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    sumitikan

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    sumitikan

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    さねひめ、全年齢。モブあり、手も握りません。軽く戦って鬼の首が飛びます。

    #鬼滅の刃
    DemonSlayer
    #さねひめ
    goddessOfSpring

    珊瑚その血鬼術はどういう訳か、実弥を十ほどの子供にした。鴉を報告に飛ばし蝶屋敷に行って投薬を受け、子供用の衣類で過ごしていると、その夜のうちに悲鳴嶼も来た。彼は記憶を奪われて戸惑いながら蝶屋敷に、隠に伴われて来た。

    「おかしなことだ。私は寺に子供たちといた筈なのだが……」
    「……」
    「君は子供だな。ご両親は?」
    「……そんなのいねェよ」
    「南無。なんと哀れな……」

    ぽろぽろと涙を零して実弥の頭を撫でる表情がいつもより柔らかく、どこか弱い。悲鳴嶼は大人しく投薬を受け、治るまでこのまま蝶屋敷で預かることに決まった。優しい悲鳴嶼さんが一層優しいとしのぶは笑い、悲鳴嶼は出入り口の所で身を伏せるのが間に合わずに良く頭を壁にぶつけていた。もう食べられないと言って食事を残したのには女の子たちが心配したが、微笑みと共に「もうお腹は一杯だ」と言われると、どうしようもないようだった。

    「君は不死川実弥というのだな。よく食べて、大きくなりなさい」

    と言って、実弥におかずを余計にくれようとする。九九の暗記を教えようとする。抱っこは必要ないか聞いてきて、まるきり子供扱いだった。事実そうだから抗いようもなく、日数を置けばお互いの術は解ける。実弥は好きにやらせていた。

    「不死川くんは歌を歌ったり遊びに行ったりしないのか?外では桶の箍を追いかける楽しそうな声も聞こえてくるが……」
    「俺はここで療治してるんだ。そんな暇なんかねェよ」
    「ああ、そうか。そうだったな……」

    気遣わし気に実弥を見つめる見えない目が不審がるのも当然で、実弥の中身はとうに大人だ。十の子供のような行動をする訳がない。

    「不死川くん、この家は不思議な家だと私は思う。治療した怪我人から金をとろうとしないどころか、その後の薬まで与えて……親身になって日夜人を療治する。背後に奇特な資産家がついているものか……」
    「……ま、そんなとこじゃねェかなァ」
    「君は一体、どうしてここに?」
    「鬼に襲われてここに来たァ」
    「南無阿弥陀仏。鬼が出たのか、なんといたわしいことだ」

    悲鳴嶼は子供の相手が大好きで、蝶屋敷の子にも相変わらず優しくて、他愛なかった。実弥も同類に扱われたのは嫌だったが、血鬼術のせいで十歳ではさすがに腰の刀も落ち着かないから鬼殺に赴けない苛立ちを、悲鳴嶼の長閑な態度が和らげた。

    「餅を食べるか」
    「……あんたが食えよォ。さっき俺も貰ったよォ」
    「遠慮がましいことは言うな。その年頃は、菓子でも何でも沢山食べて大きくならねばならないのだから……」

    そう勧める癖に、悲鳴嶼はほとんど食べなかった。蝶屋敷の子が心配するほど食が細く、菓子なども実弥にほとんど回してしまう。

    「ああ、寺が心配でならない。皆どうしているだろう。働き手は私ばかりだ、気が早まって身売りなどして、年下の子を養おうとしていなければいいが。そんなことをしそうな子が二、三人いる。早く戻らなくてはならないのに……」

    弱気な優しさと献身が服を着て歩いているような悲鳴嶼の焦慮は、失われたものを心から大切な宝珠のように思っていたことが、実弥は彼の傷を見守っていた。悲鳴嶼の心配を受ける子らは幸せだったろう。

    彼を見ていると、自分の傷も振り返ってしまう。実弥は母思いの母殺しだった。母の死体が消えたから国の法では裁かれないが、実弥は確かに殺していた。殺さなければ自分も弟たちも死んでいたから、そこに悔いはない。

    この悲鳴嶼にそれを話せば泣き出して、一緒に経を唱えようと誘うかも知れない。いつもの彼なら精神集中に利用するだけの文言を、心を込めて誦すだろう。この悲鳴嶼の中に鬼はいても鬼殺はなかった。自分が鬼を退治して最強であるなど、何の冗談か絵空事かと首をかしげる。ただの気弱な一般人だ。

