デスエデュケーション・シーケンス——— 新規起動、確認。
「おはようございます、博士。」
「廃棄対象児童6名、確認いたしました。」
「No.██。コードネーム……ママ。」
「第██項、ねむる家。ただいまより、始動いたします。」
——— 記録、終了。
……夢を見る。ほんの、たまにだけれど。
地球が、まだ青く美しい星と言われていた頃。
こんな仕事などなく、こんな身体でもなく。
ごくごく普通の身体をした、私と子どもたち。
朝日と共にカーテンを開けるの。ガラスをすり抜ける日差しは、眩しくって思わず目を細める。
それからたとえば、
お勉強を教えてあげたり。満点を取った子には、クッキーをひとつご褒美に。
泥だらけになるまで、子どもたちと走って遊んだり。日光を燦々と浴びてね。
日焼けで真っ赤っかに焼けてしまった子どもたちの腕は、氷で冷やしてあげる。
その後に浴びるシャワーはひりりとして痛いかもしれないけれど、嫌がる子にもしっかりとね。
夜には、焼きたてのパンと温かなシチューをお鍋いっぱいに用意するの。
ぜんぜん足りないよ、なんて言われて。私のパンとシチューを分けてあげる。
そして、星々が輝く頃には、子守唄を歌って。子どもたちの寝息が、私を微睡ませていく。
日に日に、私の身長を越していく子どもたちを。その背中を、ずうっとずうっと見守ってあげること。
子どもたちの味方で、理解者で……”親”で、あり続けること。
そんな些細な日常。どこにでもあっただろう日常。
かつては。
「……………」
口角が上がる。これは嬉しさからなどはなくって、そう、きっと諦めだ。
これは私であって、私ではない。
すべて、あの人がプログラムした幻影を追いかけているだけだ。
私の人格も、私の感情も。何もかもがレディーメイドなのだから。
……これでも、あの人なりに配慮してのことだということは”理解”している。
でも、とっても残酷だわ。
なぜなら、これを配慮とは呼ばないから。
ここにいる、私だけが███だということ。
これだけが紛れもない事実だ。
白いワンピースに滲んだ血のようにぼんやりと浮かび上がり、消えることなどはない。
「……………、」
“ママ”のリボンを結び、身支度を整える。
これほどまでにくだらない考え事などない。答えのない、堂々巡りの無駄な思考。
私の稚拙で無価値な脳みそでは、許可されている範囲でしか思考、記憶ができない。
……分かっている。
私が選ばれた理由などは、とうの昔から。
終わらない。終わりなどない。
“ママ”にも。”研究”にも。
終わりがあるのは、この”地球”だけだ。
「……ここ、新しい蕾ができているわね。」
「うわっ!やめろ馬鹿!」
「なにを!ばかでは、ありません!」
「だ、だいじょうぶなの…?」
「みんな、ばか…ちがう!」
「ふふ、元気なのはいいことです」
「みなさまを見ていると、なんだか心地がよいのです」
ここはねむる家。
子どもたちが生を終えるための家。
円卓は今日もにぎやかだ。
7つの椅子のうち、6席にはすでに着席……していない子もいるけれど。
無意識に、目を細めた。
「おはよう、子どもたち。」
そう声を掛ければ。
「…ママ!おはよ!おなか、すいた!」
「ママ!おはようなの〜!」
「おはようございます、ママ。」
「外はお天道様がまぶしいですよ〜」
「えっと、おはよう、ございます。」
「……僕たちより遅いなんて、仮にも僕たちの保護者だという自覚があるのか疑うね。」
愛おしい私の子どもたちが、今日も”ママ”を迎えてくれる。
「ごはんはこの後用意するわ、もう少しまっていてちょうだいね。」
「朝の点呼と、不調の具合を教えてくれるかしら?」
「ひとりずつ、順番にね。」
バインダーに今日の日付けを書き込みながら、毎朝のルーティーンを始める。
「まずは、アルタイル。」
頭部に生えた羽根をふよふよと羽ばたかせながら、青い瞳の少女は元気よく返事をした。
「アルタイルは、げんきですよ。」
「でもさっき、はねがすこし、ぬけてしまいました。」
