年明けまで つけっぱなしのテレビから年末の特別番組が流れていて、芸能人の笑い声が部屋に響く。真剣に見ている訳でなく、ただのBGMと化してるそれは、同棲している二人にとっては日常茶飯事の事である。
ここ数日で一年の部屋の汚れも大掃除で綺麗さっぱりと落とし、正月飾りも出した。あとは年が明けるのを待つのみとなった。
外では粉雪が僅かに降っており、窓からそれを眺めながらちびちびと酒を飲み進める隠し刀と、同じく酒を飲みながら本を読み耽っている福沢諭吉は、半纏を着て炬燵でぬくぬくと暖を取っている。
突如、隠し刀が腰を上げ、テーブル越しに福沢へ近付いてきた。本に影が落ちて読みにくくなったが、すぐ退くだろうと気にせず文字を追う。しかし全く動く気配が無く、流石に変に思った福沢は顔を上げると、そのまま動かないでくれ、と言われ、訳も分からぬまま固まった。
恋人を目だけで追うと、どうやら視線が自分の頭付近に集中しており、時折、きちんとセットした髪に何かが置かれる。さしずめ、テーブルの上にあるみかんだろう。菓子盆を見ると用意した数より一つ減っている。
「……何やっているんですか」
「もう年内にやるべき事はやったし、後は年が明けるのを待つだけだからな」
「要は、暇なんですね」
「……ふふ、鏡餅みたいだな」
あまり酒の強くない隠し刀は色上戸で、顔を真っ赤に染めている。その会話は噛み合っていないが、鏡餅と言っているのでやはりみかんを乗せているようだ。安定した位置に置けたようでご満悦である。
酔っ払って子供みたいな遊びをしている恋人が楽しそうで、読書の休憩がてら少し付き合ってあげる事にした福沢は、
「……僕が鏡餅なら、あなたは何でしょうね」
先程と同じようにまともに会話のキャッチボールが出来ないだろうと、高を括って意味の無い雑な返事をしてみる。
「…………杵…だろうか」
すると、投げたボールがしっかり返ってきた、と思ったのも束の間、杵と言ったか。
杵といえば、臼と共にもち米を何度も搗いて餅にする道具だ。餅を搗く、即ち餅の自分が目の前の恋人…杵につかれてると比喩した所謂、下ネタだ。
「…………そうですか…その煩悩にまみれた頭を除夜の鐘と一緒に撞いてもらっては?」
「辛辣だな…でもそんなお前も好きだ」
「はいはい。ありがとうございます」
呆れながら恋人を軽くあしらい、再び本を読もうと下を向くと、みかんがテーブルに転がった。
外皮を剥く際に鳴る繊維がブチブチと裂かれる音が聞こえると、柑橘系の香りが漂ってくる。隠し刀がさらに白い筋までせっせと取り、福沢の口元へ運ぶ。
「ありがとうございます」
本から目を離しもせずひと房食べると、甘みと酸味のバランスがとても好みの味だった。
「ん、これ当たりですよ」
美味しさに顔をあげて隠し刀を見ると、頬杖をつき目尻を緩ませてこちらを見ていた。花を慈しむような優しい眼差しは、先程の下ネタを言った人と同一人物だとは思えない。非常に不本意だが、心拍が早くなる。隠し刀のこの表情に福沢は弱い。
「…何ですか」
何だか面白くない気持ちになった福沢はぶっきらぼうに言うと、
「諭吉の、何かに夢中になっている所を見るのが好きだ」
そう返ってきた。
「急にどうしたんです。さっきまでスケベオヤジだった癖に」
「まぁ、好きな相手を前にスケベにならない奴はいないと思うが、さっきのは酷かったな」
酔いが回るのが早いが、醒めるのも早い隠し刀は、いつの間にか頬の赤みが少しマシになっていた。
「こんなに酒に酔ったのは久し振りかもしれない。我ながら浮かれていると思う。諭吉との年越しが相当嬉しいらしい」
「…一緒に住みはじめて初の年越しですもんね。僕も嬉しいですよ」
「そうなのか?私だけかと思っていた。ずっと本を読んでいたし」
