夜明けをのぞむ あの日から、叶は時々行方をくらます。生配信を急遽休むだとか、アイツらと飲み食いする時に一番楽しみにしていたと思ったら、結局現れないこともある。途中でいなくなってふらっと帰ってくる事もあった。
そうなる度にオレの脳裏には赤黒く染まったアイツが現れて、そしてそのまま夢にまでやってくる。
『愛し合おう、敬一君』
毒の蔓延した世界。血に染まった唇で愛を囁く姿。楽しそうに、ドクロを浮かべた眼を細めて笑う。
──愛って、命賭けなきゃ手に入んねえもんなのかよ。オレには分からねえ。なんせ愛を貰ったことも、与えたこともないんだもんな。
夜明けをのぞむ
「──ッ!ハァッ!」
もがく様に息を吸って、目を覚ます。心臓が馬鹿みたいに跳ねて、全身からどっと汗が吹き出た。
今日もあの悪夢から目が覚めた。アイツを殺す夢。この世界にアイツがいない夢。あんな夢を見たあとだから、どうしようもない胸騒ぎがしていつものヤツらと泊まりに来ている叶を探しに行く。ゲストルームを覗けば、案の定そこに叶の姿がなかった。
探しに来てよ、と声が聞こえた気がして二着のコートを手に取り一つ羽織って外へ飛び出た。たとえあいつの思惑通りだとしても、間に合わないよりはマシだと言い聞かせて走る。
♢♢♢
「遅いぞ敬一君。予測より34分の遅れだ」
「……勝手な事言ってんじゃねえよ。夜中だって分かってんのか?」
どこかに消えてしまうのでは。そう危惧したオレを嘲笑うかの様に、叶はオレの自宅からすぐ側の公園でブランコを漕いでいた。
もう真冬だというのに、暑い。顎を伝う汗を拭って息を整え近づく。
叶はブランコを漕ぎ続けながら、そんなオレをみて声をあげ笑い、両手を広げた。
「でも、来ただろ?」
その姿はまるで親の帰りを待つ子どもにも見える無邪気さだった。滑稽にも映るその体に近づきコートをかけて抱き寄せる。錆びた鎖がギイ、と軋む音だけが響く。34分待たせた叶の体は少し冷えていて、体温を分けるつもりで更に強く抱いた。
「なんだよ、敬一君はほんとオレの事好きだよな」
カラカラと笑ってオレの背中を叩く手つきや声色は優しく、直前まで子どもにしか見えなかったこいつが、次はまるで空想上の兄や母親のように思えた。
「好きだ」
揶揄いに応えるように、首筋に顔を埋め、呟いて見せても笑い声も叩く強さも変わらない。あのゲームの後から、何度かコイツに伝えてはフラれた言葉だった。
「可哀想に、敬一君。もうゲームは終わったんだからオレを見続けなくたっていいのに」
「きっかけはあの日かもしんねえけど、関係なく好きだって言ってんだろ」
そう伝えれば、叶は先程までの甘えた表情をスッと消して腕を緩める。
あんなにいつもしつこく、オレを見ろと言ってきた姿は、ここにはなかった。
叶の世界には何十もの扉がある。
それはあのゲームが終わって暫くしてから気づいた事だった。人懐っこく近づいてきたかと思えば、あくまでも入国はエントランスまで。無理やりこじ開けたところでその奥、こいつが座る王座の間まではさらに重い扉で閉ざされている。
「言葉で伝えても鍵が開かないなら、行動で示すしかないって事だよな」
「は?なに……、っ、ん!」
普段は見上げているその顔を、見下ろして唇に噛み付く。わざと歯を立て傷をつけると口内に鉄の味が広がった。お互い目は開けたまま、ピントの合わないぼやけた視界で見つめ合った。
……ようやく、こっちを向いたな。
叶の唇から溢れる血を、舐め取ってその舌を押し込んで掻き回す。舌先でゆっくりと歯列をなぞって上顎をくすぐると叶の身体が分かりやすく跳ねた。その反応に頭に熱が集中してのぼせそうになる。
「ん……は、ぅ」
