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    桃霞りえ

    @momo303rie

    自分用の倉庫的なものです。
    設定でも作品でもなんでも突っ込む予定。
    レイマシュの投稿がほとんど。
    完成品はほぼほぼpixivにも掲載しているものです。
    正直、まだポイピクの使い方わかってません⋯⋯。
    できたは出来上がった(完成している)ものです。
    書きかけは、小説のかたちで書いた未完のもの。
    メモは本当にメモです。セリフだけだったり、設定説明だけだったり。感想文みたいなやつですね。

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    桃霞りえ

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    レイマシュ。
    動物の言葉がわかるマッシュくんの話と同設定ですが、他の話とは繋がっていないので短編として読めるかと思います。
    ドラゴンと戦うけどドラゴンは無事。レインくんとマッシュくんも戦う。レイマシュは公認バカップルです。

    ##動物の言葉がわかるマッシュくんの話

    脳筋二人とドラゴン討伐依頼(現段階ではマッシュくん三年生のインターン中を想定して書いています。戦闘シーンとか書いたことのないド素人が書いてるので、優しい目で見てやって下さい。)









    一部を削りとられた事で自立できなくなった木が倒れ轟く音。
    圧倒的な火力で吹き付けられたブレスは空気に炎を纏わせ、森一帯を爆ぜる火の粉と共に焦土の海へと変えていく。
    現段階でもかなかの惨状になっているが、体以上に大きな両翼を上下させる度に起こる風が森の炎をさらに煽っている。硬い鱗に覆われ、重量感を感じさせる巨体を支えて飛ぶために起こる風は並の強さではない。

    そうやって上空の一点に静止してるドラゴンを切り立った崖の上からマッシュとレインは見上げていた。

    「おぉ!あれが、今回レインくんに依頼の来たドラゴン?思ったより、大きい⋯?」

    説明では小型と聞いていたマッシュは、想像よりも大きく見えるドラゴンに首を傾げる。

    「依頼は俺個人に来たものじゃない。⋯それと、翼の面積でデカく見えてるだけで、実際は頭からケツまで入れても七〜八メートル程度だ。体だけならそれほどじゃねぇ」
    「へぇ、そうなだ。⋯因みにあのドラゴンは今まであった事のあるタイプのドラゴン?」

    何度か遭遇したことはあるが、見た感じで、それとはたぶん違うような気がする。
    詳しくどこがと聞かれれば答えられはしないが⋯。

    「いや、全くの別もんだ。魔法使いなら極力相手したくないどころか、逃げ出すな、基本は」
    「それはまた、どうして?」

    魔法使いが逃げ出す⋯まあ、戦闘が得意でなければ逃げるだろうし、戦わないですむならそれがいい。
    でも、今のレインの言い方には違うニュアンスが含まれていたように思う。

    「単純な話だ。魔法が一切効かない。魔力が込められた武器や魔道具の類すらダメージが通らない。まあ、ゼロじゃねぇが⋯無駄骨もいいとこだろうな。まともに通用すんのは物理攻撃だけ⋯のはずだ⋯⋯」
    「はず⋯?」

    レインにしては歯切れの悪い物言いと、憶測の時にしか聞かない文言を言う彼を不思議そうに見つめる。
    すると、なんとも苦々しい表情を浮かべた。

    「アレは百年ほど前に絶滅させられたドラゴンだからな。文献でしか見た事がないし、そもそも神覚者クラスの人間にしか開示されていない存在だ」
    「絶滅”させられた”?」

    ”した”のではなく”させられた”とレインは告げる。なんとも不穏な言葉だ。

    「魔法の効かないドラゴンなんて魔法使いには脅威でしかない。だから、魔法使いが統制されてきた頃に一斉駆除されたんだ。多くの魔法使いの犠牲を出しながらな」

    やはり、ロクでもない内容だった。
    レインとてそう感じているのだろう⋯眉間には皺が刻まれ、口角は不機嫌に歪められている。
    邪魔なものは淘汰される世界。ほんの数年前まではマッシュも淘汰されるべき存在とされていた。
    だからだろうか⋯自身の意見を主張する事も許されず歴史から葬られてしっまた存在を思い、気づけば声が溢れていた。

    「人とは、つくづく勝手な生き物ですね」
    「本当にな。だが、俺たちが今からしようとしている事も人を守るための条理ではあれど、あのドラゴンにとっては不条理なもんだ。共存ができないなら、どちらかを立てるしかない。何が合ってる合ってないだけで片づけられるもんでもない」
    「ままなりませんね⋯」
    「そうだな。生きてりゃそんな事ばかりだ」

    レインの言葉には重みがあった。
    どうにもならない事ばかり。この実直で努力を惜しまず公平な判断ができる彼だからこそ、そう思うのかもしれない。
    きっと多くの理不尽と相対し、経験してきている。そんな彼が何も感じていないはずがない。ドラゴン一頭の命と多くの市民を天秤にかけて選ばなければならなかった。
    なら、自分も彼の背負うものの一部を担うだけ。それしかできないが、それで十分だと言ってくれるならそうしようと思う。
    これからもずっと⋯隣にいられる間は絶対に。

    「それで⋯あのドラゴンには物理攻撃は通るんですよね?」
    「そう文献には書かれていたな⋯」

    話を戻したマッシュにレインが返事を返すと、マッシュはレインの腰に下げられたある物へと視線を落とす。

    「その腰の剣は、そのためですか?レインくんは実剣も使えたんですか?」

    実は来る時からずっと気になっていたが、なんとなく聞きそびれていたのだ。
    正直、レインが魔法で出した剣以外を見た事がないのだが、実剣も使えるならいよいよ魔法なんて必要ないのでは?と思ってしまう。

    「⋯強制的に持たされた。使ったことなんざねぇから、断ったんだが⋯お前の背に背負ってるものは何だとライオさんがな⋯⋯」

    なるほど、ソードケイン(戦の神杖)か。
    使ったことは無いというが、まあ、レインくんなら普通に苦もなく使えそう。
    それに⋯

    「似合ってますよ?絵本にでてくる騎士様みたいで」
    「柄じゃねぇ」

    揶揄われたとでも思ったのだろうか?
    フンッと逸らされる横顔に本当に似合ってるのになと思うが、言っても機嫌を損ねるだけだろう。なにせ、本人が納得してしていない。
    なら、本題に入らなければと、ここに連れてこられた僕の役目は何かと尋ねた。
    先ほどの会話からある程度は予測が付いてはいたが念の為である。

    「それで、僕はどうしたらいいんですか?」
    「アレを落とせるか?」

    レインがアレと指し示したのは、現在上空で暴れ回っているドラゴン。
    マッシュはじっと、見据えてから頷く。

    「できますよ。でも、ここからだと⋯ちょっと狙いが定めずらいかも⋯」

    マッシュはう〜ん、と唸ったあと、あっ!と何か閃いたようにレインを見る。

    「レインくん、僕の足場になって下さい」

    数秒、時間が停止した。
    正確には、レインが一切の挙動を止めてしまい、マッシュが律儀に反応があるまで待ってしまった故の空白の数秒間だ。

    「⋯⋯⋯⋯そこに、跪いて、お前の踏み台になれば良いのか?」

    たっぷりの間の後に、頭上に疑問符を大量に浮かべたまま、レインは本当に屈もうとするではないか。

    (フィンくん助けて。君のお兄ちゃんがおかしなこと言ってくる)

