11月9日1
こんな所ではぐれて、あいつはどうするつもりなんだ?
いや、あの鉄砲玉は何も考えていないのか?
店を飛び出した後ろ姿をすぐ追い掛けたのに、もう見えなくなったグエルを探してオルコットは裏路地に飛び込むと、水溜まりの横にへたり込んでうずくまる見慣れたシルエットが目に入った。
膝を抱えてうつむいて、鼻を啜る大きな子どもを見下ろしオルコットは
「おい、立てるか」
と声を掛けた。
「……あッ…あの…店のおばちゃん、さいしょ、愛想、よかったのに、俺が…その、スペーシアンだと…わかった、とたん、表情が、けわしくなって…」
嗚咽に何度か中断されながらも、子どもは懸命に何があって何を感じたのか伝えようとしていた。
「あ、…あんな、ひどいこと…、言う、なんて…」
グエルは自分のパーカーの袖で、涙と鼻水を雑に拭って、どうにか気持ちを立て直そうとしている。
「……あんたに、監禁、されてたとき、も、あんな小さな子どもすら、おれ、を、モップの柄でこずいて、きて…。さっきまで笑い合ってたひとが、俺が、スペーシアンだと、知ったとたん、敵意を、向けて、くる……。俺、どうすれば、いいんだ…」
オルコットは、グエルに聞こえないよう小さくため息を吐くと、
「あの店を選んだのは俺だし、目を離して反スペーシアンな店主とお前を会話させてしまったのは俺のミスだ」
「え」
オルコットは、しゃがんでグエルと目線を合わせて、ゆっくり話した。
「しかしまたこんなことは絶対起きるだろう。お前は軌道エレベーターまでの移動中、俺以外の人間とは一切接触しないという選択もできるが」
グエルは、驚いたように顔を上げる。
「お、俺、それはいやだ」
「そうしたくは、ないみたいだな」
本当に面白い御曹司だなこいつは。と、オルコットは思った。
スペーシアンの、さらに特権階級の貴種中の貴種で、産まれた時から他人にかしずかれ奉仕されるのがあたりまえな生活を送ってきたはずなのに、アーシアンに対する差別意識があまり感じられない。それどころか、誰であろうと他人を尊重しようとする意思がある。
ジェターク家の血か、帝王学のなせる技か。
(ひとが、好きな質なんだろうな。)
だからこそ、人懐っこくて性善説しか見えていない、現状認識が甘い所がある。
「グエル、ここいらの住民は、みんな身内や仲間をスペーシアンに殺されている」
「あ」
直前までにこにこしていたおばさんの表情が一変して、紙のように白くなったかと思ったら、包丁を握っていた手がぶるぶると震え出した瞬間が、グエルの脳裏に浮かんだ。
「お前自身は何もしていないつもりでも、お前の会社のモビルスーツや重火器で、罪も無い子どもや女や老人が、地球では毎日吹っ飛ばされているのが現実だ」
「わ、わかって」
いや、本当に理解していたのか?グエルは自分の血の気が引く音が聞こえたような気がした。
衣食住を満たされて学園に通え、整備された社の最新型のディランザやダリルバルデで満足のいく決闘をくり返せたのも、全部父と会社が謀略も含めたさまざまな手段で死体の山を築き、搾取してきたからではないのか。
「……彼らに誠実であろうとするなら、お前にしかできない事を、これから必死に考えるんだな」
まだ子どものグエルに、怒りをぶつける彼らが全面的に正しいとはさすがのオルコットも考えていないが、しかし、甘い考えで今後も旅を続けられれば、いつか必ずグエルに危害が及ぶのは明白だった。
無言になり考えて込んだグエルを見下ろして
「家族のために、行くんだろ?軌道エレベーターへ」
とオルコットが言うと、あの夜明けの時と同じ表情のままグエルは顔を上げ、
「行こう」
と言った。
2
