エイプリルフール「こんちは~」
四月一日、エイプリルフール。
ゆにち先輩が昨日突然エイプリルフールをやろう、言い出したときは何事かと思ったけど、なんだかんだ言って、こういうイベントごとは楽しくて好きだったりする。昨日思いついた嘘をつくタイミングとシチュエーションを考えながら、サークル棟に入り、部室のドアを開ける。
すると、俺が一番乗りかと思ったがゆにち先輩がすでに居た。
「あ、やっほーほまるん」
「あれ、先輩髪の毛切ったんですか?」
ゆにち先輩の髪の毛が揺れる。
ゆにち先輩は普段髪の毛を一つに括れる程の長さがあるけど、今日は毛先が赤色のショートカットになっていた。普通なら髪の毛を切ったんだと思うだろう。
「ウン、切った」
にこぉ、と笑顔で言うゆにち先輩に、俺はそうですか、と返す。
と言っても、これが嘘であることは気付いていた。ゆにち先輩はレイヤーだから、ウィッグも沢山持っているし、これもきっとウィッグだろう。
嘘だって気付いていても、ここはノリ良く返す方が面白い。そう思って肯定した。
「似合ってますね、ゆにち先輩、どんな髪型でも似合います」
「これでも?」
「え? うワーーーー!?」
そう言いながらゆにち先輩が被っていたウィッグを取ると、つるりとした頭皮が現れた。輝く頭皮は、有り体に言えばハゲだ。
何かを考える暇もなく、脊椎反射のように叫んでしまった。
えっ、ハゲ 先輩が
思わず仰け反ると、ゆにち先輩は特徴的な八重歯を見せて、ケラケラと笑いながら更に被っていたものを取った。……ヅラのヅラだ。ようやく中から本物のゆにち先輩の髪の毛が現れた。
「あはは~、なーんちゃって」
「に、二段構えっすか……」
「うん、ビビった?」
「正直……」
「ほんと? よかった~、おぎーとかぱやお全然ビビんなかったよぉ」
言いながらゆにち先輩は髪の毛を整え直している。
先輩達は同じ学年だし、取っている授業も同じだから、先に見せる機会があったんだろう。どのタイミングでこれやったんだろうこの人。
ビビってしまったのを情けなく思いながら、俺は自分で仕込んできた嘘をいつ披露するか考える。
正直、結構自信があるんだ。
出来れば全員が揃った所で披露したい。そんな邪なことを考えている内に、おぎー先輩とぱやお先輩が現れた。
「やっほー」
「お、きたきた。新鮮な嘘くれよ!」
おぎー先輩相手に、ゆにち先輩が手足をじたばたと動かした。おぎー先輩が呆れ気味に笑う。
「そんな挨拶ある?」
「じゃあ私から。推しが生き返ったよ」
「ぱやお! 明るく楽しい嘘つこうねって言ったじゃん! それはもう悲しくなる嘘じゃん!」
「は? 明るく楽しいし嘘じゃないが? 来週には生き返るが?」
「幻覚やめな~」
「はぁ?」
「すぐ喧嘩すんなって。ところでほまるん」
「えっ、はい」
一触即発のような空気を出すぱやおせんぱいとゆにち先輩を仲裁しながら、おぎー先輩が俺に声をかけてきた。突然なんだ、と思った所で、おぎー先輩が俺に何かを差し出す。
「これ、同じゼミの男子から、ほまるんにって」
「え……」
そう言って手渡されたのは、雑にラッピングされたお菓子だった。中を開けると、チョコっぽいものと一緒に手紙が入っている。開くと、ラインのIDらしきものが書いてあった。
なんでおぎー先輩と同じゼミの男が、俺に手作りっぽいお菓子渡してくるんだよ。嘘にしても脈絡がない。
けど、ここはノリよく返した方がいいんだろうな。
そう思って俺はクッキーを受け取ると、おぎー先輩に聞き返した。
「あざす……。ちなみに、どんな人ですか?」
「茶髪の結構ノリがいいチャラ男ワンコ系で、でも顔はよくて心に闇を抱えてそうな感じの男で、得意科目は意外にも文系で、家ではインコを飼ってる。ほまるんのことは、実は漫画で知った」
「大分おぎーの趣味入ったね」
「めちゃくちゃ設定練ってるじゃないすか」
「とっきーとちょっとキャラ被ってるじゃん」
「えっ、俺そんな感じですか?」
「あ、とっきー」
「こんにちは」
「えっ ヤバ!!!!!!!!!」
「クソデカボイス。でもやば~~~~!!」
「ヤバ……」
「お前、その格好何」
全員突然語彙が死んだ。
というのも、時の格好が原因だった。
ゆにち先輩と同じく、髪の色が変わっている。ミルクティーみたいな色合いだった髪色は黒くなり、同時に眼鏡をつけていた。服装は、いつもと違うスーツ姿だ。背が高くスタイルがいいと、何を着ていても様になる。似合わねえ、と一蹴してやりたかったが、実際は似合っているから、それを言ってもひがみになる気がして、何も言えなかった。