    思わず助けを求め、フィンを頭の中に召喚してみたが「兄さま、結構天然なところがあるんだよね」と笑顔で言うだけ言って去ってしまう。
    なんの助けにもならなかった⋯。

    「そういうのフィンくんが居る時だけにして下さい。ボケられても僕にツッコミのスキルはないし、回収しきれなくてとどうしたらいいのか困るんで。それから、僕が本気でレインくんの背中を踏んだら背骨バッキバキになりますよ?」

    マッシュが、ふぅっ、とため息と共に言えば、レインの頭上の疑問符は更に増えた。

    「⋯ボケ⋯ては⋯」

    何か言おうとしているレインを遮り、ちょっと言葉が足りなかったかと補足した。

    「僕は、レインくんの出す剣を、足場に欲しいんです。あそこに」

    あそこ、とドラゴンを指せば、やっと合点がいったのだろう、さまよっていたレインの目の焦点が戻ってきた。

    「わかった」

    マッシュの言葉を今度こそ正しく理解してレインは頷いた。

    「出せる剣の数に制限ってあったりします?」
    「俺の魔力が底をつかない限りは、ない」
    「頼もしいですね。じゃあ、タイミングとか諸々の事はお任せします」
    「あぁ」
    「ちなみに、落とした後に僕は何をしたら?」

    落とせないなんて思って居ないので、確認として聞くのは後の事だけでいい。

    「動かないように見とけ。トドメを刺すのは俺の役割だ」

    トドメと聞いて、やはりそうしなくてはいけないのかと少し気分が重い。
    あんな話を聞いてしまってからでは尚更だ。

    「殺して⋯しまわないとダメなんですか?」
    「保護や捕獲じゃないからな。上から言われてるのはあくまで討伐だ。自我を無くして暴れ回る一頭でも厄介なアレを市民に近づけさせるわけにはいかない。そもそも、アレを生かしておく訳にもいかない⋯そのための討伐だろうからな」

    市民の安全が第一で、ここが街からかなり距離はあれど、飛んで移動できる相手にはこの程度の距離は大した弊害にはならない。なら、ここで止めるしかない。
    それを大義名分として、戦ってこいと言う。
    マッシュがしなくてもレインは一人でもやり遂げてしまうだろうし、より街に近い位置には万が一に備えてライオさんも待機している。
    最後を思えば気は乗らないが、レイン一人に背負わせたくないならやるしかない。

    一度だけ深呼吸をして、思考を切り替える。

    「そうですか⋯じゃあ、レインくん、お願いします」


    マッシュが助走も無しに飛び立つと同時に、レインもドラゴンを囲うようにパルチザンを配置する。
    ドラゴンがどう動くかは分からない為、とりあえずは必要最低限にと、ドラゴンを中心とした場所から目算200〜300メートル以内に20本程を出来る限り等間隔に。
    必要そうな足場はその都度、足していけばいい。

    "ドラゴン討伐のついでに、君ら連携プレーを身につけても良いんじゃないか?特にレイン、君は捨て身の特攻タイプだが、君が彼の盾になれたなら最強の矛と盾が揃うと思うんだけど⋯どうだろう?"

    ここに来る直前にライオから言われた言葉が頭を過った。
    マッシュに攻撃を託し、レインはマッシュの補佐と防御に徹する⋯その構図は奇しくもライオの思惑通りになってしまったようで面白くないが、半端は許せない。やるならとことん、徹底的にだ。
    今日だけはマッシュの最強の盾を務めて見せよう。
    そう決意を固め、レインは目を凝らす。マッシュの動きを見て、次の行動予測の取りこぼしが無いようにと⋯。



    ◆◇◆◇◆◇◆◇



    ドラゴンの真上に配置されていたレインが出した剣の上に音もなく着地したマッシュは”これが、レインくんがたまにしている剣サーフィン!僕もできた!”とちょっと感動していた。

    まあ、それもほんの一瞬の事で、すぐに標的を見下ろす。

    ここから、額を叩けばすぐ落とせるだろう。
    難しい事はレインくんがしてくれる。僕はただ、言われたようにすれば良いだけ。

    トンッと、蹴り降りる先はドラゴンの真横に配置された剣。一発の蹴りの威力を上げる為に、一箇所、二箇所と配置された剣を経由して速度を上げる。最後に、最初に降り立ったパルチザンを踏み台にして足に力を込めれば、ピシリと音がした。おやっ、と思いはしたが構わずにそのまま踏みだす。マッシュが踏み出した直後にパリンッと背後で音が聞こえたから、きっと割れてしまった。

    (レインくん、舌打ちしてそう)

    そんな考えと共に、溜めた力を足に込めて踵落としの要領で右足を振り下ろす。
    しっかりとドラゴンのこめかみを捉えていたし、いける、と思った。
    だが、こめかみに入る筈だった足は直前で透明な何かを砕き、ドラゴンに届かないまま跳ね返される。
    踏ん張れる場所もなくては体勢を立て直せない。
    今の一撃でマッシュを敵と認識して捉えたドラゴンは、ギョロリと向けた視線の先で空に投げ出された状態のマッシュへと尻尾を振るう。
    アレを逆に利用できるかと、尻尾が近づく瞬間を見計らっていたが、マッシュに尻尾が当たる事はなかった。
    目前まで迫った尻尾が直撃するよりも先に、配置されてるものより大きい剣が盾のように尾を弾いたからだ。
    あっ、とすぐ下を見れば、さっきまでは無かった剣が新たに配置されている。
    ドラゴンの攻撃を気にする必要がなくなったので宙で身体を捻ると、猫のように軽やかにひらりと飛び乗った。

    (流石、レインくん。行動の予測が早い。でも、物理攻撃結界も張れるなんて聞いてないな⋯いや、知らない?まあ、いいか⋯)

    もう一度同じ箇所を狙えば今度は入る。そう確信めいた自信があった。
    頭を狙ったのは脳震盪で気絶してくれるならその方が手っ取り早いと思っていたからで、何も頭だけに固執するつもりはない。頭がダメなら次は翼、それもダメなら一番守りが硬いと思っているだろう背中に強打を入れて叩き落としてやろうと思っていた。だが、標的を切り替える必要はなさそうだ。
    守りを固めている場所は、相手の弱点である場合が往々にしてある。砕けた結界はドラゴンのこめかみのギリギリのところだった。新たに魔法を使った気配もない。
    それなら、もう一度同じ場所を狙い当初の予定通り気絶してもらおうじゃないか。

    マッシュを認識してから、排除する為にブレス攻撃と尻尾の薙ぎ払いを繰り出すドラゴン。
    本来であれば回避行動を取らなくてはいけなくなり、身動きが取りづらくなるはずなのだが、マッシュがそうなることはなかった。回避しながら攻撃に転じる気でいたマッシュだったが、自身に向けられる攻撃は尽く割り込んでくる剣が防いでくれている。

    ”お前は、攻撃に専念しろ”レインくんにそう言われた気がした。
    ──いや、そう行動で示してくれている。

    気づいたら倍近くの量で配置され直した剣を利用し、最初と同様に叩き落とす一撃の為の準備をする。
    マッシュの行動を抑制しそうなドラゴンの攻撃は全てレインが防ぐ。魔法が効かずとも攻撃を防ぐ事ができるからなのだとしても、攻撃特化のレインがこうまでしてくれている事実が嬉くて加減を忘れてしまいそうだ。

    充分過ぎるほどに助走をつけてからドラゴンの真上、攻撃の起点となる場所を見れば、こちらの行動をよく理解してくれているレインは用意してくれていた。
    新たな剣を四枚重ねで。

