再再再解散 日頃の猫背が嘘のように姿勢がよく、やけに真面目な面で切り出すものだから、なるほど次はそのネタでいくのかと思った。惜しくも優勝を逃したグランプリ決勝戦を引き摺っていない。次の目標、新人コンテストに向けてすでに思考を切り替えているようだ。
いいんじゃねえかと頷くと、相方は目を見開いた。なんだその反応。自分から言い出した癖に「いいのか?」「本当だな?」と念を押してくるので眉を寄せる。
「だから、いいって言ってんだろ」
「……本当に、本当だな?」疑り深い眼差しで見据えてくるのだった。「後からひっくり返すなよ」
「ンだよ、しつけえなあ。何回も確かめんじゃねえよ」
「だって……あんた、これまでずっと『解散はしねえ』の一点張りだったろ」
今回は本気で殴り合うつもりだったから、と相方の男、ネロは脱力したように息を吐いた。纏っていた固く張り詰めた空気がたちまちほどけていく。
凪いだ面持ちで微笑まれた瞬間、ブラッドリーは自分たちの会話が噛み合っていなかったことに気づいた。すっかり寛ぎ始めたネロとは逆に、ブラッドリーの機嫌は急降下していた。清々しい表情の相方を信じられない思いで見つめる。
妙に嫌な予感がした。ネロが癇癪を起こすのはいまに始まったことではない。これまで通り宥めすかして、丸め込めばいいだけのこと。そう思うのに、てのひらに汗が滲んだ。
「てめえ……何遍、同じこと言わせりゃ気が済むんだ。解散は絶対にしねえからな」
「はあ?」ネロは瞬く間に剣呑な顔つきになった。「さっき、あんたも了承したじゃねえか。ふざけんなよ」
「コンテスト用の新しいネタだと思ったからに決まってるだろうが。本気の解散話だってわかってたら頷かねえよ。何回もやったろ、このやりとり」
強引に言うことを聞かせようとすると余計に頑なになるやつだ。上から押さえつけるより、甘えられるのに弱い。ブラッドリーはネロを片腕で抱き寄せ、猫撫で声を出す。
「なあ、冗談でも言うなよ。寂しくなるだろ」
切り札の「寂しい」を前にしても、ネロは今度ばかりは少しも揺らがなかった。それどころか殺気立った目で睨みつけてくる。
「俺は冗談で解散を切り出したりしねえよ」
ブラッドリーの腕を振り払って立ち上がると、「これまでもずっと本気で言ってた」とネロは絞り出すように言った。
「ネロ、待てって」
「あんたって、肝心な話は全然聞いてくれないよな」
マネージャーにも軽く話してるから後はよろしく、と一方的に告げ、ネロは出て行った。二人で住んでいたアパートの部屋から。
結果的に直感は正しかった。ネロは未だに帰ってこない。電話には出ないが、メッセージは内容次第では返信が来る。他愛のない話題なら返ってくるものの、ブラッドリーが本当に知りたいことには一切応じないので、どこで何をしているのかはわからない。
仕方がないので一人でこなせる仕事だけ受けた。相方に関しては体調不良と濁し、モデル業や俳優業など、本業からは離れたものばかりを淡々とこなす。いつでもあいつが帰ってこれるように、芸能界で居場所を失うわけにはいかない。
同期の家に身を寄せている可能性を考えた。あいつは気が利くし料理が上手いから、「いつまでもいてくれていいから」と喜んで迎え入れられているのは容易く想像がつく。
しかし、ネロが頼るとしたらこの辺りか、と見当をつけた連中はみな首を横に振った。世間的には「一時的に活動休止」ということになっているので、事情を知ったやつらはそれぞれ驚いたり、呆れたりしている。
「そんなことになってたんだな」カインはよほど信じ難いのか、腕を組んで唸っている。「あんたたち、仲がいいイメージしかないからなあ。喧嘩の弾みで、つい『解散』って言葉が口から出ただけじゃないか?」
「馬鹿じゃないの」
カインの見解に同意する前に、オーエンがばっさり切り捨てた。
「ネロはもうだいぶ限界だっただろ。おまえがあいつのしんどいって気持ちに向き合わなかったからこうなってる。自業自得だよ」
突きつけられたスマートフォンからは目を逸らした。底意地の悪いこの男のことだ。どうせどこかの三流雑誌が、ブラッドリーたちのことを騒ぎ立てている記事でも見せるつもりだろう。
『え、あれ、先生……? これさ、また戻ってない?』
『本当だ……今度は何を見落としたんだろう』
唐突に聞こえた馴染みのある声に顔を上げた。オーエンのスマートフォンを食い入るように見つめる。この手の動画に疎いブラッドリーが首を傾げていると、カインが「ああ」と思い出したような声をあげた。
「そういえばネロ、たまに友達とゲーム実況してたな。これはちょっと前に流行ったやつだ」
「は?」
オーエンのスマートフォンを操作し、「このシリーズが俺は特に好きだな」とカインは呑気に勧めてくる。が、思考が全く追いつかない。
「最近は人気が出てきたから、芸人辞めて本格的に実況者になるんじゃないかって噂されてるけど。こいつ」
まあ、ネロもファウストも有名になりたかったわけじゃないから、いまの状況、ちょっと困ってるみたいだけど。至極どうでもよさそうにオーエンは付け足した。
「は……」ブラッドリーは一瞬、くらりと眩暈がした。「はあ?」
人の気も知らずに、何やってんだてめえは。自分にも何か悪いところがあったのかもしれないと、これでも多少は過去の言動を省みていたのだ。それなのにあの野郎。ブラッドリーは舌打ちする。もう少し待ってやるつもりでいたが、やめた。今すぐ絶対に引き摺り戻す。