時はそんな俺を見て、にこりと微笑む。
「誉の好みに寄せてみた」
「ママーーーー!」
「あ! ゆにちが壊れちゃった!」
時の言葉に、膝から崩れ落ちたゆにち先輩を冷静に分析しながら、ぱやお先輩が言う。
先輩達って現実の男もいけるのか、と思ったけど、ゆにち先輩とかアイドル好きだし、時に関して言えばゲームのCGみたいに綺麗な顔してるからアリなのかもしれない。
俺は身内のそういう話って気まずいけどな……。と考えていると、ぱやお先輩が手をあげた。
「あ、そういえば私おぎーと付き合うことになったから」
「えっ」
「えええっ」
「おぎー先輩まで驚いちゃってるじゃないスか!」
のほほんと言ってのけたぱやお先輩に、俺とおぎー先輩がビビった。えっ、ゆ、百合じゃん……
いや、俺は別に百合もそんな興味ないけど! でも、なんだか妙に心臓がドキドキした。先輩達のことはそういう目で見たことは一切ないし、普通に全員友達同士なんだと思ってたのに、そういうこと言われると、やっぱり気になるだろ!
しかも全然タイプの違う二人だし。嘘だってわかってんのに、何も言えず言葉を失っていると、ぱやお先輩が、おぎー先輩の腕に手を絡ませた。
「おぎーから告白してくれたんだよ、ね?」
「ぱやおたそ……」
「二人でガチ感出すのやめな」
「ガチ感あったか今?」
けらけらと笑う二人に、ほっと息を吐いた。なんか、ぱやお先輩の目が本気っぽく見えたから一瞬どぎまぎした。明るく楽しい嘘、とはいえ、これは楽しいか?
その時、部室のドアが再び開いた。
「やほー」
「あ、さのだ」
相変わらず凜とした佇まいで、ドアの前に立つさの先輩は、珍しく汗だくだった。額に浮いた汗をハンカチで拭うと、息を切らしていう。
「大変なの、マジで。聞いて。今日の朝、住んでる家が燃えて、泣きながら大学行こうとしたらその途中宝くじ拾ってしかも5億当たってて、けど次の瞬間トラックに轢かれて異世界転生したかと思ったら魔王倒してさっきようやく現代に戻って来れた」
「馬鹿が考えた馬鹿の全部乗せみたいな嘘ついてきた」
「家が燃える展開地雷です!」
「四月馬鹿の日に相応しい嘘じゃん」
焦っているのに、キリッとしているさの先輩はいつもクールに見える。今の発言も本人的には迫真のつもりなのかもしれないが、どこか冷涼な雰囲気すら感じる。誰も騙されないような豪快な嘘をさらっと吐くと、さの先輩が時に目を向ける。
「えっ? ヤバ? えっ、ほまるん、ちょっと隣に並んで」
「え、なんで」
「いいから早く!」
「わ、わかりました……」
さの先輩に急かされて隣に並ぶと、さの先輩が写真を撮った。いやなんでだよ。さの先輩が顔を覆って天を仰いだ。
「ヤバ……」
「皆さんそればっか言いますね。どう、誉。俺眼鏡似合う?」
そう言って己を指さす時は、確かにちょっと似合っていたけど。
これで中身が時じゃなければ結構いいなって思ってたけど。
でも俺が好きなのはクール系なのにいざという時甘やかしてくれそうな黒髪ストレートヘアー眼鏡の女性であって、男じゃない。
「似合う」という単語は使いたくなかったので、適当に濁した。
「普通」
「ははは。まあ実は今日、企業説明会行ってみたくてちゃんとした格好しただけなんだけどな」
「え~、じゃあとっきーの嘘は?」
「俺ですか? そうだなー」
「あの! 先輩方、その前にちょっといいスか」
時の話題に流れると、絶対俺の嘘も軽く流される。せっかく考えた嘘を、へーそうなんだーって軽く流されたら辛い。
だからその前に手を上げて主張した。タブレットを取り出して、昨日急遽描いた漫画のネームを掲げた。全員の目が俺の方へと集中する。
「あの、実はこの前投稿した漫画がツイッターでバズって……、編集部に声かけられて、WEBなんですけど連載決まりました! これそのネームなんすけど、ちょっと見て貰ってもいいっすか?」
笑顔で意気揚々と言ったら、当然場が湧くと思っていた。ほまるんありそうな嘘~とか言って。
あるいは俺の嘘に乗って大袈裟に驚いてくれるかと思っていたけど、予想に反して全員黙り込んでしまった。
「…………嘘か本当か微妙~な嘘つくね、ほまるん」
かろうじて、ぱやお先輩が微妙な顔で声を絞った。全員真剣な顔で、俺を見ている。えっ、これ俺またなんかやっちゃいました系?
