七夕『お前らー!全員屋上に集合ーーー!!』
大音声と共にキィンと耳障りな音が一年一組の教室に響く。
『だっから普通に話せっつってんだろうが馬鹿!』とその背後で大音声の主…梅宮に苛立ちを露にする柊の声を放送室のマイクが微かに拾い、『悪い悪い!』とそれでもまだ大きい梅宮のあまり悪びれない謝罪を最後にぶつりと放送が途切れる。
いつも通りである。よくもまあ飽きもせず、毎回毎回似たようなやり取りを続けるものだと桜は思う。
「相変わらずうるせぇな…」
「全員屋上に集合って言ってましたね。何でしょう?」
「さあ、何だろうね。とりあえず行ってみようか」
我等が総代梅宮一直々の召集とあっては皆即座に行動を起こすようで、屋上までの道のりは屋上へ向かう者と屋上から出てくる者でごった返して大変なことになっていた。
階段は既に桜たち一年生の教室のある四階より下まで長蛇の列となっていて、とてもではないが途中で桜たちが入り込めるような隙はない。
これなら急いで教室を出なくてもほとぼりが冷めたくらいに顔を出せば良かったかもしれない。
しかし一度教室に戻ろうにも桜たちの背後には既に他の一年生たちが集まっていて、もはや簡単には前にも後ろにも進めない状況に陥ってしまっていた。
仕方なくそのまま待つこと暫し、思いの外回転が早く十数分程度で屋上に辿り着いた桜たちが目にしたのは、大きく立派な笹とそれらを飾る色とりどりの短冊たちだった。
「うわ、何だこれ」
「ああ、そういえば今日は七夕だったね」
「たなばた?」
「織姫と彦星の逸話が有名ですよね。ああやって短冊に願い事を書いて笹に吊るすと、織姫と彦星がその願い事を叶えてくれる、なんて言われています」
「へぇ……」
「おー!来たかお前ら!待ってたぞ!」
パァッと明るい笑みを浮かべて片手を上げつつ梅宮が桜たちの側へ近づいてくる。
「いきなり全員集合なんていったい何なんだよ、人が多すぎて全然辿り着けねぇし」
「ははは、悪い悪い!せめて学年毎とかにすりゃ良かったなぁ。まあそれはともかく、ほい、短冊!一人一枚な、何でもいいから願い事書いて笹に吊るしていってくれ!」
桜の文句を聞いているのかいないのか、梅宮は手に持っていた五色の細長い紙をまるでトランプのように広げて「好きな色選んでいいぞ~」と言いながら桜たちに向けて差し出してくる。
「あの笹、どうしたんですか?」
「ああ、街のイベントで使うはずだったんだけど、手違いで余っちゃったらしくてな。勿体無いからもらってきたんだ!そんで、せっかくなら皆に短冊書いて飾ってもらおうと思って!」
「…つーかそれなら何でわざわざ屋上なんだよ。グラウンドとかでも良かったんじゃねぇの」
差し出されたそれを無視するわけにもいかず適当に一枚摘み取りながら、桜は純粋な疑問を口にする。
持ち運ぶのにも一苦労しそうな大きなものを、何故一度は通りかかったはずのグラウンドを無視してわざわざ屋上まで運んだのか。
次にまた下ろすのも大変だし、グラウンドなら屋上より広くてこんなに人でごった返すこともなかっただろうに。
そんな桜の疑問に梅宮は分かってないなという風にチッチッチッとわざとらしく指を振る。
「だって七夕だぜ桜クン。なるべく空に近い場所の方が、しっかり願い事届いてくれそうな気がするだろ?」
「知らねぇよ、んなのどこでも一緒だろ」
「ふふ、ねぇ桜君、案外皆考えることは一緒みたいだよ?」
ほらあれ、と蘇枋が指差した先には笹の側で何やら数人に取り囲まれている杉下の姿があった。
何事かと耳をそばだててみれば聞こえてきた会話は概ねこうだ。
「杉下ー!これなるべく高いとこ吊るしてくれ!」
「………あ?」
「頼むよ!高いところの方が願い事叶いやすそうだろ~!俺を助けると思って!この通り!!」
「………はあ……貸せ」
「サンキューな杉下!!」
「あ、杉下!悪いけど俺のも頼む!」
「……ん」
「ふっふっふ……甘いなお前ら、俺はさらにその上をいく!杉下!俺のこと肩車してくれ!!」
「なっ、テメェそれはずるいぞ!!」
「ズルじゃねぇ発想の勝利だ!!」
「…………………」
………………。
「…アイツらアホなのか」
「杉下さんめちゃくちゃ嫌そうですけど…大丈夫ですかね」
「大丈夫なんじゃない?何だかんだ彼優しいし、ほら」
