今はまだ、ベターエンド【今はまだ、ベターエンド】
あなたさえいなければ、プリニーどもの教育をすることなど生涯有り得なかったでしょう。部屋の外でまた、連鎖的な爆発音が響いている。物覚えの悪い魂を相手に教鞭を執るなんて、私の性に合わない仕事です。あなた様にだって似合っていない。安月給で割にも合わない。何より、プリニーは幾度注意してもヴァル様に馴れ馴れしい。
そう、あなたさえいなければ。私は今も傭兵として自由気ままに魔界を彷徨い歩いていたに違いありません。少なくともじめじめと薄暗いこの地よりはいくらかマシな環境で、一人根無草をやっていたのだと思います。……誤解しないでください、これは恨み節などではないのですから。
「ヴァル様、そろそろお時間です」
四百年前、血を絶ってから少しして閣下は仰いましたね。「俺はもうお前が忠誠を誓った暴君ではない。ついてくる必要はない」と。ええ、その通りです。私がかつて忠誠を誓ったのは、血染めの恐怖王。意固地になって血を断ちイワシばかりを食べる今のあなた様とは、見た目も魔力量も、明らかに別人です。……だのに、未だにそばでお仕えしている自分のことが自分でも良く分からなくなるのです。こんな辺鄙な地の底に云百年、まさか私が好き好んで居るとでも?
「うむ、こんなところか」
顔を上げた吸血鬼が執務机の上、書類の束をとんと隅に追いやった。席を立ち、伸びをひとつして当然のようにこちらへと背を向ける。主人の右の腕を、それから反対の腕を順に袖へと誘導してやり、ベルベットのコートを羽織らせる。コートに潜む眷属たちがキュイと声をあげて鳴いた。
「ゆくぞ、フェンリッヒ」
あの時はついてこなくて良いなんて突き放しておいて、どんな心境の変化でしょうか。数百年を共にしてようやくついてこいと言われるこちらの身にもなってほしいというものです。……私が途中で本当についてこなくなったら、どうするおつもりだったのです。誰があなた様にこうしてコートを着せるのですか。まさか、愚図なプリニーどもでは代用出来ますまい。
我が主が地の底で生き生きとプリニー教育係の職務を全うしているだなんて、私からすればとんでもないバッドエンドです。
それでもあなた様の在り様は、あの頃と何ら変わらず真っ直ぐで……どうしようもなく心惹かれる。つゆも変わらず尽くしたいと思えることが今、少し嬉しいのはどうしてでしょうか。
「はい、ヴァルバトーゼ様」
反射的に尾が揺れる。語尾が上がる。主人が主人なら、従者も従者だ。間違っても忠誠をひけらかすことはないけれど。惚れた弱みを晒すような真似はしないけれど。この人となら地獄の果てまでだって共に往こう、心のうちで自然とそう思えた。
「なんだ、良いことでもあったのか?」
見知った瞳が、こちらを振り返って穏やかに笑う。私にもあの頃と変わらず、胸に宿るものがございます。己が野望のため、現状に甘んじる気など更々ありません。今はまだ、それを叶えるための道半ばなのですから。
「いいえ、何も」
一言否定して、吸血鬼の先を行く。執務室の扉を開け放てば再びの爆発音がやかましい。やれやれと肩をすくめる主と目が合って、どちらからともなく靴先をその喧騒の方へと向けた。意識せずとも歩調は合うものだ。呆れながらも小走りする足取りを私は決してそうとは認めませんが、それでも場合によっては……きっと幸せって呼ぶんでしょうね。