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    sumitikan

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    sumitikan

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    さねひめ、全年齢。モブあり。軽く戦って鬼の首が飛びます。

    #鬼滅の刃
    DemonSlayer
    #さねひめ
    goddessOfSpring

    秘め事鬼殺の後に呼び出され、向かった産屋敷家で実弥はすぐ座敷に通された。耀夜は言った、行冥が行方を断った。それと二匹いた鬼のうち一匹を取り逃がしている。残りの鬼退治を頼むのと、どうか行冥を救い出して欲しいんだ。鬼の配下の村人に捕まっている。そこが少し難しいかも知れないけれど……このことは内密に。鬼殺隊最強が行方不明なんて、皆の士気に関わるからね。

    唇の前に人差指を立てた耀哉の優しい色合いの、母を思わせる眼差しに一も二もなくその場に頭を下げていた。染み入る声音も心の内に重なり合って、命令を受けて働けるのが喜びだった。悲鳴嶼を救いに行けるので気持ちが勇み立っていた。そのくらい片付けるなど簡単なことだった。

    いつも寝ている昼の間に出来るだけ距離を稼いで、飛ぶような足取りで現地に着いた。まず実弥は土地の交番でもと思った所に、林の中から隠がひょいと姿を現した。実弥を見て、ほっとその場で控える姿勢を取った。

    「ああ、風柱様……待っていてよかった。お早いお着きです」
    「状況はァ?」
    「岩柱様が」

    隠は言葉を詰まらせた。

    「悲鳴嶼さんはどうしたんだァ?」
    「座敷牢に……」
    「鬼はァ?」
    「恐らくそこに」
    「いつからだ」
    「ああ、もう食べられてしまったかも知れません」

    隠は嘆いた。実弥も彼の気持ちは分かった。あの悲鳴嶼が無抵抗に鬼に食い破られるとは、そこを助けよと耀哉に命じられたのが幸いだった。

    「案内について来い。俺が中に入るぜェ」
    「風柱様……」
    「こうなった事情を話せェ」
    「は」

    隠しは軽く頭を下げ、急ぎ足に先を歩きながら話し始めた。

    かねてからご存じのように、隠部隊は昼間に鬼の噂の調査などをいたします。人が消える話が村や街のあちこちにあるなら、その仕業はまず鬼と言っていいでしょう。ですが、それが確かに鬼の仕業なのか、場合によっては隠をやって調べさせます。

    この村の場合は、まず鬼が出たと言う訴状が育手の家まで届きました。戦国の世から江戸時代にかけて、よくそんな伝手で鬼の噂が産屋敷家に伝えられて来たそうですし、今もまだそういうことはあります。

    育手の手から産屋敷家へ連絡が入り、そこから調査が入りました。鬼の話の調査をするのは、鬼と関わりのない失踪と区別する為です。時にそれは許されない駆け落ちであり、家出もあり、或いは村の掟を犯したものをそれぞれ閉じ込めておきながら、鬼が食って去ったと表向きに言い訳をする。そういう事情を取り除く用があります。私がここに来たのもその為です。

    訴えは、このD村の大地主をしているK家の二人の息子に、F家の跡取り息子を奪われたと言う嘆きでした。F家は十年ほど前に丙の鬼殺隊士を出しており、その隊士は今は育手をしています。その伝手を使ったものでしょう。

    F家の話によれば、村の中でも子の多い家はそれなりの値でK家に子供を売り、その後は知らないという事がこの数年の内に大いに問題になったそうです。どうも食べられているらしいと言うのは、売られた後の子の姿を誰も見ないからです。その噂がもとで、このD村と近隣の者は誰もK家に子を売らなくなりました。私はこれはK家にいる鬼の仕業だと思い、鎹鴉を送り、その夜に岩柱様が来ました。

    岩柱様はF家にいる私の元に案内を求めました。私もFから聞いた通りに村を案内しました。夜の中に提灯を持ちまして……はい。この提灯が鬼を呼びました。この辺りでは夜に村の外を歩くのは余所者だけということになっていますので、提灯を持ち歩くのは食べても構わない印となっていました。

    岩柱様はそれはお強く、星明りの中であっという間に鬼を仕留めました。私は物陰からそれを見ていました。ですが二匹目の鬼は、K家の家僕が鬼に抱き付いて庇いだてをし、そのために岩柱様は日輪刀を収めてしまいました。何だか、たった一人の跡取りだとか、そんなことを喚いていました。

    隠れたまま様子を見ていますと、その場にK家の雇人がやってきて、岩柱様を脅し立てます。言う事を聞かないと女を殺すと、雇人の女の喉に刃物が宛がわれたようでした。Kの跡取り息子は病気で、病気を治す薬に人を食うのが必要なのだと彼らは信じているようでした。

