至高の楽園① 茨から誕生日プレゼントは何がいいですか?と聞かれたとき、明確な答えが出てこなかったジュンは一度、回答を保留にさせてもらった。敢えて茨から何が欲しいかなんて聞いてもらえるとは思わなかったし、適当な回答をすればそれは茨に対して不誠実だと思った。だからジュンは、自分がいま心から欲しいものを一日かけてじっくり考えた。考えたうえで出した答え、それは――。
「ポリネシアンセックス~~~?」
「ちょっ、茨、声おおきいですって……!」
ジュンが伝えた“プレゼント”は物理的なものではなかった。しかも天下の往来で堂々と声に出せる類のものでもない。だからこそ、ジュンはある程度の覚悟を以て、人気の少ない時間に茨を食堂に呼び出し、周囲の目を確認しながら、わざわざ端っこの席を確保した。だというのに、そんなジュンの涙ぐましい努力を無駄にするような馬鹿でかい声で恥ずかしげもなくセックスなんて単語を言ってのける茨の口元をジュンは慌てて覆った。
どんな状況にしてもアイドルが俗物的(しかもスキャンダラス)な言葉を言うべきではない。それこそ茨から口を酸っぱくして言い聞かせているものだったはずだ。それほど、今回のジュンの『おねがい』が茨にとっても予想外のものだったということでもある。茨も声に出してから自分の失態に気が付いたようで、ジュンと同じように辺りを見渡し、人がいないことを確認してから口元を覆っているジュンの手を軽く払い除けた。両腕を組み、どうしてそんな馬鹿なことを望むのか説明しろと、無言で圧をかけてくる。ジュンは椅子に座り直し、すでにぬるくなっている炭酸飲料と共に罪悪感を喉へ流し込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「オレだって必死に考えたんですよぉ?でも欲しい物って改めて聞かれるとパッと浮かんでくるものはありませんでしたし、であれば茨と過ごす時間……というか、いちゃいちゃする時間がほしいなぁって」
「そこまでは理解できますけど、なぜ敢えてポ……、あれは数日かけて行うものでしょう。じれったくないですか?」
「それが醍醐味なんでしょうよ。……ほら、オレらって基本的に時間に追われてるから、いつもそういうことをするってなってもあんまり余裕がないっていうか、始める前も終わった後もゆっくりはできないじゃないですか」
これは致し方のないことではあるが、二人が恋人として存在できる時間は限られている。そのことに不満があるというわけではないけれど、欲を言えばもっとそれに割く時間と余裕が欲しい。いつもの、衝動に任せてベッドへなだれこむようなセックスではなく、言葉にして愛を伝え、互いの肌と心を重ねるような時間を過ごしたい。それはジュンにとってどんなに高価なブランド品や宝石よりも価値のあるものだった。
「なるほど。つまりジュンはいつもより時間をかけて、じっくりと自分とそういうことがしたい、と」
「う……まぁ、有り体にいえば、そうです」
改めて確認されると羞恥心と居たたまれない気持ちでいっぱいになる。ジュンは飲み干したグラスの縁を意味もなく指先でいじりながら頷いた。暫しの沈黙。実際は一分程度のものだったが、ジュンにとってはその10倍くらい長いものに感じた。やがて茨が組み合わせていた両腕を解き「わかりました」と頷く。
「それが本当にジュンの望みとあらば、叶えてさしあげます。ちょうど今日からEdenでの仕事で必然的に一緒に過ごす時間も増えるわけですし」
「!ほ、ほんとうですか……?!」
承諾されるとも考えていなかったジュンがその場で立ち上がると、その勢いに驚いた茨が軽く咳払いをして、照れ隠しの代わりに珈琲を啜った。
「こんなことで嘘を吐いたりはしませんよ。……大切な恋人の、一年に一度の大切な日ですから」
「い、いばらぁ……」
じーん、と感動に浸るジュンの瞳は心なしかいつもよりもきらきらと輝いている。その純粋無垢な眼差しから逃れるようにして茨は視線を横に逸らした。
そんなこんなで、思春期真っ盛りの二人による特別な五日間がスタートしたのである。これが半日ほど前の話。二人はこの後、Edenとして四人での仕事を終え、ロケ先のホテルに宿泊することとなった。元々だったのかジュンから話を貰ってから変更がされたのか定かではないが、部屋割りは二人一組で、凪砂と日和、ジュンと茨といった具合に分かれていた。
明日の打ち合わせを終えて、それぞれの部屋へ案内される。ごく一般的なビジネスホテルではあったが、室内は清掃も行き届いていて清潔感があった。しかし、部屋の奥に進んでいったジュンは思わず抱えていた荷物をその場に落としてしまうくらい驚いた。なんとベッドが一つしかないではないか。
「い、茨……?これは、いったい」
「はい?何をそんなに驚いているんです。そういうことをするのにわざわざツインの部屋を選ぶわけがないでしょう。心配しなくてもアリバイはありますよ」
「アリバイ……?」
「ええ。元はこの部屋を自分たちではなくスタッフが利用するはずでした。が、手違いで一室だけダブルの部屋を確保してしまった。そこで自分が交換を申し出たんです。『メンバーとであればそこまで苦ではないから』と。ほとんど押し切るような形ではありましたが、議論している暇を与えないようにしたら、該当スタッフは案外すんなりと引き下がってくれましたよ。とまぁ、一応は自然な流れで自分たちは一つのベッドに入ることを許されているわけです」