    (やっぱり、さっきの絶対舌打ちしてた⋯負けず嫌いだもんね、レインくん)

    だったらきっと、先程よりも強度もあるはずだ。
    なら、心置き無く、こちらも使える。

    不謹慎に弾む心と共に蹴り上がり、速度を殺さぬままに踏み込んでも揺らぎもしない足場に笑みが溢れる。

    さっきよりも速く、さっきよりも強く、加減の許すギリギリまで。
    ドラゴンに避ける暇も与えず、マッシュの踏み出し翻した身体から繰り出された右足が今度こそドラゴンの額へと決まった。

    人の数倍ある巨体が蹴りの衝撃と速度のまま落ち、激しい衝撃音を轟かせて地面へと沈む。

    マッシュは重力に逆らうことなく滑空しながら、もうもうと立ち込める土煙の中を凝視する。
    落ちたドラゴンを起点に、抉れた地面の土⋯もはや岩石と言っても差し障りのないそれが衝撃波とともに四散して、周囲に自生していた木々を数十メートルにわたって薙ぎ倒す。燃えていた箇所は幸いな事と言っていいのか、多量の土がかかり僅かな燻りを見せる程度まで弱まったように思う。⋯といった経緯までは確認できていた。
    だが、その後すぐに土煙が立ち込めてしまったため、その後の様子は見えなくなってしまっていた。
    土煙を吸い込まないように鼻と口を袖で覆い、地面へと降り立つとドラゴンの元へと足早に向かう。

    見つけたドラゴンは、目を閉じていて動かない。
    それなら、後はレインくんを待てばいい、そう思っていた。

    しばらくは意識が戻ることは無いだろうと思っていたドラゴンが身体を震わせ、薄目を開けた事にマッシュは驚き臨戦体勢をとった。蹴りの威力が足りなかったのかと踏み出す予備動作に入ろうとしたが、何か様子がおかしいように思う。
    どこが?何が引っ掛かるのだろう?と目を凝らせば、ドラゴンの瞳が変化していってるのに気づく。
    戦っていた時も、今しがたまで禍々しい紅い色をしていた瞳。それが、じわじわと快晴の青空のような色へと変わっていくではないか。

    えっ?と混乱していると、ドラゴンが消えてしまいそうなか細い声で言った。
    『かえりたい⋯』と⋯。
    それだけを発して、操り人形の糸が切れたかのようにガクンと身体を倒し、今度こそ完全に意識を飛ばしてしまった。

    どう言う事だろう⋯もしかして、暴れていたのはこのドラゴンの意思では無かったのだろうか?
    それで、頭に一撃入れた衝撃で正気に戻ったのだろうか?分からない⋯。
    でも、このまま殺してしまってはいけない気がする。
    せめて、もう一度だけでも話を聞かなくては⋯。このドラゴンが人間の言葉を解してくれるかは分からないが、それでも試してみないと⋯。

    それに、彼は”帰りたい”と言っていた。
    その言葉はマッシュの心に強く響いてしまった。
    自分も寄る辺無い状態でイーストンへ通っていた時は、何かある度に”家に帰りたい”と思っていた。
    だから、帰れる場所があるなら帰らないと⋯帰してあげなくては、そう思った。
    その為にはレインくんを説得しないといけない。でも、話さえ聞いてくれたらきっと⋯そんな希望を持っていた。

    背後から土を踏み締める足音が聞こえてきて、時折パキッと小枝を踏む音が混ざるそれが段々と近づいてくる。

    音に促されるかのように振り返れば、そこには見知っているようでどこか違和感のあるレインの姿があった。
    杖ではなく細身の剣を鞘から抜き放ち佇む彼は、世界が違えばこんな人が勇者と呼ばれていたのかもしれないと思わせるほどには実剣も似合っている。微かに感じた違和感の正体は、杖を携えた彼を見慣れすぎたが故のもののようだ。
    抜き放たれた状態の剣でレインが何をしようとしているのかなんて明白で、マッシュは何とか思い止まらせようと今し方ドラゴンに感じた違和感を説明しようとした。

    「レインくん、待ってください。このドラゴンは自分の意思で暴れていたんじゃないかもしれない」
    「だったら、どうした。言った筈だぞ。今回は保護でも捕獲でもなく、討伐だと。そこを退け」

    一歩も引く気の無いレインから、ドラゴンを庇うようにマッシュは移動する。

    「せめて、一度だけでも話をさせてください」

    レインは、はぁ、と一つため息を吐き、剣を鞘に収めた。
    わかってくれたのかと期待していたが、剣を掴んでいた手がそのまま杖を握ったのを見て、マッシュは眉を顰める。
    この流れは良くない。

    「話を聞こうが、聞くまいが、結果は変わらねぇ。お前に退く気が無いなら、力尽くで退かすまでだ」
    「この、野蛮人!人でなし!!」

    つい、レインに対して罵倒が口をついて出てしまったが、そんなことを言っても彼の気は変わらなさそうだ。

    「何とでも言えばいい。嫌なら俺に勝て」

    レインの台詞にマッシュの眉がピクリと跳ねた。

    「僕相手に、レインくんが勝てるとお思いですか?」
    「お前を引き離してトドメを刺せれば、実質的には俺の勝ちだろ?」
    「させるわけが無いでしょう」

    ピリッと空気が張り詰める中、マッシュが片足を引き、ザッと土が音をたてたのを皮切りに二人の攻防が始まった。
    先制したのはレインだった。

    「パルチザン」

    レインが発した声と共にに瞬時に現れた無数の剣がマッシュへと目掛けて飛んでくる。
    マッシュはそれを難なく躱すとレインとの距離を詰め、背負い投げの要領で力の限りに上空へと飛ばした。

    きっとすぐに戻ってきてしまうから、出来るだけ距離を離さなければと思うが、最初の攻撃がどうも手加減されていたようで腑に落ちない。チラッとさっきまで自分が立っていた位置を見やるが、やはり避けることを想定していたにしても着弾点がズレている気がする。
    何で?レインくんはそんなミスをするような人じゃない。

    疑問は消えぬまま投げ飛ばしたレインを見れば、剣に乗りこちらへと杖を構える姿があった。だが、一キロ以上離れたそこは射程範囲からはやや遠いのかまだ魔法を放つ気配はない。それならと、レインとの距離を詰めながら辺りに倒れている木を鷲掴んではレイン目掛けて投擲した。自分の現在位置も知らせられ、相手の動きの牽制にもなる一石二鳥の手だと満足気にしていると、少し離れた頭上から「小賢しい真似してんじゃねえ」の声と同時に無数の剣が降り注いできた。
    最初の攻撃のパルチザンよりも速度を増し、重力を伴ったそれはマッシュ以外のものであれば避けるのが困難な厄介でとてつもない殺傷能力を秘めた攻撃だ。
    だが、マッシュにそれは通用しない。
    避けた所に突き刺さった剣の一本を手に取り、力任せに上空へ向けて回転切りをする、それだけで先行していた剣は粉々に砕かれ、後行していた剣も放たれた剣圧に負けて着地地点を見失う。そんなデタラメを可能にしてしまうのがこのマッシュ・バーンデッドという男なのである。