    岩柱様は日輪刀をそこに置き、彼らに脅されるままついて行きました。私は彼らの後をつけました。彼らは提灯を使っていましたから、簡単でした。一行は村の丘の大きな一軒の屋敷の中に入って行きました。明け方まで待って、私はF家に戻りました。Fによると、K家には座敷牢があるそうです。K家の鬼は、岩柱様をそこに閉じ込めているのでは、という話です。私はFと力を合わせて岩柱様の日輪刀を回収し、今はF家に置いてあります。そこに風柱様が来たという訳です。

    実弥は丘の上にあるK家の屋敷に歩いて行く足取りが、隠を追い抜きそうになるのを堪えた。苛立たしさに気が立っていた。実弥の目が血走っているのを隠は振り向き、固唾を飲んだ。

    座敷牢周りは日が差さない。鬼の根城に連れ込まれ、目を吸われたか。腕が欠けたか。悲鳴嶼の五体無事であることを祈るような思いで、実弥は跳びあがってその家の植え込みを超えた。人気のない庭先を行って、裏木戸を開ける。隠も中に入った。

    「テメェは隠れて様子を見てろ」
    「は……」

    実弥は無言で家の敷地を横切った。裏から入るつもりだった。人質を取って悲鳴嶼に言う事を聞かせているなら、家の者は鬼に掛かり切りのはずだ。自分たちの食事の用は恐らくまだない。家の中に人はいない。

    音もたてずに裏口から入る。忍び足は得意だった。実弥は家の中をうろついた。やがて、どこからか中を歩く人影が来た方に注意を向けた。その人影を追うと、廊下の壁の中に戻って行った。隠し扉があり、実弥もそこを開いて中に入った。

    中は階段になっていて、そこを数段降りると尚広い間取りがあった。人の気配の濃い方に足を進めた。血の匂いがしていた。実弥は忍び足でそちらに向かった。座敷牢が見えていた。

    荒縄で雁字搦めに後ろ手に縛り上げられ、悲鳴嶼は壁際に背をつけて、胸元を切り裂かれ、傷口を穿られていた。鬼がそこに口をつけて血を啜り、嬲っている。鬼の側には刃を突き付けられた女が俯いて座っていた。悲鳴嶼は、その気配があるから鬼に好きに嬲らせているようだった。

    鬼は爪先で同じ傷を深く抉った。そこを指で開き、喉奥で笑いながら胸に顔を押し付け、舌を傷口に挿れて血と肉を舐めていた。肉に牙を立てると、流石に悲鳴嶼が喘いだ。まるで実弥とあの時の事をするような吐息だった。

    目の前で、鬼はまた新たな傷を悲鳴嶼につけた。傷口から血が滲むのを待ち、その傷に舌を這わせて舐め取る音がしていた。傷口の中を牙が抉ったのか、悲鳴嶼が苦しそうに喘いだ。

    忍び足も忘れ、一歩その場に前に出た。座敷牢周りに鬼の命令を待っていた雇人らが実弥に気付いた。腰に刀、背に殺の字の羽織を身に付けた長身の男の形相を見て、彼らは咄嗟にものも言えないようだった。

    雇人たちの様子が変わったのに、鬼も気付いて視線をこちらに寄越した。実弥と見合い、鬼は笑った。

    「鬼殺隊か。今から岩柱を馳走になるところだ。お前も俺に食われるか?」
    「食えるもんなら食ってみろォ」

    雑魚鬼が我が物顔に、掴んだ悲鳴嶼の胸肌に傷痕を残す爪先が憎い。実弥は刀を腕にあてがい、引き切った。深く切り過ぎないように注意した。湧き出る稀血の匂いを嗅いで、鬼の表情が一変した。

    その場に悲鳴嶼という大きな獲物を捨て、鬼は立ち上がった。女と、女に刃物を突き付けている雇人など気にも留めなかった。座敷牢を出て、鬼は悲鳴嶼の血で赤い涎を長く垂らし笑うのに、実弥は嗤い返した。

    刀を両手に握った。人をさほど食べていない雑魚鬼など、物の数ではなかった。


    あんた刃物はやめてくれ、K家の血筋が絶えてしまう。残りの親兄弟も皆薬にするのに食ってしまって、もうこの人しかいないんだ。そう言って実弥に近付いてきた男を、刃を返して刀の峰で殴りつけて昏倒させた。

    悲鳴が上がり、鬼の粘性の笑みを前に油断は無かった。坊ちゃん危ない男ですからお下がりなさい。そう言って鬼の前に立った男の、鬼は貫き手で一突きに容易く心臓を摘み、今さっきまで生きていた肉塊を一口に噛んで笑んだ。

    「まずい。稀血、お前を寄越せ」
    「ふざけんな」

    噛んだ肉を吐き出し、鬼は血まみれの涎を垂らしてますます笑んだ。実弥は体を低く沈めながら踏み込み、八相に持った刀を振り下ろした。鬼は腕でそれを避ける仕草をし、腕ごと首が落とされた。ぼとりと落ちた首と手を見て、また悲鳴が上がった。

