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    sumitikan

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    sumitikan

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    さねひめ、手も握りません。モブあり、軽く戦って鬼の首が飛びます。全年齢。ほとんど実弥。話の都合で鬼がなかなか消えません。ピクブラに同じものを投稿しています。

    #鬼滅の刃
    DemonSlayer
    #さねひめ
    goddessOfSpring

    豚箱夏でも山肌に残雪のある山里の野原を鬼殺に追い走り、鬼追う先の雑木林に小柄な女と分かる人影、実弥は走った。血相に鬼が怯えて血鬼術か刃物を数多投げ飛ばして来るのを全て躱して叩き落して、女に辿り着く前に切り捨てる心算だった。

    「鬼だ、逃げろ」

    声を掛けた女はこちらを見る素振りもない。啞か。実弥は滑り込むようにして女の前に回り込んだ。鬼は刃物を飛ばしながら向かってきて真正面、一刀のもとに断った。血飛沫と共に首がぽんと飛び、体は倒れた。血鬼術の刃が腕からにょきにょきと突き出していた。

    女を振り向いた。呆然とした様子の、年頃と格好から見ると子守のようだった。実弥を見上げて何を語るでもなく、声を上げて泣き始めていた。泣いている女は苦手だった。

    刀に拭いを掛けて鞘に納める。頭上に羽ばたきと鴉声が、爽籟だ。雑木林の枝に、見えないが爽籟が止まっているはずだった。次の指令がないなら、今夜はここで終わりだろうか。その場を去りかけた時、木の葉を蹴って走る音がした。

    「貴様!」

    龕灯を手にした巡査だった。もう片方の手に鞘のままのサーベルを、怒り肩で実弥の方に来る所だった。

    「貴様か、村人たちを夜な夜な殺していたのは!!」
    「それァ違うぜ。そこに倒れてる鬼の仕業だァ」
    「いいや貴様だ!!本官が見たのは貴様が弟を斬る所だ!!貴様が殺った!!この、人殺しめが!!外道めが!!」
    「弟ォ?」

    実弥の目の前に来た八の字髭が思い切りサーベルを鞘のまま振りかぶり、顔に向けて打ち下ろしてくる。間抜けな仕草をひょいと躱した。

    「避けるな!!」

    二度目の往復の打撃も避け、実弥は怒りの巡査を見下ろした、この男の弟を斬ったのは悪いように思われた。実弥は溜息をついて腰の刀をベルトから外して突き出した。

    「おらァ。逮捕するんだろォ」

    巡査は刀を奪い取り、地面に置いて、腰から手錠を取り出して実弥の両手首に付けた。それから地面に置いた刀を女に渡した。「これを持って待っておれ」と言って、どこかに行く。多分、弟と呼んだ鬼の首を探しに行った。

    「爽籟、俺ァ警察に捕まった。産屋敷家へ伝えろォ」

    樹上で鴉声が、続いて翼の音がした。夜から朝にかけての時間があれば届くだろう。そのままぼんやり立っていると、女がべそをかきながら話し始めた。

    「あんたなんで鬼の首を斬ったんだよぉ」
    「鬼だからだがァ、そいつがなんだァ」
    「なんでだよぉ。おれは楽になれると思ったんだよぉ。これでやっと楽になれるってぇ」
    「……」
    「おれの家はこの村の東沢の北にあったんだ。そこに皆と住んでいた。おっ父とおっ母が三年前に死んじまってぇ、兄も姉も働きに出て行って、すっかりなしのつぶてでぇ。おれは村長の家で手伝いをして過ごして、その義理で金野のところの武之の嫁に無理矢理されてぇ、大切にしてくれたら良かったけどぉ、毎日蹴られて殴られてぇ。舅も姑も兄弟も見て見ないふりで、誰も助けてくれねぇんだぁ。武之の前の嫁は武之に殴られて死んだぁ。その産んだ子と一緒に、おれはいつ殴り殺されるか、ひやひやしてんだよぉ。夜に寝られた試しがねぇ。あんまり辛いから、このごろ出ると聞いてた鬼がおれを食ってくれりゃいいと思ってこの辺にいたのによぉ。なんてことしてくれたんだよぉ」
    「……」
    「あんたひどいよ。ひどい。ひどいよぉ、おれあの家に帰るのやだよぉ。武之みてぇな鬼の所に帰りたくねぇ。外にほんとうの鬼が出て、ああこれでやっと死ねると思っていたのによぉ。なんで鬼が死んでんだよぉ。冗談じゃねぇよぉ、なああ、あんた、なんで鬼を斬るんだよぉ」
    「弟って言ってたなァ」

