オメガバ勝デ「……ヒート近いかも」
「そうかよ」
簡単なやり取りで、今日夜九時にかっちゃんの部屋に行くことが決まった。
もちろんテレパシーだとか筆談だとかはしていない。完全な言外の了解である。
僕は元々βだったのが、OFAを譲渡する過程でΩになった。
性別が変わって、僕は君に小さな嘘をついた。
『変わったばかりだとバース性が不安定で、それで、幼い頃から一緒の君の匂いだと落ち着くから……』
たどたどしくそう並べた僕を、君は無言で抱き締めてくれた。
暖かくて、今までは感じることのなかった君の匂いをめいっぱい吸い込んで、僕は寝落ちるほどリラックスしてしまった。
それを目の当たりにした君は僕の言い訳を信じたらしい。時たま、不安定になったと言い訳して触れることができるようになった。
エレベーターの閉じる音がして、押したボタンは四階。
チカチカ光る四の数字は三ヶ月に一度、ヒートの時だけの特別な光景だ。
ガチャリ。
戸を開けると、かっちゃんは適当にスマートフォンを弄って寛いでいた。
「……お邪魔します」
「ン」
雑に手を広げた君。
今回もヒートのひとときが始まる、とふわふわ多幸感に浸って擦り寄った。
……のだが。
「…………」
近づいた頬を遠ざけ、そっと身を離した。
「…ごめん、やっぱ帰る」
「……あぁ?来たばっかだろが」
「いい。ちょっと、しばらく寄らないで」
「は?いきなり何だよ」
沸き上がる拒絶反応に身を任せ、僕は言い切った。
「──かっちゃん、臭い」
◇
「……おい爆豪、元気だせって……な?」
「おら、このスナック菓子辛いんだってよ。食うか?」
「緑谷がそんな急に言うはずないって、なんかイライラしてたんだよきっと」
気丈に励ます三人。
しかしその中心の爆豪は怒鳴ること無く、静かに椅子に座っていた。
その顔からは一切の表情が抜け落ち、いっそあどけなく見えるほど呆然としている。
余程の事だな、と爆豪の肩を叩きながら、上鳴は思った。
我がクラスの謹慎ボーイズこと、幼馴染の爆豪と緑谷はとにかく複雑な関係だったが、色々あって今は両片思いに落ち着いている。本当に色々あったので「そこは付き合ってろよ!」とツッコむのはやめてもらいたい。色々あったのだ。
ともかく、二人の両片思いな関係は緑谷がΩにバース転換してから大きく進展した。放課後一緒に帰ったり、手を繋いだり、順調に仲を深めつつある二人の事はクラス全体で応援していた。
今だって、爆豪を刺激しすぎると良くないからと三人だけが近くにいるが、周りは心配そうにこちらを見ている。
目が合った耳郎に首を振ると、肩を落としてため息をつかれた。諦めろとのお達しだ。
ホームルーム前の教室には緑谷含むふわふわトリオだけが居ない。
だがしかし、廊下向きの壁に設えられた磨りガラスには三人分の人影が写っている。
──どうか、これ以上爆豪を沈めてくれるな。
扉は開き、それぞれの席に着くためとふわふわトリオは別れ、爆豪を励まし隊も席に着き、皆が見守る中、緑谷はすたすたと爆豪の後ろの席に向かって行った。
ぴくりと動いた爆豪が抜けかけていた魂をしゅっと体に引きずり込むと、緑谷を振り向いて席を立つ。
「いず……」
「近づかないで」
玉砕。
鳴った予鈴に、そっと爆豪が席に着いた。
ホームルームが始まるまで、教室の空気はしんと冷えたままでいた。
◇
「……申し訳ないが、言わないでと頼まれてしまったので言うことは出来ない」
「爆豪の力にはなってやりてぇが、緑谷と飯田は親友だからな。親友の約束を破る訳にはいかねぇ」
「こっちも親友がかかってんだよ……!」
結局、朝に全ての活気を粉々に砕かれた爆豪は一日魂を失ったままであった。今日の時間割にヒーロー基礎学が無くて本当によかった。あったならば、爆豪は不注意で相澤先生に絞られるか骨を数本失うかしていただろう。
それくらい普段の怒号や悪態、彼の殺しても死なないような生気が無く、上鳴らは気持ち悪いやら気持ち悪いやら気持ち悪いやらでどうにかなりそうなのであった。
当の緑谷はと言うと、爆豪の存在のみを一日綺麗にスルー。切島、瀬呂、上鳴が無視されなかったのは本当に良かったが、恐る恐る爆豪と名前を出した瞬間、彼はおそろしく耳が悪くなった。あの言外の圧力は言い表せない。
故に、一番事情を知っていそうなふわふわトリオの二人に聞いてみたが、確固とした友情で結ばれた彼らは融通が効かなかった。
しかし、これが爆豪相手に聞きに来た緑谷ならばうかうか話す自信があるのでその友情には賞賛を送らざるを得ないだろう。あっぱれである。
「……うう、明日からも爆豪ああなのかよぉ」
「二人に聞けないとなるともう難しいよな……」
「流石に可哀想になってきたぜ爆豪……」
頼みの綱も消え、ここまで徹底している緑谷の事だからきっと場を儲けたって来ないのだろう、と三人は為す術なく項垂れる。
今一度爆豪を励ましに行くか、と肩を組み合ったところで、その肩にポンと飯田が手を置いた。
「……俺たちは、緑谷君に言うなと言われたことは話せない」
「言われてないことは話せるぞ」
「轟君、こういうときは言外に言うものだぞ!」
「そうか、すまねぇ」
ふわふわコンビ(緑谷はふわふわしていなかったので欠席)がふわふわしているのを見て、三人は目元を抑えた。
「心の友よ……!」
「こちらも緑谷君が気を張っているのを見たままでいたくないからな」
