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    若トマ長編予定の話まとめ。
    前作【https://poipiku.com/1034608/9131849.html】の続き

    #原神BL
    genshinBL
    #若トマ
    youngThomas

    【若トマ】タイトル未定の長編予定② それが、これまでの人生にふたつある、特別な夜のうちのひとつ。

     ふぅと息吐き過去へやった思考に終止符を打ち付ける。片腕に一升瓶を抱え部屋を出れば、とっぷりと日の暮れた夜は、思い出したばかりの記憶の残り火をくすぶらせた。
     それほどに、心に焼き付いた夜であった。
     声が枯れるほど泣いたのは、きっとあれが最初で最後。
     吹っ切れたワケじゃない。父を探すことを止められたわけでもない。
     無力な己を呪うことも。故郷を恋しいと思う心も。
     投げられた言葉に感じた憤りですら、頑是ない胸を焼いたまま。
     けれど、あの一夜は、トーマと綾人の関係にささやかながらも変化をもたらした。
     稲妻へ至るまでの道を吐露したことがよかったのか。
     沸いた怒りをぶつけてしまったことが功を奏したのか。
     綾人がどう受け取り、トーマに手を差し伸べたのか。その真実を推し量ることなど、できはしなかったけれど。
     それでも、夜の海辺。すべてを飲み込むような波音の中。トーマの手を取り、引いたその腕は正しく光であった。
     踏み締めた砂浜のざらつきを覚えている。交わす言葉もほとんどなく。ただひとこと。どこか楽しげに零された綾人の声だけが、潮騒に混ざりやけにトーマの耳へ残されていた。
     夫人に叱られ。されど心配したのだと珍しく潤んだ眸でふたりまとめて夫人に抱きしめられた時の、なんとも言い難い気持ちを、トーマはきっと生涯忘れやしないだろう。
     キィと鳴く木の板にハタと意識を現実に引き戻す。気づけば、いまだ灯りの零れる部屋の前まで来てしまったようだ。

    ――しまったな。

     晩酌の供に、厨でいくつかつまみを用意するつもりであったのに。いま、手の中に在るのは天袋から取り出した瓶がひとつだけ。つまみどころか酒を呑む器すらも持ち合わせていない。
     今夜の自分は、どうにも腑抜けてしまっているらしい。
     首を振り、とにかく仕切り直そうと踵を返す。まずは厨に赴き、酒にあうつまみを数種拵えよう。今夜はさほど夕餉も召し上がっていない様子だったから、軽くても栄養価のあるものがいいだろう。酒杯はなににしようか。御猪口はなんだか違う気がする。盃も。なら、やっぱりここは玻璃の器にすべきか。確か、切子細工の美しいものが数種あったはずだ。さて、蒲公英酒にあわせるには、どれがふさわしいか――と、先刻までとは別の思考に耽ったところで、すっと背後の障子が開かれた。
    「トーマ」
     まだ顔も覗かせていないというのに、自分を呼ぶ声には、確信めいたものがある。 
     不思議だとは思わなかった。そも、いま時分、彼の部屋を訪れる者は限られているのだ。
     通いの奉公人は、すでに各々の家へと帰り。住み込みの使用人は皆、与えられた自室で己の時間を謳歌していることだろう。見回り番の経路に当主の部屋は含まれてはいない。
     夜分に綾人の部屋を訪れる可能性があるのは、妹である綾華か。はたまた、社奉行当主直属の隠密部隊である終末番の面々。そうして、トーマくらいだ。
     そんな数少ない対象から、わざと鳴くように作られたという廊下を行く足音の主を推し量ることなど、きっと彼の部屋にうず高く積まれた書類の束を読み解くよりも容易い。
    「すみません、若」
     酒だけ持ち出して、他の準備を忘れてしまいました。そう、開かれた部屋の前まで外廊を細やかに踏み鳴らし、手にした酒瓶を掲げ見せ、素直に白状する。
     きっと、耳は赤くなってしまっているだろう。
     なんて失態だ。せめて、鳴き廊下を踏み前に
     微かに見開かれた双眸が瞬く。それから、珍しいこともあるものだね、と綾人は肩を竦めた。
    「いまから手早く作れるものを用意してきます。確か、作り置きもいくつかあったとおもうので。もう少しだけ待っていてください」
     矢継ぎ早に言い置き、再び踵を返そうとしたトーマの手を綾人に取られ、引き留められる。くっと後ろに傾いた態勢のまま、トーマの腕を引いた人を見降ろせば、大丈夫だから入っておいで、と細められた藤の双眸と目が合った。

