untitled 建国神話が刻まれた煌めくステンドグラス、そこから漏れ出る光を背負って主たる少女は立っていた。目の前には、己の臣下となる青年が跪いている。
ここは王城の聖堂、王国と共に悠久の時を過ごしたこの場所で「佩剣の儀」が行われようとしていた。
「汝、いついかなる時も我が剣となることを誓うか」
常とは異なる口上に周りはざわつくが、我関せずの少女と青年は儀式の続きを行う。大事なのは誓いの言葉そのものではなく、裡に抱える忠義なのだから。
これは儀式だ、主たる姫に捧ぐ生涯の誓言だ。使い古された言葉で誓う忠誠ほど、偽物めいたものはない。伝統なんて犬にでも食わせておけばいい。借り物の言葉よりも心からの言葉で誓うべきだろう。
「我は盾に在らず。いついかなる時も主君の剣となることを誓う」
主からの無茶振りに難なく応えた青年は、己の腰から下げた剣を鞘ごと外して頭上に掲げる。目の前に立つある時に差し出したそれは、彼が騎士を志した時に与えられたもの。
少女はそれを受け取って、鞘から刀身を抜き取る。ギラリと、抜き身の刃が光を反射した。そばに控える騎士団長へと鞘を渡しながら、鉄の塊の重さに思わず唾を飲み込む。それは決して動揺からではなく、これから行うことへの期待だった。もちろん多少の緊張もあるけれど。
「汝、我が剣たれ」
目の前に跪く青年の左肩に剣の腹を当てる。
持ち上げて、もう一度当てて。そうして剣を鞘に戻した。
わぁっと上がる歓声を浴びながら、少女は目の前に跪く青年へと剣を返す。そして跪く男を見やれば、彼は瞳をキラキラと輝かせながら主君を見上げていた。
「……」
この手を取れと言わんばかりに彼へと手を伸ばせば、青年は恭しくその手を取る。手袋に包まれた少女の手を口元へと引き寄せて、口付けを落とした。
◇ ◇ ◇
「密入国者など、殺してしまえ」
家族と離れ離れになって、逃げて、気がつけば転がり込んでいた見知らぬ国。国境で衛兵に捕まって、捕まりたくない一心で暴れたけれど国境将軍だとかいう人に首根っこ掴まれて、気が付けば大きな砦のよくわからない牢の中に。周りの兵士たちの言葉を聞きながら、なんとなく自分が殺される未来を幼心に勘付いていた。
逃げるにもきっとすぐに捕まってしまう。鍵もなければ武器もない、ましてや子供の自分が大人を撒けるとは思えなかった。
「俺、死ぬの?」
暴れ回った俺を子猫を相手するように無力化した国境将軍に聞いても、返ってくるのは冷たい一瞥だけ。泣きべそかくような年齢でもないけれど、見知らぬ国で一人死ぬまでの時間を過ごすのはとても心細かった。
「死にたくないなぁ」
夢があった。冒険家の父から聞くような、未到の地を踏む快感を味わいたかった。家族の幸せな顔をずっと見ていたかった。最後の別れの挨拶もできないままだなんて、そう考えて仕舞えば必然と膝を抱え込んでしまう。
別に悪いことなんてしていない。親父の真似事をして近くの森に冒険に出かけていた。たったそれだけ、気が付いたら国境近くまで来ていたらしい。
俺の家はこの国との国境の近くにあるわけじゃない。隣り合う国とはいえ、山を越えない限りは国境に近付くことすらできない。
だから本来であればいくら森で遊び回ったところでこんなところに来るはずなんてなかった。昔から森は異界に繋がるだとか馬鹿らしい伝承があるけれど、まさかそんな不可思議なことが起こるとは思えなかった。でも実際俺は故郷からそれなりに遠く離れた別の国の国境近くの砦にこうしているわけで。もし可能性があるとすれば、この伝承くらいだろう。俺は殺されたくない一心で此処の人たちに話したけど、鼻で一笑されるだけだった。
(……早く終わらないかな)
飯も出るし、故郷ほど寒いわけじゃない。国境近くだからそれなりに寒いけど、肌の感覚がなくなるほど「痛い」寒さじゃなかった。
牢の檻の向こうで大人たちが何かを話し合っている。凡そ俺の処遇についてだろう。俺をボコボコにした国境将軍サマもその輪の中にいる。膝を抱えながらぼんやりとその様子を見ていれば、ピンクアメジストの瞳と目が合った。見過ぎたかな、と後悔しているとその人は靴音を鳴らして近づいて来た。
「小僧、聞きたいことがある」
「……なに?」
切れ長で無機質な視線は、ひょっとしたら故郷の吹雪よりも冷たいんじゃないかな。
俺は膝から顔を上げてその人と向き合う。少しでも選択肢を間違えたら、殺される予感があった。こんな子供相手にとも思うけれど、多分この人は容赦がないタイプだろう。国境将軍なんて任を任されている人だし、たぶん、きっと。
「森を駆けていたら此処に来たと言ったな。その時、何かに追われたか?」
「信じてくれる気になったってこと?」
「質問にだけ答えろ。命が惜しいならばな」
触れたら火傷をしそうなほどに冷たかった。よくよく見たら、後ろに控えている屈強な人たちも竦み上がっている。俺は数刻前のことを思い出しながら、慎重に言葉を選んだ。