    「チッ」と舌打ちしながら百メートルほど離れた場所へ降り立ったレインが「物理法則が仕事しないとかどうなってるんだ」と溢し杖を構え直す。
    さっきはあちらが先制したのだからと、横にある数百キロはあろう巨岩を”よっこいせ”と間の抜けた掛け声でレインの直線上に移動させ、サッカーのペナルティキック(PK)を蹴るキッカーよろしく足を振り抜いた。
    目指す場所はここに存在して無いゴールネットなどではなく、キーパー役に見立てたレインへ。キーパーに当てようとしている時点で競技が違うだろうだなんて言いっこなしだ。細かいルールなんて知らない。ボールはキーパーが止めるならどちらにしろレインが止めなくてはならない。

    この程度なら難なく受け止めてくれるだろうと思ったマッシュの読みは当たり、巨岩を蹴り抜いた瞬間「ラージパルチザン!」と叫ぶ声が聞こえ、巨大な剣を出現させて軽く防がれてしまった。⋯と、そう思っているのはマッシュだけで、実際には「あっぶねぇ⋯」とレインが大量の冷や汗を流していることなど知る由もないだけなのである。

    後にレインは語る。あの瞬間、不穏な気配と嫌な予感がしたのだと。自分の直感を信じて反応できていなければ死んでいたかも⋯と。

    そんな殺人シュートをお見舞いしていたなどつゆ知らず、マッシュはレインの元へ距離を詰めようとするが、巨大な剣で遮られた状態ではレインの姿は視認できない。
    そんな状態で前方からは無数の剣が絶えず襲い掛かってくるが、絶妙にマッシュには当たらない。
    あちらも視界が遮られているからなのかとも思ったが、木や岩はかなり的確に撃ち抜くそれに違和感が消えないが、悩んでいても仕方がないのだ。

    ”あの剣を先ずはどかそう”そう思い、踏み込むために姿勢を低くした時、”背後から”「ラピッドパルチザン」と声がした。
    巨剣を盾にしたままそこにいるかの様の演出して、回り込まれたのだと頭が理解するよりも先に鋭く速い剣の暴風がマッシュを襲う。
    タンッ、タンッと後ろに数回に分けて飛び退き、そこで距離を取らされた事に気づく。

    「サモンズ」とレインの発した一言で纏う魔力が跳ね上がり、「アレス(戦の神)」の一声で杖が荘厳な槍へと姿を変えたのを見て”それはちょっとやりすぎなのでは?”と声をあげたくなるが、そんな不満を言っている場合ではなかった。

    「ブラックパルチザン」

    放たれた一言に呼応する力は凄まじい。黒い稲妻とも炎ともつかないオーラを纏い、縦に切り裂く一線は直線上のものを地も空も関係なく容赦無く両断する。無慈悲なまでの圧力と、瞬きすら間に合わないほんの僅かな間で。
    常人であれば、もしくは一部の神覚者以外なら、間違いなく防ぎも避けもできない攻撃。
    ただ、常人でも一部の神覚者でもないが、マッシュはその攻撃を最後にレインとの攻防に終止符を打ってみせた。

    レインが攻撃を放った瞬間に一瞬で距離を詰め、足払いと同時に槍になった杖を奪い取って岸壁目掛けて投擲し、仰向けに引き倒したレインの腕と肩を押さえ、胴部分に馬乗りになり動きを封じる。それをレインの魔法が残滓として消え切る前にマッシュはやってのけた。

    はぁ、とため息を溢しマッシュはレインへと問いかける。

    「これでいいんですか?」
    「あぁ、俺の負けだ」

    随分とあっさり負けを認めるレインに、戦闘中に時折感じた疑問の答えがわかってきた気がする。

    「当てる気なんて⋯勝つ気なんて無かったくせに、よく言う⋯」

    レインが放った攻撃のどれもが確実に防げるものであったり、マッシュの周囲を破壊する攻撃しかなかったのを知っている。
    範囲攻撃の時は周囲の倒木や砂塵を利用した目隠しや牽制目的なのかと思ったが、それを利用して直接的な攻撃を仕掛けてくることはなかった。まるで、最初から周囲の被害を大きく見せるのが目的のようなそれに、マッシュは何かおかしいと感じていた。

    「気づいてたのか?」
    「最初の一撃目からおかしいなとは思ってました。僕相手に本気で攻撃してくるつもりなら、あんな小手先の牽制攻撃はしてきませんよね?レインくんは⋯」
    「⋯⋯⋯」

    マッシュの特技も苦手なこともほぼ知っているレインなら、最初の初手から手を抜いたりしない。
    本気で止めるなら、それこそ初撃から殺す気で渾身の一撃を見舞わなければ、戦闘が長引くほどにジリ貧になるのはレインの方なのだ。そして、彼にしては珍しく間隔を取らせることに重点を置き範囲攻撃を仕掛けてくる回数が多かった。あまりにレインらしくない戦い方に疑問を持つなと言う方がどうかしている。

    「だから、どうしてかなって考えました。ワザと魔力の消費が多い魔法ばかりを周りに誇示するみたいな戦い方をする理由を。⋯僕に勝つ気なんてありませんでしたよね?それは、どうして?」

    ”キミはいつも言葉が足りないし、僕にはそれをちゃんと汲み取ってあげることができないから答えを下さい。キミの口から、キミの言葉で。ね?レインくん?”と促せば、諦めたようにレインが全身から力を抜いた。
    細められた双眸がマッシュを見るが、見つめ返したそれは普段と変わらない穏やかなものだ。あれだけ派手に暴れていたのにも関わらず⋯。

    「⋯⋯⋯お前が、あのドラゴンと話したいと言ったから⋯」

    レインの答えは想像と少しだけ違っていた。

    (ドラゴンを殺さずに済む方法を模索した結果ああなったのだとばかり思っていたのに、それではまるで⋯)

    そこまで考えてマッシュは固まってしまった。

    本来、一度討伐依頼が来てしまえば”討伐が完了”するまで⋯つまりはあのドラゴンを殺すまでは他の行動は許されない。だから、その例外を作るためにワザとレインはマッシュへ煽り文句を使い攻撃を仕掛けた。相方と意見が割れ、実力勝負で決着を付けたのだと周囲へ印象操作をする為だけに、負担の大きいサモンズまで使って。
    マッシュの我儘を叶えるためには何が必要なのか、あの一言の後のあの一瞬で考えたレインの判断力と行動力は流石としか言いようがない。何も言わずに攻撃を仕掛けてきたのも、マッシュが知れば動きに不自然さが生まれてしまう事を熟知しているから。
    それら全ての行動に意味があり優しさが溢れてるのに、「ほんっとうに伝わりづらいなこの人⋯」と思わずにいられない。

    「バカなんですか?そんなことの為だけに、レインくんはこんなに体を張ったんですか?」

    負傷こそしていないが、レインばかりが損な役回りをしている事実に不満が無いわけがない。
    結果は確かに同じかもしれないが、もっとやりようもあったのではないかと。

