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    sima_kabe

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    sima_kabe

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    #創作BL
    creationOfBl

    天使の島「おい瀬尾、喜べ! 天使の島への取材が通ったぞ! 記者はお前指名でな!」

     先輩が喜々とした表情で俺のデスクに取材日のメモを置いたとき、俺はきっと、何が何でも、その場で断るべきだったのだ。

    *****

     波の音が聞こえる。

     海猫の鳴き声が上空から聞こえ、近くを歩く猫は魚を咥えていた。潮風が頬を撫でる。磯の香りが鼻孔を擽り、水平線の彼方に見える空は、どんよりと暗い海と混じっていた。
     まるでこれからの取材を憂鬱に思う俺の気持ちを反映しているようだ。けれど、この仕事を断る選択肢などない俺は、そわそわしながら迎えを待つ。
     船着き所にはすでにいくつかの船が並んでいるが、俺が乗る船はまだ来ていないようだ。
     本当なら先輩が一緒に来てくれるはずだったのに、取材を取り付けた当の本人は、体調不良だというのだからやるせない。
     ため息を吐きながら佇んでいると、凜とした男の声がした。

    「――すみません、瀬尾さんですか?」
    「……あ」
    「こんにちは、久保さんに頼まれていた者です」

     振り返ると、綺麗な顔をした男が立っていた。
     切れ長の瞳に、透き通るような白い肌。澄んだ紫陽花が映える夏のような男だった。
     瞳は光の加減によって不思議な光彩を放っているように見える。日本人ではあるが、どこか異国めいた顔立ちというか、髪の毛は地毛なのか黒というよりも茶色に近い。やや中性的な面立ちで、薄いグレーのスーツを着こなしながら、姿勢良く佇んでいた。
     俺は思わず猫背気味の背中をしゃんと伸ばし、礼をする。

    「は、はい。あの、私、豊栄出版の瀬尾(せお)と申します。この度は天使の島に関する取材を受け付けて下さって、ありがとうございます」

     ぺこぺこと頭を下げながら名刺を取り出すと、男は俺の名刺を受け取り笑顔を見せた。

    「ありがとうございます。私、島への案内人、鳥畑(とばた)と申します。これから瀬尾さんを島までご案内させていただきますので、よろしくお願い致します」

     そう言って、彼は恭しく頭を下げた。
     彼から受け取った名刺には、聞いたことのない会社名と、専門アドバイザーという肩書きが綴ってある。そしてその中央には鳥畑 治と記してある。俺が知らない会社の、専門アドバイザーなんだろう。
     そもそも俺は、彼について何も知らないのだ。
     俺は彼の名刺をケースにしまいながらまず話さなくてはならない事を告げた。

    「ありがとうございます。……あの、始めに申し訳ございません、元々取材の件で話していた久保ですが、その……、体調不良で少々遅れておりまして……、後から来るとは思うのですが」
    「ああ、それは……いえ、では後でまた別の迎えの者を寄越しますので、お気になさらず。お体が大事ですから」
    「ほ、本当に申し訳ございません!」
    「いいんですよ。それより、船の準備が済んでますので、こちらへどうぞ。滑らないように気をつけて」

     社会人として約束を取り付けた人間がいないというのはどうなのかとも思ったが、彼は特に気にしていないようだった。妙な焦燥感が襲ってくるが、今更後戻りもできない。鳥畑さんに案内され、俺は彼の後ろをついていく。
     波の音と、海猫の鳴き声に包まれながら、喉の奥からせり上がってくる苦味を呑み込んで、案内された船に乗りこんだ。
     船は俺が思っていたよりも小型のクルーザーで、他にも乗組員や別の客が居るのかと思ったが、乗ったのは俺と鳥畑さんだけだった。
     船乗りもやたら無愛想な運転する中年男の一人だけ。
     ……こんな船で、到底あの島に(・・・)に行けるとは思えないけど……。しかし、俺は文句を言えるような立場にはない。
     船の中に乗り込むと、大きな揺れに思わず倒れそうになる。

