毒
友也は今、とても集中していた。
細やかな鉛をノートの上にカリカリと小さく音を鳴らして、走らせていく。
長い長いトンネルを抜けるかのように思考を巡らせて進んでいくと、何とか果てが見えてきた。
ほっとして緩みそうになった心もすぐに戒める。最後の最後まで集中を途切れさせずに。
そう自分に言い聞かせながらペンを走らせていくと、友也はやっと数式の一番最後の行を書き終えた。
綺麗に整った数字で答えが出ると気持ちよく、思わず漏れた吐息は長い。
握り締めていたシャープペンをころりとテーブルの上に転ばせて、ソファの背もたれに身体を任せると、ぐっと上に伸びをした。
集中の波から抜けた友也のところに、ふんわりとした紅茶の香りが届く。
「やーっと終わったよ、宿題!」
「ふふ、お疲れさまです、友也くん。これで週末はゆっくり過ごせますね」
開放感から笑みを零す友也に創は同じく笑顔を返しながら、まだ湯気のたつティーカップをテーブルの上に置くと、友也の隣にゆっくりと腰掛ける。
「すみません、友也くんちのキッチン勝手にお借りして、紅茶淹れちゃったんですけど……」
「ありがとう、創。あ、全然気にしなくていいからな、どうせ今夜は俺たち二人だけなんだし」
今晩、真白家の皆は親戚の家に泊まりに行っていて、友也以外誰もいない。
そしてこれから迎える週末はレッスンやライブもなく、久々の完全なオフだ。
そんな貴重な休みを迎える初日の夜、家に泊まりに来ないか、と友也が創に誘いをかけたのは数日前のことだった。
勿論、創からは二つ返事で承諾の答えがかえってきた。
久々のお泊り、すごい楽しみです、と微笑む創の頬がほんのりと桃色に染まっていたことに、友也はしっかりと気づいていた。
今、二人はもう、夕食も入浴も済ませている。
普段家族の気配があるリビングは、創と二人きりだと少し広く感じる。
友也は、創が淹れてくれた紅茶の水面をじっと眺めながら、この後のことを考えた。
友也と創は、互いの恋情を皆には悟られないように、普段から密やかな付き合いを続けている。
今日は久々に二人きり、誰の目も気にせず、ゆっくり恋人として接することができるのだ。
目の前の創は、友也が貸した部屋着を着て、紅茶をのんびりと飲んでいる。
くつろいだ創の姿には、あどけなさと色気が入り混じっている。
今だって手を伸ばせばすぐに、創には触れられるのだ。
手を握ることだって、抱きしめることだって、キスだって、それ以上だって。
普段なかなかできないことだって、なんだってできるのに……いざ、という時に限っていつも、友也の初な心が、疼き始める。
友達として、仲間としていつも大切に接しているからこそ、恋人としての心のスイッチを入れるのに、躊躇いが生まれてしまうのだ。
甘い甘い時を創と一緒に過ごしたい。
そういうことをするのだと創もきっとわかっているし、その為にうちに来てくれているのだろう。躊躇う必要など本当はないのだ。
それなのに、そこにどうしても存在してしまうのは、照れ、羞恥心。
自分の厭らしい欲求をこれから公にして、大切な創を抱いてしまう、という罪悪感。
友也は自分の意気地のなさを省みながら、紅茶をこくりと飲み込む。
鼻腔に広がるハーブの香りは、いつも創が淹れてくれる紅茶よりも、大分甘く感じた。彩も普段より赤い。
「この紅茶、かなり甘いな」
「はい、甘くてほっとしますよねぇ、これ紅茶部の茶会でいただいたものなんですよ」
ティーカップの中をにっこりと微笑みながら見つめる創は、嬉しそうに言葉を続ける。
「生徒会長さんのご自宅のお庭で栽培したハーブや木の実をブレンドして、作ったそうなんです。なかなか出回っていない、貴重なものばかりだそうなんですけど……ぼくがハーブティが好きだって言ったら、わざわざ持ってきてくれまして」
「へぇ……」
友也は紅茶をごくりと飲みながら、相槌を打つ。
創は、優しくて穏やかで、昔から色んな人間に好かれる。
この学院に来てからも、そんな様子はよく見かけていたが……生徒会長にも、そこまで気に入られているとは。
少しの嫉妬を感じながらも、紅茶を飲む友也の隣で、創はこの茶葉についての話を楽しそうに続ける。
「友也くん、この紅茶……実は軽い毒性もあるらしいんですよ」
「え、毒っ?」
思わず飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる友也に、創はくすくすと小さく笑みをこぼした。
「ふふふ、ごめんなさい驚かせて。毒って言っても副作用程度で、大したものではないそうなんです。漢方や生薬として扱われている薬草や木の実ばかりですし……効き目が強く出過ぎる人もいる、くらいだそうで。まぁ、そんな人は滅多にいない……きっと数万に一人だろう、って言ってましたけど」
そういうスリルを感じながら、紅茶を楽しむのもいいだろう、と言いながら、生徒会長はこの茶葉を持ってきたらしい。
しかし紅茶部ではまったり茶会を楽しんだだけで、その副作用の影響を受ける人はいなかったようだ。
「まぁ……それなら俺も当たらないだろうな。俺ってくじ運とかも普通だし」
そう笑いながらも、もう一口こくりと飲み込む。
言われてみれば、紅茶の甘さが舌を通り過ぎる頃に、少しだけ薬のような苦味も混ざってくる。
でもそれはあくまで健康的な苦味で、甘さのアクセントになるくらいのものだ。
甘味と苦味のバランスが絶妙で、こくりこくりと飲み続けていくと、段々と体が温まってくる。
それはまるで先日創が淹れてくれた生姜入りの紅茶を飲んだ時のような、芯からじんわりと熱くなっていく感じで。
「……この部屋、暖房つけてたっけ?」
「いえ? ついてないみたいですけど」
「そっか……なんか、ぽかぽか温かくなってきたなぁ」
不思議そうに首を傾げる創を見ながらも、舌に残る甘さと苦さが癖になり、ごくごくと紅茶を飲み込んでいく。
一口、もう一口、飲めば飲むほど、舌がその甘さを欲する。
どんどん体がぽかぽかと温かく、熱くなっていき、喉が渇いて紅茶を飲む。
甘い、苦い、熱い、もっと飲みたい。
「……友也くん?」
飲み干したティーカップをテーブルの上に戻した頃にはもう、吐息が乱れて苦しくなっていた。
自分の頬を無意識に指で触れると、そこは驚く程熱い。
うまく力の入らない身体を、ソファの背もたれに預ける。
「だ、大丈夫ですか?友也くん!」