    実弥は刀を納め、じろりと座敷牢を見た。牢の中に女を脅しに刃物を持った雇人がびくりと体を揺らせた。実弥は中に入って行った。雇人が慌てたように女に刃物を、全く無視した。

    縛られた悲鳴嶼はそこに倒れて、動けずにいるようだった。胸を血だらけにして、頬を染めて喘いでいる。今回のことは彼の弱点がもろに出た任務だった。

    「済まぬ、不死川。こんな……」
    「じっとして下さい」

    刀で縄を解く。自由になって悲鳴嶼は吐息をついた。胸の傷が新たな血に濡れ、吐息が荒かった。体を改めて見ると、腿の布地が裂かれて傷がある。そこからも血を啜られて鬼の毒が体に回り、熱がある。

    「一体いつからァ?」
    「私の感覚では夜からだった。それからずっと、ここで甚振られていたのだが……」

    実弥は鋭く舌打ちをして、座敷牢内の男と女を睨んだ。二人は相次いで座敷牢から出て行った。悲鳴嶼の体を助け起こした、熱が出ている体だった。

    「悲鳴嶼さん」
    「いや。大丈夫、今起きる……」
    「無理すんなァ」
    「お前も夜を徹して来たのだ。ここで起きなくては、柱が廃る」
    「俺がいるんだ、少し休めよォ」
    「不死川。しかし……」
    「ここの連中は何もできねェ。辺りの村人を沢山食って、どんな言い訳が出来るってんだァ?鬼は死ねば塵となる。人を食った証拠も立たねェ。人が食われて消えた言い訳もこいつらはできねェんだ。アンタ一息くらい休めよォ」
    「南無……」

    ずしりと座敷牢の畳の上に、悲鳴嶼は涙を流して吐息した。よく見れば腰や脇腹を切り裂かれ、あちこちの味見をされていたのが分かった。殺される間際で命ごと体を弄ばれていたのが悔しかった。人さえいなければあんな鬼など倒せた悲鳴嶼の、性根の優しいことが悔しい。その優しさに救われている自分丸ごと、どうにかならなかったのか。

    実弥は座敷牢の中から雇人たちをひと睨みした。人々は遠巻きにして動かなかった。そのまま実弥は座敷牢の外を睨んで立ち尽くした。

    足元の悲鳴嶼の様子を見る。泣いている彼に水を一杯でも飲ませてやりたかったが、こんな土地では毒でも入れられているかも知れない。そこに荒々しい足取りで人が来た。この村にいるらしい巡査だった。恐らく隠とFが通報したのだろう。人が一人死んでいるのを見て、辺りを睥睨し、実弥を見た。

    「殺したのは貴様か?」
    「俺じゃねェ」
    「貴様は外の者だな。K家の奥に、何をしに村に来た」
    「この人を助けに来たァ。見ろよ、牢に入れられて縛られて、血塗れだ。俺はこの人を連れてさっさと村を出たいねェ」

    座敷牢に血塗れに横たわり涙ぐむ悲鳴嶼を見て、巡査は腕を組んだ。雇人から状況を聞き取りもしない態度だった。

    「お前が殺したのではないのか」
    「俺じゃねェ」
    「その腰の刀で抉ったのではないか?」
    「よく見ろ。それは刀傷じゃねェ」
    「……」
    「そこ、心臓の塊が落ちてるじゃねェか。噛んだ後がある」

    巡査はじろりと実弥を睨んだ。

    「本当に俺はこの人を助けに来ただけだァ。人の、それも生肉は食わねェよ。俺は確かに余所者だがよ、それがどこの鬼か畜生だとでも言うのかよォ?」
    「ふむ……」
    「犯人ならもう逃げてるだろォ」
    「でもあんたはK家の跡取りを殺したじゃないか!」

    その雇人の言葉の威力は絶大だった。巡査は悲鳴嶼と共に、彼の側に膝をついている実弥を睥睨した。

    「何があった?」
    「殺したのは鬼だァ。K家の跡取りなんかじゃねェよォ」
    「鬼……?」
    「俺は産屋敷家の係りになる鬼殺隊の一人だ。今助けているこの男もそうだ。確認が必要なら名刺もあるがァ」
    「鬼殺隊か。本部の研修に居た時に、噂に聞いた事がある。まさか本当にある話だとは思わなかったが……」
    「なら話が早いなァ、どうする?」
    「人が殺されている」

    そう言いながら巡査は潰れた心臓の肉塊を見下ろしていた。巡査は村内での自分の立場を強くするのに、この機会はいいものと思っているようだった。K家に貸しを作れる。村内での巡査の立場が上がる。