    見舞いに来る顔見知りの隠や鬼殺隊士が、悲鳴嶼の様子を見て「お大事に」と困惑しながら帰って行く。これで五日が過ぎていて、実弥も元の姿になかなか戻らなかった。

    診察に、しのぶと顔を見合わせる視線が近い。白い小さな花のような美しいかんばせと見合い、その瞳がふわりと優しく微笑んで見せるのが姉に似ている面影だった。

    「元気かァ」
    「ええ、元気です。お変わりはないようですね」
    「見ての通りだァ」

    蝶屋敷の薬は効いているはずだ。実弥はしのぶを見上げ、彼女と適当な話題が思いつくような器用さがない。

    「悲鳴嶼さんはどうですか?」
    「相変わらずだ。なんか言ってたかァ」
    「年少の女の身で、医者であることを褒められました。ふふ、あんなこと言ってくれるなんて。ちょっと嬉しかったです」
    「ハァ」
    「悲鳴嶼さんは、不死川さんのことを気にしていましたよ……自分はいつ寺に戻れるのかと聞かれて、困ってしまいました。不死川さんから悲鳴嶼さんの食事量を増やすように、どうにかできませんか?」
    「あれ、戻るのかァ?」
    「ええ。あなたも多分、二、三日のうちに戻ります」

    実弥が戻ったのは、風呂に入っている時だった。病室に実弥を受け容れた時の悲鳴嶼の戸惑いと言ったらなかった。

    「不死川くんはどこに?」
    「それは俺がそうだがァ……」
    「いや、違う。私が言っているのは、この位の背の、十ほどの男の子のことだ。落ち着いていて子供っぽくはなかったな」
    「ああ、あいつは元の所に戻ったよ」
    「そうか、戻る所のある子だったか……あなたはあの子の血縁ですか?声がとても似ています。引き取ることにしたのですか?」
    「え?ああ、まあなァ……」

    実弥を親兄弟と納得して、元の子が大丈夫なのかと頻りと気にしていた。この夜実弥は風屋敷に戻ることも出来たが、あえて泊まることにした。悲鳴嶼はもうじきだ。

    その時が訪れたのは、朝食を食べた後のお茶を飲んでいる時だった。悲鳴嶼の手から湯呑が落ちた。

    ごとりと割れて、実弥は彼の横顔をじっと見ていた。彼の中にあらゆることが復帰している。血鬼術に記憶を奪われたことで、悲鳴嶼は寺に居た頃に戻っていた。彼は鬼の為に子供たちを記憶の中で再度失った。その様を実弥はじっと見つめていた。悲鳴嶼の目から涙が溢れた。

    「ああ……ああ、そうか。そういうことか……」
    「……」
    「南無。私は血鬼術に掛けられて、すべて忘れていたのだな……不死川」
    「ああ」
    「お前には随分と迷惑をかけた。何も知らない私が迷惑だったのではないか」
    「いえ、別にィ」

    悲し気な表情から弱さが取れて、悲鳴嶼はいつもの彼に戻っていた。泣いている理由は記憶の回復が原因だろう。また新たに全てを失ったことを刻み付けられる心地は何とも言えない苦しさだ、というのは、実弥は一度、血鬼術による記憶喪失を経験しているからだった。大人の体に戸惑いながら弟たちを心配していた所に記憶が復帰した時の苦しさや遣る瀬なさを、言葉に表すことはできなかった。

    悲鳴嶼は身動きせずに、自分の中を見つめているようだった。失われた一つ一つの命について思わない時はない。それより実弥は玄弥のことが一層気になっていたから、その悲しみからは抜け出せたけれど、この涙を流す石仏のような男に残された子供はいるのか。彼に疑いを植えた二人の子供の話を思い出していた。

    人を呼んで割れた湯呑を片付けて貰い、しのぶの診察を頼んだ。悲鳴嶼はもう戸口で壁に頭をぶつけるような失敗もせず、平然と診察に行って戻った。戻った時には隊服を身に着けていた。

    「不死川。手間を掛けた」
    「いえ。別にィ」
    「それと艶から伝達があって、私達が回復したら、二人で産屋敷家へ来るようにとのことだ」
    「え?」
    「詳しい話はあちらに行ってからになる」

    柱とは忙しい身だ。回復したらすぐに来いとは、数日前から定まっていた予定でもあったか。隠の手に案内されながら郊外の山深くにある産屋敷家に向かい、古風な座敷に通される。待ち受けていた耀哉が微笑含みに物語った。

    鬼に食われた従姉妹が身に付けていた珊瑚の帯留めを形見に貰い、身に付けていた娘も鬼に食われ、持ち主は叔母になり、その叔母が食われたのが鬼を呼ぶようで気味が悪いと遠縁の家の祖母の帯を飾った。その祖母も鬼に食われて、血色の帯留めはまた遠縁の人手に渡り、そこでも血に染まって艶々と赤い。