    「わっ……」
    「おっと、大丈夫ですか?」
    「あ、ハハ……申し訳ない、あまり船に慣れていなくて」

     倒れそうになった俺の腰をつかみ、鳥畑さんが笑う。初対面の人に醜態を晒してしまった気まずさと、気恥ずかしさから俺は羞恥を隠すように鳥畑さんへと頭を下げ、船の中に入った。
     船内は意外と広く、俺はそわそわしながら辺りを見渡した。

    「瀬尾さん、荷物はその鞄だけでよろしいですか?」
    「え? あ、はい。あまり大荷物は運べないと伺ってましたので……」

     先輩から、荷物は必要最低限にしろと言われていたので、俺は本当に最低限の着替えとカメラと取材道具しか持ってきていない。けど、この船に乗せるのなら、もっと持ってきてもよかったかもしれない。
     俺が鞄を見せると、鳥畑さんも笑みを浮かべた。

    「承知しました。その鞄ですね」
    「? はい。あの、多かったですか?」
    「いえ、大丈夫ですよ」
    「はあ……そうですか」
    「それでは、出発の指示を出してきますので、少々お待ちください」
    「あ、はい……」

     にこにこと笑みを浮かべながらも、胃はキリキリと痛む。
     ……ああ、嫌だなあ、これから全く知らない人と知らない島に行くとか、正直疲れる。
     そもそも俺の仕事は書くことであって、取材向きの性格じゃない。取材の仕事もしているけど、喋りはうまくないし、いつもドジを踏む。けど、小さな出版社のうちでは、どちらもこなさないと白い目で見られるから、文句も言えなかった。
     しかも、仕事の出来ない俺に指名で来た珍しく大口の仕事。これを放棄して帰れば、編集長や先輩に何を言われるかわかったものじゃない。
     絶対に成功するような記事を書かないと、もう後がないのだ。
     それからややあって、船がゆっくりと進み出す。波をかき分け、船着き場から徐々に離れていった。
     そもそも、どうして俺指名だったんだろう。しかも、こんな小さな出版社の……。きょろきょろと船内を見渡していると、船主の男と話していた鳥畑さんが戻ってきた。

    「何か心配事でも?」

     問いかけられ、俺はどぎまぎしながら応えた。

    「あ、いえ……、えーっと……、あ、先輩、……久保から、この取材は俺指名だったと聞いて、どうして俺指名だったのかな、と……」

     話の種はいくつか用意はしておいたけど、まず聞いてみたかった事項を訊ねてみる。
     元々俺は、売れないフリーのライターだった。
     思い切って脱サラし、フリーランスに転職してみたはいいものの、全く売れず、結局今の出版社に拾って貰った。記事を書くことを仕事として入ったのに、実際は編集や取材の仕事の方が多い。
     出版社自体も大きくはなく、出すものも芸能ゴシップや怪しい記事ばかり。
     そんな中、無名の俺指名で、天使の島への取材アポがとれた。こんな小さな出版社の、有名でもない、無名のライターにあの天使の島への招待状。
     不思議に思わない方がおかしい。
     鳥畑さんはクスクスと笑いながら言った。

    「気になりますか?」
    「え、ええ……そりゃ」
    「秘密です」
    「えっ」
    「というのは冗談で」
    「あ、ハハ……やだなあ、もう」

     この鳥畑治という男はどうにも食えない一面がある。
     俺は人と話すのはあまり得意ではないけれど、観察眼がない訳じゃない。あの出版社で働いていると、色んな人に会うので、どういう人間か見ただけでなんとなく検討はついたりする。
     けれど、鳥畑さんに関しては、初対面の印象は中性的な優男だったが、人を食ったような、飄々とした側面があり、何を考えているのかいまいちわからない。
     俺が愛想笑いをすると、鳥畑さんは言った。

    「瀬尾さんは私をご存じないかもしれませんが、私は瀬尾さんのことを存じているんです」
    「それは……、すみません、どこかで会った事が……?」
    「瀬尾さんが書いた記事をいくつか読ませて頂きました。純粋にファンなんですよ、瀬尾さんの。雄大な自然や美しい景色を繊細に表現される方でしたので、こんな方だったら島の取材をお任せしたいなと思いまして……」
    「あ……」