     踏み入った部屋の中は、今日も今日とて雑然としている。
     足の踏み場もない――とまではさすがにいかずとも、積み上げられた書物に散らされた書類はいっそ壮観だ。苦笑まじりの息を零し、ふと明かりの灯るに向ければ、文机の上にまだ乾ききっていない硯と筆が放りだされている。
     それでも、トーマが少しくらい部屋を片してはいかがですか、と。小言を零さないのは、少なからず意図あってのことだと理解しているからだ。
     端正な字で綴られた書状の傍ら、机の隅に寄せられた文箱だけは、乱雑にみえる部屋の中で奇妙なほど整っているのが、なによりの証拠。
     まぁ、でもあの文箱に収められているのは、綾華から体調を慮る文。それから、年配の家令の小言じみた報告。そうした日頃から屋敷を留守にすることの多い当主へ向けられた言葉の数々が収められているのだから、雑然としたこの部屋の中で、ある種の特異点であるのかもしれない。
     そこに、昼間トーマが綴り入れた文も当然の顔をしていることを思うと、少しだけ面映ゆいものがある。
     ささやかな明かりの灯る部屋をそうして見遣っていれば、部屋の主が静かにトーマを呼んだ。
    「いただいた菓子をとってあるんだ。つまみはこれでどうだろう」
     その酒にあうのかは、わからないけど。言いながら、器用にわずかばかり顔を出した畳の上を縫い歩き、戸棚を開き取り出した包みを見せられる。流れるまま渡されたソレは、稲妻であまりみることのない包装だ。
     ついで酒器を探す綾人の話を聞けば、璃月の土産物なのだと言う。先日、万葉がめずらしく社奉行に顔を出した時にでも、渡したのだろうか。数日前、顔をあわせたばかりの友の姿がすぐに脳裏へ浮かぶ。
     鎖国令が解かれたあと。催された容彩祭の裏で起った一件については、トーマも報告を受けた。
     当事者となった綾華と、海岸に聳え立つ岩場の狭間に、ひっそりと作られた亡骸なき墓場の前で、万葉自身から。そのときにこれと似た包みの菓子を受け取り、ふたりでその場で食べた記憶は新しい。いまは亡き、もうひとりの友はきっと、これほどうまい菓子を食べられずに歯噛みしていることだろう、と。そう言って笑う万葉の顔は、トーマのよく知るものだった。
    「よし。これにしようか」
     微かな布擦れの音に意識を向け、ことりとふたりの間に置かれた桐箱に目を遣る。躊躇いもなく開かれたその箱に、つつましく収まった酒器は陶器製の小ぶりのものだ。美しい指先が桐箱から恭しくそれを取り出し、トーマが引きよせて置いた平卓の上に並べられる。
     覚えているかい。そう視線だけで問われ、トーマは小さく頷いて返した。
     忘れるはずがない。忘れられるはずがない。ささやかな思い出のひとつだ。
     職人の技もなにも感じられない、歪な仕上がりの、小さな御猪口。それもそのはず。それは、神里家前当主であった綾人の父とその夫人のために、綾人とふたりで悪戦苦闘しながら作り上げられたものであるのだから。
    「まだ残してあったんですか」
    「なかなか捨てきれるものでもないだろう」
     まして、こんな風に桐箱にいれられてまで、大事にされていたものだ。主が居なくなってもなお、廃れた様子がみられないのは、綾人が手入れをおろそかにせず、亡き父の心を引き継いだからこそであろう。
     まったく大袈裟な、とは思わなかった。きっとトーマの手にこの酒器が渡っていたとて、同じ結果に落ち着く。億が一にも有り得ない未来であるけれど、そんな確信が胸にあった。
     歪な飲み口を指先で恭しく触れてから、持ち込んだ酒瓶を前に出す。
     微かに見開かれた藤の眼は、けれど何も言わずにそっとトーマが触れたばかりの御猪口を手に掲げた。硬い栓を抜き、歪な器を満たす。鼻腔を擽る香りに、思い出す後ろ姿は随分と色褪せてしまった。
     そのことに胸が痛まぬことに、あの頃抱いた嫌悪感は不思議とない。
    「璃月の菓子に、稲妻の酒器。それから、モンドの蒲公英酒、か。まるで万国博覧会だ」
    「偶然の産物ですけどね」
     冗談めいた口調に同じ音を返しながら、もう一方の御猪口を手酌で満たす。
     本当にいいのかい、と問われることはなかった。それが、ある種救いのようでもあった。
     だから、トーマもこの酒のことを覚えていますか、と訊ねはしなかった。
     深い呼吸を一度。鼻腔を擽る酒気には、やっぱり馴染みがない。無意識に呑み込んだ唾に、綾人が先に呑もうかとトーマへ投げかける。その声にハッと顔を上げれば、変わらず穏やかな笑みが見えた。緩く首を横に振って応え、口元へ御猪口を寄せる。最後にもう一度、息吸えば、いっそう濃く香る匂いは、もうずっと忘れていた故郷微かに――そうして、在りし日の記憶を色濃くトーマの脳裏に描いた。
     
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