「犬には追われていたよ。狼ともちょっと違う感じ」
「大きさは? 群れていたか?」
「小さいのが何匹か……。それがどうしたの」
「……ほう」
見上げたその人は何かを考え込むように顎に手を当てる。黙り込んだ国境将軍を見ながら、後ろの人たちはひそひそと囁きあっている。この国の人たちには分かる何かなんだろうか。目が合えばそっと逸らされる。そういえばこの人、さっき俺がボコボコにした兵士だ。
「出るといい」
「え?」
牢の入り口の鍵を開錠する音がして、外に出るように促される。後ろにいた人たちが慌てて駆け寄って何か言うけど、将軍サマは気にする様子はなく今度は視線だけで促してきた。
大人しく言われた通りに立ち上がる。しばらくの間座ったままだから、筋肉が凝り固まっていて少し痛んだ。晴れて自由の身だと伸びをしようとしたらそのまま首根っこを掴まれる。
(あれ、デジャヴ?)
そう思うと同時に、今度は地面に叩きつけられて転がされた。
「いっ……!?」
うまく受け身を取ることができずに、石畳の地面にぶつかる。顔面から突っ込むのだけはなんとか回避したけど、お陰様で膝と腕を思いっきり擦りむいた。
「どういうこと」と文句を言おうと顔を上げれば、目の前にむき出しの剣が突きつけられる。ギラリと光る切先は確かに俺の首元を狙っていた。
「間諜の疑惑のあるお前を野放しにすることはできない」
「じゃあ俺、やっぱりここで死ぬんだ?」
「いいや、お前には選択肢をやろう。死にたくないのなら、剣を取れ」
「それって、殺し合えってこと?」
「違う。この国で剣を取るということは、騎士になるということだ」
隣国の話は庶民の俺でも知っている。この国には騎士というものが存在して、国や主を守る役割を持っているのだと。おとぎ話みたいな甘い夢物語だと思う。でも真実、この国には騎士が存在するのだ。
「騎士になったら、死ななくて済む?」
砂糖菓子みたいに甘い夢。砂上の楼閣のように儚いもの。理想とはどこまでいっても手が届かない星のようなものだ。それでも今死ぬことがないのであれば、それがイミテーションの星だって構わない。
「主人を裏切らない限りはな。ひとまずは私がお前の主人だ」
今思えばほんの気まぐれだろうと思う。故郷の雪原みたいに真っ白で冷たいその人は、「ちょうど従者が欲しかった」と言って文字通り俺を拾い上げたのだった。
◇ ◇ ◇
俺はこの国の人間じゃない。だから誰かに全てを捧げる騎士なんてのは正直なにがいいかわからなかったし、俺の自由を縛るなんてまっぴらごめんだった。
俺の手綱を握ることができる師匠は国境将軍の務めを果たすためにほとんど王都にいない。そりゃしばらくは一緒にいたけれど、3年ほど経った後は王都で見識を深めろって放り出された。
将軍付きの騎士見習いから騎士学校へ、そしてそのまま流れるように騎士団へと入団することになる。ほら、師匠も一応騎士団の人間らしいし。でも正直王都の人間はつまんないやつばっかりで、色々やんちゃをしては団長たちに怒られる毎日だった。
「頼むから、何処かの貴族の専属騎士になってくれ」
何度そう言われたか、正直覚えていない。この国にら二通りの騎士がいて、今の俺みたいな国直属の騎士団に所属するタイプと何処かの貴族を主に戴くタイプのどちらかだ。俺にほとほと手を焼いている騎士団は、はやく手放したいらしい。でも俺は騎士にならないと師匠に殺されるから、そんなお願いを聞けるはずもなく。
それに顔のいい騎士っていうのは引っ張りだこだ。名誉なことに、令嬢の騎士に望まれることも少なくない。でもそれって、恋人と何が違うんだろうと思うこともある。騎士学校で習う修身にあった、「主人のために全てを捧げる姿」に令嬢たちが夢を抱いているんじゃないだろうか、なんて邪推もしてしまう。
運命に出会ったのは、師匠のお土産を殿下に渡すために春宮へと向かったとき。庭先で王子殿下と一緒に剣の稽古をしていたところに鉢合わせたのがきっかけだった。
この国じゃあ貴族の女性は剣を取らない。というか師匠がレアケースなだけで、騎士は全員男。むしろ女性は守られるべきって認識だった。
でもそこにいたのは兄王子と一緒に剣の稽古をする女の子の姿だった。顔立ちは殿下とそっくりで、噂に聞く双子の姫様だってことはすぐにわかった。
衝撃的だったのは、腐るほどいる騎士を選ぶことができる王族という立場だっていうのに、あの子は守られるだけじゃなくて自分で戦うことを選んでいたこと。
「どうやらまた、招かれざる客が来たみたいだ」
指南役に徹していたであろう影がこちらを向く。金髪と特徴的な濃紺の瞳の持ち主は、つい先日王子殿下の専属騎士に任命された先輩騎士だった。
それにつられて俺を見た姫様の、琥珀を閉じ込めたような瞳と目が合った。キラキラと輝く宝石みたいな綺麗な瞳。
瞬間、捕まえられたと思った。その時、俺は運命に出会ったんだって確信した。俺が騎士になって、剣を捧げるべき相手はこの子なんだって!