    「そんなことだと?お前の願いや希望を出来る限り叶えてやりたいと思うのは、俺の中では重要なことだ」

    不器用で言葉数の少ない彼は、度々こうやってマッシュの気持ちを優先させようとする。そんな所が堪らなく好きではある、あるのだが⋯やはり思う所が無いわけではない。

    「やっぱりおバカさんですよ。キミばかりが全部背負ってどうするんですか」

    不満を体現しようと、跨ったままの体勢でペシペシとレインの胸元を叩けば、フッと呼気だけで笑われた。

    「今日はお前の盾になるって決めていたからな」
    「⋯?何の話ですか?」

    レインが何を言っているのかは分からないが、きっとマッシュの為の何かには違いない。
    マッシュの知っているレインという男は、そういうわかりづらい人だから。

    「お前は気にしなくていい。⋯それにしても、上から見下ろされるのも悪くないな。今度は夜にもこうしてくれ」

    さっきまでのいい話はどうした?
    マッシュの視線が冷たいものへと変わった。

    「今言うことがそれですか?」

    声音も冷え切ってしまったのは仕方がない。これはレインくんが悪い。
    なのに、当の本人はしれっとしているし、悪びれる気もないようだ。

    「この状況で他に何もすることがないからな」
    「投げ飛ばしちゃった杖の回収とかは?」
    「呼べば戻って来るぞ」
    「わぁ、便利⋯って、さりげなくお尻触るのやめて下さい。さっきまでのカッコいい僕のレインくんはどこに!?」

    確かに僕が上に乗ったままではやれることは無いかと退こうとしたのに、ガシッと腰に回された腕に身動きが取りずらくなり、更には尻を撫で回してくる手に”こら!”と怒ってみたが効果はない。
    付き合いたての頃、我慢に我慢を強いられていたからなのか、全てが解禁されてからというものこのようなセクハラが頻発するようになってしまった。いかがわしい触り方ではなく、その場でどうこうなろうといった思惑は含まれていないので普段は自由にさせていたが、今はそんな時ではないと思う。
    野外でセクハラを受けるってなんてパワーワード?
    もうこれは魔法の一言を使うしかない。
    「フィンくんに言いつけますよ?」と、それを言うだけで全てが片付く。まさにレイン相手にのみ通用する魔法の一言を。
    すうっと息を吸い込み、さあ言ってやると思っていた時に不意にマッシュの耳に届いた声があった。

    『今し方までアレだけの抗争を繰り広げていたのに、もう睦あっていると?人間とはこれほどまでに奇怪な生き物だっただろうか⋯?それとも、あれが人間の求愛行動なのか?』

    百メートルは離れた位置から、目を覚ましたドラゴンが途方に暮れたように佇みこちらを見ている。
    こんなに離れているのに、声を拾ってしまったマッシュも途方に暮れたくなった。なんでよりにもよって風下だったのか⋯そうでなければ如何に耳が良かろうとこの距離の言葉は聞こえなかったのに⋯。
    マッシュは力無く呟いた。
    「レインくんのせいで全人類への風評被害が酷いことに⋯なんてこった⋯」と⋯。

    「?なに言ってるんだ?」
    「もう、いいからこの手を離して。ドラゴンさん目を覚ましたみたいなんで」

    その言葉に、マッシュの視線の先を目で追いかけ佇むドラゴンの姿にレインは眉間に皺を寄せた。

    「見せもんじゃねぇぞ」と太々(ふてぶて)しくも宣うレインの頭をベシッと叩き、腰に回された手を振り解くとバク転の要領で離れる。
    頭の叩かれた部位を押さえ「いてぇ⋯」と呟いているこのセクハラ野郎は無視でいい。

    ドラゴンと対峙する形で向き合い、しっかりと目を合わせてきたマッシュに多少の警戒の色を滲ませはしたが立ち去るつもりがなさそうなドラゴンへと近づいていく。
    五メートル程の距離を残し、マッシュは立ち止まった。

    「目が覚めたのに、どこにも行かなかったんですね?まあ、どこか行かれてても困るんですけど」

    マッシュのこの問いかけはちょっとした賭けに近かった。
    こちらの言葉が通じるのか、意思疎通が可能なのかを知るために。普段から気の抜ける話し方だとよく言われるので、普段通りに話しかければ威圧してしまう心配だけはないだろう。
    小首を傾げて待てば、意外にもあっさりとした返事が返ってきた。

    『身体が思うように動かなかっただけだ』
    「普通に話してくれるんだ⋯」
    『お前からは敵意を感じないからな⋯』

    呆然と呟くマッシュへと返すドラゴンも困惑が隠せてはいなかった。
    敵意を感じないと言ったが、覇気も感じさせないマッシュにどう対応するのが正しいのか考えあぐねていた、といったところが正解かもしれない。

    「できれば、君と戦いたくありませんので。このまま少し話しても?」
    『良いだろう。何が聞きたい?』

    驚くほどに話が早い。正直、こんなにあっさりと応じてもらえると思っていなかったのだが、話のわかるドラゴンさんで良かったと思う事にした。考えたってわからない事を追求する時間はただの浪費でしかないからだ。
    まず、初手の質問はオーソドックスにいく事にした。

    「ここが、どこだかわかりますか?」

    ドラゴンはマッシュの質問に視線だけを二、三度辺りを彷徨わせ、フルフルと緩く首を振った。

    『いや、わからない。住処で処分に困っていた魔法道具を破壊して⋯次に意識がはっきりした時にはここに居た。その間の記憶はないな⋯』
    「魔法道具?」

    ドラゴンの言葉を反芻する。
    魔法道具とは、確かレインくんが神覚者の仕事で管理していたものだったはずだ。

    『あぁ、人間が扱いに困って海にでも捨てたんだろう。それが流れ着いてしまってな⋯。下手に触る訳にもいかず、それなら破壊してしまおうと⋯』
    「それが、ここで目覚める前の最後の記憶ですか?」
    『そうだ』

    ドラゴンの肯定に”ふむ”ともっともらしくマッシュは頷いた。
    一連のおおまかな流れは把握できたと思う。聞いた限りでは魔法道具を壊したことで良くない力が働いてしまい、こんな場所で暴れ回る事になってしまったと。
    だが、このドラゴンには魔法道具を壊してからここで目覚めるまでの記憶はないという。
    もう一度確認はしといた方がいいのかな?

    「ここで、暴れていた記憶はない?」

    その言葉にドラゴンは目を見開いた。

    『暴れた?私が?』

    悄然(しょうぜん)と呟き、ドラゴンは改めて辺りを見回した。
    さっきもチラッと確認はしていたが、今度はまじまじと、視線が何度も辺りを行ったり来たりしている様子を見るに余程この森の状態が信じられないらしい。

    『この森の惨状は⋯私がやったのか?』

    絶望したように聞いてくるドラゴンにマッシュは一瞬答えに詰まった。
    やったにはやったのだが、全てがドラゴンのせいではない。むしろ、ドラゴンが暴れた後の方が被害が拡大してしまっている。

    「⋯あー、えっと⋯君がやったのは四割くらいで、あとはレインくんが⋯」

    それと僕も少々⋯と付け加えた声は小さすぎて聞こえなかったようだ。

    『レインとは⋯?』

    そうか、名前を言われてもわからないか⋯。さっき僕と戦っていた人ですよと言おうとした時、腰にスルッと腕が回り、慣れ親しんだ体温に背後から抱きしめられた。

    「呼んだか」

    なんともタイミングのいい登場に、説明の手間が省けたと「彼が、レインくんです」とドラゴンに紹介すれば、奇怪なものを見るような目で見られた。
    全人類への濡れ衣をまだ払拭できていないというのに、また同じ目をされてしまった。なぜに⋯。
    数秒見つめ合ったが、そんなドラゴンの視線に耐えられなかった。スッと視線を逸らし、レインへと話を向けてみる。
    思ったよりも合流に時間がかかっていたようなので「遅かったですね?」と軽い調子で聞いたが、レインの眉間の皺が濃くなってしまったのを見てマッシュは思わずキュッと唇を引き結んだ。