空気読めてなかった? もっといい嘘あったろって? そんな馬鹿な。
嘘をつくときは、ほんの一握りの真実を混ぜると真実味が増すと聞いたことがある。
ツイッターに上げていた漫画の一つがバズったのは本当だし、騙されそうな嘘の方がポイントが高いって言ってたから、これにしたのに、場のテンションはあからさまに下がっている。
あれ、結構いい線いってたかと思ったんだけど……。
あまりにも白けたような空気に、俺は少しだけ焦った。
「あの、や……、嘘っすよ? 笑うところなんすけど……」
「笑えんわ~。リアルに一番デビューしそうだし。嘘は嘘で笑えない……、気まずい……」
「ってか、むしろ実はそれが嘘だったりしない? 今二段構え嘘流行ってるし」
「流行ってないですよ別に。ってか、なんでそこ疑うんすか、そんな簡単にデビューできないですって! 俺の漫画とか人気ないですし」
「や~、ほまるんの漫画はディープ層に結構人気ありそうだよ。ってか今時は皆普通にデビューしたりするじゃん。ほまるんも絵うまいしあり得なくないっていうか」
「え~~~、そ、そっすかね? えへへ……」
先輩に褒められると、悪い気はしない。照れながら口元を緩めると、隣に立っていた時が息を吐いた。
「はー……なんだ……嘘か」
「お。お前もちょっと本当かもってビビった?」
硬直していた時が、俺の言葉に肩の力を抜いたのを俺は見逃さなかった。
いつも飄々としているこいつを騙せたかもしれないと思うと、中々気分がいい。テレビでやっているドッキリ番組とか、ストーリーだとわかっていても騙される人間を見て笑うのはあまり好きじゃないと思っていたけど、今はちょっとだけ気持ちがわかった。
にひ、と笑いながら見つめると、時も微笑み返してきた。
「っ……――」
やけに綺麗なその笑みに、少しだけ嫌な予感がして後ずさる。けど、もう遅かった。
「……誉ッ」
「うおっ おい、離せ!」
「おお~~~~……」
「ヤバ……」
「リアルが無理……」
時が突然真正面から抱きついてきた。しかも、先輩達の目の前で。部屋に二人きりとかじゃねえんだぞ。
時が先輩達に背を向けると、必然的に抱きしめられている俺は先輩達と向き合うことになる。皆、目を見開いて俺たちを見つめていた。誰か一人、無理とか言ってなかったか?
キモいって思われてね?
「あの、先輩ちが、これ嘘……」
「誉、なんでわかってくれないんだ。俺はこんなにお前を愛しているのに! お前の全部を俺は知ってるのに!」
「おい馬鹿やめろやめろやめろ!」
「ヒュ~~~~~!」
先輩達の歓声が部室内に響く。
時は俺を抱きしめながら、芝居がかった台詞を吐きつつ、俺の耳を弄ってきた。ひゅ、と息を呑むと同時に、体中に鳥肌が走った。顔が赤くなるのを先輩達に見られたくなくて、咄嗟に目を逸らす。
「っ……」
ヤバイ、見られてる。最悪だ。こんな情けないところ。顔が熱くなって、俺は先輩達の顔も見れず、時の体を強く押した。
「は、離れろ……っ」
「俺と付き合ってくれるって言ったのに」
「言ってねえよ!」
いや、わかってる。
これが四月一日の嘘演出だってことはわかってる。
本当はここで俺も乗ったら面白おかしく昇華できるってこともわかる。そうだなハニーとかいって付き合います宣言しておいた方が、ギャグにできるってことも。
けど、普段言われてることやされてることを思い出すと、とても冷静に面白おかしく返す事なんて出来なかった。それに、下手なこと言ったら言葉尻取って何言われるかわかんねえし。
先輩達に見えない事をいいことに、ちゃっかり尻揉んでんじゃねえよ!