でもまあ、騎士ってのは主に望まれてなるもので。あの子はお姫様で、選ぶことができる騎士なんて数えられないくらい。ましてや俺に並び立つ身分なんてものはない。だから正直諦めていたんだ。
◇ ◇ ◇
そんな中、何年か経ったある日にお姫様が騎士団の寮舎にやってきたのだ。曰く、専属騎士を探しにきたとのことで。既に専属騎士を得た兄王子殿下と一緒にここに来て、そんでもって急に剣を握ってこう言った。
「私より強い人を騎士にする」
たぶん、誰もが呆然としてた。そりゃ姫様相手に本気で戦える人なんてそうそういない。だって怪我させりゃ不敬罪になりかねないし。そもそも女の子相手に剣を向けるだなんて騎士道に反するし。お姫様相手だって舐めてた奴もいたと思う。とにもかくにも、全力で姫様の相手をしようとした奴なんて指で数えられるほどしかいなかった。
姫様はそんな奴らの剣を全て叩き折って、残ったのは俺一人。でも俺は姫様がとんでもなく強いことをもともと知ってたし、騎士道がどうとか、相手が姫様だからとか何にも関係なかった。
全力で戦って、姫様の剣を弾き飛ばして、気がつけば姫様の喉元に剣を突きつけていた。
当然、見守っていた団長から怒りの鉄拳。ついで副団長に地面に叩きつけられる。何してるんだ、と言わんばかりの表情にポカンとしてしまう。
俺は言われた通りのことをやっただけなのに。怒られる謂れがわからなかった。本気でわからないって顔をしていたら、追加で制裁が降ってくる。理不尽なそれに首を傾げていれば、黙ったままの姫様がようやく喋った。
「決めた、貴方にする」
何を言われたか理解できなかった。
でも視界の端で団長は泡を吹く勢いで膝を折るし、副団長は泣いて縋る勢いだったから、言葉の意味を遅れて理解することはできた。後ろで額を抑える兄王子殿下と専属騎士はどんな気持ちだったんだろう。そういえば俺って、騎士団一の問題児で通っていた気がする。
(姫様が、俺を騎士にするって言った……?)
追いついて来た思考にじわじわと嬉しさが広がっていくのがわかった。
俺は自分を拘束する二人から抜け出して、そっと姫様の顔を伺う。まっすぐで、透き通るような美しい瞳だった。黄金色の湖面に俺の顔が映っている。ああ、姫様は本当に俺を騎士にしたいんだ。
幼気な少女が、剣を持つ少女が、俺が焦がれたお姫様が、俺を欲しいと望んでくれた。その事実がどうしてか嬉しくて仕方がない。望まれることの悦びを、この時初めて知った。
◇ ◇ ◇
姫様からの指名があってはや数日。果たしてあの時の言葉は真実になるのだろうか、なんてドキドキしながら日々を過ごしていた。そうしてとうとう姫様からの呼び出しがあって、訓練中の俺は追い出される勢いで姫様の部屋へと伺うことになる。
師匠のお使いで通い慣れた道を少し早足で歩いて辿り着いた離宮。待ち構えていた侍女の人に案内された部屋の中で、姫様は長椅子に優雅に腰掛けていた。
その様子はまさにお淑やかなお姫様。初めて会った時にみた時や、昨日のようなじゃじゃ馬な様子はすっかりなりを潜めている。
「座って」
至って端的に、それだけを伝えられて背筋が伸びる。失礼します、そう一声掛けて、緊張しながらも姫様の対面に腰掛けた。
死ぬのかな。そう思ったのは生きていて2度目だった。1度目はもちろん、あの牢の中。そして2度目は今この時。
うるさいくらいに心臓が鳴り響いて、らしくなく緊張していることがわかる。そりゃそうだ、きっと俺はこれから自分の進退について告げられるんだから。
あの後足りなかったのか団長と副団長にこっぴどく叱られたのを思い出す。やれ不敬罪だとか、姫様相手に本気になるやつがいるかとか、その他諸々。でも、正直あの場で手を抜くやつを騎士にしたいと思う?