    「その珊瑚の帯留めが鬼を呼ぶという話なんだ。聞いただけでは判別できなくて……どうだろう。二人で行ってきてくれるかな」
    「それは女の隊士が行く話では……?」
    「女に手が早い、何でも権力や金ずくで解決するような型の男が妻に珊瑚をやったばかりなんだ。危なくて女の隊士は行かせられない。行冥は見えないから実弥がかわりに目になって。二人で行くのが丁度いい」
    「……ですがお館様。私は宝石は見えないばかりではなく、価値も分からないかと思いますが」
    「同じく。俺は宝石に関しては悲鳴嶼さんと同じ、盲同然ですよ」

    困惑している風柱と岩柱を等分に眺めて、耀哉の微笑は揺らがなかった。

    「宝石としての価値を見るのに、貴重な柱を呼ぶことはないよ。二人には血吸珊瑚が鬼を呼ぶのかどうかを見て欲しい。真実に鬼を呼ぶ珊瑚なら、買っておこうかと思ってね……」


    その家は金に飽かせた大邸宅だった。東京市中に馬と馬車の入る門と前庭を持っていた。その門の中の庭がまた美しいことを、実弥は言葉にはしなかったが、悲鳴嶼は植え込みに視線を向けていたから、察するところはあるらしい。

    中に通されて、玄関は和風なのに中は洋風のしつらえが多かった。居間は板張りで火鉢もあり、舶来品らしい絨毯が敷かれ壺などが飾られていた。これもやはり舶来品らしい洋風の長椅子に夫人が座って、悲鳴嶼と実弥をつくづく検分するようだった。

    産屋敷家から来たのだと、居間で爪を弄っている婀娜っぽい夫人に取次の者、これを執事と呼ぶらしいことを最近の二人は覚えていた。その執事から話を聞いて「あらそうなの」と夫人は言って、悲鳴嶼と実弥の二人をちらりと流し目に見た。

    「確かに産屋敷家からのお話は、夫から聞いております。それで、あなた方がこの珊瑚の護衛ですの?……珊瑚に護衛なんて。これは遠縁の方から貰ったものですし、売れば確かに価は張るものですけれど……」
    「その価値が、私どもにはには計り知れぬものがあるのではないかと、お館様は思われているのです」
    「まあ、政界に隠然たる勢力を持つと聞く産屋敷家が、こんな一粒の可愛い赤珊瑚にご執心とは。そんな価値があるようには思えませんけれど……お使いに男の方を二人も寄越すなんて、ちょっと滑稽ですわね。ねえ、あなた?」
    「ああ、うむ、そうだな。お前の言う通りだ」

    舶来品の長椅子の夫人の隣に、八の字髭を蓄えた男がこの家の主だ。少しせかせかしているような態度でいた。妻の隣に居て落ち着かないのはどういう訳か、できれば悲鳴嶼と顔を見合わせたかったが、そういう訳にも行かなかった。実弥は二人の一般人を洋風の長椅子に眺めて擬していた。

    男はぐっと茶を飲んで、なんでもないふりをして新聞を手に取っていた。産屋敷家のことは全て妻に任せていると言う態度のようだった。

    「あなた。赤坂と四谷にはお礼参りはしましたからね」
    「あ、うむ。聞いている」
    「今度は深川に作ったそうじゃありませんか。私はそれを赤坂の子から聞いて知ったんです。話して下さらないと困りますよ」
    「む、ああ、済まん」
    「全くもう……まさか、あの子たちにも私にしたように血赤珊瑚の帯留めなどを渡しているのですか?渡来の香水などを与えていたら嫌ですよ、あなた」
    「ああ、いや。そういうことはしていない。していないぞ、うん。お前だけ、お前だけだから」
    「この珊瑚、他の子にはあげていない物なのでしょう?」
    「ああそうだ、それはお前だけのものだ。親類の間で行き先に困っていたものなんだがな……うちの家ならという事で譲られた。そんなに気に入ったのか」
    「ええ、勿論。あなたの下さったものですもの」

    君臨の証拠を得て勝ち誇るこの家の女帝が、夫の言うがままに茶の支度をする。そこから実弥と悲鳴嶼はこぼれたままで、悲鳴嶼を見ると胸の前で合掌して静観の構えだった。実弥も同様の気分でいた。

    翡翠の置物や渡来品の壺などが並び、実弥はそれらにどれだけの価値があるかも分からない。そうした物に囲まれた血吸珊瑚の主は婀娜っぽい色気のある女だが、見ている男は旦那一人のようだった。

