コメットハンター・グラビテーション重力に落ちた星は、空を仰ぐでしょうか。
星斑の片隅に帰りたいと、泣くでしょうか。
翔ける光に染まった煌めきを。
命を賭して燃える炎を。
その彩りを闇に抱かれてもなお、裂いて散らして。
網膜に焼き付いた君は、誰の涙より綺麗でした。
何処にも居ないデブリは、誰の涙だって知らないのに。
「ママ、これはなんというのでしょう。」
眼前にことり、と置かれたマグカップの中を見つめて、アルタイルは首を傾げた。
真白なマグカップの中には、これまた真白な何かが並々と揺蕩い、ほわほわと湯気を立ち上げている。
「ホットミルクよ。牛乳に蜂蜜を少し入れて温めた飲み物。冬の間は毎日飲んでいるでしょう?」
ママはその問いかけに、緩やかな笑みを浮かべたまま答えた。
「そうでした、ホットミルク。」
アルタイルは思い出しました、と頷いてからスプーンでそれを掬い、ふうふうと湯気を払ってから口へ運ぶ。
乳糖の微かな甘味に、塩味や苦味、それからわずかに含まれるクエン酸、リン酸のかすかな酸味らからなる牛乳の独特な、それでいてまろやかな口当たり。そこに蜂蜜のまったりとした甘みが加わり、ほこほこと温まったカップの中にほんの少しの幸せを作り出していた。
いっとう冷えた冬の朝…といってもそろそろ昼が近い頃合いではあるが、この時間帯に一番相応しいもののようにさえ思える。
「とても、おいしいです!からだが、ぽかぽかします」
「ふふ、それは良かったわ。…アルタイル、スプーンの使い方がとても上手になったわね。」
「ほんとう、ですか!」
アルタイルはほめられました!と笑って、喜びを表すように頭上の翼をぱたぱたと羽ばたかせる。
ママはそれを見て口角を上げ、目を細めた。そうして再びキッチンに戻って行こうと足を踏み出す……ちょうどその時。
「……ねぇ、ちょっと。」
ママの背中に声を掛けたのは、ビスだった。
「あら、ビス。丁度いいところに来たわね、もう少しでお昼の時間だったのよ。」
「……別に、食事を求めてきたわけじゃない。それにあんなルールがなきゃ、わざわざ食事なんて非効率なもの、無駄なだけだよ。」
そっぽを向いたビスは、面倒くさいとでも言いたげにはぁ、とひとつため息を吐いた。
「そんな事はどうだっていいよ。それより…前に頼んだもの、届いたか聞きたいんだけど。」
ビスがママに対して話しかけることも、何かを頼むことも滅多にないことである。故に、ママはビスが何を指しているのかすぐに理解した。
「ああ、それならちょうど昨日届いたわ。性能的には、最新と言いづらいかもしれないけれど…でも、大きいものなら充分見えるはずよ。」
ママはそれほど詳しくないけれどね、と微かに笑って備品の山の中から一際大きな段ボール箱を取り出してくる。
「…そう。」
ビスは最低限の返答のみであったものの、ママの様子をポッドで追っていた。それを見るとママはまたくすり、と笑みを作ってから、ビスの眼前にそれを差し出した。
ビスはそれを受け取ると、その場にしゃがみ込みガムテープの封を解く。丁寧に梱包されたパーツをテキパキと取り出していっては、よくよく観察してからスムーズに組み立てていった。
その様子をじっと見つめていたアルタイルは、興味ありげにふよふよとビスの近くへ漂っていく。
「ビスさん、これはなにに使うのですか?」
「天体望遠鏡だよ。星を観察するための道具。」
「もしかして、見たこともないの?…ああ、それとも忘れたのかな。」
「きちんと、知っていますよ!いま、おもいだしました!」
アルタイルは少々不服そうな反応を見せるものの、星を観察するというその一言に、かなりの興味を示していた。
「これを使うと、星が『きれい』にみえますか?」
「そのはずだよ。……星空が見えるくらい晴れていれば、だけどね。」
僕も使うのは初めてだからね、とビスは言葉こそ普段通りであるが、目に見えてそわそわと楽しげに望遠鏡の様々を観察している。
「今夜は晴れるといいわね。きっと綺麗な空なら、とっても素敵な光景になるはずよ。」
トントン、と小気味良く包丁の音を響かせながらママが相槌を打った。
「よるに、なにがあるのでしょう。」
「流星群だよ。1月の有名な流星群で、しぶんぎ座流星群って名前が付いているけど、実際はうしかい座とりゅう座の間を流れるみたい。」
「しぶんぎ座流星群は、ペルセウス座流星群、ふたご座流星群と並んで三大流星群のひとつと言われているくらい、1時間あたりの活動量が激しいんだってさ。」
はてなをたくさん浮かべて首を傾げたアルタイルに、ビスは極めて丁寧に即答する。
きっと今日のために調べたのだろうか、あるいは前から知っていてずっと心待ちにしていたのだろうか。いずれにしても、ビスの機嫌が大層良いのだろうということだけは明白だった。