俺は思わない。だから本気でやった。だって姫様もそう望んでいるはずだから。
侍女の人がテーブルに俺の分の紅茶を置くのを見て、軽く会釈をする。音を立てずに置かれたティーカップに注がれる紅茶は美しい赤橙色で、爽やかな香りが俺の鼻腔を擽る。
紅茶の良し悪しなんて俺にはわからないけれど、少なくとも騎士団で飲まれている出涸らしみたいなやつとは決定的に違うことだけはわかる。王室御用達、きっとそれに相応しい味なんだろう。
「あなたを騎士にすることにした」
来た、本題。
姫様はティーカップを傾けて、まるで些細なことのように告げる。おかしいな、第一王女殿下の筆頭騎士就任って結構大事のはずなんだけど。
「俺、結構問題児なん……ですけど」
「それでもいい。私より強い人を騎士にするって決めた」
「団長とかも強いけど……」
「あの日、あの場所で、全てを顧みずに私に向かってきたのは貴方だけ。保身を気にしない愚直さは在る意味では美徳ね」
騎士団での俺の評価を姫様が知らないだけかも。そんな淡い希望を持った団長たちにこれだけは伝えるようにと託された言葉はすぐに叩き伏せられる。
そして伝えられたその言葉に、俺は予想が当たっていたことに思わず喜んでしまった。
(ああ、やっぱり)
騎士を選べる立場でありながら自分でも剣を取ろうとした姫様だ、だからきっとなにかこだわりがあるだろうと思っていた。
「姫様は知ってるだろうから言いますけど、俺は外の国の人間だから『騎士』っていう存在の本質を理解していないんです。……騎士って、全てに『御意』と答える男じゃないの?」
「それは私も知らない。でも貴方みたいな人を騎士にして、その上で『御意』って言わせるのが主でしょ?」
ゾクりと、高揚に似た何かが背中を走った。垣間見えたのは圧倒的な「主」たる資質。それはひいては、王になる素質とも言い換えられる。覇道を歩むわけじゃないけれど、それでも己の中の退屈を埋める予感がした。
「……陛下はそれでいいって?」
上がりそうになる口角を諌めるように頬の肉を噛む。
まだ顔に出してはならない、悟られてはならない。あくまで、渋々と。確かめるように、逃げ道を塞がなくてはならない。このお姫様の口から、「俺が欲しい」と言わせたのだと、揺るがない証拠を。
思わず敬語が外れたけれど、姫様は俺を一瞥するだけで許してくれた。新しい主サマは意外と寛容かもしれない。
「むしろそうしてくれって言われた。やんちゃしすぎだから、手綱を握れって。騎士を持つならそれくらいできるようにしなさいとも」
どんな悪いことをしてきたの、と問われて俺は微笑みを浮かべるだけにした。少なくとも命令違反はしていない。血を見ると興奮する性質のせいで、訓練で先輩たちを実力で叩きのめしたこととか、ダメと言われていないことのギリギリを攻めたせいで騎士団の規律が細かくなったこととか、喧嘩になって寮舎の窓枠を歪ませたうえで扉を一つダメにしたこととか。
「俺が問題児たる所以を説明したら、たぶん日が暮れる……ますけど」
「一応聞くけど、貴方は強いんでしょ?」
「まあね、師匠ほどじゃないですが」
俺の祖国との国境を守る歴代最強の将軍と呼ばれる女が俺の師匠だ。戦いの「いろは」はあの人から教わったし、一番弟子だって胸を張って言える。
おかげさまで、師匠の庇護がないこの数年間は散々な評判を被っているけれど。
「なら貴方でいい──ううん貴方『が』いい」
姫様の瞳が俺を映す。きっと俺の退屈を埋めてくれる主サマ。この子のもとでなら、俺は本物の騎士になることができるのだろうか。イミテーションに過ぎない俺を、ジェニュインにしてくれるかもしれない人。
「私に剣を握らせないでちょうだいね、タルタリヤ」
鈴を転がしたような音が俺の名前を紡ぐ。それは師匠が俺に与えてくれた名前。この国の人間になるようにと祈りを込めて与えられた名前。いままでどこか他人事のように感じていたその名前に、はじめて魂が宿ったような気がした。