    女の一途を前にすると、実弥は過去に母を振り返る。粗暴な夫に心から尽くしていた人だった。その背を見守り、その献身を見ていた。母と自分たちの全てを父はいつも腕力で否定していた。だから、この珊瑚夫人の献身も無駄な努力をしているように思えて、実弥は舌打ちをしたい気持ちを堪えていた。

    珊瑚夫人は大して乱れてもいない襟を直した。その首元を真珠が飾り、真珠を悲鳴嶼も実弥も知らなかった。ただ飾る女が誇っていた。

    「ですけれど、不思議ですね。産屋敷家はこの程度の珊瑚に価値を見るということかしら?行く所に行けば、もっと良いものがありますけれど?」
    「金銭に代えられぬ価値があると、当主の耀哉は見ております」
    「それはあれでしょう。この珊瑚を血吸珊瑚と呼ぶような話でございましょう?なんだか嫌な怪談のように言われて……確かにこの珊瑚は数奇な運命を辿りましたけれど、そんな奇怪なことはこの程は起きておりません」
    「それでも奥様、万が一という事がありますから」

    悲鳴嶼が食い下がるのを聞いて、実弥もじっと目礼の姿勢を取った。帯留めをほっそりとした指先に擦る赤い粒。その粒を持っていれば、傷だらけの凶相の実弥と、天突くような大男の悲鳴嶼に一時と言えども傅かれる。そのことが夫人の心を満足させたようだった。

    「いいでしょう。夫の言う事でもありますし、産屋敷家の気が済むようになさって下さい。私は本日は家におりますけれど、明日は妾宅廻りをしなくてはなりませんのですけれど……」
    「無論、お供しましょう」

    悲鳴嶼の返答を聞いた夫人の口元に微かに驕慢の笑みが乗った。夫はそれを横目に知りながら、特に何も言わなかった。実弥もそれを見て思う所はない。外に女を作っている詫びに、他家のこわもての男衆──他家のこわもての男衆とは実弥と悲鳴嶼のことだ──を使ってもいいという所が夫婦の話の肝のようだった。

    使用人一同と面通しをし、学校から帰って来た子供たちを紹介された。一日を終えて部屋に案内され、実弥はぼやいた。

    「外に女を三人囲っているからだろうが、悋気がひでェ」
    「南無。さまざまな家がある、あまり深く関わらぬよう気を付けよう……私たちは鬼殺隊の用で来ている」
    「はい」

    翌朝、夫人の出かける人力車の後について行った。まず夫人は百貨店に向かい、そこで何かを購入し、また人力車に乗った。向かう先が深川なのはすぐ実弥には知れた。昨日夫婦が話していた妾宅に向かうのだろう。

    妾宅はこぢんまりとした家で、夫人は家に大人しやかな声を掛けた。怪訝そうに出てきた女の、不思議そうな顔に一礼する。このたびは家の主人があなたのお世話になった事と聞いております。怪訝そうな女は少し目を見開くようにして珊瑚夫人を見て、すぐに家の中に通した。

    その家の中でどんな話がされていたのか知らないが、小半時も掛かっただろうか。すぐに出てきて、手に荷物はなかった。

    「用は済んだから家に」
    「へい」

    おつきの車夫が返事をして、昼過ぎに家に戻った。夫人は遅い昼食を取り、家の中の用事をあれこれと指図しているようだった。悲鳴嶼と実弥は、別室で同じように遅い昼食を取った。昼だけ外出しているのなら、鬼に会うことはない。問題は夜だった。

    夫人は五日に一度は夫の実家の面倒を見に行き、家の者が悲鳴嶼と実弥を使おうとすると叱った。二人は他家からの預かり者で使用人ではないときっぱり言った。実家からの帰りが夕刻になることもあり、唯一そこだけが危険と言えば危険だった。

    「ここの夫人は、妾宅の面倒を見て、夫の実家の面倒を見て、できた女というところなんでしょうかァ?」
    「少し違う」
    「そうですかァ?」
    「妾宅廻りは誰が正妻かを妾に教えるために行く。また、夫が正妻である自分に与えた物よりも良い物を妾に与えていないかを調べに行く意味もある。夫の実家へは、夫の愚痴を言いに行っている。妾を三人も持つ夫の両親に、私はこんなに尽くしている出来た妻だ、と言う満足がある」
    「はァ」
    「そうすることで、家と夫の実権を握りたい」
    「……アンタよく見てんなァ」
    「大抵の人間は欲で動く。あの夫人は自分のことを出来た妻だと思っているし、それでこの家が回っているのなら、いいのではないか……」

