瞳をめぐる嫉妬の話「まぁ、ファウストさん!今日はサングラスを外しているんですね。」
「あぁ…」
ルチルは正面の席に着くと、物珍しそうにニコニコと話しかけてきた。ミチルにお小言を言われながら眠い目を擦るフィガロもあとからやってきて斜め向かいの席に着席する。
南の若い魔法使いは朝から元気だな…
僕はシノたちに連行されてしぶしぶ食堂で朝食を取っていた。サングラスを外させたのもシノだ。朝から騒がしく部屋に突入してきたかと思えば、いきなり、陰気くさい服装を改めろだ、鬱陶しい前髪を切れだ何だのと要求してきた。彼の言い分としては、他国の魔法使いと比べて東の国の魔法使いがパッとしないのは先生役の僕が暗いからだと言う。断固拒否する僕と粘るシノの攻防が少しの間続いた。
途中でシノより何百歳も年上の自分がムキになっているのに気づいて、ふと以前ネロに言われた言葉を思い出す。
『あんたってたまに子供っぽい時あるよな』
それがからかいの意味で言われたのならまだ良かったが、ネロは幼い子供を愛でるような口ぶりだったので、余計に恥ずかしくなったのだった。こんなところを見られたらまた同じことを言われてしまいそうだ。
根負けした僕はサングラスだけを外すという折衷案を提示してようやくシノを落ち着かせることができた。しばらくすると青ざめたヒースと、ちょっとだけ焦った様子のレノがシノを回収しにきて、その流れで一緒に朝食を取ることになったのだ。
「普段はサングラスに隠れてあまり見えないですけれど、ファウストさんの瞳は綺麗な紫色なんですね。あの、もし良ければ今度スケッチをさせていただけないでしょうか?」
「いやだ。」
「ダメですよ、兄様。ファウストさんは恥ずかしがり屋さんなのかもしれないのに…」
「は?僕は別に恥ずかしいから断ったわけじゃない!ただ…」
「ルチル、ファウスト様の瞳が美しいのは俺も同意する。だが、ファウスト様は自分を被写体にされるのが少し苦手な方なんだ。」
僕に助け舟を出そうとレノがルチルを諌めた。「いやだ」は反射的に言ってしまったのは確かだが、レノの言う通り、いざ自分の絵を描かれるとなるとやっぱり複雑な気持ちになってしまう。かつての友が僕を散々スケッチしていたのを思い出してしまうからかもしれない。
「そうだったのですね…すみませんでした。ファウストさんの気持ちも考えず、お願いしてしまって…」
ルチルは心底申し訳なさそうに、肩を落としていた。しゅんとした顔が叱られた子犬のようで居た堪れない気持ちになる。また僕は大人気なく意地を張っている。しかもレノにまで甘えて…
「………少しだけなら、構わないよ。」
「えぇ!本当にいいんですか?!」
「あぁ…ほんの少しだけだからな…」
「ファウスト様、あまりご無理は…」
「大丈夫だよ、レノ。ありがとう。」
「それでこそ、オレたちの先生だな。ファウスト、かっこよく描いてもらえよ。」
2つ隣の席でガツガツとパンを頬張っているシノが口を挟む。ヒースが「シノ!」といつものごとく注意したが、シノは自分のことのように誇らしげな顔をしている。
「オレもファウストの瞳は好きだ。青空と夕焼けの境目にできる色をしてる。人間は紫色の空を見ると不吉だの何だのと騒ぐが、オレはシャーウッドの森の木の上からそれを眺めるのが好きだった。」
「こら、シノ。不吉だなんて物騒なこと言うなよ。でも、俺もファウスト先生の瞳の色が好きです。雨の時期に咲く露に濡れた紫陽花を思い出すので…何だか落ち着くんですよね。」
「俺も先生の瞳は綺麗だと思うぜ。アメジストみたいでさ。」
会話を聞いていたらしいネロがキッチンからひょっこり顔を出して、好意的な感想を重ねる。
「アメジストなんて料理人のきみとは無縁そうな石だけど…」
「ほら、たまに露店とかで掘り出し物みたく売ってんだろ、そういうのだよ!」
