動物の言葉がわかるマッシュくんの話『いそげいそげ』
『ぬれたらうまくとべない』
『はやくなにかのしたにかくれなくちゃ』
マッシュは頭上から聞こえてきた声が気になりピタリと足を止めた。
続く廊下の先を、正確には前を歩くドットやランスの背中を見ていた視線は声が聞こえた窓の外へと向く。
聞こえた声は『濡れる』と言っていた気がする。ということは、雨でも降るのだろうか?それも、《彼ら》がかなり急いでいた様子から小雨程度ではすまないのだろう。
見上げた空には薄い雲が広がり、所々の雲の切れ間には青空が覗いている。天気が良いとはいえないが、この空の様子から雨が降ると予想する者も少ない。
視線は空に向けたまま、隣で急に立ち止まったマッシュにつられて立ち止まり、不思議そうにこちらを見つめるフィンへと問いかけた。
「ねえ、フィンくん。箒の授業って、雨が降ったら室内の授業に変わるんだっけ?」
「えっ!?えっと⋯たしかに天気が悪い場合は座学に切り替わるけど⋯急にどうしたの?」
「雨が降るみたいだから、どうしたらいいかなって思って」
マッシュの突然の言葉にフィンは目を瞬かせた。
雨?と呟きながら、マッシュに倣ってフィンも空へと視線をやるが、これで降るだろうか?と疑問の方が大きそうだ。
「おいっ、いつまでボーッと突っ立ってるつもりだ?」
「急がねーと授業に遅れちまうぞ!」
なかなか追いついて来ない2人に、前方を歩いていたランスとドットが振り返りながら促してくる。
「マッシュくんが、雨が降るって言うんだけど⋯」
「雨だぁ?曇ってはいるけどそんな雨が降りそうな天気でも無いだろ?」
なぁ?とドットがランスを見ようとしたその時だった。ゴロゴロと空から聞こえてきたと思った直後、眩い閃光を伴って雷が空を走ったのだ。それからは、瞬く間にという表現そのままに、白かった雲は薄暗く感じる程厚くなり、ポツポツと降り始めた小さな雨粒はたちまち大粒の土砂降りへと変化した。
「うそ⋯」
「マジかよ⋯」
呆然と空を見上げるフィンとドット。表情が変わらないようで普段より目を見開いて空を見上げているランス。
一人こうなる事を予見していたマッシュだけは平然としている。《彼ら》の天気予報は外れた事がない。だからこそ少しだけ心配になった。
「うん、やっぱり外での授業はできなさそうですな。⋯鳥さんは間に合ったかな?」
フィンはマッシュが口にしたある部分が気になった。鳥にさん付けなところは通常運転だし、幼い子が使うような言葉使いが時折混ざるのもいつものこと。けれど、この友人はなぜ鳥の心配を今しているのだろう?そんな疑問がポロリと口からこぼれ出てしまっていた。
「とり、さん⋯?」
「うん。雨に濡れるから急がなくちゃって言ってたから」
フィンの疑問にマッシュは淡々と答えたが、三人からしてみれば要領を得ない返答に図上には?が浮かんでいる。
何となく、そう、ただ何となく今聞いておかなければならないような気がして、フィンはマッシュへと確信に近づくための問いを投げた。
「とり、さんが、そう、言ってたの?」
「そうだけど⋯みんなは聞こえなかった?」
「距離が離れてたから?」と、なんとも的外れな解釈をして首をコテンと傾げている。
呆然とマッシュを見つめたまま反応が無いみんなに、「どうしたの?」とマッシュは反対側にもう一度首を傾げる。
そんなマッシュに一番に反応を返すことができたのは付き合いが一番長く、また一緒にいる時間もダントツで多いフィンだった。しかし、付き合いが一年に達しようかというこのタイミングで、まさか過ぎる疑惑に動揺は抑えきれない。
「⋯⋯⋯えっと、確認なんだけど、マッシュくんは⋯その、あの⋯ど、動物と話せる⋯とか?」
「いや、ほとんどは相手の言ってる言葉がわかるだけ。⋯⋯人の言葉を理解してる子なら、お話もできる事もあるんだけど⋯⋯」
「⋯⋯つまり?マッシュくんは、動物の、言葉が、わかるの?」