「…馬鹿みたいにデカいのも考えものだな…」
結局押し負けたのか渋々とその場に背を丸めて屈み込む杉下の姿にさすがの桜も思わず同情が込み上げる。
「おお、何だ杉下大人気だな!アイツもしっかりクラスに馴染めてるようで何より!じゃあ桜、楡井、蘇枋、三人ともそれよろしく頼むな~!」
「っ、おい…!」
人気というよりいいように使われてるだけでは、なんてぼんやり桜が思っているうちに梅宮は用は済んだとばかりに他の生徒へ短冊を配りにいってしまう。
しまった、まだ一番聞きたいことが聞けていないのに。
"何でもいい"とは言われたものの、その"何でもいい"が桜には一番困るのだ。具体的にどういう風に書け、と例を示してもらえた方がまだ書きやすい。
まだ話は終わってない、と慌てて梅宮を引き止めようと口を開きかけた桜の腕を、梅宮に色良く返事をした楡井が「じゃあ俺たちも短冊書いて吊るしに行きましょうか」と掴んで引っ張る。
そうなると桜も動くしかなく、いまいち何もわからないまま笹の方へと連れられていく。
せめて参考までに皆がどんなことを書いているのか知りたくてちらちら短冊に視線を走らせると、かなりの割合で『彼女ができますように』『恋人ができますように』なんて書かれた短冊が吊るされていてぶわりと桜の顔が熱くなった。
「どいつもこいつも…っ、か、かの、……とか、そんなことしか頭にねぇのかよ……!」
「あ、ダメだよ桜君!他の人が書いた短冊見たら!」
「ぅえ!?きゅ、急にでかい声出すな!何なんだよ!」
「他人に見られた短冊の願い事は一生叶わなくなっちゃうんだよ…!大変だ、これで何人かの風鈴生が一生恋人できないまま独り身で生涯を終えることに……」
「そ、そんな大層なもんなのかこれ…」
「もー蘇枋さん!あんまり桜さんのことからかわないでください!大丈夫っすよ桜さん、ただの迷信ですから!」
「迷信……嘘ってことか?」
「嘘っす。少なくとも根拠はないですね」
「………蘇枋てめぇ!!」
「あはは、ごめんごめん、桜君の反応が面白くって」
「てめぇ嘘ばっか吐いてるといつか絶対痛い目見るからな!」
「狼少年ってこと?桜君よくそんなの知ってるね」
「馬鹿にすんな!」
「やだなぁ褒めてるんだよ」
「ちょっとお二人ともやめてくださいってば!ほら!短冊書きますよ!はいペン持って!」
「ふふ、はーい」
「お、おう…」
……とは言ったものの。
桜にとって事態は何も解決していない。
盗み見た短冊の内容は全く宛にならなかったし、ひそかに望んでいた願いは今この街に桜が身を置いている時点で既に叶えられている。
他に叶えたい願いという願いと言えば…。
「桜さん書けました?」
「!も、もう書き終わる…!」
さっさと書き終わったらしい楡井に声をかけられ慌てて桜は咄嗟に思い付いたことをペンで書き殴る。
そのまま人に見られる前に自らの身体で文字を隠すように短冊を持った桜は、屋上に足を踏み入れた時よりいくらか華やかさを増した笹の側へと近づいていく。
「あれ、桜君杉下君に結んでもらわなくていいの?」
「い、いらねぇよ!別にそんな大したもんじゃねぇし…」
「またまた、そんなこと言って」
こっそり笹の一番下辺り、目立ちにくそうなところに短冊を吊るそうとして、目敏く蘇枋に気づかれてしまった桜はぎくりと身を強張らせる。
本当にやめてほしい。
書いてみたら思いの外恥ずかしいし、できることなら人目に触れやすそうなところには吊るしたくなくて、なるべく下の方、屈まなければ見えないような位置の、それもなるべく奥の方へ吊るそうと思っていたのに。
「うーん…もう結構場所埋まっちゃってますね…でも下の方に、っていうのも…ちょっと頼むのは忍びないですけど、俺、杉下さんのところ行ってきます!」
「にれくんが行くなら俺も行こうかな」
「おう、さっさと行ってこい」
「ええ…蘇枋さんもこう言ってますし桜さんも一緒に行きましょうよ。桜さんだけ下の方じゃ何か寂しいじゃないですか」
「だから俺はいいって……」
ぬっと桜の上から突然大きな影が射す。
何だ、と思って短冊を吊るそうと屈み込んだ姿勢のまま顔だけを上に向けた桜の目の前を、長い腕が過っていった。
あ、と思った時にはもう既に桜の手からその腕の持ち主に短冊が掠め取られた後だった。