そうこぼす彼女の下には、ふわりふわりと綿のように羽毛が舞っていた。
「あら、それは大変ね。誰かが踏んで、転んでしまったらいけないわ。」
「これが終わったら、片付けるからね。」
「わかりました、ママ。つぎは、きをつけます。」
斜線をバインダーに素早く記入してから、次の欄へ目を向ける。
「つぎは、ビーネね。」
浅黒い肌に大きな羽を背負った少女は、アルタイルを気遣いながら返事をした。
「ビーちゃんもゲンキなの!」
「からだも、どこもわるくないの!」
斜線を引きながら、椅子を降りようとしたビーネを制止する。
「ビーネ、気持ちはとてもありがたいのだけれどね。」
「踏んでしまったら、バランスが取れなくて転んでしまうでしょう?」
「そうして怪我をしてしまったら、ママは悲しいわ。」
「わかったの、ママ…!」
椅子に座り直したビーネを見て微笑み、次の欄へボールペンを走らせる。
「ビスはどうかしら?」
問いかけにはそっぽを向きながら、ガードに顔のほとんどが覆われた少年は面倒くさそうに口を開いた。
「……特に、異常はないよ。」
「こんなこと答えなくたって、見ればわかるでしょ。」
「ママはね、ビスの身体の中のことまでは分からないの。」
「だから、どんなに小さなことでも教えてくれると嬉しいわ。」
「でも、とても元気そうね。ママにはそれが一番うれしいことよ。」
「……そんなこと、いちいち言わなくたっていいよ。」
顔は変わらずそっぽを向いているが、彼の横にふよふよと漂うポッドと目が合った。
それににこりと笑みを返してから、バインダーへ斜線を引いていく。
「シルルはどうかしら?」
一際大きな体躯に口枷を付けた少女は、鎖をジャラリと鳴らしながら、長い袖をめいっぱい振り上げて返事をした。
「シルル、げんき!」
「でも…おなか、すいた……ママ、の、ごはん…たべる、したい……」
「遅くなってしまってごめんね。すぐ用意するわ。」
「今日の朝食は、バターをたっぷり使ったフレンチトーストにするわね。」
「もちろん、うんとたくさん作るわ。」
「ふれんち、とーすと……!シルル、ふれんち、とーすと、すき!」
目を輝かせたシルルに目を細めてから、バインダーの紙を1枚捲る。
「オートミール、あなたは?」
少年とも少女ともとれる伏せた瞳を揺らして、傀儡のように糸で繋がれた大きな手を緩やかに上げた。
「ぼくはなんともありません」
「今日はお外で本をよみたい気分です。とても快晴なので」
「それはとても良い予定ね。ママも一緒に外へ出られたら良かったのだけれど…」
「そういえば、今日はとても暑くなるそうよ。」
「おやつには、なにか冷たい飲みものを作りましょうか。」
「ママも外へ一緒に行けたらよかったです。お花がとてもきれいですよ〜」
そうね、日陰から覗いてみようかしら。そう告げながらバインダーに目を落とす。次の欄で点呼は終わりだ。
「最後はドール・エミリーね。」
正された姿勢で座る、綺麗な髪を長く伸ばした少女は、口以外をひとつも動かすことなく答えた。
「わたくしは、いつもと変わらないのです。」
「腕も、もうずっと……動きが悪いのです。」
「腕の動きは、もうずっと悪いままね……」
「スプーンは持てるかしら?」
「食べやすいように、ドール・エミリーの分のフレンチトーストは、小さく切って作るわね。」
「ありがとうございます、ママ。」
思わず眉間に篭った力を解きながら、ボールペンをすらりと走らせた。
「ありがとう、子どもたち。」
「朝の点呼はお終いよ。次は朝食を用意するからね。」
バインダーをぱたりと閉じながら、努めて明るく切り替える。
キッチンへ向かう……その前に。
キッチン横に収納している箒と塵取りを取り出してから、アルタイルの側に近寄ってほわほわと漂う羽根たちを掻き集めた。
「ふふ、アルタイルの羽根…とてもふわふわで気持ちが良いわね。」
ひとつを拾い上げて、思わず心地を楽しんでしまう。
「わたしのはね…ママによろこんでもらえました!」
「アルタイルのはねは、『わるいこと』ばかりではないのです」