耳たぶをすりすりと指で擦られ、体の奥に熱が溜まっていく。
「おい、時、おいっ」
「………………」
小声でやめるように促すが、時は知らんぷりだ。心なしか、少し怒っているように見えた。離せ、と何度か言っても肩に鼻を埋めてきた。
こ、こいつ……! 俺は、口元を押さえて心なしかにやつきを我慢しているように見えるゆにち先輩に助けを求める。
「ゆにち先輩、助けてください、ってかこれ、嘘! 嘘っすからね」
「うん、ありがとう……、本当にありがとう」
「な、なんでお礼を あのっ、おぎー先輩止めて……!」
「ちょっ、待って、作画資料……、いやこれは作画資料だから、本当に!」
「さの先輩!」
「もっとやれ!」
「さの先輩」
カッ、と目を見開いてまさかのコメントに俺が叫ぶと、ようやく時の体が離れた。
「な~~~んちゃって。びっくりしました? 俺の嘘」
ぺろ、と悪戯成功のように舌を出す時の顔は、男の俺から見ても、愛嬌たっぷりでムカつく程に好感度を稼ぎそうな顔をしていた。案の定、先輩達が満場一致で声をあげた。
「優勝!」
「優勝」
「優勝!!」
「えっ 俺は」
「ほまるんのはちょっとガチ感強すぎて」
「騙されるような嘘ついた方がポイント高いって話してたじゃないすか! そもそもこいつの嘘、ぱやお先輩と被ってますよ」
「は? 百合とBLは全然違いますけど?」
「す、すんません……」
「まあまあ、ほまるんも頑張ったからご褒美にそのブラウニーぽいの食べていいよ」
「ってか、これ焦げてますよね……」
さっきおぎー先輩の嘘と一緒に渡された茶色い物体を広げると、所々黒くなってる。正直言ってまずそうなんだけど、食えるんだろうかこれ。つん、と指で突くと、さの先輩が反応する。
「ああ、それ私が作ったやつ」
「えっ」
「爆発したレンジでワンチャンと思って」
「さの先輩の……」
……て、手作り さの先輩が俺の為に
瞬間、俺の為にお菓子作りを頑張るさの先輩の姿が走り抜けた。すっげえ可愛い。すっげえ好き。
さっきまで時が優勝という言葉を贈られていたことに憤りを感じていたけど、一気にどうでもよくなった。
マジでもうどうでもいい。
所詮こんなのエイプリルフールというイベントにかこつけた遊びだ。それより、さの先輩の手作りブラウニー?を食える方がいいに決まってる。
「あ、あざす! 大切に食います!」
「とっきーとあーんして食べてね」
「いや、それはしないっすけど……!」
最近、なんだかさの先輩の言動がちょっとおかしな方向にいってる気がするけど、それを上回る喜びに、俺は目尻をさげて口元を緩ませた。
「んへへへ……、やった~」
「誉、気持ち悪い顔になってるよ」
「うるせー」
家に帰ったら大切に食べよう。そう思って鞄にしまっていると、時が俺の肩に手を回してきた。
「それじゃあ、俺は優勝したので現実にすべくちょっと誉を借りますね」
黄色い悲鳴が室内を包んだ。
……ベタベタなこと言う奴。若干呆れていたが、浮かれていた俺はもう時の言動にいちいち構っていられなかった。
なんなら、早く家に帰ってさの先輩の手作りスイーツ片手に原稿もいいなと思い始めていたから、丁度いいと思った。
「誉、行こう」
「あっ、さの先輩、これマジありがとうございました!」
「うん。頑張ってね」
「? はい!」
にこにこしながら手を振って部室をあとにすると、時が俺の手を引っ張ってどんどん先へと進んでいく。
歩くのが早ぇよ。なんなんだよこいつ。
「おい、時……」
「随分と嬉しそうだね、誉」
「はぁ?」
「俺が誉の為にご飯作ってあげてもあんなに喜ばないのに。俺は悲しいよ」
「お前がいつ俺の為に料理作ったよ」
「たまに飲みに来たとき、つまみ作るじゃん」
「んなもん俺だって作ったりするだろ。てか女子の手作りお菓子と酒のつまみを同列にすんな、価値が違う」