    人殺しを逮捕したとなれば箔がつく。だが、その為の死体がどう見ても刀傷ではなかった。巡査は死体を見て唸り声を上げていた。

    「跡取りが、その男を殺して逐電したのではないか」

    悲鳴嶼の説明を下目使いに聞いて、巡査はまたも唸り声を上げた。

    「いかん。それでは儂が村の巡査を任されている面目が立たん」
    「じゃあ、跡継ぎが殺した相手を追っかけたってェのはァ?」
    「ふむ……それなら弁解できそうな話であるな。K家の跡継ぎは人殺しを追いかけて、そのまま行方知れずになった、と」

    巡査は鬼の着ていた衣類が落ちているのを眺めていた。雇人たちは誰もそれに触れようとしなかった。怯えたように顔を見合わせていた。雇人たちを巡査は眺め、実弥を見た。

    「鬼殺隊。人殺しではないな」
    「ああ、人に向ける刀じゃねェ」
    「違う、その人に坊ちゃんが殺されたんです。ちゃんと見ました。物凄い勢いで首を落としたのを見たんです。腕が落ちて首が転がって、坊ちゃんはそこに倒れて」

    喘ぐように雇人が言った。巡査はその雇人を見た。

    「だが死体がない」
    「それは……それはそうだけど、でも殺したんだ!この目で見たんだ!!」
    「そうか。ではお前に聞くが、K家は先年まで次々に子供たちを買い入れていたが、その子らを一体どこにやったか、存じておるか?」
    「それは、それは……。それはこの話とは違います。それは坊ちゃんが子殺しをしたと言う奴らの話でしょう。確かな証拠もないのに勝手なことを言ってる連中のことだ」
    「そうだ、証拠となる死体がないから手打ちとなったな。何事も証拠が大事だと言って、本官がこの村ばかりではなく、あちこちに足を延ばして詫びを入れに行った。そこでだ、この家の主が殺されたとお前は言うが、主の死体は一体どこだ?」
    「それは……」
    「殺されたなら死体という明らかな証拠が出る。そうではないか」

    巡査の説明を聞いて、雇人はかれを見つめてから、実弥を顎で指した。

    「この男の言う通り、主は人殺しを追いかけて行った、と本官も判断する。捜索するよう村にふれを出さねばならない」
    「そんな、そんな。人殺しがいるのに逮捕しないんですか。それじゃあK家は一体どうなるんです。ええ?」
    「それは本官の職分ではないな」

    巡査は雇人を一瞥してから、また実弥を見た。

    「お前たちは、まだ何か用があるか」
    「いや。さっさと帰りてェ」
    「では行くがいい」

    悲鳴嶼が起き上がった。ゆっくりと座敷牢の格子を使い、立ち上がる。たくましい腕に縄目の跡があり、それを見て実弥は機嫌が悪くなっていた。見知らぬ女を殺すと人に脅されて、ただ縛られるだけだった悲鳴嶼を、何と言って叱ればいいか思いつかないし、実弥はその役割ではない。悲鳴嶼が一度退いていれば、こんな目に遭うことはなかった。

    赤の他人が死に腐ろうが関係ないと言いたかったが、言ったところで悲鳴嶼は微笑んで頷くだけで、次に同じことが起きたら、やはり囚われの身になるだろう。それが分かっているのにどうにもならない事が悔しくて歯痒かった。


    悲鳴嶼は隠の手で大八車に運ばれた。多分、どこかで馬車に乗り継ぐ。実弥は爽籟と絶佳を産屋敷家と蝶屋敷に飛ばし、家に帰った。昨夜から眠らず連続任務でくたびれていた。家に着いたら隠が風呂を沸かしていた。

    風呂に入っても今一つ疲れが溶けず、目が冴えていた。実弥は腹の底にある怒りをどうしていいか困っていた。いつも感じる爆発する怒りとは違う、絡まってくる気持ちの悪い怒りだった。

    隠の口から近所にチフスが流行していることを聞きながら、肉そぼろの餡の掛かった蒸し野菜が旨かった。

    「酒をつけましょうか?」
    「貰おう」

    一本つけて、実弥は自分の中にあるものを見つめた。任務後に飛び込んだ村の座敷牢の中、悲鳴嶼が鬼に容易く虜に、餌食にされていたのが不愉快でならなかった。見知らぬ女の命の為に自由を奪われ、切り裂かれた傷口から血を啜られていた。あれはほんの戯れで、鬼が本気で食らうなら悲鳴嶼の残したものは数珠か日輪刀だけだった。分かっている、辛うじて助かった。

    鬼が爪先で悲鳴嶼の傷を抉り、溢れてきた血を啜ろうとして舌を傷口に入れていた。傷口から肉に牙を立てられた、悲鳴嶼が喘いだのが脳裏にこびりついていた。実弥とするあの時の声を上げていた。

    どうすれば彼がそんな喘ぎを漏らすのか知っている。他の誰かの、それも鬼の手で秘め事を暴かれた気がして、それが実弥の怒りの種だった。

    俺のものだ。悲鳴嶼は鬼殺隊の柱で、鬼殺隊最強だ。彼は隊を統べる耀哉の重要な手駒の一つ、実弥のものには決してならない。そのことは重々承知の上で、それでもあれは俺のものだと実弥は思った。あの声は実弥との秘め事だった。そんな声を上げなくてはならないほど追い詰められていた。