    「お前が、俺の杖を容赦なくぶん投げてくれたからな⋯」

    おっと、こっちも触れてはいけなかった。レインくんは怒っていらっしゃる。

    「それはそうと、レインくん朗報です!このドラゴンさんお話しできましたよ!」

    今一度、方向転換をしなくてはとわざとらしいまでの明るい声を出せば、レインはため息の後に「だろうな⋯」とだけ発して首筋にグリグリと頭を擦り付けてきた。その行動から怒っている訳ではないのだと分かると、仕方がないなと首筋に懐く頭をポンポンと軽く叩いた。
    ジッと見つめるドラゴンの目は未知の生物をみるように細められている。森が誰の手によって破壊されたのかなんて、もう気にしている場合ではないらしい。

    『お前たち、距離感がおかしいと言われないか?』

    ”今は”もう言われなくなって久しい言葉がドラゴンから発せられた。
    みんなは慣れてしまって、ため息一つで視線を逸らしてしまうから⋯指摘されるのはいつぶりだろう?
    疲れた時、拗ねた時、癒しが欲しい時に決まってマッシュを抱きしめにくるレイン。それを説明するのも久しぶりだ。

    「レインくん、今はちょと拗ねモードに入ってて甘えたくて距離感が近くなってるだけなので気にしなくて大丈夫です」
    『⋯⋯甘えたい奴の眼光では無いと思うんだが⋯敵意しか感じないぞ?』

    マッシュが肩越しにレインを見やれば、確かに目つきは悪い。だが、これは通常運転の範囲内のもので、レインが誤解されやすい理由の一つでもある。言いたい事や分かって欲しい事を目で訴えて済ませようとする悪癖のせいで必要以上に目力は強くなり、見られた側は悪い方へと勘違いしてしまう。
    レインを知らないドラゴンなら尚更。敵意と取ってもおかしくは無いが、このまま話が拗れてもややこしいだけ。
    マッシュはドラゴンの言葉に首を振って否定する。

    「レインくんは目つきと口と態度と足癖が悪くて勘違いされやすいだけで、優しい人ですよ。キミに敵意はありませんので、大丈夫です」

    発した本人に悪意などは微塵も無かったが、”今、悪口の方が多かったよな?”とマッシュ以外の心はシンクロしていた。
    レインが少しばかりイラっとして頬の一つでも抓ってやろうかと考えていると、腕の中で器用にくるりと身体の向きを反転させたマッシュが真面目な表情を向けてきた。

    「それで、なんですが⋯今回はレインくんのお仕事案件だと思うんですよ。さっき、ドラゴンさんから聞いたんですが⋯魔法道具を破壊してこうなったって言ってましたから」

    マッシュはドラゴンの暴走と魔法道具が関係していると言っているが、圧倒的に情報量が足りていない。
    レインはマッシュから一歩離れ、じわじわと痛む眉間を揉むように抑えた。

    「待て、もう少し詳しく話せ」
    「えっとですね、誰かが捨てた魔法道具がドラゴンさんのお家に流れ着いて、処分に困ったから壊しちゃえって⋯。それで、壊してからの記憶がなくって気づいたらここで目が覚めたって⋯」

    レインは今度こそ頭を抱えた。
    処分に困って壊すなど、ドラゴンとはそんな短絡的な思考で行動する生き物では無かった筈だ。きっと何かしらの情報が抜け落ちている。"むしろ、そうであってくれ"
    と願いながら改めて調書を取る事にした。

    「それは、話の全容ではないはずだ⋯俺が質問するから、お前はドラゴンが何て答えたのか教えろ」

    色々と諦め、仕事モードへと切り替えたレインに倣(なら)いマッシュもドラゴンへと向き直った。補佐らしい補佐は今回が初めてで、正直ワクワクしてる。

    「彼の質問にも答えて貰っても良いですか?」
    『あぁ、教えられる範囲で答えよう』

    了承が得られたので、こっちは準備万端ですとレインへサムズアップして合図を送ったのだが、一瞥をくれただけで反応らしい反応は無かった。
    仕事となった途端に素っ気なくなるのは解せない⋯。と、ムッとしている間にも質疑が始まってしまう。

    「魔法道具が住処に流れ着いたのはいつだ?」
    『凡そ五十年程前だな』
    「えっ?五十年も前なんですか?」

    思ってもみなかった年数に思わず言葉を反芻すれば、それだけでレインはドラゴンが何を言っていたのかを理解し、次の質問も澱みなく出てくる。

    「そんなに放置していたものを今になって何で壊そうと思った?これまでは特に害は無かったんだろう?」
    『六十年ぶりに同胞に子供が産まれてな、万が一にも触れないようにする為に破壊してしまおうと決まったんだ』
    「六十年ぶりにドラゴンさんの子供が産まれて、子供が触らないように壊そうってなったみたいです」

    長年放置していたものを壊す事になった経緯はわかった。だが、それだけとも言える。
    魔法道具が原因だとは思うが、決定打には欠けていた。
    なら、マッシュはどうだろうか?
    少なくともドラゴンと対峙した後に何か思うところがあって止めようとしていたように思う。

    「事情は理解した。マッシュ、お前は何か魔法道具が関わってそうな痕跡に心当たりはないのか?」

    マッシュが無言で首を傾ける。
    何のことだとキョトンとしているマッシュに「俺を止めようとした理由はなんだ?」と問えば、何か思い出したのか「あっ」と口が開かれた。

    「⋯目の色が⋯」
    「目?」
    「はい。戦っている間は、こう⋯不気味?禍々しいっていうんですか?そんな感じの赤色だったんですよね。それが地上で意識を失う前に今の状態に変るのを見たんです」

    精神に影響を与える魔法や魔法道具の一部には対象の瞳を赤く変容させるものがある。なぜ赤くなるのかの要因ははっきりとしていないが、自我が戻るのと同時に瞳の色が変化したならほぼ断定していいだろう。

    「他には?」
    「ほか⋯あの、ドラゴンさんって物理結界系の魔法って使えるんですか?」
    「俺はそんなことができるとは聞いたことない」

    レインが否定した事で、マッシュの視線は自然とドラゴンの方へと向く。
    話の流れから汲み取ったドラゴンもまた、『そういった類の魔法は使えない』とマッシュの言葉を否定した。

    「何かあったのか?」
    「ドラゴンさんの額に二度踵落としを決めたんですけど、一度目は何かに弾かれたんですよね。だから、結界系の魔法が使えるのかなって思ったんですけど、違うみたいなんで、魔法道具の方なのかも⋯」
    「精神干渉と保護のどちらもだと?」

    果たして魔法道具管理局内に似たような効果を持つ魔法道具があっただろうか?
    ただ、五十年も前のものと言うなら魔法道具の黎明期で、どんなものが発明されていてもおかしくはない。作ったは良いが扱いに困り捨てたか、隠すつもりで紛失したのか⋯危険なものには変わりない。
    やはり。可能なら調査が必要そうだ。

    「その破壊した魔法道具の残骸は残っていそうなのか?」
    『鏡の付いた小箱だったが、鏡か箱の破片は残っているだろう』
    「鏡付きの小箱で、多分残ってるんじゃないかって⋯」
    「わかった。これからの流れ次第ではそれも調査が必須だな」

    これでレインの中の概ねの方針は決まった。
    最後に、後一つ確認しなければならない事を除いて。

    「一つ確認だ。お前たちはこちらに害意が⋯人間を見て殺してやろうと思う事があるか?」
    『無い。少なくとも今は、人間側が同胞を手にかけるような事がないなら、これまで通り干渉せずにいたい。私たちの希望は静かに暮らすことだけだ』