    そう返すと、女は袂で顔を拭った。

    「あの駐在か。あれは役に立たねえ鼻つまみもんだよ。鬼が出るのを鬼殺隊に頼もうって村でまとまった話をさぁ、東京府の警官隊に申請して任せるべきだから反対してたってぇ。村長に楯突くなんて、しちゃなんねえのによぉ。……あんた鬼殺隊の人なんだろ。あの駐在に捕まっちゃって、可哀想だねえ。監獄行きになるだろうねぇ」
    「……」
    「あの駐在の弟はねぇ、山二つ向こうの駅から街に出て働いていたんだよぉ。それが何でか半月前に戻ってきてぇ、兄貴の家に尋ねに来たらしいとは聞いてたよ。勤め先で盗んだかなにかで居ずらくなって逃げてきたって噂だったよぉ。弟は昔っから盗み癖があって、つまんないものでも何でもやって、それで親がいつも謝ってたってねぇ。そこに寝てるけど……」

    そう言って、女は死んだ鬼を見た。

    「腕から刃物が一杯出てる……鬼ってのは皆こうか」
    「ああ。偶にはそんなのもいるゥ」
    「ふぅん……」

    女は実弥の日輪刀を抱きしめ、そろそろと後退した。

    「じゃあ、おれ、行くわ……」
    「おい」
    「じゃあな」
    「おい、刀壊すなァ。後で取りに行くからなァ」

    その場に取り残されて手錠が重い。こんなことが実弥には前に二度ほど、隠が助けた。三度目の正直とばかりに田舎巡査に捕まったのは、弟と聞いた時の重い罪悪感があったからだ。
    遅れてついてきた隠が三名、実弥の前に現れた。手錠された手を見せた。

    「見ての通りだ、産屋敷家に鎹烏を送ったァ。鬼の始末を見届けてから、次の任務に従えよォ」
    「ですが風柱様は……」

    実弥は顎で鬼を指した。

    「鬼は巡査の弟なんだと。何言っても聞かねェよ。巣鴨監獄に行くことになるか分からねェが、まあ大丈夫だろォ」
    「は……」
    「てめぇらは隠れてろォ」

    隠たちは一礼して、足早に雑木林の中に入って行った。その雑木林からは夜の山の匂いが冷気と共に降りてきていて、しんと冷え込み、今夜は夜露が下りそうだった。

    朽ちた落ち葉を蹴るように、巡査が頭を地面の上に転がして運んでいた。何をしているのかと思ったが、よく見ると、頭のあちこちからも短く切り出しのような血鬼術の刃物を突き出した形で死んでいるらしかった。巡査は木の枝で頭を死骸の側に置き、その場に膝をついて合掌した。祈りの時間は長かった。

    それから実弥の側に来て、サーベルの鞘で突いてきた。

    「いくぞ」
    「……」
    「貴様はこれから監獄に行く。俺が重罪人にしてやるのだ、貴様が巣鴨監獄に入って二度と出てこれぬように手続きを取ってやる。ここらの村人を殺していたのは貴様だ。なぜなら俺の弟を殺したのは貴様だからだ。十六人も食らいおった。貴様は大量殺人者だ。わかったか、この浮浪者め、人殺しの悪党め……」

    実弥は何も答える気になれなかった。哀れな男だと八の字髭の巡査を見て思う。弟が鬼になったことに心底から同情していた。その鬼となった弟を、人を餌にして飼っていたのを国の法では裁けない。ただ鬼を斬る鬼殺隊だけが、この巡査の憎しみを受けるだろう。実弥は巡査の贄だった。

    無意味に背を突かれながら山際の道を歩いた。辺りはしんと静まり返っていて、巡査と実弥の草を踏んで歩く音しかしなかった。

    「貴様、刀はどうした」
    「女が持ってった」
    「そうじゃない。刀をどこで手に入れた。どこの一家の伝手なんだ?今時、どこのやくざの鉄砲玉だって遠慮して持ち歩くのは仕込み杖や匕首だ。やくざ者ですら我ら警察に対して武器を持ち歩くのは遠慮して隠すのだ。それを貴様、江戸の頃のような物騒な拵えで腰にして、百年前の武士のつもりでもあるのか。一体何様のつもりだ?どこの一家の者なんだ」
    「……」
    「刀を手配した一家に迷惑が掛かるから、言わないつもりか。こんな山奥で鬼を斬るのが凌ぎの一家なら、東京府でもそこそこの有名どころだろうな。本庁に問い合わせれば何もかも分かるのだぞ。貴様が今ここで吐けば、少し軽く扱ってやってもいい」

    また背を小突かれたが、実弥は返事をしなかった。こういう時、殺されても返事をしない性根を子供の頃から育てていた。実弥のひねた性根を前に、巡査はあっという間に激高した。