    数珠を擦り合わせながら悲鳴嶼は言い、実弥は久々の人の世間に触れる毎日に、気疲れの溜息をついていた。鬼殺している毎日の方が余程気楽だった。血吸珊瑚も噂ばかりが取り巻いているだけで、ただの珊瑚ではないか。

    「いつ鬼殺隊に戻れるんだァ?」
    「夫人が夜に戻ったことがあるのは、この二週間で三晩だけだ。あともう三晩ほどは見たい。辛抱のしどころだな」
    「チッ。勘弁してくれェ……」


    これと言って鬼を呼ぶ気配もない。血吸珊瑚は夫人の帯の上に紅いばかりで、悲鳴嶼と実弥は身の置き場に苦慮したが、家の方で二人がいることに慣れた。

    産屋敷家からの預かり人ということで、賄い飯と与えられた部屋は上等だった。悲鳴嶼は寝るのに困っていると愚痴を漏らして、彼のはみ出る長い脛を覆うのに子供用の布団が持ち出された。

    そんな風に日々を過ごしていると、使用人を躾するのも目に入る。皿を一枚割った娘を裏口に連れて行き、下着に剥いて、桶一杯の冷や水を頭から被せるのがこの家の折檻だった。

    悲鳴嶼は何も言わなかったし、実弥も口は挟まなかった。娘が奉公する値よりも高価な皿だ、男なら棒で撲っていた、棒で撲たれないだけ有難いと思えと言う。冬じゃなくて良かったなと言う。

    実弥も斟酌のない鬼殺の為の訓練を受けたことはあるが、それと使用人の扱いとでは話が違う。人の惨さを目の当たりにして、実弥は不機嫌になっていた。使用人と言っても人だ。幾ら金と力がある家と言っても、人は人として扱うのが常識ではないのか。

    腹の底で玄弥が気になっていた。目上の古株からきつい目に遭わされていないだろうか。玄弥はひどく強情なところがあるから、そこを分かってくれる人と出会えればいいのだが。まさかこんな目には遭わないでくれ。

    腹の底で殺す思いを悲鳴嶼は知ってか知らずか、ただ合掌し、涙してその様子を聞いていた。彼はびしょ濡れで庭の片隅で泣き始めた娘の所に行き、手拭いを差し出した優しさがあった。

    悲鳴嶼が室内に戻る時、桶の水を掛けた男が「へんな優しさは躾にならねえ」と言外に非難してきたが、客扱いをされている悲鳴嶼に言えるのはそこまでのようだった。元より大きな悲鳴嶼を相手に注文を付けた根性が褒めていいだろう。

    「あまり怒るな、不死川。あれも忠義の表れなのだ」
    「水を被るのが忠義なら、テメエで被ってろってんだァ」
    「不死川」
    「はい」

    この家は万その調子で、物乞いの子供が玄関先に来ると残飯すら与えずに水を打ちかけて追い返した。実子の扱いもきつかった。試験で満点を取れないと、妻の手が竹鞭を掴み、満点に足りなかった分の数だけ子の掌を打ち据えた。それらのことを見せられて、悲鳴嶼は涙してばかりだった。

    「継子なんです」

    二人に賄いをする女中が言った。先だって水を掛けられたところを、悲鳴嶼が手拭いを渡した、まだ子供声の若い娘だった。

    「なさぬ仲と言いますが、奥様は坊ちゃんと嬢ちゃんに冷たいのです。先妻の子だというので、一層きついです。旦那様ももう少し奥様に構って下されば、子も出来て家庭は円満と言うものでしょうが……このところはずっと深川に居続けているそうです。この家を継ぐ坊ちゃんがいらっしゃるので、次の子を作る気は、旦那様にはないのだという話です」
    「それは奥方が可哀想な。うまくいかぬものだな」
    「本当にそうですね……」
    「珊瑚の話は知ってるかァ」

    実弥が聞くと、娘は怯えた顔をしてまともに見ようとしなかった。

    「え、ええ……はじまりは田舎の、関東の端の素封家の娘さんの帯留めだったと聞きました。それが人殺しに襲われて死んでしまって、遺品を親族の娘にあげたら、そこでも娘が襲われて……そこから後家に、後家から遠縁の姑の持ち物になって……そう言う事が繰り返されて、その挙句に家に来たと聞いています」
    「鬼についてはァ?」
    「それも聞きましたけれども、祟りじゃないかと奥様はお話しでした。娘が祟り殺されたから、あちらの家では一度お祓いをしたという話で、それで安心して家に引き取ったのです。殺されていった可哀想な娘さんたちは、余程悪い巡り合わせだったんでしょう。祟りにしろ鬼にしろ、どの道気味悪い話ですし、今は大正の世の中ですよ?」
    「恐いのか」
    「ええ、嫌です。ガス灯がこの辺りを照らす訳じゃないですし。祟り相手なら、こちらには神社のお札やお守りがたんとあります。よく効くと評判があるのですから……」
    「この家の主人は珊瑚のことをどう思っている?」
    「旦那様は特に何のお考えもないようです。持ち主が次々死んだのも、生きていれば死ぬこともあると。だから、生きている間が人間の全てなのだと……」