    好きであんな目に遭った悲鳴嶼ではない。嫌がっていた。それでも毒で熱の上がった頬が嬲られて喜んでいるように見え、実弥はじっくり酒を飲みながら、自分の中の思いを確認していた。そんなにあの鬼の牙と舌が良かったか。

    ばかばかしい。そんな訳があるか。悲鳴嶼は鬼を倒すことに掛けては超一流だ、してやられたのは人に脅されたからだ。それさえなければあんな雑魚鬼。最強なのに、絶対に人を手に掛けない優しさが仇だった。見知らぬ女を殺すぞと脅されて日輪刀を手放すなど、あってはならない。

    独占していた最強に傷をつけられて不愉快だった。悲鳴嶼を甚振る様と、そうされるのが良いように聞こえた喘ぎ声を見せつけられたのが腹立ちの種だった。

    俺の味しか知らない無垢な体を汚された。そんな風に実弥は心の中で悲鳴嶼をなじっていた。最強なのになぜそんな目に遭わされる。アンタは鬼殺隊最強で、俺のものだろ。理屈にならない拗ねた気持ちがこじれたように実弥の心の底に絡まっていた。

    いたずらに傷をつけられ、傷口を開かれて血を啜られて熱い吐息を漏らしていた。体に穿たれた傷を牙と舌に弄ばれながら、悲鳴嶼は欠片でも実弥が助けに来ると信じてくれていただろうか。

    酒でほろ酔い、実弥は布団に潜り込んだ。駄々を捏ねるような気持ちが胸一杯になっていた。胸の中で悲鳴嶼に拗ねていた。鬼殺隊最強が雑魚鬼に体を好きにさせていたことが脳裏にこびりつき、独占欲が脈打つように疼いていた。

    鬼に食らわれようとする悲鳴嶼の滴る色気が、眠る間際の実弥を勃たせた。心地悪くて抜く気になれない。鬼の手で無理に体を押し開かれる様を見て欲情する自分が嫌だ。

    悲鳴嶼と繋いだ秘め事を鬼の手で汚され、その汚されたことに欲情する自分が汚い鬼と同じように思え、自分の性根が醜くてならなかった。

    いつ寝たのか覚束ない、起きたのは昼近くだった。身支度を済ませて朝昼兼用の食事をし、蝶屋敷に向かい、悲鳴嶼のいる病室を探した。一番奥まった人気のない部屋がそれだった。

    ひときわ大きな寝台があった。滅多に使われないのだろうが、それにしても大きかった。そこに悲鳴嶼は横たわっていた。彼特製の病衣を着て眠り込んでいた。傍に食べた跡のある食事の盆が置いてあった。

    じっと顔を覗き込む。毒による熱の籠った頬ではなかった。そのまま寝顔を見ていた、岩屋敷の長火鉢の側で見る清げな石仏に似た佇まいが少し戻ってきているように思えた。その口元が笑んで、目が開いた。

    「……不死川」
    「起きてたんですかァ?」
    「うとうとしていた。足音がお前だったから」

    悲鳴嶼が微笑む顔を見て、実弥の中に絡まっていた気持ちが解れていくのが分かった。胸元の傷はガーゼが当てられていた。悲鳴嶼から藤の香りがした。鬼の毒を癒すのに使われる薬の香りだった。多分、昼の診察で新たに塗られた分がまだ乾いていない。

    「報告は終わらせましたよォ」
    「南無、済まぬ。何から何まで……不死川があそこに来たのは、お館様から?」
    「ええ、そうです。俺は任務後にお館様に呼び出されて、話を聞いてびっくりしてェ。そのままアンタのいた座敷牢に飛び込んだって所ですゥ」
    「そうか……不死川がいてくれて助かった。お前が居なければ私はあのまま弄ばれて死んでいた。お前は命の恩人だ」
    「俺は、別にそんな……」
    「不死川。ありがとう」

    優しい声に感謝され、悲鳴嶼の微笑が真正面にある。彼の拝む手がこちらを向いていて、照れくさい。今回の任務は悲鳴嶼にあわなかった。実弥があの村の割り当てだったら脅しなど蹴倒して、二匹の鬼を斬り殺して朝に戻った。