    レインのセリフに驚いていたのはマッシュのみで、ドラゴンは平然と答えていた。
    これは端折ったりせずにそのまま伝えようと、ドラゴンの言葉そのままにレインへと伝えれば、どこかホッとしたように息を吐き出していた。

    「わかった。このまま帰れるように善処はする」
    『それは助かる。迷惑をかけたのに温情がもらえるのか⋯』
    「ドラゴンさんは助かるって言ってますが⋯大丈夫なんですか?」

    ドラゴンの危惧はマッシュも思うところがあり、レインへと向く視線は不安に揺れていた。

    「わからねぇ。だが、ドラゴンが暴れていた原因は破壊した魔法道具が関係していて、それが無ければ人間界に関わる事も無かっただろう。敵意の無さは俺やお前への接し方を見てればわかるし、人や街への被害は無い。幸いと言っていいのか、撃ち漏らした際の予防線として来ているのは、神覚者の中では話の分かるライオさんだ⋯」
    「子供を守るための行動でこうなったって言ったら⋯」

    男前な行動かどうかが判断基準となりがちな彼のことだ、今回のドラゴンの行動は充分に思いやりと漢気に溢れていると判断してくれそうだが、どうだろうか?
    レインを伺うように見れば頷き返される。

    「いけるかもな。まあ、だめだった時はお前の好きにしていい。これから俺は、お前に負けて"仕方なく"交渉にいくんだからな」

    あぁ、そう言えばそんな設定を作るためにレインくんは体を張ってくれたのだったっけ⋯。

    「わかりました。交渉が決裂した際には、ちょっと派手に暴れてみようと思います」
    「そうしてくれ。じゃあ、行ってくる」

    本気とも冗談ともつかないマッシュの言葉に口元を緩めて、レインはライオの元へと向かった。



    ◆◇◆◇◆◇◆◇



    レインの背が見えなくなってからはドラゴンと二人きりだ。
    世間話など得意な方ではないのでどうしようかと考えていたら、ドラゴンの方から話しかけてきた。

    『気になっていたんだが、お前から魔力を感じないのは気のせいか?』
    「合ってますよ。僕は魔法が使えません」

    魔法が全く使えないことは想定外だったようだ。

    『⋯⋯⋯⋯アレでか?』

    レインとの攻防を一部見ていたのか、逡巡した間の長さが疑問に拍車がかかっている証拠のようで、何だかおかしくなってしまう。自慢の筋肉でできないことの方が少ないことを知ってるし、それに誇りを持っているので今さら気にもならない。

    「魔法が無くたって負けませんよ、僕」

    魔法が使えることが生きることの最低条件のようなこの世界で、これだけ不遜な物言いをできる人間は他にいない。
    唯一許された人間は、自負を胸に宣誓してみせる。誰が相手でも覆させたりはしないのだと。
    そんな自信に満ちたマッシュを見るドラゴンの目は優しく細められていた。

    『そうだな、魔法が使えずとも逞しく生きるのが人間という生き物であったな⋯』

    ドラゴンの言葉は、魔法の使えない人間に向けられたもののよう。
    まるで、マッシュ以外にもそんな存在がいるかのような⋯。

    「⋯僕以外の魔法が使えない人を知ってるんですか?」
    『もう生きてはいないだろう。何せ、百年は前の話だ』

    優しく細められていた目が寂しさを瞳に滲ませて閉ざされる。
    彼は、人が好きだったのだろうか?マッシュを通して、昔を懐かしみ思いを馳せるほどに。
    魔法使いが利己的な理由で狩らなければ、人との共存の道もあったのではないだろうか。そう思わせるほどにドラゴンからは”人間”に対する悪感情が見受けられないどころか、経験したであろう過去と反比例して人間に未だに好意的に見える。
    百年も経ってしまった過去はどうすることもできないが、それでもドラゴンに疑問を持たずにはいられない。

    「キミは⋯人を嫌いになったりはしていないんですか?」

    聞くべきではないのかもしれないが、この百年、人という存在をどう思っていたのかが気になってしまった。
    キミたちを酷い目に合わせた人間をどう思っているのかを。

    『さあ、どうだろうな。我らの同胞を殺して回ったのは魔法使いと呼ばれる者たちで”人間”だ。魔法使いを許す事はできないし、私が好きになる事はない。だが⋯かつて我らと共存し、良好な関係を築いていたのも魔法の使えない”人間”だった。我らからすれば、どちらも”同じ人間”だ。だから、一括りに人間という生き物を嫌いにはなれないさ』
    「魔法が使えても使えなくても"同じ"ですか⋯」
    『その程度、我らからしたら瑣末(さまつ)な違いでしかないな』

    怒らせてしまったら、悲しませてしまっていたなら誠心誠意謝るつもりでいたのに。ドラゴンは人間想いの優しさと、寛容な心で魔法界の法律という凝り固まった世論を否定してくれた。
    人の世も、そんな考えで溢れてくれていたなら良かったのに。
    このドラゴンが特別なだけかもしてないけれど、そんな考えの人間が、当時の魔法使いに多ければここまで歪んだ世情にはなっていなかっただろう。魔法が使えない人間も街で普通に暮らしていたのかもしれない。
    このドラゴンの背負った過去も、魔法使いが築き上げてきた歴史も⋯レインと話していたようにままならない事ばかりだ。
    時間は前にしか進まない。
    一部の特殊すぎる例外はあれど、変えられるのは未来だけ。そんな事はわかっていたが、もやもやと燻る気持ちばかりはどうしようも無い。

    「キミと、もっと前に会って話してみたかったな」
    『そうだな、こんな面白い人間がいるなら私とて会ってみたかった』
    「⋯面白い、かな?」

    周りから言われた事のない評価に首を撚れば、ドラゴンが笑ったような気がした。

    『人と話せる日が来ようとは思ってもみなかった』

    思ってもみなかった言葉にマッシュは驚きに目を瞬かせた。
    あんなに平然としていたのに?今だって普通に会話しているのに?
    あまりの驚愕に、思わずスッと口元を抑えてしまった。

    「えっ?やっぱり話せる人っていないんだ⋯なんか、驚かずに普通に会話してくるから経験があったんだとばかり⋯」
    『ないな。この数百年生きてて初めてだ。⋯⋯こんな体験はもう無いかもしれないからな、記念に名を聞いても良いか?』
    「マッシュです。マッシュ・バーンデッド。キミは?」
    『マッシュか。私はアースガルディウス』

    聞こえた名前にマッシュの思考が止まった。
    せっかく名乗ってくれたのに、ちょっと名前が長かったな⋯なんか区切りが無かったな、と⋯。

    「あーす、がっで⋯⋯?えっと、あの⋯ごめんなさい、もう一度言ってもらえませんか?」

    視線を泳がせて、聞いたばかりの名を反芻しようとしたが難しかった。
    そもそも無邪気な淵源(イノセント・ゼロ)すら一度で覚えられず、イノ何とかと言っていた者には難易度が高すぎる名前だったのだ。
    しゅん、と身体と周囲の空気まで使い落ち込むマッシュに、今度こそ間違いなくドラゴンは笑った。クツクツと楽しそうに喉を鳴らし、呆れるでもなく『アースでいい』と愛称の方の呼び方を提案してくれる。

    「わかりました。じゃあ、アースくんで」
    『⋯くん?』
    「仲のいい人とか呼ぶときに付ける呼称みたいな?」
    『仲が⋯⋯お前、距離の詰め方おかしいって言われた事ないか?』
    「ないけど、どうして?」

    普通に考えれば会って数時間の相手、ましてや討伐依頼の対象であった相手と仲良くなれる事の方がおかしい。だが、常識といったものが悉く通用しないマッシュには関係ない。好意的に思う相手には時間も距離も関係なく、いつの間にかスッとそこが定位置のように横に居る男。それがマッシュだ。だから、ドラゴンの言っている意味がわからなかった。

    『いや、無いならいい』

    諦めたような声音に、失礼すぎただろうかと今さらな不安が過ぎる。
    おそらくはかなり年上の相手だ。今からさん付けに直すべきか?いや、そもそも仲良くなりたいと思っているのは自分だけなのかな?