     フリーのライターだった頃、雑誌の片隅にコラムをいくつか書かせて貰った事がある。
     しかし、政治批判記事や下世話なゴシップ記事の中、自然を切り取っただけの俺のコラムは評判が悪く、人気は低迷しすぐに打ち切りになってしまった。
     俺は元々対人よりも対自然の方が取材も記事も好きだったし、書くのも楽しかった。読んでくれる人なんていないとばかり思っていたけど、こうやって読んでくれていた人が居たのか。

    「あ、ありがとうございます」

     褒められたことは素直に嬉しく、俺は少しだけ顔を熱くする。今まで、誰かに褒められることもあまりなかったから。
     俺の顔を見つめながら、鳥畑さんは続ける。

    「あとは……そうですね、久保さんから、瀬尾さんが鳥を飼っていると聞いたので、それが理由でしょうか。島民は皆鳥が好きなので、鳥好きな人に悪い人はいない、ということで」
    「はは、そうなんですか……、あ、ただ、俺は鳥は飼っているわけじゃなくて」

     数ヶ月前、鳥を助けた事がある。
     助けたと言っても、地面に落ちて車に轢かれそうな鳥を動物病院に連れて行って、少しの期間保護しただけだ。野鳥は法律上飼えないし、怪我が治ったら帰そうと思っていたのだ。けど、いつの間にか居なくなっていた。
     その事を話すと、鳥畑は楽しそうに笑った。

    「同じですよ。鳥を助けるなんて、優しい方なんですね、瀬尾さんは。本当に素晴らしいです」
    「…………いえ……そんな……その」
    「そんな瀬尾さんだからこそ、島を案内したいと思ったんです。島に行きたいという方は沢山いらっしゃいますが、私は瀬尾さんを連れて行きたいと思ったんです」

     その時、一瞬少しの違和感を感じたものの、俺はその違和感が何わからず、流してしまった。
     正直に言うと、俺は仕事が出来ない。仕事が出来ないというのは、やろうとしてもうまくいかないということだ。
     やる気はあっても、それに自分の実力がついていかない。
     編集も、取材も、パソコンも事務作業も営業も得意と呼べる分野がなく、唯一の取り柄とも呼べるライター業も俺の書くものは大した人気もなかった。先輩に拾って貰えなかったら、今頃路頭に迷っていたかもしれない。
     そんな俺だから、素直に人から褒められる事がないので、思わず閉口すると、鳥畑は何を考えているか解らない笑みを浮かべながら俺を見つめてくる。俺はその笑みにどう応えれば良いか解らず、ただ引き攣った笑みを浮かべてしまった。

    「あ……はは……ありがとうございます」

     駄目だ。顔が赤くなる。
     そもそもライターという割に、俺は人への取材がめっぽう苦手だった。対人関係は昔から苦手だ。子供の頃から口下手で、思うように言葉を伝えられない。
     文章ならうまく伝えられるかと思ってライターの道を選んだが、俺の文章は誰の胸にも響かなかった。そうなると、喋ることだってもっと苦手になる。
     取材は基本は二人一組で、普段は先輩がうまく取りなしてくれるが、今日は俺一人。
     しっかりしないと。照れくささから熱くなる頬を引き締めるように口を結び、俺は再び鳥畑さんへ目線を向けた。

    「あの、鳥畑さんは本当にあの天使の島の住人なんですか?」
    「…………ああ、島外だと天使の島、って呼ばれているんですっけ、あの島は」

     天使の島、というのは正式な名称ではない。
     そもそも、その島が本当に実在するかどうかすらわからない。都市伝説のようなものだった。
     誰もが知ってはいるけれど、実在するかどうかはわからない都市伝説と化した島。それが天使の島だった。
     天使の島には天使が住んでいて、島に訪れた者を楽園へと誘ってくれる。その文言だけ見れば、まるで死語の世界の話のように思えるがそうじゃない。実際に、羽根の生えた天使が居るのだ。見たという人も何人かいる。
     けれどその島には、天使に案内されなければ入れない場所にある。そんな噂。
     おとぎ話のような話だけれど、実際に天使の島に行って帰ってこない人の逸話はいくつかあった。
     いつの間にか置き手紙だけが置かれていて、定期的に手紙が送られてくる。島は素晴らしいところだと書かれている。なんて、そんな話。ホラーにも思える逸話だが、正直俺は島の存在なんて信じてはいなかった。
     オカルトもホラーも興味はない。自然物や風景を撮って文章にするのが好きだった。
     だから、これから鳥畑さんが案内してくれる場所が天使の島とは全く関係のない場所で、ただの笑い話になってもそれでよかった。むしろ、そっちの方がいいとすら思っていた。
     先輩には悪いが、どうせ嘘だろうと思っているから。
     案内してくれるこの人にも悪いが、今までも何度かあったのだ。自称天使島へ住む人からの突撃アポ。
     だからこそ、取材を二人一組で行っていたというのもある。
     怪しいとは思ったけど、この仕事は危ないことが付きもので、特にあの出版社は噂の元がとんでもないところでも平気で取材にいけという会社だ。
     普段仕事が出来ない分、俺は今度こそ成功させなければいけなかった。とにかく、記事になりさえすればいいのだ。