「うん」
「「はぁっ!!?」」
「えぇぇっ⋯⋯」
さも当たり前の様に頷くマッシュに、三人は衝撃的すぎる事実に信じられないと声を上げた。疑惑は確信へと変わったが、その内容が中々に受け入れ難いものだったからだ。
三人の驚嘆の声にマッシュも驚いていた。なぜそんなにも驚かれるのだろうか?と。
「?魔法使いには動物と話せる人が多いんじゃないの⋯?猫さんとかも喋ってるし⋯」
カツカツと踵を鳴らし足早に近付くランスの表情はどことなく暗いように感じる。
マッシュの前で立ち止まると、ランスは開きかけた口を一度閉じた。ただ不思議そうにじっと見つめてくるマッシュに対し、感情的な物言いをしてもきっと意味はない。だから、憶測などは交えずに自身が知り得る事実のみをマッシュへと淡々と伝える。
「喋る猫は、ほぼ確実に変身魔法で姿を変えた魔法使いか使い魔だ。動物の姿の使い魔との意思疎通ならともかく、野生の動物なんかと話せる人間は魔法使いにもいない」
ランスの後ろについてきていたドットも、ランスの言葉に頷き同意する。
「確かに、聞いた事無いよなぁ⋯フィンは何か知ってたりするか?」
「ううん、僕も知らない⋯」
三人からの想像していたものと違う返答に、マッシュは数度目を瞬かせたが、それだけだった。
「へぇ、そうなんだ。ずっと、これが普通だと思ってた」
皆が、戸惑う中、マッシュだけは至っていつも通りでさらに困惑してしまう。
少しの沈黙の後、「あの、ちょっといいかな?前から気になってたんだけどね⋯」とやや遠慮気味にフィンが片手を上げる。
「寮の部屋にさ、いつも遊びに来る小鳥がいるよね?もしかしてマッシュくんの知り合い⋯だったりする?」
「うん、森に住んでた時から仲良くしてる子。今は中々家に帰れないから、じいちゃんどうしてる?って一度聞いたら、定期的に教えに来てくれるようになったんだ」
「そうだったんだ〜!元々、仲の良い子なら納得かな。いやね、ずっと不思議でさ⋯。小鳥が鳴くとマッシュくんはうん、うんって相槌打ってるし、マッシュくんがお礼言って差し出した指に小鳥は嬉しそうに懐いてるしで⋯。見かけるたびにこれは白昼夢?現実?どっち?って思ってたんだよね」
悩みの解答が得られ、明るい声で、「そっか、そっか!現実でよかった」と頷くフィンの言葉に、内心で大げさに反応していたのはランスとドットだった。二人の会話を側で聞いていた両名は咄嗟に「何それ知らない。ずるい⋯」と思ってしまった。
小鳥に相槌を打つマッシュと、懐いてる小鳥と戯れているマッシュを想像するだけで、あまりの尊さに胸の奥がキュッとなる。
何その癒し空間、絶対マイナスイオン出てるだろ。癒されないわけがない。と珍しく二人の心情が重なった。
かなりの頻度でマッシュ達のいる三〇二号室に集まっているはずだが、ランスもドットもそんな場面には出くわしたことはない。それなのに、フィンは「いつも」と言った。そんな言い方をするからにはそれなりの頻度で見ている光景なのだろう。非常にずるくはないだろうか。
「俺やコイツが居るときには見かけたことがないな、その小鳥とやら」
ランスはやや不満そうに、コイツとドットを指差す。その声からは、コイツはともかく俺も見れてないのは何故だと言外に溢れていて、その理由がわかるはずもないフィンは苦笑いを浮かべて押し黙るしかなかった。答えられないフィンに代わり、己の考察を多分に含んだ意見を述べたのはマッシュだった。
「あの子、人見知りなんだよね。二人以上いると近づいて来られないみたい。それに、朝起きた時に来ることが多いから、ランスくんが見たことないのはそのせいじゃないかな?」
「そうか⋯」
マッシュの返事にそう答えるしかなかった。
人見知りは仕方がない。だが、起床後にというならまだ可能性はある。
人数を最小限にして、起床時に同じ空間にいるという条件をクリアすればいいのだ。フィンの協力さえ得られれば達成できそうな条件に希望を見出し、ランスはフィンと向き合った。