「りゅうせいぐん……!とは、なんですか?」
アルタイルはパァッと表情を晴らす…ものの、困ったように眉間を吊り上げる。
「流星の群れ、と書いて流星群。名の通りだけど、たくさんの流れ星みたいなものが見られる日のことだよ。」
「流星群は詳しく言えば、彗星からふき出した砂粒の流れに地球がぶつかったときに起こる現象のことを指すことが多いみたいだね。空気が急激に圧縮されて高温になることで断熱圧縮されて、プラズマ化することで光を帯びているみたい。」
「なるほど!えっと、つまりは…星たちが、がんばっているのですか。がんばった星は、きっと『きれい』です」
アルタイルはビスの説明にきちんと相槌を打って聞いていたものの、やはり途中からは再びはてなを頭上にたくさん浮かべており、そうしてやがて己の中で腑に落とす解釈を見つけたようだった。
「…星には意思なんてないよ。」
「そんなこと、ありません!」
「空に輝いている星はガスの塊、太陽と同じような星だよ。どこに思考するような器官があるっていうのさ。」
ビスの言うことはおそらく正論である…のだろう。アルタイルは知らないこと、あるいは忘れてしまったことばかりだったが、ビスが言うのならば、少なくとも間違いはないはずだ。
「すこしは、ロマンチックに、かんがえたいです!」
だけれども、アルタイルはぷっくりと頬を膨らませる。
少しくらい夢を見たっていいと思った。少しくらい空想を膨らませたっていいと思った。
「…馬鹿じゃない。」
「ばかとは、なんですか?」
「いいよもう、この話は終わり。」
ビスは面倒くさそうにふい、と背を向けると、組み立てた望遠鏡を大事そうに抱えて廊下へ消えていく。
その背中に、ママがご飯までには来て頂戴ね、と声を掛けた。
真夜中に皆で集まるのは、非日常を感じて少しだけ背徳的な気分がした。
今は本来ならば、既にシャワーを浴びたり歯磨きをしたり…ベッドに入っている子だっているような時間だ。
アルタイルはふぁ、と出かけた欠伸を噛み殺しながら、だけれども気持ちは踊るような心地であった。
「これは…なんですか?」
アルタイルが集合場所だと聞いていた円卓には、それぞれの椅子の前に全員分……といっても、かつてビーネとドール・エミリーが座っていた椅子の前には虚ろが広がっているだけであるが。
ともかく、今現在ここで生活している子どもたちの分がそこには置かれていた。様々な色、模様が編まれている、ふわふわとした細長いもののようだ。
「ああ…これはね、マフラーよ。冬の夜は、きちんと着込まないと冷えてしまうでしょう?」
「編み物はそれほど得意ではないけれど……どうかしら。着けてくれるとうれしいわ。」
アルタイルは自席の前に置かれたマフラーを翼でふわりと持ち上げると、顔を近付けて肌触りを確かめるように頬へ当てた。
「ママが、つくったのですか?すごいです!とても、ふわふわであたたかいです!」
「……僕の分は、別に要らないよ。」
その様子をビスは見やるものの、己の席に置かれたマフラーには一瞥もせずに、中庭へ続く扉のドアノブを捻る。
「せっかくなんですから、巻いていけばいいじゃないですか」
その背中に声を掛けたのはオートミールだった。オートミールの手には、オートミール用なのだろうマフラーと…それから、ビスの席に置かれていたマフラーのふたつが握られている。
「要らないよ、寒くないし。」
ビスはしつこいとでも言いたげな口を顰めるようにきゅっと絞って、オートミールに向き直り再度拒否した…ちょうどその時だった。
「……!ちょっと、っ」
わ!とオートミールがビスの首に手を回す。それはみるみるうちに、ビスの首へふわりとマフラーを巻き付けていった。
「ほら、あったかいですよ〜。ぼくの手では、それほど綺麗に結べませんでしたけど…」
「僕に触って、痺れても知らないよ。」
「それなら、ぼくも機械ですから。心配はいりませんよ〜」
ビスが口を思い切りムの字にして、いかにもな不機嫌を醸し出しているが、一方でオートミールは愉快そうに口元を緩めている。
やがて根負けしたようにビスがもういいよ、と首を振った。だけれども、ほんの少しだけ不格好に巻かれたマフラーは解かずに、望遠鏡を大事そうに担ぎ上げると、ひと足先に中庭へ続く扉を潜っていく。
「あ、ひとりでは危ないですよ」
ビスの後ろ姿に声を掛けてから、オートミールも簡単に己の首へマフラーを巻き付けるとそれを追いかけていった。
「オートミール、じょうず!シルル、みならう……」
その様子をふんふんと真剣に眺めていたシルルは、同じように自分の首へマフラーを運んでみる。
……が、みるみるうちに首と腕がマフラーに巻き込まれていき、途端に身動きが取れなくなってしまった。
「……う、うご…」
「シルル…!?大丈夫?首が締まってしまうわ…!」
