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    *第3回楓可不ワンドロ・ワンライに投稿したものです
    *お題【夏服】【コーヒー】
    *楓が中1の初夏の話です

    楓可不『大人になるって、少し苦い』 日の出が早くなった。窓越しの日差しが強くなり、空の色が鮮やかになった。中庭の木に青々とした葉が茂るようになった。色づく時を待ちながら紫陽花の花が蕾を膨らませている。
     もうすぐ梅雨がやってくる。
     コンコン、と病室のドアが鳴る。看護師や医師のノックの音はもっと鋭いし、両親はもっと穏やかだ。ならば、この音は――
    「どうぞ!」
    「久しぶり、可不可!」
     可不可が返事をしたのとほとんど同時に勢いよくドアが開く。現れたのは予想通り、ここ数年よく遊びに来てくれる歳上の友人だ。温度も湿度も完璧に管理された病室の中からでも季節の移り変わりは見つけられることを教えてくれた人。
    「久しぶり。会いたかった」
    「あはは……試験期間だったんだ……。雪にぃから聞いてはいたけど、小学校とは違うね。内容も難しいし、範囲も広いし、ちゃんと勉強しないと歯が立たない」
    「そう、なんだ……教えてあげようか?」
    「うっ……可不可ならできそうだけどそれはちょっと」
     楓が気まずそうに目を泳がせる。ぱちりと視線が重なると無性に可笑しくなって、ふたりで顔を見合わせて笑った。
     学生鞄を下ろして、楓は丸椅子をベッドサイドに寄せる。真っ白な半袖のワイシャツから伸びる腕が僅かに日焼けしている。
    「それも制服?」
    「ん? ああ、そうそう。この前衣替えがあって夏服になったんだ」
     可不可にも見やすいように、今座ったばかりの椅子から立ち上がって、楓が腕を広げる。
     胸ポケットには楓が通っている中学の校章らしき刺繍。ネクタイはこの前まで着ていたブレザーの時と同じようだが、スラックスは少し薄手になっているようだ。
    「うん。似合ってる、かっこいいよ」
    「可不可にそう言われると調子に乗りそうになるよ」
     はにかんだ表情は出会った頃と変わらないのに、見上げた笑顔も座り直した楓の目線も可不可の記憶の中よりも高い。背が伸びたんだ。
     日焼けした腕は子どもらしい柔らかさをまだ僅かに残しながらも骨や筋が目立つようになった。頬も丸みが抜けた気がする。ほんの数週間会わなかっただけなのに。
    「……か、可不可?」
     ぐるぐると考えていた可不可の目の前に掌がかざされる。はっとして楓の顔を見る。目が合うと楓は安心したように頬を緩めた。
    「どうかした? 具合悪い?」
    「ううん、ちょっとぼんやりしちゃった」
    「じゃあそんな可不可に」
     じゃん! とおどけた効果音と共に差し出されたのは缶飲料だった。ミルクティー、と書いてあるが可不可は見たことがないものだ。受け取ると思っていたよりも冷たくはなく、浮き出た水滴が掌を濡らす。
    「可不可、最近ミルクティーがすきって言ってたでしょう? これは病院の自販機では見たことないなって思って」
    「わあ! ありがとう。飲んでいい?」
    「もちろん」
     楓が当たり前のように可不可の手から缶を抜き取り、プルタブを開ける。自分で開けられるよ、とはまだ言えないまま「はい」と戻された缶を受け取り口をつける。ひんやりと冷たいミルクティーの甘さが口いっぱいに広がったが、紅茶の味もしっかりと感じられた。
    「美味しい!」
    「よかった。気に入ったならまた買ってくるね」
     楓も自分の分の缶を開けた。全体的に黒っぽいその缶は、楓が持っているのを初めて見た気がする。
    「楓ちゃんは、何飲んでるの?」
    「ん? これ?」
     口をつけた缶を手の中で回し、可不可にも商品名が見えやすいように掲げてくれた。
    「コーヒー? 楓ちゃんコーヒー飲めたっけ?」
    「最近ね。試験勉強の眠気覚ましに飲んでみたら意外と美味しくて、よく飲むようになったかも」
    「そう、なんだ……」
     顔を合わせていなかったのは、ほんの週間のはずだ。そのほんの数週間が、大きくて遠くてうまく言葉を紡げなかった。
    「飲んでみていい?」
    「う~ん……甘くないよ?」
    「いいよ」
     じゃあどうぞ、と差し出された缶を受け取る。飲み口に鼻を寄せると、ほんのり香ばしい香りがした。口をつけ、おそるおそるその缶を呷る。
    「…………んぅ……」
     口に苦味が広がる。鼻を抜けるコーヒーの香りも、飲み込んでも口に残る苦さも、可不可は美味しいとは思えず、つい顔を顰めてしまった。
    「苦かった?」
     困ったように眉を下げた楓が可不可の顔を覗き込む。黙って頷いた可不可の手からコーヒーを抜き取り、先ほど飲んでいたミルクティーを可不可の手に戻した。ありがとう、と小さく返して一口煽ると舌に馴染んだ甘さが可不可を満たす。
    「俺も初めはびっくりしたんだ。ミルクコーヒーとかの方が飲みやすいかも。今度ミルクティーと一緒に買ってくるね」
     約束。そう言って楓が可不可の空いていた手を取り、小指を絡めた。繋いだ指先からは、かつて初めて手を引かれた日の柔らかさは失われていて、可不可より少し高い温度だけがあの頃のままだった。
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