    「相性の悪ィ任務でしたねェ」
    「南無。ひどい目に遭った」
    「一度引くのも策の内ですよォ」
    「南無。今度からはそうしよう……人質を取られたのに驚いた。柱たる身が余りにも情けない、他の隊士に示しがつかぬ。鬼の虜に、毒で身動きもままならぬとは。恥ずかしい」
    「俺は黙ってます」
    「済まぬ」
    「話すことじゃないですからァ」
    「恩に着る、不死川」
    「……悲鳴嶼さんの刀は多分、隠があの村から運び出す手筈です」
    「ああ。今朝方に隠が見舞いに来て、そう聞いた」
    「いつから戻れるんですかァ?」
    「三日後だ」
    「……」
    「お前に礼を言うのはその後になるが」
    「……はァ。礼なんて別にィ」
    「岩屋敷で馳走を作るから、ぜひ来てくれ」

    これは誘いだ。助けてくれた褒美に抱かせたい下心がある。二人で保つ秘め事を大切に思っている。鬼に食われかけた悲鳴嶼で勃起したのを思い出し、実弥はどこか照れ臭かった。

    山奥の岩屋敷で精一杯に実弥を歓待しようと言う心が、それだけで嬉しかった。文字の読み方や礼儀作法について教えてくれた半年間を思っていた。

    「お前は何でも良く食べた。特に好きなものでもないか」
    「いえ、別にィ。出されたものは残さず食うのが礼儀だと教えてくれましたよねェ。甘やかさなくとも行きますよォ」
    「南無……」
    「今は大事にして下さい。胡蝶の言う事よく聞いてェ」

    悲鳴嶼が頷いて、言葉が途切れた。実弥の視線を受け止める見えない眼差しがこちらに顔を向けているのが、唇を重ねたい気持ちだけ、触れ合いたい衝動を抑えた。今はまだ。

    昼の光の中で顔を見合わせ、時が過ぎていく。こういう時にかける言葉も思いつかないのは悲鳴嶼も同じ不器用があった。つましい暮らしが習い性になっていた、貧乏寺の先生と貧乏一家の長男坊。

    「……快気祝いに、酒でも持って行きますよォ」
    「そうか。良い酒を頼む」
    「悲鳴嶼さんも飲みますかァ?」
    「ああ、ほどほどに酔おう。お前も飲むか」
    「そうですねェ、付き合いますよ。俺も好きだから」
    「あ、ああ。そうか、好きか……」
    「悲鳴嶼さんもいける口でしょう?」

    首筋を紅を刷いたように染めて、悲鳴嶼は涙目になって頷いた。酒の話をしながら言外に別の話を匂わせた意味を鋭敏に察し、未だに初心なままで染まらない。そのくせ実弥を欲しがってならない欲情があるのを確かめた。

    赤くなった悲鳴嶼を目聡く見つけた女の子に注意され、実弥は早々に見舞いから家に戻った。


    絶佳からの知らせを受けて、実弥は用意の角樽を持ち、のんびりと岩屋敷への道を登った。悲鳴嶼の住む峰は夏でも涼しい。川は真夏に凍えるような冷たさだが、冬は不思議と凍らなかった。

    家への道中、背負子を背負った隠と行き会って目礼を交わした。実弥に文字を教えた男が山を下りていく。麓の村に用があるのか、この時間なら今日は戻らない。

    岩屋敷に着くと、悲鳴嶼が出迎えた。

    「不死川。来たか」
    「これェ」
    「うむ」

    朱塗りの角樽を持ち、悲鳴嶼は微笑んだ。

    「膳はできている。よい魚が取れて、煮付けにしたそうだ」
    「そりゃいいや。俺も楽しみに来た甲斐がありましたァ」
    「居間に膳が用意してある、酒の準備をするから、そこで待ってくれ」
    「はい」

    清められた座敷に膳の準備がある。上座は悲鳴嶼で、その脇に実弥の席がある。岩屋敷に半年いた時と同じ席順だった。立派な姿煮がついて、山菜や季節の物をあしらった椀やなにかがついていた。

    しばらくして両手に酒の膳を持った悲鳴嶼が来た。危なげのない足取りで、実弥の膳の脇に置き、自分にもつけて座った。

    「さてと……まだ大分早い時間だが」
    「あの隠は?」
    「向こうの山に用があるそうだ」
    「山に?」
    「ああ。元はこの山を所有していた家に呼ばれていたらしい。明日辺りは獣肉にありつけるかも知れないな」
    「産屋敷家がここらを買ったのは最近ですかァ?」
    「いや、貰ったのだと聞いている。百年ほど前になるか、岩屋敷もその頃からここにあった。産屋敷家は山の手入れをその家に頼み、その家が村に人手を頼む手筈となっている」
    「へェ」
    「ま、ひとつ」

    悲鳴嶼が銚子を持って、実弥に差し出す。いつもの猪口ではなく朱塗りの盃だった。こういうことの気配りは隠がしているのだろう。悲鳴嶼の大きな指が繊細な銚子のつるを支え、実弥の差し出した盃に注ぎ、自分の盃にも注いだ。