それに気付いたママが慌てて駆けてくる。シルルは自分で巻くことができなかったことにしょも、と少しばかり落ち込むも、大人しく屈んでママにお願いすることにした。
「輪っかのマフラーにすれば良かったかしら、今度は2種類とも編んでみるわね。」
「マフラー、いろんなかたち、ある…!?」
「ふふ、そうね…もしかしたら、ママが知らない形のマフラーも、世界のどこかにはあるかもしれないわね。」
ママは眉を下げて反省するように、丁寧にマフラーからシルルの首と手を救出する。それから手慣れたように、シルルの首へふわふわのリボンを作った。
「かわいい!すごい…!」
シルルはそれにわ!と喜んで、頭の後ろにあるリボンを見ようと、ひとりでくるくるとその場を回っている。
それに釣られるようにアルタイルもふよふよと寄ってきては、両翼で抱えていたマフラーをママに差し出した。
「えっと、ママ。わたしにも、おなじにしてほしいです!」
「ええ、もちろんよ。」
ママはそれに快諾をして、くるりと後ろを向いたアルタイルの首元にふわりと巻き付ける。
アルタイルはそれがなんだかくすぐったくて、身体をもぞりと震わせながら小さく笑みを溢した。
「ん?ごめんね、どこかに当たっちゃったかしら。」
「大丈夫です。すこし…えっと、くすぐったかった、だけです!」
「…ふふ、お話がしやすいように口まで下げておきましょうか。」
幼いアルタイルには少しばかり大きかったのか、顔の半分くらいがマフラーに埋まっている。口が塞がってもごもごと話すアルタイルを見て、ママはふっと笑ってからマフラーを手直しした。
「さぁ、行っておいで。ビスとオートミールが待っているわ。」
ビスとオートミールにも分けてあげてね、と一言添えてから、アルタイルとシルルの肩に温かいお茶を入れたポットをぶら下げる。それからそっと、扉の方へと2人を促した。
「ママ、いかない?いま、おひさま、ない」
シルルが首を傾げて振り返る。それにママは想定外だというようにきょとんと少しの沈黙を置いてから、そうねと相槌を打った。
ねむる家に来てから、記憶がある限りではこんな夜に外へ出たことはなかったが、日中ではないのなら、ママも出られるのではないか。
「シルル、ママにも…きれい、みてほしい」
「…ありがとう、じゃあ一緒にいきましょうか。」
3人で中庭へと続く扉を潜る。ママと外に出るのは初めてのことだったから、なんだか心臓がドキドキした。
ぴゅう、と風が絶えず吹きつけている。思わず漏れた白息が、空に溶けていった。それを追いかけて天を見上げる。
「わぁ…」
その感嘆は、本当に心の底から出たものだった。
いつもは分厚い雲に覆われている空なのに、今日は少しばかり晴れたその隙間から、星屑が懸命に輝いているのが見える。グリッターを溢したようなそれは、こんな地球にもまだ美しい景色が残っているのだと希望を持たせてくれた。
「ママ、星空を見るのは久しぶりだわ。」
とっても綺麗ね、と呟いてママが嬉しそうに微笑む。その時のママは、少しだけ容姿相応の少女の様に見えた。
「……はい、とても」
アルタイルは空を見上げたまま、静かに同意する。
アルタイルには、暗闇に馴染みがあった。けれども、アルタイルの知っている…あるいはもう忘れてしまったその暗闇には、これほどに繊細で命を賭けた輝きたちは存在していない。
だからかどうかは分からないが、瞬きも惜しいほど瞳に焼き付けたいと思った。なのになぜだか視界が潤んだ気がして、目が瞬きを要しているのだと決めつけてぱちり、目をゆっくりと閉じる。
「アルタイル。あの星座、覚えてる?」
いつの間にか隣にビスが来ていて、空に向かって指を差していた。それを辿って再び天を仰ぐと、その先は台形をふたつ逆さまにくっつけた様な星座だった。
「えっと……なんだったでしょう?」
アルタイルはその星座に見覚えがあった様な気がするものの、どれだけ頭を捻っても思い出せない。……大人しく首を横に振って、ビスを見上げた。
「全く、仕方ないね。君って宇宙が好きなんじゃなかったの?」
「…そうか、でも君の星は夏の星だしね。もしかして、夏の方が良かったかな。」
ビスはその様子に呆れた様な反応を見せる。だけれども、不調による症状だということも知っていたからだろうが、それほど追及はしない。
その後独り言のように呟いたそれを、アルタイルは理解する事ができなかった。
「あれはオリオン座。冬に一番見つけやすい星座だよ。」
「それからずっと真っ直ぐ、北にある……そう、あれが北極星。ポラリスっていう名前で、こぐま座の尻尾の先にあるんだってさ。」
「ほっきょくせい…こぐま、かわいいです!」
ビスが空に指差したまま解説をするのを、アルタイルは目を輝かせてふんふんと聞いていた。
こぐま座、なんてかわいい星座なのだろう!