──ここに、おさなな仲直り同盟が結ばれた。
◇
「──出久!」
「なっ、んで、追いかけてくるの!」
「出久!待ていずく!」
「た、タフネス……速いし持久力が半端じゃないなほんと!」
お前も俺の事を言えないゴリラだということには気付いていないのか。
ランニングコースをランニングと言えぬ速さで駆け抜けながら、それでも追いつかぬ最愛を追いかけた。
「待て!」
「うわっ!」
カーブでスピードを上げ、更に多少爆破を使ってお前に追いついた。
目を見開くお前をがむしゃらに掻き抱いて、逃がすものかと腕に力を込める。
観念したようで、お前はもぞもぞガキのような抵抗を示すばかりになった。
「離してよ……」
「ぜッッッてぇ離してやんねぇ」
鼻息荒くそう言ったのを諦めたように見たお前は、はっと気づいたらしく抵抗をやめて、俺のTシャツに鼻を寄せた。
「……匂いが無い…」
「必死こいて全部落としてきたんだわ、手こずらせやがって」
「………………君の匂いまで無いんだけど」
「おめーが臭ぇとか言うからだろうが」
「気にしたんだ」
「………うっせ」
バツが悪くそっぽを向くと、お前は吹き出して笑った。ようやくほっとして、今一度腕の中の存在を抱きしめる。
出久はすりすりと猫のように擦り寄った。
「なんっで臭ぇなんて言った」
「………………………………………………君から、知らないΩの匂いがしたから……」
「知らないΩだァ〜〜〜?」
たいそう不機嫌そうであるが、むっつり膨れつつぴっとり寄り添うその顔は俺しか知らない我儘な出久だ。
不機嫌を押し付けて欲求を通そうとする、子供のいずく。
今回の不満は他のΩだそうだ。しばらく考え込んでからああと思い至る。
「そういや、サポート科に雄英じゃ珍しいっていうΩが居たな」
「………………………………………触らせたの」
「ヒーロースーツの点検なんだから触らすだろ」
「ふーん………………」
ゴキゲンは未だ平行線、上がり下がり無しである。
「番じゃねぇだろ。嫌がる理由ねぇぞ」
「………………君はまた、意地悪な言い方する」
「どーすんだよ」
「………やだ、君から言って」
「ワガママ野郎」
その雀斑にキスを落とし、耳元でとびきりを囁くと、お前は目を見開いて、顔を真っ赤に染めてからぷるぷると羞恥に震えた。
「………………き、きみ、そんな小っ恥ずかしいこと言えたの……」
「おめーも言うんだよ、早よしろ」
しばらく腕の中であーだこーだ言ってた出久だが、意を決したように背伸びして頬にちゅっと可愛らしいリップ音を立てた。
「………………僕も」
「あっ、おい、押すなって!」
どしゃり。
そちらを見ると、ランニングコースの周りに建てられた配線機器の建物の影から黄色い髪が倒れ込んだところだった。その上に赤髪と黒髪、ついでに「あっやべ」と逃げ出すピンク髪と浮いた服があり、衝動のままぐわっと口をかっぴらいた。
「………………テメェらぁぁぁぁああああ!!!!」
「いつもの爆豪だーーー!!」
「にっげろぉおー!!!」
◇
「……ね、ところでどんな風の吹き回しだったの?君魂抜けてたじゃん」
「ー……、………………………………」
「……ちょっと?」
四階のボタンを押して、怒れる君を部屋に押し込んで、ついでに僕も押し入った。
こちとら気がたっているヒート時に知らないΩの匂いを嗅がされたのである。番っていなかったにしろ仮番みたいなものだったのだから一言くらいあってよかったしそもそも他人の匂いなんて付けないで欲しかった。
今は君のベットに君の服をばらまいて、恋人の匂いに埋もれながら、カーペットに座る君の肩口にぐりぐりと頭を押し付けている。
匂いをなくしてくれた分、僕の匂いが付け放題なのでそこは良しとした。
思いも通じあって、番契約は流石に仮として、卒業後の約束にした。
幸せの絶頂にいたのだが、はてさて君は隠し事をしているようである。
「……………………アイツらに、教えて貰って」
「上鳴君たち?なんで?君の話は聞かなかったのに」
「おーおー、『耳が遠い緑谷が怖い』って喚いてたわ。お前何したんだよ」
「話そらさないでね」
「…………委員長らに聞いたんだと」
「ええっ、二人共話しちゃったの?」
「知らん。上鳴らの独断だろ」
「君ね、君を思ってやってくれた事を……」
咎めながらも擦り寄ると、君は頭を撫で直してくれた。汗腺が開きやすい手のひらはいちばん君の匂いがして、顔を擦り付ける。
「で、何聞いたの」
「…………」
「かっちゃん」
「……………………………………………………………………おまえが、ランニングしてるってこと」
「……他は?」
「それだけだわ」
「………………え?それだけ?」
きょとんと君を見つめると、君は嘘偽りのない顔でしっかり僕を見据えた。
「何か言いかけてたが、お前の口から聞かねぇと意味ねぇし」
「かっちゃん……!」
抱きついて頬ずりして甘える。なんなら頬にキスしちゃったりもして、全身で好きをアピールした。
「じゃあ匂い消したのも君が一人で?」
「おう。消臭剤浴びた上で五回体洗った」
「肌擦り切れるんじゃないの……?」
出久が怪訝な顔をした。
「………………おめーが臭ぇっつった」
「……うん、ごめんね」
しっかり抱きしめて、君も抱き返した。
そのままベットに上がりこもうとしたところで……不埒な手を払い落とす。
「巣だから入ってこないで」
「……アァ?!」
もう一悶着あったらしい。