    夫は珊瑚に興味はなく、夫人は珊瑚に祟りが憑いていると思っている。珊瑚が鬼を呼ぶのかまでは、まだ分からなかった。夫人が出歩く夜は浅い。柱二人が護衛しているのを警戒して鬼も近付かないのかも知れない。

    夫の実家から夕刻に家に帰る供に就いて、変事は起きない。あの珊瑚は特に鬼を呼ぶものではなく、ただの偶然が重なっただけだと実弥は思って、悲鳴嶼が真面目に見極めようとする姿勢に付き合う気でいた。

    とある午後のことだった。いつものように夫人が人力車で出かけるのに実弥と悲鳴嶼が付き従って、とろとろと道を進んでいた。生け花の講義を受けに寺に向かう途上だった。その前は琴の稽古があった。

    急に夫人は声を掛け、車を空き地に停めさせた。

    「悲鳴嶼様と不死川様に、少しお話があります」

    そう言って夫人は降りてきて、背を向けた。

    「本日の行き先は長春院。華道の家元が教えに来て下さるのです。私は今から会に行きますが……お二人にはここから席を外していて欲しいのです」
    「南無。ついて来るなという事ですか?」
    「ええ」

    と言って、夫人は財布を取り出して、中から十円札を二枚出し、悲鳴嶼の手に押し付けた。

    「さ、これを持って、岡場所へでも遊びに行ってください」
    「ですが、私たちの仕事は珊瑚を……」
    「何でもありませんよ、一日くらい」
    「しかし奥様」
    「何です、今日もこうして珊瑚の帯留めをして出歩いたところで、鬼も蛇も出ないじゃありませんか。家で雇っている車夫も付いているのです、あなた方の護衛は元より大袈裟なのだわ」

    ぴしゃりと言われて、悲鳴嶼は押し黙った。小さく「南無」と呟いた十円札を二枚返す仕草を見て、夫人は受け取らず、車を向いた。

    「ですが奥様、それではあなたの……」
    「このことを主人に言う気はないのでしょう?」
    「……」
    「お金、それだけあればお二人で沢山遊べるでしょう?待ち合わせはこの空き地に致しましょう。夜の八時にはこちらに着いていて下さいね。女を待たせる男は嫌われますよ」

    切り口上に言い、夫人は車に乗り込んだ。車夫が手早く車の覆いをかけて柄を持って去っていくのを見送った。悲鳴嶼は二十円を手にしたまま、空を仰いだ。

    「絶佳!爽籟!」

    大声に呼ぶと、鴉が大空から二羽降りてきた。

    「あの人力車の夫人を見張ってくれ、この先の寺に行く。鬼が出たら、爽籟はその場で待機して、絶佳が私達を案内して欲しい。頼んだぞ」

    鴉声を上げて飛び立つのを見送る。悲鳴嶼は札を手に挟んだまま合掌して、涙を流した。十円札のせいで普段より俗っぽく見えた。

    「南無……」
    「悲鳴嶼さん。あれ、いいんですかァ」
    「うむ。致し方あるまい、逢引の場所にこの図体でついて来られるのは迷惑と考えたのだろう。目立ちたくないだろうからな」
    「やっぱりあれ、男だよなァ」
    「うむ」

    珊瑚夫人の印象が実弥の中で変化していた。よくできた妻の皮を着た情婦、母や妻ということは生き方ではなく、着慣れた紬や友禅を取り換える女のように思われた。そういう女を聞いたことはあっても、見たのはこれが初めてだった。

    悲鳴嶼は指に挟んだ紙幣を実弥に差し出した。その中から一枚貰う。

    「情夫がいるのを黙っていろ、という意味の口止め料だ。私はこのまま使った方がいいと思うが」
    「同感ですねェ。返すの返さないのと揉める気にもなりません」
    「さて、そうと決まれば八時までの時間をどう潰そうか。奥方は岡場所と言ったが、私は座敷遊びはした事がない」
    「そうですねェ、座敷遊びもいいですがァ。適当な甘味処でも行きますかァ?」
    「南無」
    「腹一杯にして、寄席でも遊びに行きましょう」
    「南無。それは楽しみだ」


