人でこんな言い争いをしていることが間違っている。
「分かった。この話はこの場限りにしておく。言っておくがヒルダさんのためだぞ」
クロードからは珍しく恩にきる、と言われたがそんなことより頼むからもっと上手くやってくれ、と言うのが身分や立場を全て取り去ったローレンツの本音だった。