ああ、なるほど。構ってほしかったのか。それならばさっきの奇行も、酔いも相まってなんとなく理解出来る。
「それは…すみません。読みたい本が山積みで。まとまった休みが取れるのが滅多にないので…つい。寂しいなら、そうはっきり言ってくださいね。僕はそういった事を察するのが苦手ですので…」
福沢の中に少し反省の色が滲んだ。人と懇ろな仲になる事が初めてなうえに、やりたい事が出来ると周りが見えなくなることが多々ある。
「知ってはいたんだが…酔って子供みたいな事をしてしまった。すまないな」
「……いえ…ふふ、珍しいものが見れたので面白かったです。……そういう所も好きですよ。可愛らしくて」
素直に好きだと、普段口にしない福沢から出た言葉に隠し刀の口角があがる。
「では、このままベッドに……」
「調子に乗らないでください」
外から微かに鐘の音が聞こえてくる。身体に染入るような、低く心地の良い音だ。
「さて、除夜の鐘も鳴り始めたし、鐘を撞いてる寺まで行ってくるか。帰ってきたら煩悩が消えて、ついでに性欲も無くなるかも」
「……根に持ってますね」
でも…それまで無くなってしまうのは…少し困ります、とボソリと呟いたのを隠し刀は聞き逃さなかった。
「なんだ、諭吉もスケベじゃないか」
「…………やっぱり頭、撞いて来てください」
「すまない、冗談だ。酔い覚ましに一緒に行こう」
「別に…僕は酔っていませんし、あなたも酔いはだいぶ覚めましたよね?」
スケベと言われた事に対して頬を膨らませたいような気持ちになった福沢は、わざと冷たくあしらう。
「……ただ、諭吉と外を散歩したいだけなんだ。お前と一緒に居たい私の我儘を聞いてくれるか」
デリカシーの無い発言に少し気分を害したが、ストレートな言葉と福沢の弱点の眼差しが注がれ、何でも許してしまいそうな気持ちになる。
我ながら単純だな、と心の中で溜息をつきながらも、そんな恋人を甘やかす瞬間も嫌いではない。
「……仕方ありませんね。寺へ着いたら甘酒を買ってくれるのが条件です」
「お安い御用だ」
立ち上がり、出掛ける準備をしてテレビや電気のスイッチを切る。寒い寒いと、ボヤく福沢と、それを宥める隠し刀を見送るように雪明かりが部屋をぼんやり照らした。
◇◇◇
寺の境内に幾つか屋台が出ており、その中に甘酒を売っている店がある。約束通り福沢に買ってやると、とても美味しそうに飲む姿を見て隠し刀も飲みたくなったのか、もう一つ追加で頼んだ。
飲みながら鐘の近くを通ると、大勢の人が鐘とそれを撞くお坊さんの様子を静かに見ている。
「……鐘の音を聴きながらこの状態でいても、煩悩は消えるのだろうか」
人混みが苦手な二人は人気の無い場所へ移動して、身体に染入る音を静かに聴いていた。その最中、隠し刀が恋人の手を握りながら言った。
「手を繋いでいても、お前に触れたくなる」
目を細めて微笑むと福沢は照れたのか首に巻いたマフラーを鼻の頭まで隠してしまった。そのまま、もごもごと話し始める。
「……さっき調べたのですが、性欲=煩悩ではないらしいですよ」
「そうなのか?」
「ええ。人の心を毒す主な欲の中に『貪欲』があるのですが、欲を持つこと自体は悪い事ではなく、何事も程々にという教えです。なので、色事も日常生活に支障をきたすほど心乱れるのであれば問題ですが、そうでなければ煩悩とは呼ばないのではないでしょうか。性欲が無ければ子孫も残せませんし」
「そうか…じゃあ――」
隠し刀の顔が福沢に近付くと、眉間に口付けた。
「……これは恋人に抱く自然な欲だから、煩悩ではないという事だな」
「……そう…ですね」
恋人の了承を得たことによって、顔半分を覆うマフラーを下にずらし、軽く唇が触れるだけのキスをすると、互いを見つめ、じゃれてもう一度、もう一度と、唇を交わしあう。