    鎹鴉の翼を追い走る夕暮れ時、大男二人が颶風のように街中を走り去るのを往来の人々は道を避けて見送った。暮れ時の寺に鬼が出て、坊主が一人殺された。夫人は情夫と裏山に逃げ延びた所まで分かっている。

    実弥は飛ばした。後に悲鳴嶼が続くのは足音から分かっていた。長春院の門に飛び込んで一目散に裏山を目指した。山と言っても傾斜のある広い庭が続いているだけのことで、隣り合っている神社の敷地と境界線がいい加減で定まらない御神木、実弥はそこらで足を止めた。すぐ悲鳴嶼が追い付いて、二人は鴉の案内を求めて暮れなずむ空を見上げた。山に帰る烏が暮色の濃い空を群れ飛んでいく。

    「チッ。鳴き交わしていて分からねェ」
    「南無、手分けしよう。私は北へ、不死川は東に行け」

    見えていないのに悲鳴嶼の鋭敏さは目の見える人より確かだ。手入れされた庭先を鬼を探して駆け巡る、悲鳴が聞こえた。北側だ。実弥は走った、残照の中に夫人が鬼の、蛸のような長い何本もの腕に捕まった所だった。

    吸盤のかわりに棘がついているのが見える。逃げようと踏ん張るのを引き倒されて、鬼の間近に引きずられる。鬼はもう片腕から生えた触手を刃物のように尖らせて振りかぶっていた。実弥は鯉口を切った。

    そこへ悲鳴嶼の鉄鎖の斧が鋭く落ちたのが疾かった。落ちた鬼の首が、夫人の胸の上にどんと乗りあげ、転がり落ちた。夫人は言葉もなくその首が散っていくのを目を見開いて見つめていた。

    隠がどこからともなくあらわれて、夫人に声を掛けた。実弥は切った鯉口を元に戻し、悲鳴嶼と向き合った。

    「どう思いますゥ?」
    「分からぬな。夫人は確かに鬼と遭ったが、それ即ち珊瑚が鬼を呼んだとは言い切れぬ。不死川、お前はどうだ」
    「悲鳴嶼さんと同じ意見です。もっと鬼が湧くかと思えば雑魚一匹じゃ、話しにならねェ」
    「うむ。このまま夫人が珊瑚を持ち歩いてくれるなら、検証ができるというものだが……」
    「そいつはねェだろ」

    隠に助け起こされて、夫人はその場で帯締めを解き、悲鳴嶼に向けて珊瑚の帯留めを投げつけた。帯留めは届かずに、足元にぽつりと落ちた。庭石に紛れる暗さの中で、実弥が珊瑚を拾いあげた。
    珊瑚の帯留めを実弥は悲鳴嶼に手渡して、悲鳴嶼はそれを指先に転がしていたが、やがて隊服の懐に入れて仕舞った。

    「いりません!いりませんよ、そんなもの、そんなもの!!それは血吸珊瑚です!!呪われている!!祟られているんだわ!!」
    「……奥様」
    「行って!!貴方たちも行ってしまいなさい!!ああ、あの人はきっとみんな知っていたんだ、しい様と私のことも……あんな珊瑚を私に寄越して、私が死ねばいいと思っているんだ!!私を殺して他の妾を妻にしようと企んでいるんだ!!」

    拒絶の金切り声を聞いて、悲鳴嶼は実弥を振り向いた。実弥が頷いたのに頷き返し、踵を返した。鎹鴉を産屋敷家へ報告に飛ばし、到着したのは深更だった。

    灯を持った隠が、静まり返った産屋敷家の中を案内する。通された座敷は行灯が入っていて、実弥は悲鳴嶼と共に耀哉の前に礼をした。慈愛含みの優しい声が答えた。

    「二人とも、ご苦労だったね。よく行ってきてくれた」
    「は……明朝にと思いましたが」
    「いや、これでいい。例の血吸珊瑚は、どうだった?」
    「鬼は出ましたが、至って普通の鬼殺任務でした」

    悲鳴嶼から実弥に耀哉は視線を移した。

    「悲鳴嶼さんと同じ意見です。俺の目にはただの帯留めにしか見えません。或いは効果はあるのかも知れませんが、期待したほどではないと思います」
    「うん。そうだね……少し、こちらでも試したいこともある」

    悲鳴嶼が懐に手を入れ、珊瑚の粒を取り出して、それを耀哉の手に渡した。柔らかい白い手に珊瑚を乗せて、つくづく眺めた。

    「二人とも、今夜は泊って行くといい」
    「は。お館様は、その珊瑚をどうなさいますので?」
    「藤襲山で鴉と動ける育手を使って、試したいことがある。恐らく数日で結果は出るよ。あまり期待はしていないけど」