    「おう!舐めておるのか貴様!」

    サーベルの鞘が背を殴りつけた。二度、三度、呼吸で強化している体と言っても、痛いものは痛かったが、実弥は性根を曲げていたから、平然として先を歩いた。

    「こやつ……!」

    勘で屈んだ、頭のあった空間を本気のサーベルが過ぎて行った。頭を後ろから殴るのは殺し合いの時にすることだ。この巡査は実弥を苛め殺す気でいるか、暴力について無知のまま使おうとしているようだった。鬱陶しさが夜霧のように実弥の中に漂った。弟を殺したことは済まなかったと思っているが、だからと言って殺されていい訳がない。

    軽く走った。道なりに巡査の足がついて来れる程度の早さで、慌てて走って追いかけてくる。サーベルを抜く気配はなかった。

    野の中に何かが見えてきて、その手前で足を止めた。巡査は息を切らせて実弥の側にやって来た。

    「きっ貴様っ、いい加減にせんと殴り殺すぞ!!」
    「……ここかァ?」
    「ああ、ここだ」

    卒塔婆が無数に立っている。この辺りは墓地だった。土の盛り方からすると、どうやら土葬だ。巡査はふんと鼻息を荒くした。墓場の手前に小屋がある。どうやらあそこで一日を過ごすことになるようだった。

    「貴様の姓名は!」
    「不死川実弥」
    「年齢は!」
    「十八」
    「餓鬼があ!」

    目尻を釣り上げた巡査がこぶしを握り込んだのを見て、実弥は殴られる準備をした。そのくらいなら、子供の頃からよく耐えていて知っていた。


    巡査が拳で汗をぬぐった時、その拳についた血で顔が薄く染まったのを知らないようだった。

    実弥は土の上に転がって、口の中の血混じりの唾を吐いた。これだけ殴れば少しは気が済んだだろう。上手く殴られてやって、全部芯は外しておいた。と言っても、殴られたから痛かった。

    巡査は実弥の手錠を外すと、襟首を掴んで小屋の中に押し込み、戸をばたんと締めた。南京錠を掛ける音がする。

    道を歩いて去って行く足音が、実弥はしばらく撲られた苦痛をやり過ごす為に動かなかった。致命傷かどうかは、殴られ慣れているから分かる。あの巡査は力はあるが、殴り殺すには暴力の勘が足りなかった。

    小屋の中を見回した。まだ暗くてよく見えなかった。闇の中を手探りで確かめる時、よく知った悲鳴嶼の顔が脳裏に浮かんだ。土間に水瓶があって、中に水が入っていた。試しに柄杓に一杯水を飲んで、後で腹でも病むかも知れなかった。水で顔を洗った。

    手探りで小さな上がり框が分かる。四畳ほどの小さな小屋で、人の暮らしていた跡が分かった。墓守がいなくなった後を、留置所に再利用したのだろう。村と離れて治安を保てる。
    上がってみる。天井は低く、実弥が乗ると木が鳴って不穏だった。床が腐りかけている。安全そうな辺りに寝転がって、溜息をついた。撲られた跡が痛かった。

    弟が鬼になった巡査の気持ちを実弥は思っていた。殴られたのも納得していた。あの男は弟が鬼になったのだ。玄弥が鬼になったなら、どんな心地がするかなど考えたくもなかった。兄として冥途に送ってやらねばならない事だけが人としての道だった。

    その哀れが分かるから、巡査の好きにさせた。後のことはお館様が計らうだろう。ほこりっぽい中で、実弥は横になって目を閉じていた。夜の墓地は寒く、特に明け方がひどかった。

