キスしないと出られない部屋「そっちも何もなさそうか?」
「はい、出口や壁を壊せそうなものは見つからなかったです」
氷帝学園テニス部3年宍戸亮と2年の鳳長太郎は、だだっ広い部屋に閉じ込められていた。放課後、2人は部活動のために部室へ向かったのだが、入室した瞬間まばゆい光によって目くらましをされ、気付いたらこれだ。
部屋にはソファやベッドといった、生活するのに必要最低限の家具しか置いていない。入ってきたときにはあったはずの扉は、確かにそこにあったというのにすっかりなくなってしまっている。床と壁はコンクリート打ちっぱなしのような材質で、壁には大きくこう書いてあった。
『キスしないと出られない部屋』
このような珍妙な部屋に閉じ込められ、外との連絡手段も出口もない。最初、2人を襲ったのは恐怖心だったが、人間とは不思議なもので、こうも外に出る手段がないと一周まわって冷静になってくるものだ。どうにか脱出方法はないか、壁に書いてある表記を無視して探し回っていた。だってキスして出られる部屋なんて現実離れしたもの、存在するわけがないのだから。
「おーい! 誰かいねえか!?」
今度は外に向かって呼びかけてみる作戦に出た宍戸を横目に、鳳はぐるぐると思いを巡らせていた。
鳳は宍戸が好きだ。先輩として、ではなく、恋愛的な意味で。
この内に秘めた思いを伝えよう、というのは今のところ考えてはいないが、いつかお付き合いができたらいいな、そう思っている。宍戸さんと2人、密室。この部屋からいつになったら出られるのかという不安はありつつ、不謹慎ながら正直嬉しい。そして、壁に書いてあることが現実になればなおのこと嬉しいとも思っている。
ひとしきり叫び終わって、反応がない様子に落胆する宍戸にドリンクを渡しながら鳳は声をかけた。
「宍戸さん」
「……なんだよ」
「やはり、するしかないんでしょうか……キス」
「馬鹿言うな、長太郎。どこかで撮られてたりしたらどうすんだよ」
そう言って鳳の差し出したドリンクを一口飲むと、どかっとベッドに腰かける。
「……せっかくレギュラーになれたんだ。こんなところで足止めくらってる場合かよ。激ダサだぜ」
そう言ってうつむく宍戸を見た鳳は、ハッとした。そして、この部屋に閉じ込められてうれしいなどと浮かれたことを考えた自分を恥じた。今は部活動の時間。死ぬ気で練習をして、レギュラーに返り咲いた宍戸さんにとって、この時間はどれだけ大切なものか……。一刻も早くここから出ないといけない。そして、宍戸さんとテニスがしたい。そう思った。
「宍戸さん」
鳳は宍戸の前で片膝をついて片手をとる。そして、驚く宍戸をよそにそっと手の甲に口をつけた。
「部位の指定はないようですから、手の甲でも良いはずです」
宍戸の手の甲を撫でながら言う鳳だったが、部屋中に鳴り響くのは無機質なビープ音だけだった。
「なんだこの音」
「ダメってことなんでしょうか」
「おい見ろ」
部屋に書いてある文字がじわりと変わり、『ちゃんと! キスしないと出られない部屋(撮ってません!)』へと変わる。今まで押しても引いても変化のなかった部屋に訪れたようやくの変化。宍戸と鳳は、この部屋は正真正銘”キス”をしないと出られない部屋であることを悟った。
「ちゃんとってなんだよ、ちゃんとって……」
「宍戸さんは!」
目の前の宍戸は大きな声に驚いたのか、真っ赤な顔でうつむきながらびくっと反応する。自分でもこんなに大きな声が出ると思っていなかった鳳は、少し声のトーンを下げて言った。
「嫌……ですか? 俺との……その、キス」
宍戸は鳳の思いがけない言葉に反応しようとして、あー、とか、うーとか唸り声をあげ、ベッドに横たわる。真剣に言葉を待つ鳳をちらりと見て、目をそらし。枕に顔をうずめて、ようやく「嫌……じゃねえから、困ってんだよ」と聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声を出した。
「それは、嫌じゃないってことですか?」
鳳がゆっくりと立ち上がりベッドに座ると、ギシ、と部屋に二人分の重みでベッドがきしむ音が響く。枕で顔を隠した宍戸は、ふるりと枕と頭を縦に振って鳳の質問に回答する。
ごく。鳳が息をのむ。それって俺のこと好きってことですか? 宍戸さん。そう聞きたくても聞けなかったのは、宍戸が枕から少しだけ顔を出し、鳳にかすれた声で「しねえの……?」と聞いたからだ。
そこからの鳳の行動は早かった。宍戸から枕を奪い取ると、宍戸の顔の横に腕を置き顔を近づけ、少しだけ自身のネクタイを緩める。宍戸の瞳は涙か動揺かわからないが、ゆらゆらと揺れている。瞳の中にうつるのは、欲まみれの鳳自身だった。それをあえて見ないようにするかのように鳳は軽く目を閉じると、宍戸の唇に自身の唇を重ね、離れた。
「宍戸さん、俺」
そう言いかけたところで宍戸と鳳の視界は白んでゆき、気付けば部室にいた。
「……」
「……」
部室には二人きり。お互い隠れるようにこそこそとジャージに着替えると、宍戸は沈黙に耐え切れなかったのか鳳に話しかけた。
「あの、よ。さっき変な場所にいた……よな?」
「……。はい、そこで俺は宍戸さんに……」
「……」
「……」
このままなかったことにもできる。しかし、鳳の唇にわずかに残る感触が、耳まで真っ赤なことがわかる宍戸の後ろ姿が、それを許さなかった。
「あの、宍戸さん。聞いてください。俺、宍戸さんのこと……」