    「……あの、島に着く前に少しだけ鳥畑さんへインタビューをお願いしても良いですか?」
    「ええ、構いませんよ」

     潮風に髪を靡かせながら頷く鳥畑さんは、確かに美しい男だった。
     けれど、背中に羽根なんて生えていないし、天使なんて実在しない。俺は胸ポケットから手帳を取りだして、ボイスレコーダーをセットし、聞こうと思っていた項目を開く。
     カメラは、……あとで何枚か撮らせてもらおう。いつの間にか天気が少し晴れてきている。彼の姿は、空と混じり合うこの水平線によく映える。

    「えーっと……さっき外で、と仰いましたが、住んでいる方は島を別の名前で呼ぶんですか?」
    「別の名前……というより、故郷、と呼びますね。確かに、確固たる名称はないのかもしれません。あの島に住む者は皆、島の事をここ、とかこの島、と呼びますから」
    「天使の島は地図には存在しない島、という風に言われていますが、本当ですか?」
    「いえ、地図には存在しますよ。ただ、辿り着くのが難しいというだけで」

     辿り着くのが難しい。どういう意味だろう。
     見つかりづらい場所にでもあるんだろうか。

    「……その場所に、今私たちは向かっているということですよね?」
    「ええ」

     にこにこと、感情の読めない笑顔を浮かべながら鳥畑さんは丁寧に答えてくれる。そこが逆に不気味にも思えた。けれど、今更引き返すことも出来ず、俺は手帳の質問項目を進めていく。

    「島に天使が居るというのは本当なんですか?」
    「あははっ、そうですね……それはこれから確かめたらいいと思いますよ。島につけばわかると思いますから」
    「………………。そうですね、野暮な事を聞きました。では、鳥畑さんについていくつかお伺いしても良いですか?」
    「構いませんよ」

     これだけ綺麗な顔立ちなら、全く何もない島に連れて行かれたとしても、彼を写真にして載せるだけで記事になるかもしれない。そういう邪な考えを抱きながら、彼の生い立ちを訊ねる。

    「鳥畑さんはおいくつですか?」
    「今年で二十六になります。瀬尾さんは?」
    「……同じです」
    「ああ、同い年でしたか。なんだか親近感が沸きますね。ご結婚は? お付き合いされている方はいらっしゃいます?」
    「いえ、まだ独り身でこの仕事をしていると中々時間が……って、あの、なんだかこっちの話になってません?」
    「おっと失礼」

     ふふ、と笑う鳥畑さんを恨めしく睨み、一度咳払いをして、仕切り直す。

    「……ちなみに、鳥畑さんはご結婚はされているんですか?」
    「いいえ。でも、近々する予定ですよ」
    「! それは、おめでとうございます」
    「ありがとうございます」

     これだけ綺麗な男なら、相手の女性もさぞ美しいんだろうな、と少しだけ羨ましく思う。

    「鳥畑さんは、昔からずっと島に住んでらっしゃるんですか?」
    「いえ、私はあくまで案内人ですから。生まれは島ですが、主に外で暮らしていますよ。島と外を繋ぐ役割といいますか、島の外に行きたい者の相談に乗ったりとか」
    「へえ……そういうアドバイザー的な方は他にもいらっしゃるんですか?」
    「ええ。私以外にも何人か。島から出ず、生涯島で暮らす者も勿論おりますが」
    「なるほど、では、物流とかはどうなっているんですか? 就職とか」
    「う~ん、ある程度は島内で完結するんですよ。ほぼ自給自足ですから。本当に必要なのは……まあ、これ以上は島に着いたらご説明します」
    「? わかりました、ありがとうございます」
    「もういいんですか?」
    「はい。鳥畑さんの仰る通り、あとは島についてからお伺いすることにします」

