かくれんぼ「子供を……小さな夜叉を見掛けませんでしたか……?」
たまたま森を散策していた時のことである。
風に揺れる木々の音や鳥のさえずりが聞こえ、魔神の影もない静寂さを気に入ってたまに訪れている森でのことだった。
いつもは人影もないのだが、 この日は急ぎ走る仙人や、空を飛ぶ仙鳥の姿を度々見掛けた。どうやら遊びの途中で子供の夜叉が姿を消したらしい。気配を感じることも出来ず、魔神に囚われてしまったのではないかと集落総出で捜索しているとのことだった。
魔神である俺にすら話し掛けてくるくらいだ。余程切羽詰まっているのだろう。しかし小さな夜叉は道中見掛けなかったので、見掛けたら集落に返す旨を伝えておいた。
「夜叉か」
夜叉の集落があるのは知っていたが、普段姿を見せることはない。この静寂さは夜叉の力によるものだったのかと納得し、されど自分がこの地に入っても襲撃に合わないということは、敵ではないと思われているということなのだろう。
「ん?」
日も落ちて辺りが暗くなって来た頃、騒がしいのならばこの場を離れようと踵を返した時に先程までなかった気配を突然感じた。咄嗟に頭上へ視線をやると、何か小さいものが落ちて来たので岩元素で包み腕に抱えてみた。翡翠色に光るそれは、片腕に収まりそうな程の小ささであった。
「人……? いや、これは仙人か。眠っているようだが……これが探していた夜叉か?」
人の姿を取っているが、背中には小さな翼がある。空を飛び回って仙力が尽きたのか、感じる仙人の力は微弱であった。
「!」
「む?」
突然夜叉の瞼がカッと開いた。磨き抜かれたなガラス玉のような琥珀色の瞳は、目が合った瞬間宙を翻して地面に着地した。
「ぅ……しかし、捕まるわけには……」
着地したのはいいが、足がよろめき夜叉の子は地面に膝をついていた。
「お前は夜叉の子か? 集落の皆が探していたぞ」
「かくれんぼをしていた。我は隠れるのがうまいらしい。おにごっこも兼ねているので、見つかってもつかまらなければよいので逃げ回っていた」
「そのようだな。うまく気配も消せているうえに俊敏さも感じる。しかし皆を心配させるのはどうだろうか」
「それは……よくない……」
気落ちしたのか、脱力したのか、夜叉はぺたんと座り込んでしまった。
「集落へ戻るのなら送ってやっても良いぞ」
「魔神に借りは作らぬ。それに、お前はきれいだから魔神には近づくなと集落の皆に言われている。自分の足で帰るからだいじょうぶだ」
「そうだな。確かに綺麗だ」
「なっ!?」
夜叉は一瞬だけ頬を朱色に染めた。それから咳払いをして、だ、騙されないぞ! と俺に向かって威嚇している。
「魔神の中には嘘をつく者もいるが、今のは本心だ」
夜叉は目を真ん丸にして口をパクパクとさせている。ほら、お手をどうぞ。と差し出してみると、少しばかり手のひらを睨みつけた後、おずおずと指先に触れてきた。
「さ、さらったりしないな……?」
「しない。お前を拐っても俺にはなんの利点もないからな。俺はこの森の静寂が好きだ。お前が村に帰ることでまた静けさが戻るのならば、少しくらい手を貸してもいい」
「そ、そうか……」
夜叉は納得したのか、その柔らかく小さな手のひらで俺の手を取った。それならばと片手でひょいと担ぎ上げ、胸の前に抱えた。
「落ちないようにな」
「わかった」
ぎゅっと胸元の衣服を掴み、しがみつくといった形でしっかりと夜叉は身を寄せていた。
「俺の名はモラクスという。助けが必要な時は名を呼んでみるといい。暇であれば手を貸そう」
「モラクス……我の名は×××だ」
「そうか。いい名だな」
名乗られたから名乗り返した。本心だとわかったから手を取った。あまりに素直で礼儀のあるこの夜叉を集落の皆が心配する理由も頷ける。
「集落の者に見つかった際に、人攫いに間違われては困る。近くまででよいな」
「その点は大丈夫だ。帰ったら、モラクスは悪い魔神ではないと皆に伝えておく」
「はは。それはいい」
この夜叉の言うことをどれだけ皆が信じているのかは知らないが、しかし、俺に少しでも利点があるのならば悪い話ではない。
「我の村は多分あっちだ」
「ふむ」
夜叉が落ちないように静かに歩いてはいるのだが、歩を進める度にぎゅっと服を掴まれた。方向がわからない訳ではないだろうに、多分といった形で指をさしていたことを不思議に思った。
「……感謝する。夜も更け仙力も尽きて何も見えなくなってきたので助かった」
「ああ。お前は仙鳥であったな。ならば……おそらくお前の集落はあっちだ」
その理由はすぐにわかった。仙力が尽きていなければ夜でも目は見えていただろうが、夜目で視界が狭くなっているのだろう。先程から衣服を皺になるほど握り締めていたのは、周りが見えない恐怖心があったと見える。
改めて他の気配を感じ取ると、夜叉の示した方向とは違う場所に夜叉の集落があるとわかった。何も言わずに方向転換し、夜叉を近くまで運んでやった。
「さて、この辺りで良いだろう。あの火は見えるか?」
「ああ、見える。世話になった」
「いつもなら貸しだと契約書に記すのだが、まぁ良いだろう。いずれ、また」
「モラクス」
「どうした?」
「お前の眼、少しだけ見えたが……その、お前も綺麗な石珀のような色をしていたぞ」
「ふ。そうか」
それ以上は何も言わずにその場を後にした。夜叉を綺麗だと言ったから、俺のことも綺麗だと言ってくれたのだろう。小さな夜叉が懸命に褒めてくれたことを思い出すと、顔が緩んでしまいそうになる。
今日はいい出会いがあった。たまには静寂じゃないのも、悪くはない。