愛してる「そういえば、君は俺に『愛してる』とは言ってこないよな。」
そう昼下がりのカフェで俺が呟いた言葉に、可愛らしくヌメラの顔がラテアートされたコーヒーを彼のロトムと一緒にあーでもないこーでもないと言い合いながら写真に収めていたキバナは、キョトンとした顔でこちらに顔を向けてきた。
「え、だってお前『愛してる』って言葉嫌いじゃん。」
「。」
想定してなかった返しに思わず手に持っていたティーカップを取り落としてしまった。もうほとんど飲み終えてはいたが、残っていた液体が今日着てきたお気に入りのカットシャツに染み込んでいくのが分かるが、それどころでは無い。
いや、なんで。どうして。
冷や汗が背中を伝い、心臓がバクバクと音を立て始める。
「んっふふ。どっから出したその声。なんだ、お前無自覚なの。」
うわぁ。シャツにガッツリ溢れてるな。
なんて何処からか出してきたハンカチを使って胸元を拭おうとしてくれるが、それで今早鐘のように鳴り響いている俺の鼓動がバレてしまったらマズイ。思わず伸びて来たキバナの手を押し退けてしまった。
「お前、顔真っ青だぞ。」
「…いや、その。」
「もしかして、嫌いってこと隠してたのか。」
「まあ、その。」
「…うん。ちょっとオレさまも無神経だったな。お前から聞いてきたからてっきり話したかったのかなって。ごめんな。」
「いっ!いや!君は何も悪くは無い!悪く無いんだぜ!!」
思ったよりも大きな声が出てしまった。しかも声もひっくり返っている。他の客から視線が一斉に集まるのを肌で感じ、ざわつき始めた店内に今度は違う意味でまた心臓がバクバクする。俺やキバナの名前がそこかしこから聞こえ始め、何人かの客が俺達の方へとスマホを向ける。
そこからはあまり覚えていない。俺は気付いたらキバナの手を握って川沿いの道を歩いていた。代金、ちゃんと払ったよな。払ったよな多分。
顔に当たる冷たい風を受けて少しずつ冷静さを取り戻した俺は、そこで漸く顔を上げて隣に居るであろう手を繋いでいる恋人の方へ、恐る恐る顔を向けた。石畳を埋め始めた街路樹の黄色い葉が風に吹かれて視界の端を走っていく音がやけに耳に響く。
カフェで騒いでパニックになり、挙句人目のある所で手を握ったまま外に飛び出すなんて、冷静になって考えれば怒るか呆れているのかもしれない。そう覚悟してキバナを見れば、彼は予想とは違って満面の笑みを浮かべながら歩いていた。
片手を俺と繋ぎつつ、もう片方の手でスマホを器用に弄っているようだった。滅多に歌わない鼻歌までしている。これは本当に機嫌が良い時にしか見せない様子なので、余計に俺は混乱する。
「キバナ。」
「おっ少しは気持ち落ち着いたか。」
小さな声でそろりと話しかけると、ニコーッという効果音が聞こえてきそうなくらいの笑顔で返してきた。眩しい。俺が落ち着いて来たのが分かったのか、キバナはそのまま近くのベンチへと俺を誘い、断る理由も無かったため、そのまま並んで座ることになった。
「…。」
「…。」
てっきりこのままの流れで何か聞かれるかと思ったら、彼は何も言わずにワンパチのような人好きする笑顔でじっとこちらを見つめるだけだった。
「なんでそんなにご機嫌なんだ。」
「ふふっ知りたいか。」
「まあ、教えてくれるなら。」
そうしどろもどろしながら伝えると、もっと笑みを深くしながらさっきまで弄っていたスマホの画面を俺に見せてきた。
「いや、なんでスマホの画面を……っ!嘘だろ!」
「だからその声どっから出してんだよお前。ふふっ…お似合いアツアツカップルだってー!」
見せてきたのはSNSのタイムライン画面。キバナがスルリとスライドさせていくと、そこにはカフェで俺がキバナの手を取り、引っ張りながら外に出ていく様子の写真や、街中を歩いている様子がばっちりと映されていた。あ、店員にチェックお願いしてる画像もあった。ちょっと安心した。交際を公にしているとはいえ、互いのイメージもあるからあまり外ではスキンシップを抑えていたのに!まさかよりによってこんなばっちり撮られるなんて!!しかもそれだけじゃ無い。