暫くそうしているうちに、ちょっとした悪戯心というべきか、隠し刀の下唇を食んだところ、無邪気に戯れる雰囲気が、ガラリと変わった。彼のスイッチが入ったのだ。
あっという間に、上唇と下唇の隙間に舌が入ってきて、さっき飲み終えたばかりの甘酒の味が再び甦ってきそうなほど甘く絡んだ舌は、繊細な粘膜が擦れ合い、明らかに性欲の匂いがするキスに変わった。
二人の混ざりあった白い吐息が、鼻をしっとりと濡らす程の時が経つと、福沢は名残惜しそうに唇を離した。
燻る熱を押し込めて恋人の肩に頭を預ける。これ以上続けると、歯止めが利かなくなりそうだからだ。しかし、それを隠し刀は許さなかった。
そのまま福沢の耳の側面を食みながら舌が中を這うと、興奮した息と、ぴちゃり、ぴちゃりとした水音が頭に直接響くようで、肌が粟立つ。それと同時に下腹が強ばるのを感じた。
「ちょ…これ以上は、駄目です…っ」
恋人の上着を掴んでストップをかける手は、敏感なところを刺激された影響で弱々しく、なんの意味もなさない。それどころか、その反応が隠し刀の情欲を掻き立てるばかりで、腰に回した腕が徐々に下へ伸びていく。
「駄目、ですってば…!…んっ…!」
尻たぶを揉みしだいては指先で割れ目をなぞる。太腿には硬くなった隠し刀のモノが当たっており、本気で止めないとここでおっ始めかねない。
外という時点でアウトなのに、まさか寺でなんてあまりにも不謹慎過ぎる。
「……い、い加減にしないと、怒りますよ…!場所を弁えず、欲に身を任せるのは…煩悩だと思います…!」
必死に訴えると、わかった、と言うので聞き入れてくれたと思ったのだが、予期せぬ台詞が飛び出てきた。
「諭吉と居ると、煩悩なんて捨てきれない事がわかった」
――全然わかってくれてない
「そういう意味ではなくて…っ」
どうしたらこの男を止めれるだろう。自分が火種とは言え、ここまで燃えるとは思わず、ちょっとやそっとでは止めてくれなさそうだ。
解決策を懸命に考えるも、愛撫がそれを邪魔して頭が回らない。遂に、下着の中にするりと手が滑り込んできた。
「ひゃ!」
その時、まるで神の鉄槌が下ったかのように、暴走している彼の頭上に何かが勢い良く落ちてきた。
「…痛っ……」
「え…?……だ、大丈夫ですか!?」
突然の事で訳が分からず、隠し刀が後頭部を擦りながら上を見ると、木の枝が揺れ、そこから雪がパラパラと舞っている。どうやら積もった雪が落ちてきたらしかった。
「……もう…あなたがこのような場所で致そうとするから…バチが当たったんですよ、きっと」
雪を払ってやると、痛みと雪の冷たさで少し冷静さを取り戻した隠し刀は、すまない、と情事に未練を残しつつも、夢中になった自分を少しは恥じたようだった。
「わかればいいんです。……さぁ、帰りましょう。除夜の鐘を聴いてもあなたには意味がありませんでしたし」
「……む…」
しゅんと項垂れる恋人は、しおらしくて、可愛い。そんな姿を見ていたら、押し込めていた熱が再び顔を出し始めてしまった。
「…………帰って…続き、しなくていいんですか」
愛撫された耳がじわり、と熱くなっていくのを自覚した福沢は、マフラーを巻き直すふりをしてそれを隠した。
「諭吉…!」
可愛らしい照れ隠しに気付いた隠し刀は、堪らず抱きつこうとしてすかさず止められる。
「あぁもう!すぐ調子に乗る!ここでなく、暖かい部屋で、ですからね!」
自分に隠し刀を説教する資格は全くもって無い。ここがもし寺でなく、誰も居ない公園や裏路地だったら…と少しでも考えてしまった自分も、煩悩を捨てきれてないのだから。
来年の年越しに必ず今日の日を思い出すだろうと、福沢は想像して苦笑した。