お前はそうじゃないかもしれないけど、俺はこういうの貰ったのって、小学生の時以来なんだよ。バレンタインは先輩一同から貰ったけど、これはまた違うじゃん。ってかこのラインのIDよく見たら時のIDじゃねえか。あとでさの先輩のIDに書き直しておこう。
鼻歌を鳴らしながら上機嫌な俺に、時が冷たい目線を送ってくる。
「誉が商業に行って、色んな奴に手を加えられんのやだな……」
「お前、まだそれ言ってんの。あれ嘘だから」
「でも、本当っぽいし、本当になりそうじゃん」
「あー、まあ本当のことも混じってるからな」
「ツイッターでバズってたこと?」
「それもある」
「…………他には?」
時の足が止まった。
二人で歩いている内に、いつの間にかサークル棟を抜けていたらしい。俺たちはもう大学の外へと出ていた。外は少し日が傾いていて、黒髪姿の時は、いつもと違う印象を受ける。人の姿はあまりなく、少しだけ声のトーンが低くなった時は、俺を見つめてきた。
強い風が吹き、真っ直ぐストレートな髪の毛が揺れる。
やけに真剣な顔をしているので、少しだけ気圧される。
「……ま、まあぶっちゃけ漫画の依頼が来たのもホント。ただ、商業とかじゃなくて同人の寄稿だけど。エロ系のやつ」
「――は?」
「え?」
瞬間、肩を強く掴まれた。みし、と骨が軋んだんじゃないかと思うほどの力に、肩眉が跳ねた。
「っ……!」
「誰に頼まれたの?」
「そ、相互……のっ、てか、っ、だい! 手、離せよいてえっ!」
掴まれた肩を払いのけ、着ていたパーカーを引っ張って肩を出すと、時の手の痕が赤くくっきりと残っている。馬鹿力かよ!
時はじとり、となんだか湿度の高い目つきで俺を見下ろしていた。依頼してきたのは、ツイッターの相互フォロワーで、いつも俺の漫画を褒めてくれる人だ。特にヒロインが好きだって言ってくれる。今回の依頼も、ヒロインメインの漫画で、エロ系のを描いて欲しいという依頼だった。
けど、俺は別に自分の作ったキャラクターを辱めたい願望はない。やってみようかとも思ったけど、なんだか世界観を壊すような気がして、断ってしまった。
それを時に説明しようかとも思ったが、やめておいた方がよさそうなので、俺はただ痕の残った肩を手で擦った。
「なんなんだよ……、あー、いってぇ……」
「…………」
「おい、一言くらい謝れ」
人の肩にこんな紅葉つけといて棒立ちになってんじゃねえよ。けど、時は何かを考え込んでいるかのように動かなかった。
……まあ、別に一緒に帰ることを約束してるわけじゃないし。俺にはさの先輩から貰ったお菓子がある。
「俺、先に帰るから。じゃーな」
「誉」
「な、に……んぐっ」
むにゅ、と柔らかい感触が唇に当たった。慌てて時の胸を押し、唇を離した。
「お、お前っ、ここ大学だぞ ってか外、誰かに見られたら……っ!」
何すんだよ急に!
誰かに見られたら絶対誤解される! 幸い、近くに人はいないけど、大学構内から見られているかもしれない。キョロキョロと辺りを見渡す俺を無視して、時が続ける。
「誉さ」
「な、なんだよ」
「わかってないようだから言っておくけど、誉の漫画は、俺の方がわかっているし、俺の方が理解しているし、誉自身の事だって、俺が一番知ってるんだよ」
「…………?」
「それは覚えておけよ」
「お、おう……?」
急になんのマウントだよ。
いや、俺が依頼を受けた話をしたからか? 厄介ファンじゃねえか。
けれど、俺がおずおずと頷けば、時は満足したのかまたいつもの柔らかな笑みに戻っていた。さっきまでの剣呑な空気を消して、俺の肩を抱いてきた。
「よし、じゃあ帰ろっか」
「……俺は自分ちに帰るんだよ」
「今日は誉んちに集合? いいね」
「来るな!」
当たり前のように来ようとしている時に噛み付いた。
終わり