     実際、質問事項といっても、島に行って住民と会ってから聞く話ばかりだった。
     それも、島が天使の島じゃなかった時に聞く項目ばっかりで、今聞くにもそれが本当かどうかなんて確かめる術がない。
     すると、鳥畑さんが俺に尋ねてくる。

    「では、俺の方からお伺いしてもよろしいでしょうか」
    「? はい……」

     一人称が変わった。もしかしたら、普段は自分のことを俺と言っているのかもしれない。俺が頷くと、鳥畑さんは不思議な光彩を放つ瞳をすっと細め、問いかけてくる。

    「瀬尾さん、鳥は好きですか?」
    「えっ?」
    「鳥です、鳥」
    「あ、ああ……。そうですね、動物は好きですよ……」

     何を聞かれるのかと思えば、また鳥か。そういえば、住人は鳥が好きなんだっけ。天使の島だから、羽根関連なのかな。俺が応えると、鳥畑さんは首を振る。

    「いえ、違います。動物ではなくて、鳥が好きかどうか聞いたんです」
    「……え、あ、申し訳ない。好きですよ、鳥。子供の頃飼ってたこともあるので……!」
    「そうですか、それはそれは、……本当によかった」
    「…………っ?」

     俺の答えに、鳥畑さんは満足そうに微笑む。にぃ、と笑うその笑顔が、少しだけ不気味に思えた。
     実際、子供の頃、鳥を飼っていたことがある。綺麗な鳥だったけれど、誤って窓から逃がしてしまったんだっけ。いや、わざと逃がしたのか……。昔のことだから、よくは覚えていないけど、少しの間一緒に居たことは覚えていた。

    「住人は、全員鳥が好きなので、嫌いと言われたらどうしようかと思いました」
    「そんなに好きなんですか?」
    「ええ、嫌いな人はいませんよ」
    「へぇ……」

     なんだか妙な雰囲気になったのを感じた俺は、空気を変えるべく鞄からカメラを取り出し、静止画モードへと切り替えた。

    「あのー、鳥畑さん、写真を何枚か撮らせて頂いてもいいでしょうか?」
    「私を? いいですけど、私なんて撮っても」
    「あ、勿論、到着したら島も撮らせて頂きたいですが……その」
    「?」
    「鳥畑さんがすごく綺麗な方なので……駄目でしょうか?」

     俺の事実過ぎる下手なお世辞を鳥畑さんがどう思ったのかはわからないが、鳥畑さんはにこりと微笑み頷いた。

    「ふふふ、瀬尾さんはお上手ですね。いいですよ、好きなだけ撮って下さい」

     そう言って、海をバックに両手を広げる鳥畑さんは、お世辞なんて抜きにしても美しい男だった。

    *****

     それから、波とエンジン音を響かせながらしばらく船は進んだが相変わらず島は見えない。
     それどころか、空はどんどん暗くなり、先が霧がかっているようだった。白い靄と、妙に不気味な雰囲気から気を紛らわせるように、俺はしばらく鳥畑さんと世間話に興じた。
     取材とはあまり関係のない身の上話や、趣味の話をしていると、鳥畑さんは案外話しやすい人だと言うことがわかった。だからだろうか、人見知りの俺でも少し仲良くなれたのかもしれない。そんな矢先、突然船が止まった。
     衝撃に、体が揺れる。

    「っ! な、なんだ……」
    「ああ、もうこんな時間ですか」
    「……あの、鳥畑さん、これは……?」

     船の外を見てみると、まだ島にはついていない。辺りは霧に包まれていて見えづらいが、周りは海が続いている。
     何かのトラブルだろうか。立ち上がる鳥畑さんに恐る恐る問いかける。