    「この山は、百年前は鬼がいた」
    「……」
    「鬼を退治し、助けられた礼に産屋敷家に山を譲り渡し、岩柱がそこに隠居したのが始まりで、岩屋敷が続いている」
    「そいつは初めて聞きましたねェ」
    「話さなかったか?何かの拍子に話した気がするが……」
    「尺八がうるさいと言って来た、謎の婆さんの話ですかァ?」
    「ああ、その話をしたのだったか」
    「乾杯しましょう」
    「そうだな、乾杯と行こう」

    顔を見合わせ、杯を干した。今度は実弥が銚子で注いだ。悲鳴嶼はそれは飲まずに置いて、膳のものを小さくつまんだ。

    「その婆さんもう来ないんですかァ」
    「ああ」
    「お化けなんですかねェ」
    「さあ。麓の村には、そんな達者な婆さんは居なかった」
    「不思議ですねェ」
    「あれ以来、私が尺八を吹くと、ふくろうなのか鳥が来る。鳴き声が尺八の笛の音に似て、私を導いてくれる。それで大分腕が上がった」
    「へェ。それは、今もですかァ?」
    「ああ。偶に来て吹き合わせる」
    「それェ、本当に鳥ですかァ」
    「分からぬ。人でも鬼でもない気配だった。隠はこの辺りの山に棲む天狗だと言って、月夜の晩は軒先に大徳利と湯呑を置いている」
    「へェ」
    「朝になると酒は空になっている。好きなようだな」
    「へェ。不思議なこともあるもんですねェ」
    「今日は多分、山に行って、その辺りの話も含めて聞いてくるのだろう。この辺りのことは私達よりも彼らの方が詳しい」
    「絶佳はなんてェ?」
    「寝ている間の事は知らない、と」
    「ふぅん……」
    「人を食うような悪さはしない。酒を飲みにくる客が、尺八を教えてくれるようなもの。滅多に人も尋ねて来ない、山奥の話だ……」

    この家で読んだ遠野物語のことを実弥は思い出していたが、悲鳴嶼自身はそのことにあまり気が付いていないようだった。本当に客が来たように感じているのだろう。

    暗くなってきて、実弥は部屋の行灯に火を入れるのに立った。こればかりは悲鳴嶼は気付くのが遅かった。その灯を実弥は自分の手元に寄せた。

    部屋の外に出て縁側の雨戸を閉めに掛かる。虫が鳴いていた。悲鳴嶼も立って来て、閉めるのを手伝った。相手の分け隔てなく、いつもそういう対応をした。山の端が夕焼けの残滓に赤く色付いているのを眺めて戸を閉め切る。障子も閉めた。二人きりになった。

    実弥の気配に注意を払い、悲鳴嶼は元の座に戻った。彼は酒と馳走を楽しむ形を崩す気はないようだった。客が来たのが嬉しい態度で、実弥相手という事でも喜んでいるようだった。

    「夜は長い。どう過ごす。私の尺八でも聞くか?」
    「いえ、お化けを呼ぶのは苦手だからァ、これを食べたら俺が和歌でも歌いましょうかァ?」
    「うむ」

    貧乏寺の先生の顔で返事をされて、何をしに来たのか分からない。悲鳴嶼の質朴な態度を見ていると、蝶屋敷でした色気のある約束が夢か何かのようだった。あの時に見た羞じらいは、彼の知らない所で実弥を誘った。

    「そういやァ毒と怪我はァ?」
    「毒は抜けた。傷もさほど深くない、抜糸は隠に任せていいと……お前はいつも自分で縫って、膿んだ時と、手の届かない所の傷だけ診せに来ると言っていた」
    「蝶屋敷は忙しいんだァ。俺は下手に手間ァ掛からなくていい隊士じゃないですかァ」
    「そして時々、とんでもない怪我をしてくると」
    「チッ。アンタだってへまをするじゃないですかァ」
    「ああ。お前が助けてくれるから安心して失敗できる」
    「やめてくれよォ。流石に肝が冷えたぜ、今回は」
    「あんなことは滅多にない。私も、見知らぬ女の命を賭けられて、咄嗟に反応が出来なかったのは反省している」
    「対応策はァ?」
    「一度引く。鬼にこちらを追わせて狩ればいい。鬼の動きに、通常人はついて来られないからな」
    「……まァ、それなら。二度は御免だ」
    「うむ。お前のお陰で助かって、酒が旨い」

    悲鳴嶼は上機嫌で、実弥に酒を注いでほんのり微笑んでいた。酒を飲んだ後に和歌を歌うのが決まった。百人一首から恋歌でも選ぶのが礼儀だろうか、折り目正しく飲みながら次の手を考えた。こんなに歓待してくれたのだから、気合を入れて答えるべきだ。

