悪い国を傾ける🥦の盗賊十傑勝デ「おや、あんた力持ちだね」
「よく言われます」
陽の光に晒された長廊下を二人の男が歩いていた。
一人は武官。この武官は世渡り上手で、決して高くは無いが安定した給金の武官の職に、昇進することも左遷されることも無く長い間就いていた。
命を失いかけない武官という仕事にて、この男は情報のつてを頼りに、のらりくらりとなんでもないように見せかけて、危なげな遠征は出ずに命を保っていたのであった。まあ、強かな男である。
もう一人は官吏。官吏といっても新米で、位は最低である。
人好きのするあどけない顔立ちに笑みをたたえ、可愛らしい雰囲気だ。
新米官吏とさぼりの武官は、掃除のために書庫の本を倉庫に運ぶ作業をしていた。官吏は武官の倍の量の本を抱えている。
長廊下から見える庭園は季節を夏に移り変えるために、花は散り、代わりに緑が深くなってきている。
「緑が芽吹いてきたねぇ……そうだ、緑で思い出した。お前さん、"傾国の翠"を知っているかい?」
「"傾国の翠"?」
官吏はこてんと首を傾げた。
「ここじゃ知らないかもだが、俺にはツテがあってね。下町では専らの噂だよ」
武官が得意そうに話すのに官吏が相槌を打つ。話を促され、武官は続けた。
「"傾国の翠"。文字の通り、国を幾つか傾けたらしいよ。そう、北地方の、税収が酷いあの国とかはもうやられたって話さ」
「あの国が……。なら、その人は罪人なんですか?」
「まあお聞きよ。この話には面白いとこが二つあってね?一つは、罪に問われないってとこなのさ」
「ええ、国を傾けているのに?」
「そこなんだよ。国を傾けるといっても、"傾国の翠"が傾けるのは悪しき国。前より税が軽くなって町人は大喜びさ」
「じゃあ、良い女の人なんですねぇ」
「おや、女と言ったかね?それがいまいち分からないみたいなんだよ」
「と言いますと?」
「お前さん聞き上手だね」
武官は倉庫の戸を開けた。
埃っぽくて、すこしかび臭い小さな倉庫は棚がいくつか置いてあるのみである。
そこに本を並べつつ、官吏が促すがままに武官は答えた。
「これが面白いところの二つ目さ。"傾国の翠"に拐かされた国王は、誰一人としてその行方を追おうとしない。今までの傍若無人の態度を悔い改めたかのように『"傾国の翠"には幸せになって欲しい』と言うのだそうだ。不思議なもんだね」
「術の使い手なのでしょうか」
「いいや、"傾国の翠"が改心させたんだろうよ。ある王は聖母と呼び、ある王は慈悲の神と言い表した。善人なんだろうね」
「随分と詳しいんですね?」
官吏の問いに、武官は声を潜め、得意になって顎に手を当てて見せた。
「そう、ここだけの話、俺は"傾国の翠"は彩義団の者だと思うんだ」
「あの、彩義団ですか?確かに彼らは義賊ですけれど……」
「これはあんまし有名じゃないんだけどね。"傾国の翠"と対となる噂に、"建国の紅"があるのだ。こちらは名が割れていて、なんと、かの彩義団団長の爆豪勝己だと」
「爆豪勝己……!」
「おや、何か知っている顔だね」
「いいえ、ふふ。実は僕、彼と幼馴染でして」
「これはまた、あの男とかい?!たまげたねぇ。不思議な縁ってものだ」
「……もういいですよ。気づいているんでしょう?」
官吏は今までの無邪気な顔を潜めて、大人びた笑みを浮かべた。
武官がとぼける。
「おや、なんの事だい?」
「──"傾国の翠"。緑髪緑眼、性別不詳。丁度同じ特徴の僕にそれを話すとはそういうことでしょう?まさか彩義団まで当てられるとは思いませんでしたが」
「……やっぱりか。やはり俺の勘は当たるなぁ。ついでに言うと、"建国の紅"──爆豪勝己に、随分入れ込んでいるようだけど?」
「そうですねぇ……。そういえば、運び終わって疲れましたね。お饅頭なんか食べたいですね」
「仕方がないなぁ、後で買ってやるから」
「有難く頂戴します。──彼は、僕の恋人ですよ」
「ええっ?!あの男に恋心とかいう気持ちがあったんだねぇ……。どうやって惚れさせたんだい?」
「幼馴染ですから」
「答えになってないよ」
「こればっかりは、内緒でお願いします」
官吏は下働きとしての態度をすっぱり切り落とし、悠然たる足取りで倉庫を出た。
武官はそれを見て、懐の饅頭を二つ差し出しながら倉庫を出た。
官吏はそっと受けとり、懐にしまい込むと庭を突っ切った。
倉庫しかないこの宮殿の外れには二人しかいない。ぐるりと囲われた高い塀の前に官吏が立ち、武官はそれを眩しいものを見るように、目を細めて笑った。
「──我が帝は、前までは賢王だったのだが、随分荒れてしまった。戦ばかりのこの国ももう終わるのだな。お前が終わらせてくれて良かった」
「お礼の言われは無いです」
「いいや。こればかりは言わせてくれよ。本当に、ありがとう」
「……良い国にしてくださいね」
「そのために"建国の紅"が来てくれるだろう?」
「そうかもしれません」
官吏は笑うとひらりと塀を飛び越え、多少の足音はどんどん遠のき、やがて聞こえなくなった。
武官は平然と歩き出す。
たった一人、下働きの官吏が消えたところで騒ぎにはならないのだろう。それ以上に、明日は騒ぎになる。
心の支えを失った王はきっと悲しみ、けれど前を向くのだろう。
願わくば、またかの賢王に。
今日ばかりの囀りを聴きながら、武官は今一度、心の中で感謝した。
◇
「──バレただぁ?」
「うん、勘のいい武官の人に」
「ンで?手ぇ出されたとか言わねぇよな?」
「そんな事しないよ。勘も人柄も良い人だったから。ほら、お饅頭も二つくれた」
「ほーん。……で、仕事は?」
「上々。明日には騒ぎになるだろうから、今夜中に出た方がいいね」
「了解。……夜まで時間あるな?」
「……え?ちょ、ちょっと、こんな真昼間からなんて……」
「こちとら一ヶ月お預けされとんだ」
「うわっ?!ま、待って、降ろして!せめてお饅頭食べてからにしよう……?」
「運動の後の方がいいだろ」
「言い方が変態!」
翠の目の男は、紅の目の男に覆いかぶさられ、首に腕を回しながら怒った。
機嫌を取るように紅の男が口吸いをして、翠の男は甘く声を漏らしながらそれに応える。
暫く顔を寄せたままだった二人の間に銀の糸が引いた。
「……いずく」
「ん、かっちゃん」
紅と翠は互いの名を呼び合い、再び口付けをした。