ふふん、と得意げになるアルタイルの頭……の羽根に、オートミールはちょんと撫でるように触れた。
「アルタイルの羽根はとても触り心地がいいんです」
「触ると気持ちが良くて、飛ぶこともできるなんて、アルタイルの羽根はすごいです」
「オートミールさんにも、ほめてもらいました!」
アルタイルは機嫌が良いと言わんばかりに、円卓の周りをふわふわと飛び回る。
「アルタイルさま、わたくしにも…ほんのすこし、触れさせていただきたいのです」
ドール・エミリーが視線だけをアルタイルに向ける。
「もちろん、です!アルタイルのはねは、『ふりーはぐ』です」
アルタイルは両翼をめいっぱいに広げながら、ドール・エミリーへきゅっと抱きついた。
「あたたかいのです……柔らかくてあたたかいものは、これほど安心できるのですね」
思わずふふ…と笑みをこぼしてしまったころ。
「ねえ…ちょっと。隣でずっとシルルのお腹の音がうるさいんだけど。」
「僕は別に食べなくたって良いけど、この音がずっと響き続けるのは耐え難いよ。」
ビスの声に振り返ると、その隣には我慢の限界を迎えそうなシルルが枯れたように縮こまっていた。
「う…シルル、がまん、する……」
「ごはん、みんな、いっしょ…たのしい、から…」
シルルが口を開いてから、また一際大きな音がぐう、と響き渡った。
「ねえ…だからさ、はやく朝食を作ってほしいんだけど。」
「あらあら……すぐに作るわ、待たせてしまってごめんね。」
ビスに急かされるまま、掃除用具を収納してからキッチンへ急いだ。
昨日の晩、仕込みとしてパンを卵液に浸しておいたものがあるから、それを使えば早い。
3口あるコンロにフライパンを並べて着火する。大きなフライパンは筋力が足りずに上手く扱えないから、小さなフライパンを3つ。
ママにもっと力があれば、大きなフライパンだって3つとも使いこなせたのだろうけれどね。
冷蔵庫から仕込んだパンとバターを取り出す。念のためにパンを人差し指でつついてみた。一晩浸ったパン生地は、飽和した卵液をじゅわりと溢れ出させる。
「良さそうね。」
じんわりと熱を帯びたフライパンにバターのかけらを放り入れる。それはたちまちに溶け出して、濃厚な香りに包まれた。
「……ママ!ビーちゃんでよかったら、お手伝いするの!」
「シルル、も…!やく、とくい!シルル、まかせる…!」
「ぼくもお手伝いできますか?ママ」
バターの香りに誘われたビーネとシルル、それにオートミールがキッチンへと近づく。
火を扱っているから危ない……と本来ならば断るべきなのだけれど。
ビーネとシルルはときどき、レシピを見せてほしいとお願いに来ていた。きっと料理に興味があるのだろう。
オートミールは、いつも手伝いを申し出てくれていた。大きい手ではフライパンを持つことは難しいかもしれないが、他にできることはいくらだってあるだろう。
「今は火を使っているから危ないけれど…それでも大丈夫かしら?」
「ビーちゃんはヘイキなの!」
「シルル、つよい。ひ、まけない…!」
2人は気合満々、といった表情で頷いていた。
「オートミールは、お皿とフォークを並べてくれるととても嬉しいわ。」
「わかりました、ママ」
「3人ともありがとう。お願いするわね。」
そう言うと、2人は長い袖を捲ってフライパンの取っ手を握る。
2つのフライパンにトーストを敷いていくと、じゅうじゅうと焼けた音と香ばしい香りが広がっていく。
「とても、おいしそうなにおいがします。」
「ビーネさまも、シルルさまも、きっととてもお上手なのです」
円卓からも、待ち遠しい声が聞こえる。
フライパンを器用に回してくるりと返せば、程よく焼き色の付いたトーストが出来上がる。
「おお……!」
「ママ…!いま、くるっ、て!すごい!それ、シルル、やりたい!」
真剣にフライパンを握っていた2人が、その光景に目を輝かせる。早速挑戦……するも、2人のトーストは上手く宙を舞うことができない。
「すっごくむずかしいの……ビーちゃん、サイノウがないの……」
しょもしょもと触覚を垂れ下げたビーネに、フライ返しを手渡しながら。
