EHT 以前の私は、寝る事こそ好きでも起きるのは厭いだった。
夜型なせいもあっただろうけど、根本的な理由としては至極単純に眠る事が苦手なせい。
私は昔から眠気を堪えたがる妙な癖がある。
特にこれといった深い理由もなく、ただの悪癖に過ぎない──でもある頃から意味が乗っていた。
『今この瞬間にも生じる感情を途切れさせたくない。ずっと感じさせて欲しい、幸せでいたい』
それはスコープと出会い共に過ごしていく内に芽生えたもの。傍から見れば重々しいどころではない。
とはいえ、私は人間である以上眠らぬ訳にもいかない。だから結局ギリギリまで起きているだけの範疇で済んでいた。
──だがいつからか別の意味が滲み、混ざり合い……気が付いた頃にはどうにもならないほど複雑に拗れてしまっていた。
『今日が過ぎるほど近付くいつか未来が厭。それを直視したくない、考えたくない……!』
まだずっと遠い筈の未来──されど案外身近で、いつ訪れるかも判らない終末の刻。
漠然とした不安が私の心を蝕んだ。
しかしどれだけ苦悩し、悲観しようと諦める他ないのは解っている。私は諦めるのが得意で良かった!なんて冗談では軽過ぎて、残念ながらとても逃げ切れはしなかった。寧ろ軽薄さは余計な歪みを招き自分を軽いものとしてしまった。
そして恐らく、スコープは理解し得ないだろう。
どうやら《ヒトとアプモンとでは死の概念・定義が違う》らしい。
いつだかそんな話を聞いた時、マイバディは定命ではないとの事──だがアプモンだからといって《一概にそうでもない》とも言っていた気がする。元よりヒトと違って蘇生が可能なアプモンはその辺の感覚が薄いとか、寿命から何までとにかく個体差が激しいとか……。
そんな中でもスコープという個は特に薄い側の様に思える。
私はそれらをただの一知識として流していたが、ある時そこからふと察してしまったのだ──『スコープには先が見えていない』と。
ヒトとは違い、本来なら考える必要すらないのだからある意味当然だろう。
……正直羨ましかった。純粋に今を見られない私にはその視点こそ必要なものだと悟っていたから。
──しかし同じ視点に立ったところで既に盲いた眼では意味が無かった。
寧ろ『どうしようもない』という更なる不安と絶望に苛まれ、私は尚のことスコープの手を離せなくなってしまった。
だからいっそ、私と同じように──いや、もっともっと、底なしに狂って欲しかった。とにかくただこの虚を埋めつくして欲しかった。
それか一緒に潰えて欲しくて……それも無理ならせめて私の最期を飾るだけでも、なんて。
始めからどれも叶わないことだと分かっていた。コレは到底受け入れられるものではないと理解していたから。スコープなら尚のこと拒絶するだろうとも。
それなのに、何故か理想が叶ってしまった。不幸の上に成り立ってしまった。
────
ある日急にスコープが崩れた。
私を背後から伸びるコードで締め上げ、肩を掴んだ両手で壁に押さえ込まれる──その時のスコープは今まで見た事もない鬼気迫る形相だった。
「ほろか、俺はどうすればいい……?お前の望みはなんだ?何をすればお前はもう本心を隠さずに済むようになる?俺は、ただ、ただ……」
それは私が──例え知らぬ間とはいえ──スコープを壊してしまったのだと察するには余りある言葉だった。
一体何が致命的だったのかが私には判らず覚えてすらいない。
ただ地を這う様な声が段々と小さくなっていった事と、私を掴む手も震えていた事。それと酷く辛そうで、しかし必死に何かを堪える様に歪められた顔だけはやけに鮮明に覚えている。
その時のことを思い出す度に際限のない後悔と救いようのない愉悦で心が掻き乱される。確かに私が壊したのだ、と……。
以降のスコープは現在に至るまで加速度的に崩れていくだけであり、実際データも壊れつつあるのだろうとは思う。その証拠にワタシのサイクルは始めの頃に比べもう随分と短くなっている。
……恐らくマイバディならそれに気付かない筈がないのだが、以前の話であり現在の有様を思えば定かではない。それほど変わってしまったから。
────
結局の所、自分は、自分達は終ぞ叶わぬ理想が叶った気になっているだけなのだろう。
──そして、また元に戻っている。少なくとも私にはそんな気がしてならない。
ただお互い盲目になっただけで、始めから『見えないものは見えない』と悟るに遅過ぎたのだ。或いは、私はここまで落ちてもまだ何も解らない愚者だった。それだけの話。
ほろかがほろかで在る限りは変わらないのだろう。
同時に後悔や悲嘆を始め、マイバディに纏わるものなら感情的な苦しみすらも喜悦へと変換してしまう性分は変えられない。……故に私は破滅に至るべくして至ったに違いないとは明白だ。
──でも、本当は、私の我儘にスコープを巻き込みたくなかった。
誰より幸せになって欲しいと想っていた。傷一つだって付かぬ道を歩んで欲しかった。
私と関わらなければ、なんてまだ穏やかに生きていた頃から幾ら考えたかも分からない。堕ちた現在はより強く、これからもずっと抱えていく。
しかし、皮肉にもそれほど想うからこそ私は、どうしようもなくスコープを傷付けたくなって。身も心も壊し壊されで幸福に満たされたくて。反面ずっと変わらぬ日々を過ごしたくて、故に終わらせたくないからと、いっそ…………。
私より先にスコープが壊れていなければきっと、私がまた違う永遠を齎してただろうと思う──まず間違いなくスコープにとって何よりも厭わしいことを知りながら。
────
ある意味でワタシという存在は南出ほろかという人間にとっては《最悪の体現者》に他ならない。
死んでも死にきれない──否、死なせてもらえないの方が正しいだろうか?生かされているからこそ悲喜交々で大変複雑なのだが……スコープがそれを望むならばと余生をゆるく楽しんでいるだけだ。
(せめて復元前の記憶が無ければなぁ)
などとワタシは密かによく思っている。
正直、主観的にはそれもあまり大差ない気はするが、スコープからすれば重要なのだろうと推測している。そうでなければ律儀に引き継ぐ理由もない。
私としてはそこも含めて好きにすればいいと思う。それをこそ望んでいるのだから文句など無いに等しい。
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総論としては、私は『眠りたいけれど寝たくはない』と考えていた。勿論これはワタシにも一貫している。
しかしワタシは『眠りたくもない』のだ。
ワタシが眠っても私は続く。だから《南出ほろか》としてはどう転んでも幸せな事に変わりはない。──しかしそれは厳密にはワタシじゃないとも言える。
些事だ、あまりにも些事だ。細か過ぎて自分でもそれ位どうでもいいとは思う。
それでも気にする様なヤツだからこそ南出ほろかは歪んだのだろうな。
自嘲しても何も戻りはしない。自分も、あの日常も、スコープも、何も過ぎたものは戻せない。
──そんな今が愛おしくて仕方ない。
このどうしようもない袋小路は停滞を錯覚させるだけで尚も刻一刻と進んでいる。今はまだギリギリの所にあるだけ。
故に私は、相変わらず入眠するのが苦手でも前よりずっと安眠できている気がする。いつかも悪くないと、いっそ楽しみだと思える様になったのは間違いなく君のおかげ。
私の吉夢は君の悪夢で成り立っている。同時にその悪夢が私を蝕むのを、どうか、知らないままでいて。どうかこの線は絶対に越えないで。
ただそれだけを君に願う──同じ道にある赤き私の死兆星よ。せめてその光潰える時は貴方だけでも安らかでありますように。