    「トラブルですか……?」
    「すみません瀬尾さん、船で島へ進めるのはここまでが限界なんです」
    「……? ……え……? あの、それは、どういう……」

     なんだ、突然どういう意味だ?
     まさか、全て嘘でこのまま海に沈められるとかはないよな。俺を沈める目的がないもんな。特別なものは何も持っていないし、貯蓄だって少ないし。じゃあ、一体どういう意味なんだ?
     一人慌てふためいていると、突然鳥畑さんが着ていたスーツを脱ぎだした。スーツのジャケットを脱ぎ、綺麗に折りたたむ。その奇行に、俺は目を丸くした。

    「えっ、えっ?」
    「すみません、上着を持っていていただけますか?」
    「あっ、ハイ……」

     何が起こっているのかわからず、俺は言われた通りに鳥畑さんのスーツを受け取った。
     それから、鳥畑さんは近くにあった俺のカメラや取材道具を詰め込んだ鞄を俺に手渡し、甲板へと歩いて行く。船はすでに元の方角へと方向転換するよう動いており、今すぐにでも戻ってしまいそうだ。

    「……あの……? 何か予定が狂ったり……」
    「いえ、予定通りです。それでは瀬尾さん、失礼しますね」
    「え? うぉっ……」

     次の瞬間、俺がされたことは、お姫様抱っこだった。鳥畑さんの手が俺の腰と太腿を支え、抱き上げる。取材道具も持っているし、成人男性一人分の重さだ。軽くはないだろうに、そんな俺を易々と持ち上げた。……実は鍛えているのか?
     混乱する俺を余所に、抱きかかえられ、重さのバランスが崩れたのか、船が傾く。
     なんの冗談かと思って口を開こうとした次の瞬間、俺は空いた口が塞がらなくなった。

    「では、飛びますので、しっかり掴まっていて下さい」
    「え」

     飛ぶ?
     次の瞬間、俺の視界いっぱいに広がったのは、大きな羽だった。綺麗な白い翼が、大きく視界にはためき、淀んだ空も見えなくなった。
     俺は、一瞬自分の目を疑った。
     なんだこれ? は、羽……? 俺は、夢でも見ているのか?
     鳥畑さんの背中からは、鳥畑さんの体よりも大きな羽が生えていて、一体どういうことかと問いかける前に、翼は大きくはためき、俺の体を抱えたまま、鳥畑さんの体が宙に浮いた。

    「は? う、ゎああああああああああ……」
    「ああ、暴れないで。落ちないようにしっかり掴んでいてくださいね。おっと、羽には触らないでください」
    「ひ、ひぃっ……!」

     翼のはためく音がして、俺たちはあっという間に船の上空へ飛び立ち、船から離れていく。
     目線を下方へ向けると、俺たちを乗せていた船は、波痕を残しながらすでに逆の方向へ離れていくのが見えた。
     高い場所に来ているのが恐ろしくて、俺は言われた通り鳥畑さんへしがみついた。成人したいい大人の男が抱きついてしまって申し訳ないが、これは不可抗力だと思う。もう下を見ないようにして、鳥畑さんの肩へ顔を埋める。
     待ってくれ、怖い怖い怖い!
     なんだこれは。っていうか、羽? ドッキリ もしかして、天使……
     ただの噂でしかない都市伝説が途端に真実味を帯びてきた。
     震える俺を憐れんだのか、鳥畑さんが風を切る羽音に混じらせ耳元で囁く。

    「島の周りは大きな渦が巻いていて、船だとあれ以上近づけないんですよ。呑み込まれてしまいますので」
    「……そ、ですか……っ」
    「ええ、だから案内人である俺が、こうして抱えて島までお送りするんです。沢山の荷物は持っていけませんが、こう見えて力はあるので、ある程度の重みなら耐えられますから」
    「あ、あの……!」

     まるで世間話のようにのほほんと話す鳥畑さんに、俺は震える声で問いかけた。
     いつの間にか濃い霧の広がる地帯へ入っていたらしく、周りが白い靄で覆われる。鳥畑さんの羽がはためき、霧をかき消しているようにも見えるが、あまりにも霧が多すぎて、先が見えない。
     ごうごうと鳴る風の音に負けぬよう、なるべく大きな声で問いかける。