    実弥がゆっくり眠り始めたのは朝の時間を過ぎてからだった。温かくなった空気の中で、のんびり昼寝を決め込んでいると、足音が傍近くまで聞こえてきた。

    「ちょっと、ちょっと。中のあんた」
    「……ああ?」
    「ああ、起きてましたかぁ。ご飯ですよ」

    そう言って、風呂敷包が戸の下から差し込まれた。戸の上と下は、大人の手が拳ほどの大きさだけ出入りできるような広さで開けられていた。

    「水はそこの水瓶から飲んで下さいねぇ」
    「おう」
    「あのねぇ、うちの旦那がねえ、あんたのことを人殺しだってほざいてるけど……あんた本当に殺したんですかぁ?」
    「殺してねェよ。俺は鬼殺隊から来たがァ……」
    「ああやっぱりぃ。村長の手紙が鬼殺隊に届いていたんですねぇ。山向こうの村の藤の家で聞いてた通りです。うちの人の勘違いでしたかぁ、そうでしたか。それが分かればいいんですぅ」
    「おう」
    「うちの村長と周りの村で相談してぇ、あんたがここから出られるようにしますからねぇ」
    「おう」
    「なんかご用があったら、昼飯だけは作って来るのでその時に……」
    「俺の刀を知らねェか?」
    「刀?」
    「夕べ女に持っていかれたァ。金野という男の妻らしいんだがァ……」
    「ああ。金野の奥さんの桃子ちゃんねぇ。桃子ちゃんは元は子守で、旦那さんによく撲られてて可哀想なんですよぉ。何か言っていましたか?」
    「別にィ」
    「ああそうですかぁ。それなら、駐在所に持って来るよう言いますよぉ。あんたもどうせ暫くは出られないでしょうから、刀なんて危ないものを金野さんのおもちゃにさせないよう、駐在所の中に仕舞っておきますよぉ」
    「そうかァ」
    「飯、少なくてごめんなさいねぇ。逃げ出さないように少なくしとけって言われたもんでぇ」
    「ああ」
    「それじゃあ、また明日ぁ」

    そう言って、足音が去って行く。風呂敷包みを拾って開けると、五銭ほどで買えそうな握り飯が二つと、沢庵が二切れだった。全部食べて水を飲み、風呂敷を上の戸口に掛けておいた。明日また来た時に持って帰れるだろう。

    もう一度実弥は寝転がってうとうとした。人は誰も訪ねて来なかった。山向こうに藤の家があるというから、この辺りも産屋敷家の力は及んでいるはずだった。何日で出られるか、その間の鬼殺の任務は。

    昨夜、ひとが弟と思う鬼を殺した。それで何となく玄弥のことを思い浮かべていた。玄弥のことは、行く末を長屋の大家に確り頼んで、家を出て行くのを黙って置いて行った。ひとりぼっちになって、兄ちゃんが帰って来なくて、どれだけ寂しかっただろう。

    小さな弟の背を思い起こす。まだ十にもならないのに、実弥は彼に何も言わずに、お前は一人立ちしてやっていけと促したつもりでいた。可愛い弟を突き放したのは分かっていた。玄弥の面倒見から逃げ出した薄情な兄のことなど忘れ、優しい家庭を作り、明るく元気にやっていて欲しかった。

    その弟が鬼になったら、実弥は夜叉になるだろう。

    だからあの巡査の暴力を受けてやった。少し殴られる程度のことで心が折れることはないし、暴力には慣れていた。うまく殴らせ、殴られたら危い箇所を外す術も知っていた。何より、あの巡査は二度と弟に会えないのだから。

    玄弥に会うつもりは毛頭なかった。不死川家の長男として、実弥は家族の仇討ちの為に鬼を討ち滅ぼしに行くと定めて、そのかわりに家の血を残す優しい少し難しい仕事を玄弥にしてほしかった。だから自分の元を離れて、一人でやっていく道を見つけてほしい。

    草を踏む足音が三人分やってきた。多分隠だ。

    「風柱様」
    「おう」
    「鬼の死骸が消えました、これで我々の任務も完了です」
    「おう」
    「ですが村では騒ぎになっています。村はずれの雑木林に置いてあった遺体がなくなったと言って、あの巡査が暴れ回って泣いていて、誰も近付けないんです」
    「おう」
    「あの巡査がここに来たら、どうします」
    「放っとけェ」
    「ですが……」
    「相手は鬼じゃねェんだ。大したことねェ」
    「風柱様の御身が案じられますが……」
    「アア?てめェらは、俺があの程度の男にやられて動けなくなるとでも言いてェのかァ?」
    「い!いえそんな滅相もない……」
    「うるせえ。行けェ。てめェらの任務に戻れェ」
    「はっ……」

    隠を散らした。来るか来ないか、二つに一つ。この辺りに鬼が出たなら、もう一匹来ないとも限らない。藤の家が山向こうにあるなら、今までこの辺りに鬼が出なかったことが不思議なほどだ。

    飯を持ってきた女に巡査の様子でも聞いておけばよかったか、あまりいい思いつきはなかった。実弥は鬼殺は達者だが、それ以外のことは一般人と同程度だと自分で分かっていた。いや、それ以下だ。字が書けない。実弥はそれを恥に思っていた。尋常小学校に行ったことは一度もなかった。

    古ぼけたいろはの字引きと、かなの百人一首、どちらもすり切れたものが一冊ずつ家にあった。それでどうにか読むのは出来た。悲鳴嶼に鍛えて貰って、多少ましになった自覚があった。玄弥がどうしているか知らないが、自分よりも字が書けるようになっていたらいい。筆の持ち方も実弥は知らない。