「なるほど。さすが茨っすね」
意図的にベッドを共にする部屋を選んだとあれば、疑いの目を向けられる可能性がある。少しでも不安の種は潰しておきたい。茨のリスクヘッジは今日も完璧なようだった。納得したジュンは足元に落として荷物を拾い上げ、部屋の隅に置き直す。打ち合わせと同時に食事は済ませたし、あとはシャワーを浴びてベッドに入るだけだ。けれど今日は、ただ眠るだけではない。明確な目的があって、二人は同じ部屋にいる。
ジュンが横目にちらりと茨を見ると、荷物を整理している後ろ姿が見えた。不意に茨が振り返ると、ジュンは声もなく驚いてびくりと身を跳ねさせる。ジュンの挙動不審に首を傾げた茨が「大丈夫ですか?」と尋ねた。ひゃいっ、と思わず声が裏返ってしまったジュンを見て茨は思わず吹き出した。
「ちょっと、笑わないくださいよぉ!」
「っふ……だって、そんなあからさまに緊張しているジュン、久しぶり見たから……っ」
くっくっと鳴らして腹を抱える茨は笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を軽く拭った。いつもは高らかな笑い声を響かせている茨ではあるが、実は本気で楽しいと思っているときほどひっそりと笑い声を立てているのだとジュンが気づいたのは最近のことだ。
「はぁー……笑った。とりあえずシャワーを浴びましょう。一緒に、と思ったんですけど、おそらくそれだとジュンのご要望に応えることができなくなってしまうと思うので、今日は交代で入りましょうね」
「うぃ~っす……じゃあ、茨さきに入っちゃってください」
「ええ、ではお言葉に甘えて」
簡単なやり取りをしてから茨は着替えを片手にシャワールームへ閉じこもった。残されたジュンはそわそわと落ち着かず、意味もなく部屋の中を歩き回ったりベッドのシーツを整えたりしていた。これから始まる特別な五日間をこの部屋で過ごすのだと思うと、どうしたって心ははやるのを抑えられなかった。
「さて。では、始めましょうか」
互いのシャワーと軽く明日の打ち合わせを済ませてから、ベッドに上がる。身体を重ねること自体は初めてではなかったが、セックスに至るまでの前戯をこれだけ長い時間(しかも間を空けて)行うのは初めてだったため、今日に至るまでにポリネシアンセックスについての知識をネットから拾い上げていた。
一日目は本当に初歩の初歩。まずは全裸になってなにもしないままお互いに見つめ合う。言葉だけでは大したことではないように思えるが、実際にやってみると意外と難易度が高い。というのも、改めて自分の身体を相手の前に晒し、じっくりと見られるという時間は常であればありえなかったものだからだ。端的にいうと、ものすごく恥ずかしい。
「なんつーか、すっげ~きまずいっすね……?」
「そうですか?自分はそうでもありませんけど。ジュンの落ち着きがない様子がちょっと面白いなと思ってるくらいですし」
「GOODAMNそうやっていつもからかって……」
これでは服を着ていないというだけでいつもと何も変わらない。これで本当にいいのだろうかとジュンが考えていると、不意に茨がジュンの腹筋をぺたぺたと触ってきた。突然のことで退くことができないまま、なんですか?とその様子を怪訝そうに見下ろす。
「いえ。ジュン、また少し絞りました?」
茨の指先が綺麗に浮き出たジュンの腹筋をなぞる。ぴくりと反応をしてしまうのが恥ずかしかったけれど、それよりも茨に自分の努力を認めてもらえたような気がして、悪い気分ではなかった。
「わかります?あんまりやると衣装が入らなくなるからって加減はしてるんですけど……最近はグラビアの仕事も増えてきてますし、魅せるための身体作りっていうんですかね?そっちにシフトしようかと思って」
「それはそれは、殊勝な心掛けですな!しかし、努力の証が目に見えていい具合ですね。正直、世間の目に晒すのが惜しいくらいですよ」
茨の細長い指先が、ジュンの臍から胸元にかけてを、つつ、となぞりあげる。どこか艶めかしいそのしぐさに、ジュンは思わず生唾を飲み込んだ。
「っ、茨……ぎゅーしていいですか」
「ふふ。ええ、どうぞ。ハグはいいんですもんね」
ジュンの余裕のなさを楽しんでいるのか、ゆるりと口元に弧を描いた茨は望まれるままに軽く両腕を広げる。ジュンがその間に身体を滑り込ませてからそっと背を抱きしめると、二つの肌がぴったりと重なり合った。髪の毛からふわりとシャンプーの香りが漂う。目を合わせるとお互いに思っていることは同じようで、ふ、と同時に頬を緩ませた。
「同じ匂いがするのって、なんかいいっすね」
「ありきたりですけど、ぐっとくるものはありますね。……ジュン、もっとくっついて」
「ん、」
ジュンは茨に望まれるまま、抱きしめる腕に力を込める。そのまま二人でベッドに横たわり、脚を絡ませた。身体のパーツひとつひとつを確かめるように互いの身体へ掌を滑らせ、異なる体温を重ねて笑い合う。繋がってはいないのに、一つになれている気がした。それから二人で眠くなるんで、なんてことはない話をした。けれどそれは、ジュンにとっても茨にとっても、ひどくかけがえのない時間だった。
二日目へ続く