    笑みを深くして、耀哉は声に笑いを堪えた。

    「奥方はこれの値を言わなかったように聞いたよ」
    「ああ……そういえば、言っていませんでしたねェ」
    「はい。確かに、聞いていません」
    「ふふ、利に敏い家柄の奥方にしては珍しいことをしたね。二人ともご苦労様。あの家は色々と話があるのは聞いていたけど……大変だっただろう。一本つけるから、飲むといい」
    「ありがとうございます」

    案内に隠が立ち、それぞれ別の部屋に案内された。部屋に布団が伸べられていて、すぐ山椒味噌の串と酒が出た。ねぎらいの心遣いがありがたかった。

    それから三日後、実弥はまた産屋敷家に呼び出されていた。見れば先に悲鳴嶼が座に着いている。その後ろに座りながら、今度は何の要件かと耀哉を見た。

    母を思わせる眼差しが微笑んだ。耀哉の前には漆塗りの三方があり、紙に乗せられて何かがある。耀哉の前のそれを、隠が引き取り、悲鳴嶼の前に置いた。

    「これは?」
    「血吸珊瑚と呼ばれていた帯留めだよ。どうやらただの噂だったようだね、これはただの珊瑚の帯留めだよ。藤襲山の鬼は、全く無視して何の反応もしなかった。これまでこの珊瑚を取り巻いていた噂は、不幸な巡り合わせだろうと思う」
    「は」
    「ただね、その珊瑚。多分とても品質はいいものだ。二人の好きなようにしていいよ」

    にっこり笑う、お館様の笑顔に弱い自覚がある。まるで再び親を、それも理想の親と会っているような錯覚を覚えて、実弥は誇らしい隊士でいようという気になってくる。

    お館様にとって誇らしい隊士であるとしても、こんな下され物は困ったものだ。悲鳴嶼は三方を実弥の方に押しやったから、黒塗りの漆の三方に紙を敷かれた上に乗る、赤い小粒の帯留めを摘まむのは実弥しかいなかった。

    ほんの小さな、掘られた花の名も分からない。女物の帯の為の物で、作り替えるにしても根付で洒落ようと言う気が元からない。と言って、この女物の帯留めをどうすればいいか。

    産屋敷家を下がり、悲鳴嶼が歩調を合わせてきた。

    「蝶屋敷か?」
    「……そうですねェ」
    「確かに。あそこくらいしか思いつかぬ」
    「……そうですねェ。最近も世話になったしィ」

    この仕事を受ける前、十の子供になった自分を矢鱈と可愛がった悲鳴嶼の態度を思う。産屋敷家の用で珊瑚を見張りに入った家での子供達への仕打ちを見ているのは、それは辛かったに違いなかった。

    「女物の帯留めだし、どこに行くかはお館様もお分かりだろう」

    そう言って二人は蝶屋敷に到着した。昼間、怪我もなく訪問してきた柱二人を見上げ、しのぶは瞬きをして見て姉を思わせる微笑みを浮かべた。

    「元気かァ」
    「ええ、この通り元気です。不死川さんもお元気なようですが」
    「ああ……」
    「実はな胡蝶、任務で手に入れたものがあるのだ」
    「はい」
    「これェ」

    実弥がぽいとしのぶに放って、しのぶが掌の上でそれを見る。

    「これは根付……いえ、帯留めですね。きれいな赤だわ」
    「珊瑚だそうだ」
    「まあ、珊瑚……」
    「私や不死川には用がない。胡蝶、貰ってくれないか」
    「ああ、お二人で任務についた余禄なのですね、この珊瑚」
    「そうだ」
    「これは少し大きいものですから、真ん中から二つに断って、別々の根付に作り直して持ち歩くことも出来ますよ?」
    「いや、私は根付の趣味は……不死川もそれは言わなかった。不死川、お前はどう思う?」
    「ああ、胡蝶にやることくらいしか思いつかなかったなァ」

    男二人の素朴な意見をそれぞれ聞いて、しのぶは深く微笑んだ。

    「それなら、有難く頂きます」

    そう言って、帯留めをしげしげと眺めた。しのぶの掌は白く小さく、その上に真っ赤な帯留めが、特別可愛いものに思えた。

    「血のように赤くてとても綺麗」
    「鬼にまつわる逸話がある、血吸珊瑚と呼ばれた帯留めなのだが……」
    「そんなの迷信に決まってます。不運な巡り合わせだったんですよ。ねえ」
    「貰ってくれるかァ」
    「ええ、もちろん。悲鳴嶼さん、不死川さん、ありがとう。これは大切にさせて頂きますね」
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