ネロはあからさまに挙動不審な素振りで言い訳をしてすぐ様引っ込んでしまった。
その後、他の魔法使いたちからも瞳を褒められ、むず痒くて仕方がなかった。サングラスを外したのは失敗だったかもしれない。ふと気になって、僕はここまで一切口を挟んでいない男、フィガロを横目でチラリと盗み見した。フィガロはまだ眠いのかボーッとつまらなそうな顔で食事を口に運んでいる。普段の彼なら「わかるー!俺もファウストの目、好き!」などと戯けて言いそうなものだが、そんな素振りもない。おそらくフィガロにとっては、空も花も珍しい石も、もう見飽きていて、なんの興味も抱かないのだろう。なぜだか少しだけ胸がちくりと痛んだ。
*
フィガロと付き合い始めてから、2人きりでたびたび晩酌を重ねている。その夜も、いつものようにフィガロの部屋に向かった。僕が部屋の前に着くと勝手に扉が開く。室内には今朝とは打って変わって朗らかに笑うフィガロがいた。
「いらっしゃい。あれ、サングラスかけてきたんだ?」
「あぁ、やはりかけていないと落ち着かない。」
「ふーん、そうなんだ。」
フィガロは相変わらずどうでもよさそうに返事をした。機嫌が悪いわけではなさそうだけど、表情に見合わず、いつもより声のトーンが冷たく感じる。
トントンとベッドを叩いて横に座るよう促される。それはいつも通りの行動だった。様子がおかしく感じるのは気にしすぎなのかもしれない。
*
だいぶ酔いも回ってきて、沈黙が増えてきた。それとなくお互いの距離が狭まっていて、肩が触れる。きっとこのままキスをされる。フィガロは気恥ずかしさで俯く僕の顎をクイっと掴んで上を向かせる。そのまま慣れた手つきでサングラスに手をかけて外そうとした。
そこでふと、今朝の出来事が頭をよぎる。僕は咄嗟にパシンとその手を叩き、拒んでしまった。
「何、どうしたの?」
フィガロはあからさまに不満げな顔で見つめてくる。
「朝はあんなに見せびらかしていたのに、俺には見せてくれないんだ?」
「そういうつもりじゃないが…」
あの時、僕はフィガロに勝手に期待して、勝手に落胆した。こんな繊細さがまだ自分に残っていたなんてと呆れてしまうくらいだ。おまえが何とも思ってなさそうなのが寂しかったなんて当然言えるはずもない。
口籠る僕に痺れを切らしたフィガロは強引にサングラスを奪った。
「皆に散々褒めちぎられて、照れていただろ?」
「別に照れていない…」
「そうなの?まぁ、俺は、陰気を装うきみにはこのサングラスがぴったりだと思うけどね。」
フィガロは穏やかな笑みを貼り付けているが、その目には微かな苛立ちが混じっている。
「ふん、そうだろうな。おまえは僕の瞳を別に気に入っているわけではないようだし。」
「…え?なんでそうなるの?」
フィガロはわかりやすく眉を下げ、困惑していた。僕はつい自分の願望を口に出してしまったことに気づいた。羞恥で顔が熱くなる。これ以上、ここにいたらきっともっとみっともない醜態を晒してしまうかもしれない。
「……今日は帰る。」
「え、なんで!?ちょ、待ってくれよ、ファウスト!」
引き止める言葉を無視して、僕はさっさと自室に戻り、結界をかけた。フィガロなら結界を破って突入することもできるだろうが、今まで揉めた時にそうしてきたことはない。追ってきて話をつけようと思うほど僕のことを気に留めていない証拠だ。
「僕ばかり、あなたを意識しているみたいじゃないか…」
フィガロにとっては些細なことなのに、僕は彼の言動ひとつでこれほどにも感情が揺さぶられる。いつまでも引きずっているなんてそれこそ子供みたいで馬鹿馬鹿しく思えるけれど、他の誰に賛辞を述べられようと、僕はフィガロの気持ちが一番気になってしまうのだ。
僕にはサングラスがお似合いだと言っていた。それでも、ささやかな抵抗のために僕はきっと明日からもサングラスをかけずに過ごしてしまうのだろう。