    話をしながら膳の物を食べ尽くして下げる、酒の膳になる。用意してあった和歌集の中から行灯の光りで何首か眺める。

    「最近、どこかで歌ったか?」
    「いいえ。ちっとも、機会がねェやァ」
    「吉原などには行かないのか」

    そう言う自分こそどうなのだ。行灯の光を受けて、見えない目が実弥を見ている。彼が遊女に手を引かれて紅殻格子の中に導かれたら、それこそ見ものだと実弥は笑った。

    「それにしても悪い癖だァ。俺の裏を取ってどうするんですゥ?」
    「それは……」
    「アンタとこうしてる方が気楽だって話したでしょう。俺は吉原や岡場所辺りの約束事なんかがどうも気に入らねェ質でしてェ」
    「だが、私との約束は守るだろう。それとも何か違うのか?」
    「どうなんだろうなァ、わかんねェ。ああいう場所の約束事は、女の方がハナから守る気も守らせる気もねェんだよォ。その約束を交わす空言が嫌いだなァ」
    「嘘は嫌いか」
    「守る気のない約束が好きじゃねェ。口先で嘘を遊ぶのが嫌いだァ」

    灯の光の中で、悲鳴嶼は言葉もなく実弥を見つめ、何かおかしなことを言ったかと、自分の言葉を振り返った。嘘が嫌いと言うだけだったが、裏を返せば、悲鳴嶼とのことは本気と言ったようにも聞こえる。実弥の言葉の裏を悲鳴嶼が聞いた。

    見えない目元に笑みを含んで、朱塗りの盃から飲んだ。

    「ま、ひとつ……」

    大柄な指先に、繊細な銚子を持って酒を勧める。盃を受けて干した。悲鳴嶼はつと立って、火鉢の辺りで何かを始めた。丸い形の器に似たものは、多分香炉だ。香がくべられ、香りが漂ってくる。

    以前、花魁の部屋から漂って来たものだという香を嗅いだことがある。それに近いものを感じていた。

    「香りは嫌か?」
    「いえ」

    これは隠の入れ知恵だ。悲鳴嶼はこういうことを知らない。薫ばしい香りが立ち込めてくる中で、彼は少し表情を濁らせていた。

    「どうかしましたかァ?」
    「……私は香が苦手だ。物の捉え方が変わってしまう、お前の位置も捉えにくい。世の中がぼやけてしまう」
    「この香りが、行冥さんの目晦ましに?」
    「まあ、多少は」
    「香りを聞きながら歌を聞く。嫌いですかァ?」
    「……いや、好きだ。お前とするなら」
    「行冥さんの好きなことを俺は聞いてるんですよォ?」
    「だが実弥、お前が好きなら、この香りも私は好きになれそうだ。なんだか知らない匂いがして、馴染まないが」
    「そのうち慣れるゥ。俺の側に来ればいい」
    「……」
    「離れてるから分からねぇんだ。もっと俺の側に来いよォ」
    「実弥……」

    悲鳴嶼が居場所を移して実弥の側に行き、実弥の襟元に顔を伏せ、襟足の香りを嗅いだ。実弥は驚いた顔をして、悲鳴嶼は笑んだ。

    「こう言う事に使う香だ」
    「……そういう話は、聞いてはいるがァ」
    「匂いを誤魔化す、男同士の。気にしなくていい」

    抱き合った。背の高さの違いから悲鳴嶼に抱きすくめられる形になるのが実弥は気に入らなかった。胸の合間の悲鳴嶼の匂いを嗅ぐ。香も混じって、いい香りになる。

    「歌いますかァ」
    「ああ。お前の歌を聞きたい」

    座るように導いて、酒盃に銚子で注いだ。実弥も飲んだ。勢いで歌った。好きな歌だった。

    「忍れど 色に出にけり 我が恋は ものや思ふと 人の問うまで」
    「……」
    「どうです?」
    「ああ、よく聞く歌だな。私はこの次の歌も好きだ」
    「歌いましょうかァ?」
    「うん」
    「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ染めしか」

    実弥が歌うのを聞いて、悲鳴嶼は杯を干した。晴れ晴れとした顔をしていた。

    「うん。実弥は良い声だ。私は実弥の声が好きだ」
    「俺は行冥さんの声の方が聴きてェな。どうせ意味のない言葉になっちまうからァ」
    「実弥……」

    悲鳴嶼が帯に手をかけたのを、実弥はじっと見つめて待ち構えていた。これから行灯が消えるまで、夜は長いと思われた。

    「前準備はしてある。いつでもお前が来て良いように。通和散とはまた違うが、体を楽にする薬があるのだ。それを使ってみて欲しい……」

    そこまで言われて、据え膳を食わない訳には行かない。悲鳴嶼は自分を食われるために趣向を整え、隠から作法も聞いた。実弥のことが好きで慕っているのだ、と思えた。

    「歌はもういいですかァ?」
    「また、今度があればお前の声は聞きたい」
    「……」
    「お前の歌が好きなのだ」

    更けた夜の中で悲鳴嶼が誘うように囁いている。そろそろ我慢をしなくてもいいだろう。実弥は笑みを浮かべていた。獲物を捕まえた笑みだった。

    「じゃあ今日はァ、どうしますかァ?」
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