「なっ……てっめぇ杉下!なに人の短冊勝手に取っていってんだ!返せ!」
「お疲れ様杉下君、大人気だったね」
「……どうせお前らも来るつもりだったんだろ」
「聞こえてましたか…すいません、もう吊るすところほとんど残ってなくて…差し支えなければ、俺たちのも上の方に結んでもらえないかなと」
「ん」
「おい!無視してんじゃねぇ!っくそ、しっかり上に腕逃がしやがって…!」
桜がいくら背伸びしたりジャンプしたりしても杉下は腕を高く掲げて苦もなく簡単に桜の手を躱す。
そうしながら何てことない顔をして普通に楡井や蘇枋と会話しているのだから桜にとって腹立たしいことこの上ない。
「……す、杉下さん一旦短冊桜さんに返しましょ?」
「…チッ」
「おら楡井もこう言ってんだし早く返せ!あとそれ絶対に読むなよ!!」
「…………」
「読むなっつってんだよ馬鹿!!聞け!!人の話を!!」
「……何だこれ」
「え?」
「何が書かれてたの杉下君」
「ちょっ、何でお前らまで覗きに行くんだよ!」
誰一人桜の話など聞きやしない。
杉下はともかく、楡井や蘇枋まで。
「『タイマンの決着をつけたい』……」
「……ああ、もしかして入学式の時の……」
「ばっ、別に誰とも書いてないだろ!十亀とか!あと…っ一回はガチのタイマン張ってみたいヤツいるし!それこそお前とか!」
「十亀さんとは決着ついたじゃない。ご指名頂いてありがたいけど、俺は桜君とのタイマンは疲れそうだし遠慮しておくよ。理由もないしね」
「納得してねぇし納得いかねぇ!」
「桜さんらしいと言えばらしいですけど…この中に吊るすにはちょっと物騒ですかね…」
「仮にも不良校だぞ、むしろ平和なのしかねぇのが異常だろうが!…つーかいい加減返せ!」
楡井や蘇枋に見せるために下げられていた杉下の手から今度は桜が短冊を奪う。
杉下はと言えば桜の短冊の内容を読んで一言漏らしたきりずっと黙りこくったままである。
いったい何なんだ、コイツは。
てっきり鼻で笑われるかと思っていたから拍子抜けだった。
「桜君、『てっぺんになる』とは書かなかったんだね?」
「あ?何でそんなこと書くんだよ」
「そんなことって……」
「……………」
楡井の眉が困ったように下がり、杉下の眉間には深くシワが寄る。
蘇枋はといえば桜に問いかけを投げ掛けてきた時とほとんど表情が変わらなくて、腹の底で何を思っているのか桜にはさっぱり計り知れない。
蘇枋はともかく、あまり人のことは言えないにしろ感情が表に出やすい二人の表情の変化に桜もまた不可解そうに顔を歪める。
何なんだ。そりゃそんなこと書くわけないだろう。
だってそれは"願い事"じゃなくて。
「それは"目標"だろ。願い事書けって言ったの、お前らだろうが」
あと梅宮。
最後に小さくそう付け足した桜の一連の言葉に、きょとりと楡井は目を瞬き杉下の顔から険が抜ける。
「…ああ、なるほど…そうか、目標か…確かにそうだね。ごめんごめん桜君、君はてっぺんになりたいんじゃなくてなるんだもんね」
「…?最初からずっとそう言ってんだろ」
「あっ…あぁ~なるほど…理解しましたそういうことですね」
「どういうことだよ、さっきからお前ら何かおかしいぞ」
「いや、俺たちの言い方が悪かったなと思ってね。桜君、七夕の短冊には願い事の他に目標を書くことも多いんだよ。だから君が『てっぺんになる』って書かなかったのがちょっと引っ掛かってね」
「ふぅん、そうなのか」
「どうする?梅宮さんに言って書き直すかい?予備があるかはわからないけど…」
「……いや、いい。別に書いても書かなくても、俺がすることは変わんねぇし」
神頼みか星頼みか知らないが、わざわざそんなことをしなくてもそれはちゃんと自分で叶えるからいい。
間もなく昼休みの終わりを告げる予鈴がなった。
「ほら、さっさと吊って教室戻るぞ」
「うん、そうだね」
「あっ、じゃあ杉下さん!これお願いしていいですか!?」
「……ん」
「俺のもお願いするよ杉下君」
「………、…おい、テメェのもとっとと寄越せ」
「は、いや俺は…」
「早くしろ」
「……あーもーわかったよ」
本鈴が鳴り、先程までの賑やかさとは打って変わって静まり返った風鈴高校の屋上。
色とりどりの短冊に飾られた笹のてっぺんに程近い場所に、一塊になって揺れる赤、黄色、白、青の短冊があった。