    「なんですか?」
    「……鳥畑さんは、その、天使なんでしょうか……!」

     俺の問いかけに、鳥畑さんは一瞬きょとんと目を丸くした後、くすくすと笑った。
     俺としては、至極真面目な質問のつもりだった。そもそも、天使の島と呼ばれるくらいだ。案内人である鳥畑さんが天使であることは、当たり前の事実だ。
     けれど、俺の問いかけに鳥畑さんは意外にも首を振った。

    「いえいえ、違いますよ。天使なんて居るわけないでしょう」
    「え、でも、その翼は……?」
    「鳥ですよ」
    「鳥?」
    「はい、これは天使の羽じゃなくて、鳥の羽です。瀬尾さん、この辺りからスピードを上げますから、落ちないようにしてくださいね。落ちたら本当に天国に行って、本物の天使と会ってしまいますから」

     冗談か本気かわからない言葉を吐きながら、鳥畑さんがスピードを上げる。ばさばさと風を切る音が響き、俺は再び彼にしがみつく。
     耳にはもう鳥畑さんの声よりも風の音ばかりが響いていた。
     それから段々、高度が下がっていく。俺はもう何がなんだかわからなかったが、少なくとも、ここで死にたくはないと思った。
     このまま落下すればどう考えても死ぬ。
     鳥畑さんの体に抱きつきながら、一刻も早くこの時間が過ぎる事を願った。

    *****

    「…………さん、瀬尾さん……!」

     どのくらい固く目を瞑っていただろう。いつの間にか風の音は止み、誰かが俺の名前を呼んでいた。

    「島に着きましたよ」
    「…………う……」
    「ほら、目を開けて。大丈夫ですから」
    「…………っ……」

     その声に誘導されるように目を開くと、チカチカとした太陽の光が目に刺さった。

    「っ……!」

     眩しい。反射的にそう感じて目の前に手のひらを持ってくると、細めた目の先で、鳥畑さんが笑った。

    「大丈夫ですか?」

     日に当たった細い髪の毛が、キラキラと輝いて見えた。

    「………………綺麗だ…………」
    「え?」
    「……あっ、いや」

     気付けば俺は、そう呟いていた。呟かずには居られなかった。
     視界の先に居たのは鳥畑さんだけじゃない、多分この島の住人なんだろう。皆例外なく背中に羽を付けていた。男性も女性も子供も様々だけど、俺には全員天使に見える。
     皆、心配そうに俺を覗き込んでいた。
     ここに来るまであんなにも翳っていた天気が、今は嘘のように綺麗に晴れている。どうなっているんだろう。

    「す、すみません、なんでも」
    「ふふ、驚かれました? 不思議なんですけど、島の中に入ると、天候が変わるんです」
    「そうなんですか……」

     視界の端で、見たこともない鳥が羽ばたいた。よく見たら、鳥が多いな。
     光と長閑な空気の中、太陽を背に微笑む天使達を前に、美しいという感想が出ない方がおかしい。それに、この景色。
     風が頬を撫で、透き通るような空の青に、羽ばたく鳥たちが見えた。頭上を、天使が飛んでいる。
     一瞬、俺は自分が死んでしまって、お迎えが来ているのかと勘違いしそうになったくらいだ。

    「う……」

     ここに来るまでに、情けないことに気絶していたらしい。
     腕に力を込めて立ち上がると、一瞬目眩はした。けれど、すぐに持ち直した。俺の体を支えながら、鳥畑さんが笑う。

    「大丈夫ですか?」
    「ええ、すみません……ご迷惑を」
    「いえいえ、初めての方は皆なるのでお気になさらず。立てそうですか?」
    「あ、はい……」

     俺が頷くと、周りの人達はほっとしたように微笑む。

    「よかった! 記者さん元気になったの?」
    「…………え……?」

     近くにいた可愛らしい女の子が微笑んだ。彼女の背中には、空色の翼が生えていた。純白ではないが、それでも美しい色だった。
     綺麗だ。
     写真、撮りたいな。カメラにこの島と、人々を収めて、それを記事に書きたい。どうすれば、この美しさが伝わるだろう。
     ぼんやりとした頭で考えていると、女の子が俺に水を差しだしてきた。