舌を絡め取り水音を鳴らす。鼻にかかった声が思いのほか甘くて泣きそうになる。
今こいつに渡している血液や唾液に混ざった何かを、愛とすぐに呼べたら良かった。あの日、命の奪い合いをした後からオレは叶に魅せられていた。コイツは試合さえ終われば恋だの愛だの抜かしていた口はそれ以上特別なことは告げず、オレが好意を伝えてもさらりとかわしてばかりだった。
かくいうオレ自身も、結局はピカピカの愛を、恋を、あんな見世物小屋で送り合う事しかできない惨めなヤツでしかなくて。そんなこいつに同情や仲間意識を持っているだけなのかもしれないと、未だ自分の感情が分からずにいた。
ただ、叶を抱き寄せてキスをしてみても、嫌悪感は感じず、むしろこの二人きりの時間を好きだと感じていた。
「ぷ、は、なぁ、敬一君……吊り橋効果って知ってる?」
ごく、と喉を鳴らして唾液を飲み込んだあと、叶は力強くオレを押し返し、二人の間に距離が出来る。眉を顰めてじっとオレを見上げる叶を、可愛いヤツだと素直に思う。
「死への恐怖を恋愛感情と勘違いするヤツだろ」
「そう。何回聞かされてもどう考えてもソレっぽい。勘違いじゃないって言うなら証明してくれよ。じゃないと信じらんないって」
そう言い残して立ち上がり、オレを見下ろして叶は眉を下げ笑う。その目は酷く冷たくて、何かを諦めているような、はたまた縋るような眼差しだった。
「帰ろ、敬一君」
そういってオレに向けて手を伸ばす叶は、薄明に照らされて、綺麗だった。
♢♢♢
あの日以来、叶は事あるごとにオレにキスを強請るようになった。大体叶がオレと一緒にいる時はあいつらも一緒だが、人目を盗んでキッチンだったり廊下だったりで隠れてキスをする。……あの三人から隠れられているかはこの際考えない。
「なー、敬一君」
今日も料理中に後ろから巨体がのしかかる。火や刃物を使ってる時はやめろと一度注意したが、聞く耳を持たなかったので三回目からはこちらが諦めて何も言わなくなった。
振り返って頬にキスをしてやる。叶は唇を尖らせて一度静止した後、すぐに上機嫌に微笑んで「おかえし」とオレにもキスを贈ってくるもんだから思わず硬直した。
「敬一君、手危ないって」
「だから、飯作ってる時は近づくなって言ってんだろ」
包丁を握る手に、叶の大きな手が重なる。爪を立てて古傷を擽られると全身が粟立つような感覚に眩暈を覚えた。胸の奥が熱くなり、欲望が頭をもたげる。初めは同情や同族意識だと思っていたソレは、あの夜明けの日にキスをしてから段々と渇望に近い感情に移ろいでいた。
「敬一君、オレが欲しいって顔してる」
手の甲を撫でながら、耳元で悪魔が囁く。その誘惑に、調理の手を止め振り返り、叶を観る。もう一度、唇を重ねようと頬に触れると本心の見えない不気味な模様をした目が、弧線を描いて笑う。
「はやく、殺したいくらい好きって言ってくれよ」
唇が重なる直前に、甘く囁かれた毒のような言葉は、オレの心臓を腐らせるには充分だった。
遠くで、アイツらが馬鹿騒ぎしている声が聞こえる。ああ、多分天堂が菓子を食い荒らしてるんだろうな。それに村雨も応戦して真経津が面白がって。アイツらもコイツも全員怪物で、オレとは違う生き物なのだと、なぜかいつも忘れてしまって、時々こうして崖の下に突き落とされるように自覚させられる。
「言ってろ。好きすぎて死にたくねえって言わせてやるよ」
瞼を閉じて口付けを落とす。ただ愛を贈り合う関係を、ほんの些細な戯れを楽しむ関係を望むのは駄目だと、瞼の裏、過去の幼い自分が警告を鳴らしていた。
それでもこの怪物を望んでしまうのは、あの日見た夜明けの空のようにグラデーションに輝くコイツにどうしようもなく恋をしたからだった。
終