「フィン、数日でいい、部屋を変わっ「嫌だよ」」
ランスの言葉が言い終わる前に拒否したフィン。
親しい人間に対しては特に、遠慮なく嫌な事を嫌と言える男になったフィンは、ご丁寧にも言葉に留まらず腕を交差させ×マークを作った上で首を振る。この上ないほど最大級の”イヤ”の意思表示だった。
「い、一日だけ⋯⋯⋯」
「ダメです」
「あ⋯朝の一時間だけでも⋯」
「イヤ。僕の至福の時間を絶対に譲るもんか」
突然始まったフィンとランスの攻防にマッシュは首を傾げる。
動物と話せるかどうかの話から、フィンとランスのこの会話に至る脈絡を見出せず、困惑したままマッシュはドットを見上げた。
「あの、ドットくん、ランスくんてそんなに鳥さん好きだったの?」
フクロウ小屋のフクロウさん達にも優しかったけど、鳥類全部好きなのだろうか?あの子にそんなに会いたいのかな?と、考えていると、ドットに肩を軽く叩かれた。
「⋯あー、お前は気にするな。薮は突くもんじゃねぇ」
「?」
やはり、わからない。この話はどうやら掘り下げてはいけないらしい。
マッシュの眉間に困ったように寄せられた皺を目にしたドットは一つため息を溢す。
「あいつら、マッシュを困らせてどうするんだ」と呆れつつも、素直にマッシュへと全て説明するわけにもいかず、マッシュだけが気付いて無いんだよなぁとドットは遠い目をすることしかできない。
皆それぞれマッシュが大事で何かしら拗らせてる事実をマッシュだけが気付いていない。
フィンは、初めてのちゃんとした友人で今では親友とも呼べるマッシュと過ごす時間を何より大事にしている。
マッシュの行動に胃を痛める事もあれど、この時のマッシュくんがかっこいいとか、可愛いなどの発言を繰り返してるので日々の活力や癒しもマッシュから得ているのだろう。
あのサバサバとした姉が推し活を始めた時の熱量と同じものをそこに感じた。推しを間近に見れる最前列スペシャルシートが確約された今はさぞかし幸せだろう。
普段執着などしない人間こそ、一度のめり込んでしまうと恐ろしい事になる。フィンにはそうなってほしくはないのだが、もう手遅れな気もしなくはないが⋯⋯どうか杞憂であれと思っている。
ランスのあれは、典型的な世話をやいてたら情が湧いたタイプだ。
元々、世話好きの節があったところに、これまたお世話のしがいがありすぎるマッシュという男に出会ってしまったのだから、結果など火を見るより明らかだ。
そして、世話をすればするほどうちの子が一番可愛い!!となる愛犬家・愛猫家の心理がこれでもかと積み上がった結果、今ではマッシュが可愛くて仕方がないのだという。可愛い×可愛いは癒しなのだと力説していた。もしも分からないなどと言おうものなら固有魔法が問答無用で襲ってくる理不尽仕様のわからせが待っている力説だ。
最愛の妹と身近な友人からダブルで得られる供給で、さぞ日常を謳歌しているのだろうと思っていたのだが現実はそううまくいくものではないらしい。妹の供給は自給自足で補えるが、マッシュの場合はそうはいかないと嘆き打ちひしがれている姿を何度か目撃してしまっていた。ヤツはマッシュ絡みの癒しに飢えている。
かくいうドット自身にも、感情の変化が度々起こっていた。
最初はなに考えてるか分からない変なヤツ。だったのに、気づけば気が置けない友人で仲間になり、側にいるのが当たり前になった。
世間ズレしてたり、時折あどけなさの残る言動を耳にしては、世話の焼ける弟を見ているような感覚になっていった。
厄介と思う事はあっても面倒だとは思わない。それに、やたらと素直にものを言うものだから、何の衒いもなくありがとうと言われてしまえば徒労すらどうでも良くなってしまう。嫉妬するのも規格外すぎて馬鹿馬鹿しい。飾り気のない褒め言葉は滅多に聞けないが、だからこそ言われた時にどうしようもなく「こいつといて良かった」と思わせられる。