    「お水どーぞっ」
    「あ、ああ……心配してくれたの? ありがとう」
    「ううんっ、記者さん、あとで外の話教えてね!」

     にこっ、と愛らしく微笑む姿は、まさに天使そのものだった。この島が、天使の島と呼ばれる理由を理解できた気がする。これは確かに、天使の島だ。天使が住む島。
     それと同時に、不安になる。
     だって、まさか本当に存在するとは思っていなかったからだ。

    「瀬尾さん、それでは今日泊まる所に案内しますね」
    「あっ、俺あまり宿泊道具の用意がなくて……、こ、コンビニとか」

     言いながらバカかと自分を叱咤した。
     こんな地図から隠れた都市伝説の離島に、コンビニがあるはずないのに。

    「ありますよ」
    「えっ、あるんですか?」
    「ええ。趣味で経営している店があるので。流石に二十四時間はやっていませんけど、この時間なら空いてます。それに、ある程度は用意がありますから」
    「……そうなんですね」

     この島の管理体制とか物流とか、どうなってるんだ? 船では運べないだろうし……。
     一つ気になると、全ての事が気になってくる。話を聞きたい、と初めて心から思った。取材したいと心から思ったのは初めてだ。
     いや、けどその前に許可してくれた人に挨拶とかした方がいいんだろうか。この島の場合誰になるんだろう。島主? いるのか?
     未知なる事が多すぎる。

    「色々聞きたくて溜まらないという顔をしていますね」

     俺の顔を見て、鳥畑さんが笑う。俺はぎくりと体を強ばらせ、冷や汗をかきながら笑みを浮かべた。

    「すみません、色々と、その……処理できないものが多すぎて……」

     本当に、存在するだなんて、思っていなかった。
     存在するか解らない都市伝説、天使の島を取材したことは今までもいくつかあったけれど、そのどれもがくだらないデマだった。だから、今回もそうだと思っていたのだ。
     俺がぺこぺこと頭を下げると、鳥畑さんは柔らかな笑みを見せながら、背中に生えていた綺麗な羽を消した。

    「っ……」
    「いいんですよ。少しずつお教えいたしますから」
    「あの、今羽消しました? 一体どうやって……」
    「まあまあ、取材はお受けしますから、まずは宿に行きましょう」
    「あ、はい……」
    「島民にも瀬尾さんのことはお話ししているので、取材の許可も頂いています。好きに話を聞いて頂いて構いませんよ。島の中の案内は私がしますから」
    「その、何から何まで、ありがとうございます」
    「いいえ」

     どうして、こんなに良くしてくれるんだろう。
     この島が本物なら、それが世間に公表されるということを、この人は理解しているんだろうか? それとも、何か別の思惑があるとか?
     聞きたいことは山ほどあったが、まずは空を飛ぶというあり得ない経験をして疲労が溜まっているのも確かだった。
     大人しく鳥羽さんの後ろをついていくことにした。

    *****

     泊まる宿というからには、民宿のような場所があるのかと思っていたが、意外なことに、案内されたのは鳥羽さんの自宅だった。

    「……あのー……」
    「すみません、この島、旅人がくるとか観光客が来るということはないので、宿がないんです。代わりに、私の家はいくつか部屋が余っているので、自由に使って下さい」

     そうは言われても、申し訳ないと思った。
     取材を受け入れて貰った挙げ句、部屋までお世話になるだなんて。先輩なんかは、記者たるもの好奇心旺盛で押していけ、とか言うけど、俺は性格的にどうしてもそうはなれなかった。

    「ありがとうございます……、あの、謝礼は」
    「いいんですよ、お金なんて」
    「そういう訳には」
    「じゃあ、夜は一緒に食事しましょう。島を見た感想とか、教えて頂けると嬉しいです」
    「………………」

     そんなことでいいのか、と思ったけれど、それ以上譲る雰囲気も見られなかったので、俺はこくりと頷いた。

    「後で島を見て回ってもいいですか?」
    「もちろんです。島民にはお話してありますので、取材があれば聞いても大丈夫ですよ」
    「……仲がいいんですね」
    「ええ、まあ。狭い島ですから」

     どうやって生活しているんだろう。

     鳥畑さんの許可を取って、俺は島の中を散策することにした。鳥畑さんの言っていた通り島自体はとても狭く、電気と水道が通っている事が不思議なくらいだ。 
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