    玄弥がいい奉公先に巡り合っていますように。小学校に行けなかったけど、誰か親切な人から読み書きそろばんを教わっていますように。よく働くところを認められ、奉公先の人に愛されますように。どうかどうか病気になって苦しんだりしませんように。良い人と巡り合って、優しい家庭を築きますように。玄弥が鬼になりませんように。

    降り積もる思いに自分で窒息しそうになって、実弥は溜息をついて、寝返りを打った。外から窓に板を打ち付けてあるのを一瞥し、また目を閉じた。

    巡査が殴りに来ると隠は言った。あの巡査が弟を殺されたのを恨みに思って、実弥をここに閉じ込め、毎日のように蹴ったり殴ったりしに来るようになると。駐在ならそれができる。逆らえば飯抜きだ。嫌な話だ、実弥は土間に唾を吐いた。

    目を閉じて休みながら、西日に当てられて小屋の中が灼熱だった。汗が流れてくるのをじっと耐えながら、鬼殺後のとばっちりをやり過ごすしかなかった。家族が鬼を匿った件については、同じことが何件も報告されていたし、実弥も悲鳴嶼と一緒に鬼を庇う親を見ていた。あの慟哭の響きを思い出す。

    熱さに耐えられずに起きて水瓶の水を飲む。その時に土間の足元に冷えた風が入り込んでくるのに気付いて、実弥は辺りを探して茣蓙を見つけ、狭い土間に敷いて寝転がった。埃と土と黴の匂いでひどかったが、戸口に頭を向けると、戸の裾から山の青い風が吹き込んできて息がしやすかった。


    夕闇と共にひたひたと急ぎ足に一塊の勢いがどんどんと戸を殴る。実弥は既に昼寝から起きていて、上がり框に座って外の様子を窺っていた。戸の裾から見える相手の様子は通常人とは違った匂いを発している。

    鬼だった。鬼は切羽詰まった息をして、戸をがたがた揺らして中に入ろうとしていた。

    実弥は殴られて稀血を振り撒いていた。その匂いに釣られて来たらしい鬼だった。頭を掻いて、溜息をつく。日輪刀が傍にないから、子供の頃にしていた要領で狩るか、日輪刀を取りに行かなくてはならない。こんな程度の雑魚鬼は恐くなかった。

    日輪刀は今どこにあるだろうか。駐在所か、それとも金野の嫁が持っているのか。名前は確か、何と言ったか。実弥が知るべきは金野の家と駐在所だった。

    駐在所か金野の家か、どちらを先に尋ねるか心の中で問答をする。

    鬼が戸口を手で這い回して上から下まで撫で回し、実弥は地面に付いていた足をひょいと上げた。直後に疾風の動きで何か素早い縄のようなものが戸の下から飛び出して土間を攫った。血鬼術だ。戸口の下に鬼の顔が目を爛々と光らせていた。こっちを見て、長い舌を伸ばしている。舌が伸びる血鬼術のようだった。

    「ケッ」

    土間をびちびちと舌が跳ねまわったのを実弥はしらける思いで眺めていた。ついに足を狙うのを諦めた鬼は、ばん、ばん、と戸を何度も叩くのを南京錠が耐えている。戸の方が朽ちそうだった。
    このまま出方を待っているのも風柱たる自分らしくない気がした。呼吸を使って持ち上げても重たい火消し壺を取り上げて、鍵の音をさせた辺りに投げつけた。

    ばんと音を立てて戸が破れた。中に入る鬼と入れ違いに、実弥は跳んで小屋を出た。後も見ずに夜道を走るのは慣れていた。ぴゅんと宙を飛んで来る舌の攻撃は見ずに躱せた。

    呼吸を使い、全速力で夜道を駆ける。

    女だ、と実弥は思っていた。暗くて顔も見えなかった女に渡された日輪刀のことだった。あの女は実弥の刀を抱いて何かを分かった。一体何を分かったのか、あまりいい気持ちがしなかった。嫌な予感を胸に抱き、金野の家を訪ねるのにどうすればいいかを考えていた。人の家を訪ねるのにはまず駐在だ。駐在なら鬼をサーベルで追えるし、実弥は稀血だ。こっちを追いかけて来るに決まっている。

    逃げる途中で井戸を見つけた。実弥は鬼と井戸の周りで追いかけっこをした。井戸越しに飛んで来る舌をかわしざまひっ掴み、思い切り引っ張ると、鬼の体が井戸の上に浮いた。後は掴んだ舌を離し、井戸の中に上半身を蹴り込むだけだった。

