楓可不『Just a little bit』 可不可のバースデー企画用の撮影はつつがなく終了した。パーティー風のセットで撮影をした時はオーダーメイドのスーツを用意していたが、今回は既製品を着用することになったらしい。可不可の「お気に入り」を散りばめたというドールボックス風の背景には、ファーストツアーのおもてなしライブの衣装や、前述のオーダーメイドスーツ以外にも可不可らしいアイテムが飾られていた。そのどれもが見覚えのあるもので、楓がお土産として贈ったブリキの魚や、可不可を病院から連れ出した時の「はじめてのたび」のカセットテープなど楓にとっても思い出深い品もあった。
――素敵だね。
セッティングを終えた背景と、その前に立つ可不可を見て素直に溢した楓に可不可は得意げに胸を張った。
――当然! どれも僕の宝物だからね!
「改めて見ると、この魚ってかなりインパクトがあるね」
「あはは! 確かに目を引くよね」
撮影を終えた可不可は仮でもらったデータのチェックをしたいから、と楓の部屋に来ていた。衣装やヘアメイクは撮影のそのままで、楽しげに笑う横顔がいつもより幼く見えた。
「ところで、本当にこんなに個人的なアイテムで良かったの? 何も知らない人が見てもわからないような気がしてきたんだけど……」
「テーマは『僕のお気に入り』だからね! それに、各アイテムの紹介もメディアでする予定だから問題ないよ」
「さすが、抜かりないね」
「カセットテープは少しだけ迷ったんだよね。僕だけの宝物にしておきたいような気持ちもあって……」
「そうなの?」
スタジオから持ち帰ってきたカセットテープは、今はサイドテーブルに置かれている。データチェックをしていた画面を落とした可不可はタブレットをサイドテーブルに置き、代わりにカセットテープを手に取った。
「うん。でも、やっぱり僕にとっての旅の原点だから。世界中の人に見てもらいたいと思ったんだ!」
「……そっか」
本当は楓ちゃんにも写真に写ってもらいたかったくらいだったんだけど、と言っていたのはさすがに冗談だと思うことにする。
手元に視線を落とした可不可が、日付もタイトルも掠れたラベルを指先でそっと辿る。その中に収められたあの日の想い出を懐かしむような指先に、楓もそっと指を重ねた。
「か、楓ちゃん……?」
可不可の視線はいつのまにかカセットから楓に向けられていた。普段は揺るぎない自信に満ちた金色が丸く見開かれている。下ろした前髪がかかったまん丸の瞳で見上げる表情は、やはりいつもよりもずっと幼く見える。なんとなく、前髪を掻き分けると、可不可がぴくりと肩を揺らす。じわり。頬がじんわりと赤く滲んで見えたのは気のせいだろうか。確かめるように頬に触れると、可不可はおろおろと視線を彷徨わせた。それがなんだか――
「僕、帰るね! バースデーイベントの準備もあるから!」
可不可が跳ねるように立ち上がった。楓と目を合わせずにタブレットを取って、そのまま振り返らずに扉へ向かう。お邪魔しました、と律儀に言い残した可不可が部屋を出て、扉が完全に閉まるまでほんの数十秒だった。
「あ、れ? 俺、今――」
宙に浮いたままの手の中にはまだ可不可の温もりが残っている。
「今、可不可のこと……?」
可不可に触れていたのと反対側の手の中でかさりと小さく音が鳴った。そこには、カセットテープが残されていた。飛び出した可不可が置いて行ってしまったようだ。
このカセットテープが可不可にとってそうであるように、楓にとってもあの旅は旅で誰かをもてなすということの原点だ。自分のお気に入りを集めるとしたら、楓もこのカセットを選ぶかもしれない。そんなことを考えながら、幼なじみに抱いてしまった感情がなんであったのかわからないまま、楓はカセットテープを慎重にテーブルに置いた。