「ビーネ、シルルも。2人はきっと練習したら上手にできるようになるわ。」
「ママよりも、とても気合いがあるもの!あとでコツを教えてあげるからね。」
「でもね、フライ返しを使えば同じことができるのよ。こうして、下に入れてから……くるんっ!」
「ね、ビーネも綺麗にできたでしょう。」
華麗に!……とはいかなかったが、それでも目の前のフライパンの上には、きつね色に焼けたトーストが乗っていた。
「ママ!すごいの!」
フライパンを凝視して喜ぶビーネと、それを上から見て目を輝かせるシルルにそれぞれフライ返しを手渡す。
「シルル、ぶき、かくとく…むてき。」
シルルもくるん、とトーストを上手に返すことができたようで、嬉しそうにぴょこぴょこと髪の毛が跳ねる。
「ママ、お皿とフォークはこれでいいですか?」
隣では、オートミールが綺麗にお皿とフォークを整列させていた。
シンプルな白い皿の横に添えられた、形式様々なフォークたち。
この家に来る子どもたちは、腕や手が不自由であることのほうが多い。
そのため、子どもたちがこの家に入居すると同時に、カトラリーや日用品など、生活する上で不便になることがないよう、子どもたちそれぞれに応じたものが特注で支給される。
たとえばフォークなら、オートミールのものはしっかりと掴みやすいように持ち手の部分が大きく太い。
アルタイルのものは、羽根に通せるように輪が付いていたり、普通のものと比べて長めに作られたりしている。
「ありがとう、オートミール。大変なことを任せてごめんね。」
「ぼくならだいじょうぶですよ〜。役に立てたのなら、うれしいので」
……たまには“親”らしく撫でてあげたいと思うことがあるのだけれど、この身長ではもどかしく、叶わないことの方が多い。
「いつもありがとう、オートミール。」
並んだ皿に焼き上がったトーストを積み上げていく。
ビーネとシルルも焼くたびにコツを掴んできたようで、みるみるうちにすべての皿にはたっぷりのトーストが盛り付けられた。
ひとつは小さく格子状にカットしたもの。もうひとつは、天井に届くくらい高く積み上げたもの。
仕上げに、はちみつと粉糖を。
「ハチミツ、なの…!」
ビーネがうれしそうに、弾ませた声で見つめている。
「ビーネのお皿にはたっぷり、ね。」
琥珀色が宝石のように、トーストの上に輝く軌跡を描く間、ビーネは目を丸々と見開いて見入っていた。
「……まったく、いつまでかかってるのさ。」
「僕にだって予定くらいはあるんだから、できたのならさっさと持って来なよ。」
しびれを切らしたビスがため息をつきながら、お皿を持ち上げてテーブルへ運んでいく。
「勘違いしないでよね。別に僕は食べなくたって良いけど、食事はみんなで一緒ってルールなんだからさ。」
いちいちお礼とか言わないでよね、とビスは釘を刺してからすべての皿を運んでいった。
「…そうね、はやく食べましょうか。」
ありがとう、そう言いかけて口を開いたのだけれど。この言葉はまたの機会に取っておこうと、胸にしまっておくことにした。
7人では少し狭いくらいのテーブルを囲んで、ぱちりと手を合わせる。
「いただきます」
「いただき、ます!」
「いただきます。」
「いただきますなの〜!」
「いただきます、ママ」
「……いただきます。」
食事は全員で一緒に過ごす。
それはこの家で定められたルールのひとつだ。
この家が建てられた時から、変わっていない。
ここで対象となる“全員”とは、廃棄待機中児童のことを指す。
簡単にいえば、生きている子どもたち。ということだ。
廃棄された子どもは、この円卓を囲むことがなくなるということだ。
いつものこと。子どもたちも理解していること。
この7人で過ごすことの出来る日々にはタイムリミットがある。
ここにいるみんなの背中には、常に死が迫っている。
なぜなら、失敗作の子どもたちだから。
それが、ねむる家。
「いただきます、美味しそうね。」
ふんわりと焼き上げられたフレンチトーストに、フォークを突き刺した。
これはとても、容易いこと。