「君、なんだこの腑抜けた顔は!」
「えー。だっていつもは外だと手どころがくっついて歩く事もあんまりしたがらないダンデがさぁ。理由はともあれこんな風に手を繋いで、しかも一緒にお散歩までしてくれたって事実を噛み締めたらな。自然と。」
ゆっるゆるの口元を晒して何処で何を噛み締めているんだ。そして断じて散歩では無い。自分のした事を棚に上げて怒ろうかとも思ったが、それは本当に筋違いなので流石に抑え、ため息を吐きつつキバナにスマホを返した。どかりとベンチの背に寄りかかり、なんとなしに空を見上げる。ココガラがのんびりと飛んでいて、ガラルにしては珍しく澄んだ青空に黄色く色付いた木々達が映えてとても綺麗だ。
「…愛してるって言葉、実は苦手なんだ。」
「うん。」
「みんなこの言葉は素敵な言葉だって言うが、そうは俺は思えなくて。」
「うん。」
「本当は俺だって使いたいんだが。」
「うん。」
「『愛してる』の次には、『さようなら』がやってくるだろ。」
「…そう思うのか。」
「そうだぜ。少なくとも俺はそうだった。」
ライバルだと思っていた幼馴染がバトルを手放した時も
幼い頃、家族との限られた時間だけできる通話が終わる時も
大好きだった父の瞼が最後閉じられる時も
必ずみんな最後に俺に向かって
「愛してる」
と口にした。
「そんなの唯の偶然で、勝手に俺が考えすぎているだけだって事くらいは分かるさ。でも、もし「愛してる」がきっかけで君とさよならする事になってしまったらと思うとどうしても不安で。」
今まで誰にも打ち明けてはこなかった事をぶちまけてしまった。家族にさえも黙っていた俺の不安を。もう後戻りはできない。
「俺は、世間では最上級である愛の言葉を君に伝える事ができない。本当は聞くのも苦手だ。情けないだろ。でも、言おうとすると声が出なくなるんだ。うまく隠していたつもりだったが、まさか君に気づかれて…気も使わせていたなんて。」
目を合わせていられなくなり、目線を逸らし、声も段々小さくなる。そんな俺の顔をキバナはがっしりと両掌で掴み、彼の方へと顔を向けながらしっかりとした眼差しで伝えてきた。
「これはオレさまの爺ちゃんからの受け売りなんだけど…『さようなら』の次って何があるか知ってるか。」
「次なんて無いだろう。」
「それがそうじゃないんだな。ほら、考えみなよ。さようならって言った後にはさ、なんて言う。」
必死に頭を巡らせるが、何も思いつかない。暫く口を開けたり閉めたりしていたが、とうとう思いつかず。降参の意を示してキバナの方を見ると、キバナは優しく瞳を緩ませてこう言った。
「さようならって言葉には、別れと同時に次への約束でもあるんだって。さようならの後にはさ、『またいつか』って言葉が待ってるんだってさ。」
ダンデ君、私はここでリタイアするね。大丈夫!君のことちゃんと愛してるよ。
ダンデ、体に気をつけるのよ。愛してるわ。
ダンデ、愛してるよ。俺の大事な宝物。
キバナから伝えられた言葉を聞いて、今まで言われてきた「愛してる」が次々と心の中を駆け巡った。その言葉の後ろに『またいつか』という言葉を付け加えるだけで、ガラリと言葉の温度が変わっていく。
「今はさ、直ぐに『愛してる』を好きになんてなれないと思う。お前にとって悲しい時に使われた言葉だったんだから。でもさ、だったらさ。これからオレさまと一緒に『愛してる』を好きになってみようよ。」
「好きに、なれるだろうか。」
「なれるさ。お前が悲しい事が起こるかも、なんて考える暇が無いくらいたくさん嬉しい気持ちになれるような『愛してる』を伝えてやる。万が一にも、隕石が降って来る確率以上にあり得ないけれど、もし、『さようなら』が起こったとしたら直ぐに『またいつか』を叶えてあげる。」
だからダンデ、愛してるよ。
そう言ってキバナは俺をギュッと抱きしめてから、優しく瞼に口付けをしてくれた。
その温かさに包まれて、俺は漸く嫌いだった言葉が、少しだけ好きになれたような気がした。