    井戸を登るのにどれだけ掛かるか、これで時間は稼げたはずだ。

    実弥は落ち着いた走り方で村の中に入って行った。百人規模の大きな村のようだった。急ぎ足で帰ろうと言う男に聞いた。

    「すまねェ、ひとつ聞くがァ、駐在所はァ?」
    「あっちの道だ。起きてる間は真っ赤な提灯出てるよぉ」
    「どうもォ」

    指された方に向かって走る。夜はいつも急ぎ足で過ぎ去った。今夜は腰に日輪刀がなく、それも不愉快な理由だった。女が持ち去ったのが妙に不安な気持ちでいた。夫に撲られる女の話は実弥の心を憂鬱にしていた。

    女。女が、鬼を斬る日輪刀と知らずに刀を抱いて夜を走った。身寄りもなく一人ぼっちで、頼りの夫に撲られながら日々過ごさなくてはならない女。胸の中がいやな不安で一杯だった。まさかまさか、そんなことを思いついたか。

    駐在所を見つけてその中に駆け込んだ。

    「おい!金野の嫁は来たかァ!」
    「ああ?……あんたか」

    駐在所の奥から声がして、昼間に握り飯を使って来た女が、ふくよかな頬だった。

    「金野の嫁は来たか」
    「いやぁ?桃子ちゃんには、明日話そうと思ってぇ。うちにはないよぉ」
    「その金野の家はどこにある?」
    「ここをまっすぐ行った先のどん詰まりを右に曲がって二軒先だぁ。庭のカカシが今風に麦藁帽子を被ってるからすぐ分かるぅ」
    「どうもォ。戸締りしておけよォ」
    「わかったよぉ。でもおまえ、あの小屋出ても良かったのぉ?」
    「襲われたんだァ」
    「襲われたぁ?」
    「鬼が出たんだァ」
    「鬼ぃ?またぁ?」

    実弥は急いで玄関を出た。真っ直ぐがだらだら長い道だった。気持ちが急いでいた、鬼殺の為ではない焦りがあった。あの女が何かするのではないかという予感で足を急がせていた。

    真っ直ぐ行った先は両脇に道が逸れていた。右に曲がって二件目の家は、確かに庭にカカシがあって、麦藁帽子を被っていた。その脇に女が刀を抱いて屈んでいた。

    「オイ!」
    「あっ……あんたはぁ」
    「俺の刀返せよォ」

    夜はいつも切羽詰まった。あの井戸に戻って鬼を斬らなくてはならない、この女の事情に構っていられない。それは実弥の仕事ではない。女が懐に抱く刀を無理に受け取り、腰に差す。柄にぬるついた湿った感触があるのを問わず、強いて背を向けて走り去ることにした。

    ぬるついた刀を腰に差す。一体どうしてこんな事になったのか、考えるだけ無駄だと知っていたのが文殊の知恵か。今はあの男の長閑な顔を無性に見たい。

    走り戻る時に悲鳴を聞いて、そちらに向かった。
    道の真ん中で、巡査がサーベルを抜いてひらひら振り回し、滑稽な踊りを踊っているようだった。

    「ああっああっ!!やめろやめろ!!こっち来るな!!」

    よく見ると道端に死骸が二つある。どうやら巡査は夜回りの最中で、二つの死骸は巡査と道端で話でもしていたものか。実弥は刀に手をかけた。柄がぬるついて掴みにくかった。

    いつもと違う、これで斬れるか。巡査に向けて跳梁した舌をまず斬った。切り落とされた舌が巡査の腹に巻き付いて、彼は怯えた悲鳴を上げた。

    抜いて構えた。巡査を背に、鬼は向こうに。昨夜と違う配置なら型を使える。実弥は弐ノ型を使った、心なしか刃がいつもより重い。

    鬼は技を受けたが半ば避けたのか、その半身を削ぐのにとどまった。舌打ちをして、首を獲りに掛かった。稀血と知って逃げずに迎える。獲り易い。

    ごきんと音がした。いつもなら斬れている筈の首が固く刃先にしなって鈍い。実弥は抜いて、もう一度同じ個所を狙った。

    ごきん。

    鈍い音を立てて首が落ち転がって、昨夜の切れ味ではなかった。実弥は刀に拭いをかけた、いつもと違う感触で気味悪かった。心当たりがあるとすれば、あの女だ。

    あの女、この刀で一体何をした。

    刀はどうにか鞘に収まったのを安堵として、あちこちの家から人の顔が、提灯を差し向ける様子でいる者もいる。こちらに来る気だ。巡査はまだ胴に舌を巻きつかせたままで泡を食っていて、サーベルを握ってがちがちと震えている。実弥が豚箱を無断で出たことに気付いていなかった。

    溜息をひとつ、実弥は村を後にすることにした。口が上手くない自覚もあったし、説明できそうな隠は返してしまっていた。墓場の小屋に戻ってやり過ごすことに決めた。

    ひどい気分だった。昨夜はひとの弟を殺し、今夜は日輪刀を人殺しに使われた。こういう時に無性に会いたい南無阿弥陀仏が一人いる。でかい地蔵のような慈愛の顔をし、見えない瞳で実弥を見つめる。ああ突っ転がしたいなと思う穏やかな清さのあの顔を、自分の仕業で泣かせてる時の幸せ。