“手のかかるヤツほど可愛い”この言葉を理解できる日が俺にもきてしまったかと、一度納得してしまたらもう引き返せなくなっていた。
そんな俺たちの場合は色恋のそれとは違うのだけれど特別である事に変わりない。
それから、恋愛感情としてマッシュに並々ならぬ想いを寄せる相手もいる。
筆頭としてはレモンちゃんとフィンの兄貴だな。
レモンちゃんは言わずもがな、日々マッシュへの好意を表明し、婚約者であり未来の嫁と公言している。
女の子って強いなって思う。
俺なら、あれだけ好き好きアピールをして反応が貰えなかったら心が折れてると思う。
これからも頑張って欲しいような、どこかで折り合いをつけて欲しいような複雑な心境である。
問題は、我がアドラ寮の監督生ことレイン・エイムズ氏だ。
あれは手段を問わないタイプの人間だと直感が告げている。
いつ、どこでそうなったのかはわからないが、マッシュを好きらしい。
好きっていうか、マッシュを見る目つきがもはや捕食者のそれで、初めて目にした時は身震いが止まらなかった。正直、マッシュを近づけたくはないがマッシュ自身が懐いてるので止められない。
最近では、以前のような兄弟仲に戻りつつあるフィンも兄からの相談を受け応援を始めたらしい。
大好きな兄と親友がワンセットになるなら、フィンにとってスペシャルシートどころかプレミアムシートが確約されるのだから張り切るだろう。二人がくっつく方向で。
頼むから外堀を埋めないで欲しい。
気づいたらマッシュの周りに増えているお手製ウサギグッズで牽制するのもやめて頂きたい。さりげなく魔力の込められたグッズが混ざってるの知ってるんだからな⋯。
未だに、攻防の続いているフィンとランスを横目に、これらの事をつらつらと考えていたドットの耳に激しい雨の音にもかき消されない本鈴を告げる鐘の音が聞こえた。
「あっ」、とは誰が発した声だろうか。授業に遅れる事が確定してしまったと背中に冷や汗が伝う。今日の担当教師は遅刻に厳しい。結構過酷なペナルティを課す事も少なくない教師として有名だ。
ヤバいぞ、と思っていたら、マッシュが普段通りの気の抜けた声で話しながら一枚の紙を見せてきた。
「これ、さっきフクロウさんが置いていったんだけど」
一同揃って、バッとマッシュの持つ紙を見る。
【授業内容の変更
悪天候に伴い、箒訓練を中止とする。
下記変更内容に従うように。
変更場所:東側B棟◯号室
変更授業内容:天文学
普段使いの教材は不用。何も持たずに集合されたし。
尚、急遽変更の為、授業開始は本鈴の五分後とする。】
と、書かれていた。
事実上はまだ遅れていない事になったが、新たに指定された教室まではそこそこ距離がある。それをわかっているフィン、ランス、ドットの三人は頬を引き攣らせながら顔を見合わせた。
「は、走れば間に合うか?」
「考えてる暇なんて無いだろう。急ぐぞ!」
「マッシュくん、行こう」
「うん、B棟ってどこかわからないから、付いてくね」
四人は駆け出す。
基本が真面目な人間ばかりが揃っているこのメンバーは、授業になんとか間に合うようにとそれだけに集中して走った。
だから、目先の事に気を取られてしまい、つい大事な事を忘れていた。
マッシュに、動物の言葉がわかる事を自分たち以外の人間に不用意に教えてはいけないと忠告する事を。
今までバレなかったのが奇跡のようなもので、知られてしまえば様々なトラブルも付随してしまう。そんな考えが必要なことも、平和になったばかりの微睡(まどろ)んだ空気に溶けてしまっていたのかもしれない。
次回【レインVSうさ吉】
レイン史上最大の恋敵が現れた。
その名も、うさ吉!
立ちはだかれもふもふ!抗えレイン・エイムズ!!
君 マッシュの一言に未来は託された!
(嘘です。アホみたいな嘘予告って面白そうで一度はやってみたかったんですよね。面白いと思って貰えるかどうかは別として)