わたしは、星座ではなくて、星がいいけれど。だけれどもそのとき、きっときっとかわいい名前を付けてもらえたらうれしいな。
「そこから少し東を見てみて。あれ、そう…それが北斗七星。こっちはおおぐま座の尻尾だよ。」
「おおぐま座も、いるんですか。『おやこ』ですね」
「……そうだね。親子を象徴する星座みたいだし。」
ビスはそれに少しだけ、機嫌を損ねたような態度で返答をする。
「今日見られる流星群は、あの辺りを流れるみたいだから。そこを見てればいいんじゃない。」
だけれども、今日はやはり機嫌が特別良いようだ。その横顔を見て、アルタイルは口角が上がるのを感じていた。
ビスの顔から、再び星空へと視線を移した時。
「あ!」
きらん。
星がひと筋、流れていくのが見えた。
「あれ!あれが、『りゅうせいぐん』ですか?」
アルタイルが興奮気味に反応する。ビスは多分そう、と短く返答した。
それから僅かも間を置かずに、また星が軌跡を描いては消えていく。それが何度も何度も、絶えず繰り返される。
瞬きをして、再び瞬きをするまでの間に、これだけの流れ星を視界に入れたのは初めてだった。
月並みな表現にはなるけれども、本当に幻想的な光景で。
星が描くそれは、短かったり長かったり。角度も時間もバラバラだけれど。それでも、これ以上に美しい光景はきっとないのだろうと思えた。
「すごい!きれい!…でも、ほし、おちる……あぶない…?」
「流れ星は隕石ではありませんから、心配いりませんよ〜」
焦るシルルをオートミールが宥めて、そのまま望遠鏡を覗いてみませんか?と望遠鏡の方に近付いていく。
「みたい!おおきく、みえる…わくわく」
「ぼくも気になっていました。使うのは初めてなので」
それにビスがあ!と比較的大きな声を出して制止した。
「見るのはいいけど、あんまり触らないでよね。壊されたら困るんだから。」
「分かっていますよ〜」
「……む、シルル、こわさない…」
オートミールはこくこくと頷き、シルルは若干不服そうな表情を浮かべる。……が、2人は努めて慎重に覗き込んでいた。
目を離しては綺麗!すごい!と飛び跳ねるシルルを見つめて、アルタイルも少しだけそちらが気になったけれども、もう少しだけ自分の目で眺めていたかった。
今日は永遠ではないから。
「……ビスさん、今日はつれてきてくれて、ありがとうございます」
「『きれい』な星たちをたくさん見られて、とてもうれしいです」
「……別に、僕が見たかっただけだから。それに、僕が呼んだわけじゃない。」
ビスは少しだけ寒そうにほぅ、と息を吐き出した。
ああ、なんて優しい人なのだろうか。
今教えてもらった星座たちの名前も、知識も。きみの名前だって。きっと明日の朝にはすっかり忘れているかもしれないのに。
…でも、それでも。きみは、明日も明後日も、何回だって聞いたら教えてくれるのだろう。何度だって同じように。
わたしの”記録係”だからときみは言いますが、それがきみのとても良いところです。
あ。”記録係”が、ということではないですよ。
『忖度』も『媚び』も無い、『探究心』に溢れたその姿を、わたしは少しだけうらやましいと思います。
わたしは本を読むことがすきです。空想することもすきです。でも、それをおぼえておくことはもうできません。『じゅうぶん』にたのしむこともできません。
わたしは、最近知ったことがあります。なにかを考えるというとき、なにかを理解しようとするとき、無知ではむずかしいのです。
だからどうか、ビスさん。きみが憧れているこの星々たちにだけは、裏切られることのありませんように。
世界がどんなに邪悪で、姑息で、薄情だったとしても。
この星空にだけは、心を許せたらいいとおもいました。
それから…
それから、わたしは。
この星空を、最後の最後の一瞬のその時まで、覚えていたいとおもいました。
記憶として残せないのなら、この両の瞳に焼き付けようとおもいました。
暗闇は恐れるものではない、輝くもののためにあるのだと。
光は自由で、繊細で、有限だ。
だから、星の瞬きと命の熱は似ている。
星も命も、潰えるその瞬間に美しくなにかを彩るのだ。