    今頃どこの鬼殺の道についていることかと夜空を見上げた。月が出ていて、夏なお寒い山里の夜には似合いだった。暗い山の峰に残雪の残っているのがしらしらと夜目にも分かる深さだった。

    とぼとぼ歩いて墓地に向かう。夏の夜なのに蚊も出ない中を、卒塔婆を抜けて墓守の小屋に戻り、爽籟も戻っていなかった。

    実弥はひとりぼっちでいた。小屋の中でぼんやりしていた。明かりが欲しいという気もなかった。久しぶりに夜に寝ようと、寝転がって目を閉じた。

    人肌恋しさに思い浮かべる人の顔が鬼殺隊の最強で、実弥を受け入れる時の顔は滅多に人に見せるものでもなかったから、自分だけが特別になれた気がした。

    不愉快なのは、刀がいつもと違う感触になった事だった。実弥は起きて、せめてと思って刀の柄に水をかけて暫く洗った。それで血脂はとれはしないが、気分の問題でもあった。

    嫌な気持ちだった。夜に女に刀を奪われ、次の夜に取り戻した刀は使われていて普段と違う使い心地をしている。何があったのか知りたくない。

    実弥は寝転がった。久々に夜眠れるのが贅沢だった。


    昼近くまで寝転がっていた。埃と黴の匂いが好きではないが、この小屋は午前中なら涼しく過ごせる。実弥は水を飲んで人心地をつけていた。昼に飯は来るだろうか。

    人が来る足取りが聞こえて来ていた。随分急いで大股で、ざくざくと歩いてくる。実弥は戸口に立ってみた、肩に鴉を乗せた悲鳴嶼が来る所で、鴉声が爽籟だった。

    小屋の場所を誰に聞くでもなく、戸口に佇むように立ち止まった。

    「不死川」
    「はい」
    「帰ろう」
    「はい」

    同じところに帰るような口調で言われて、郷愁と慕わしさと照れ臭さを同時に感じて、へまをして豚箱に入れられたのを何も言わない悲鳴嶼の不器用な気遣いが、挨拶を言わせなかった。

    迎えは隠で良かったのに、悲鳴嶼を寄越したのが不自然な符号だった。実弥は小屋を出、悲鳴嶼の前に立った。爽籟が実弥の肩に飛び乗って、ひとつ鳴いた。

    「現金な奴だなァ」
    「爽籟は、産屋敷家からここまで遠かっただろうに、頑張ったのだ」
    「そうかァ。お前、ご苦労様だァ」

    体を撫でて労わってやる。爽籟は機嫌が良さそうだった。鴉を肩に止まらせたまま、悲鳴嶼を見上げる。

    「村に行ってきたんですかァ?」
    「ああ、済んだ。鬼が二匹出たことを周りの村にも知らせるそうだ。藤の家にある藤の香の在庫が心配だな。この辺りを取り締まる警官も理解を示してくれたから、やり易くなると良いのだが……ここにいた隠が私に報告をくれて、それで大体の事情は分かっている。不死川、ご苦労だったな」
    「いえ」
    「殴られたのに」

    見えないくせになぜ分かる。悲鳴嶼は涙を流して、実弥の疑問に答えた。

    「声が籠るから分かる。藤の家で治療しよう」
    「はい」
    「山向こうにある」

    そこから悲鳴嶼は来たようだった。昨夜はどこまで足を延ばしたのだろうか。恐らく寝ずに、ここまで実弥を迎えに来てくれた。

    「行こう」

    隣を歩いた。悲鳴嶼と昼の道をこうして歩くのはいつぶりだろうか。のんびり行くと、木陰に遅い山躑躅が満開に咲いているのと行きあった。今まで目に入らなかった景色が、悲鳴嶼といると良く見えた。
    歩き出したところに、走って来た女がいる。山躑躅と同じ色の着物を着ていた。

    「ああまだいたぁ、よかったぁ」

    二人は立ち止まって女を見た。息が整うまで手を上げて、待っていてくれと言っているようだった。女は晴れやかな顔をしていた。

    「いやぁ、悪かったな、この前は。あんたのことを悪く言ったから、済まなかったなぁと思って」
    「ああ。別にィ……」
    「鬼が出て、それで金野の武之が、おれの旦那がいなくなって、せいせいしたよ」