穴が開いた靴下や軍手が片方だけとか、何の薬かわからない錠剤がワンシートどころかバラで。使いかけのシャンプーや食べかけの弁当がそのまま売られているような露天が、路上に所狭しと軒を連ねている。
オルコットは
「ここはうしろめたい犯罪者やお尋ね者しかいない。目が合うとと逆上されることもあるからあまりじろじろ顔を見ないようにしろ」
とグエルに言い、
「まあ俺もお尋ね者だがな」
と、笑えない冗談を真顔で言った。
地球ですらめずらしくなった野良犬に近付こうとしたグエルへ狂犬病の説明をして「絶対に触るな」と釘を刺し、きょろきょろしているグエルから目を離さないようにしながら必要物資を物色していると、思い出したくもない顔なじみの何でも屋がニヤニヤ笑いながらオルコットに近付いて来た。
「よぉ、生きてたか」
「ご挨拶だな」
「フォルドのMS班は全滅、と噂に聞いていたからな。元気そうだな」
無言のオルコットに、男は
「上玉じゃねえか。もしかして息子か?」
と、すこし離れた場所でおっかなびっくり野良犬を眺めているグエルを指差した。
「違う。アレはいま預かってるだけだ」
「へぇ。ずいぶん可愛がってるみたいじゃないか。もう手は付けたのか?」
ポーカーフェイスが売りのオルコットの表情が不快そうにゆがむのを男は見逃さず、腹のなかでほくそ笑んだ。
「…上玉だから、高く売り飛ばすため粗末にしていないだけだ」
「売りモノなら買いたいな。幾らだ、教えろよ」
オルコットのこめかみへ微かに青筋が立つのが見えて、男はおやおや面白くなってきたなと舌舐めずりした。
「…お前が?高価いぞ」
「値段くらい教えろよ水臭い。交渉の余地も無しかよ」
「お前が買えない金額ってだけだ」
「おいおい、めずらしく執着してるな?そんなに名器なのか?まだガキだけど泣き黒子が色っぽいな。
ちょっとくらい味見させても…うわ!」
機械音と共に視界が急に高くなり、男は自分がオルコットの左腕に胸ぐらを掴まれて宙吊りになっているのに気が付き、腰を抜かした。
騒がしくなった露天をグエルが振り返ると、大股で駆け寄ってきたオルコットに腕をつかまれ、オルコットは
「お前に合うサイズの靴は無かった」
とだけ言うと、振り向きもせず歩き出した。
3
「さっきの店でさ」
町外れに向かって歩くオルコットの背中に、グエルは話しかけた。
軌道エレベーターへの旅にもだいぶ慣れて、無口なオルコットにグエルが一方的に話すことが多かったが、お互いその会話を楽しんでいた。
「お皿下げにきたおねえさんから『あのひと本当にお父さんなの?どういう関係なの?大丈夫?』って聞かれたんだよ」
わざわさあんたが席外した隙にだよ。と、グエルは楽しそうに笑った。
オルコットは軽く眉を顰め
「…お前は何と答えたんだ?」
と聞いた。
「俺さ、『あのひとは父ではないですが俺の大切なひとです。困ってる俺を家へ送ってくれている所なんです』って、言ったんだ」
「は」
「嘘じゃないだろ?」
くすくす笑いながらグエルは、オルコットの右腕に自分の両腕をからめてしがみついた。
「おねえさん、あんまり納得してないみたいでさ、『何か嫌なことされそうになったらウチの店に逃げてきていいからね』って、ほら」
グエルがポケットから紙切れを取り出すと、そこには電話番号らしい走り書きの数字の羅列が見えた。
「アーシアンのひとって、優しいな」
グエルは一瞬、寂しそうな表情を浮かべ、その紙片を綺麗に小さく折り畳むと、大切そうにまたポケットへ仕舞った。
「ね、…恋人だ、って言った方がよかった?」
なにも答えず足を速めたオルコットに
「余計マズイか」
とグエルは笑いかけると
「ベッドで寝るの、久しぶりだな!楽しみ!」
そして小声で
「今夜は、いっぱいしような」
と、オルコットの耳元に囁いた。