    女は躑躅色の着物で笑顔を振りまいている。ちょっと後れ毛を手で後ろに流した。

    「まあ、舅と姑や兄弟はたくさん泣いていたけれど、なあ。おれが殴られてるのをただ横で見てただけの奴らだからぁ、いい気味だったよ。夜に鬼が出たんだよなぁ、鬼が出てぇ、あっちこっちでやらかしてぇ、村は三軒も葬式出すんだぁ。山向こうの坊様もたまげてるだろうねぇ。鬼が出て人を取ったと聞いたら、時代遅れだって笑われそうだぁ。その時代遅れの鬼がまあ、あんたに切られてくれてねぇ。ありがたいよぉ。あんたの刀でおれがしたことは、全部鬼が被ってくれることになったから、それ言いたくてぇ。あんたには迷惑かけたなと思ってぇ、こうして挨拶に来たんだぁ」

    悲鳴嶼が涙を流して合掌し、南無阿弥陀仏を唱えた。実弥は女をじっと見ていた。夫を殺して着る山躑躅色の着物。実弥の腰の刀は柄がぬるついて、刃筋も狂った。どうにか鬼を斬ることは出来たが、自分の道具で人を殺されたのは不愉快だった。多分このことは事件にはならず、村の内々で処理される。

    鬼殺隊で斬れない鬼が晴れやかに微笑んでいた。

    「気は済んだかァ」
    「ああ済んだぁ。じゃあな、鬼狩り様」

    その道で女と別れた。山躑躅色の着物は女を哀れんで独語している悲鳴嶼には見えていない、彼は色が分からない。せっかく悲鳴嶼と一緒に見ていた山の景色が血で黒く汚れたような気持になった。

    「悲鳴嶼さん。刀、研ぎに出したいです」
    「絶佳!」

    呼ばれて、鴉が下りてくる。悲鳴嶼の肩に止まった。

    「不死川は里で刀の調整だ」

    鴉声をあげて飛び立つ。山越えの道を歩きながら大亀の木の紫陽花に似た白い花がまだ残っていて、この辺りの夏の寒さを教えてくる。商人らしい男が向かいから歩いてきて、通り過ぎる時に軽く会釈していった。

    「刃筋が狂ったか」
    「ええ、まァ。使ったのが力のない素人だからァ、どうにか首は斬れたけどォ」
    「災難だったな」
    「警察に捕まるだけなら分かりますがァ、刀使われたのが嫌だなァ」
    「元は子守だと村長から聞いた。声がまだ幼い」
    「……」
    「あの女の言葉を聞いて、村長が言っていたことの意味が分かった。村の外から来た鬼と、村の中に出た鬼のことを言っていたのだな」

    村を遠目に行き過ぎる。悲鳴嶼の足取りは急がなかったし、爽籟も肩で休んでいた。今日の塒は実弥の側にしたようだった。残雪の残る山を遠目に、涼しい心地がした。

    「これ」

    と言って、悲鳴嶼が包みを取り出した。風呂敷に入って丸い。何かと思って包みを解くと、竹皮からはみ出そうな大きな握り飯が一個、浅草海苔が巻いてある。

    「……悲鳴嶼さん、作ったのォ」
    「うん」

    そう言って、次に竹筒を渡してきた。紐でぶら下げる。受け取って、実弥はまず握り飯にかぶりついた。昨日の昼に小さいのを食べた切りだったから、軽い塩味の米が格別だった。中に鳥味噌が入っていたのが不意打ちで、嬉しくて旨かった。

    それから竹筒の水を飲もうとして、咳き込んだ。中身が酒だ。

    「ああすまん、酒だったか。水はこっち」
    「酒ェ?」
    「出所祝いだ」

    本気か冗談か判別つかない。水を受け取って飲み干し、酒をちびちび飲んだ。何の変哲もない野山の景色と、歩調を合わせてくれる悲鳴嶼が肴だった。木陰を歩いて竹の香りがする酒で、なんでも旨いような気になってくる。

    「出所祝いなんて誰から聞いたんですかァ」
    「寺にいれば聞くともなしに知るものだ。やくざの一家の出入りがあると、人が死んで葬式を出す。そうすると寺に関係者が集まるだろう?その後の精進落としに吉原でぱっとやると……」
    「ああ成程ォ。そういうとこで聞いてたんですかァ」

    微笑んで頷いて、実弥を見つめてくる見えない目が優しかった。彼といるだけで気持ちが随分やわらいで、そんな胃の腑に酒を注いでいく。藤の家に行くのがこんなに楽しみなことはなかった。遠足や旅行と言うのはこういう気分なのだろうか。悲鳴嶼の手製の弁当に酒と花見と、気心の知れた相手とのんびり歩く。何の変哲もない山里の景色が美しく映えてくる。

    「酒は嫌いか」
    「いいえ、心が洗われるようですよォ」
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