    「⋯僕とキミは仲良しになれませんか?僕のことは好きになれない?」

    見上げる表情からは自信に溢れていた元気さがなりを潜め、小首を傾げながら伺ってくる様は、種族を越えて庇護欲を掻き立てるものだった。
    今までの態度とのギャップの激しさもあり、殊勝な調子で自信のなさそうな声で"仲良くなりたい。僕のこと好き?"と、憎からず思っている相手が聞いてくる。
    嫌などと言える奴が果たして居ようか?そうドラゴンは思った。

    『仲良く⋯なれたら嬉しい。この短時間だが、お前の事は好ましく思ってるぞ、マッシュ』

    ドラゴンからのお許しが貰えたと嬉しくなり、それならとさらに提案する。仲良くなりたいと思ったら、お互いにそう思っているのなら、丁度良い関係があるではないかと。

    「じゃあ、僕とお友達になりましょう、アースくん。それで、仲良くなりたいじゃなくて仲良しになるでしょう?」

    穏やかな表情で語りかけるマッシュの姿が、ドラゴンには眩しく映る。

    ドラゴンと人間の関係は、良好なんて簡単な言葉で収まるものでは無かった。
    卵だった頃、巣から盗まれた卵を保護して面倒を見てくれていたのは人で、孵ってから名をつけ仲間の元へ返すためにと奮闘してくれたのも人だった。毎日、名を呼ばれ、街の子供達と駆け回る日々は今だって懐かしい。
    仲間の元へと帰った後も、定期的に街へと降りては困っている人の手伝いを買って出ていた。重たい荷運びや人の送迎。そんな日々を繰り返し、長すぎるドラゴンの寿命故に何度も仲良くなった人を看取ることになったが、ドラゴンの名前は次の世代へとちゃんと受け継がれ、呼ばれ続けていた。
    しかし、そんな日常は、魔法使いが統制され始めた頃に崩れ去る。人との関わりは当然無くなり、人の声で紡がれる自身の名を聞ける機会すら無くなってしまった。

    この百年、突然絶たれた人との関わりを恋しく感じていたドラゴンが、そんな事を言われてどう感じるのかこの少年は分かっていない。
    長年抱え続けた埋まらなかった心の穴を、純粋過ぎる心根と言葉で埋められ、あまつさえ、人の声で呼ばれる事はもうないと諦めていた名を呼ばれたドラゴンの気持ちを理解できようはずがなかった。

    『やはり、お前は変わってるな』

    今までマッシュとドラゴンの間にあった五メートルの物理的な距離がなくなった。
    マッシュは一歩だって動いてはいない。
    心の傾く音に誘われ、ふらりと踏み出したのはドラゴンの方だった。
    埋められた心の距離に比例して、物理的な距離が開いているのがもどかしくなってしまい、それを埋めたくなったのだ。

    近づいた距離感のまま鼻先をマッシュの身体の前へと差し出せば、何も言わずとも撫でてくる手に自然と喉がキュルルと甘えた声を出す。
    こんな風に距離を詰められた事などなかったから⋯そんな優しい誘いは久方ぶりすぎて、衝動が抑えきれなくなってしまった。

    こんな姿、とてもでなはいが同胞には見せられない。知ったらきっと卒倒してしまう。それくらいには普段との態度の差がある自覚があった。
    こんな声は小竜が母に甘える時か、番相手にしか聞かせる事が無いだなんてこの子は知らない。これが最初で最後だから、彼は知らないままでいい。

    ドラゴンは愛情深く、それこそ一度感じたものは覆らない。番を決めれば、その番が死した後も思い出を拠り所に生き、新たな番を作らぬまま一生を終える。それくらい、一度愛着が湧いてしまえば変わらない。
    そんな中で、私はこの子が可愛いと、愛おしいと感じてしまった。新しく産まれてきてくれた、これからの未来を担う同胞の小竜達と同じくらいに⋯だから同じように見守ろう。芽生えかけた気持ちは、よく似た別の愛おしさで覆い隠して、孫を愛してやまない祖父のように見守っていこう。ドラゴンの決意が固まった瞬間だった。

    マッシュが撫でる手を止めると、ドラゴンは尾の先の小さな鱗を剥がしてマッシュへと渡した。
    一枚だけ器用に剥がされたそれは五センチ程度の大きさで、よく磨かれた黒曜石のように光の加減で輝き方が変わる鱗を物珍しげに眺める。

    「これは?」
    『友人への贈り物だ。私に用事がある時はそれを握って話しかければ通じるようになっている。仲の良い同胞だけが行う連絡手段だが、友達と言ってくれるマッシュにも渡しておこうと思ってな』

    これは、少し嘘をついた。
    マッシュに"も"と言ったが、実際にこのドラゴンが渡した相手はマッシュが初めてだった。
    同胞たちはほとんどは島からは出ないし、近くに居るのだから連絡手段などは必要ではない。ただマッシュに持っていて欲しい、それだけだったのだが、気負わせずに相手に渡す方法が思い浮かばなかった。

    「使っても大丈夫なのかな?」
    『何か問題があるのか?』
    「キミの存在は、まだ隠しておかないといけないみたいなので⋯持っててバレないかなって方が気がかりで⋯僕、隠し事とか苦手だし⋯」

    一瞬渋った様子を見せたマッシュに、持つのが嫌なのかと落胆しかけたが違ったようで安心した。
    そういう事ならと、別の用途もあるのだと教え、なんとか手元に置いてもらえる方向で話をまとめてしまいたいドラゴンはゴリ押しした。

    『なら、ただのお守りとして持っておけば良い。実際に低級の魔物避けにはなる。それと、ドラゴンが自分の意思で授けた鱗にはそのドラゴンの魔力が宿るから、鱗と同じ竜種から攻撃される事がなくなる優れものだぞ』
    「お守り⋯そっか、それならいいかな。ありがとう。大事にするね」

    「友達から貰ったお守り⋯」と嬉しそうなマッシュと、大好きになってしまった相手に自身の一部を近くに置いてもらえることが確定したドラゴンは、周囲に花を飛ばさんばかりに喜んだ。



    ◆◇◆◇◆◇◆◇



    その後も二人の会話は途切れることはなく、ドラゴンはマッシュを自分の背に座らせ、そんな状態で和気藹々と和やかな空間を楽しんでいた。

    そこにレインが戻って来たのだが、マッシュたちを一瞥した表情が非常に険しい。
    額に青筋を浮かび上がらせ、み締められた歯は悲鳴のようにギリギリと音を立てている。そして、杖ではなく剣の柄頭(つかがしら)に手を添えているのをマッシュは目ざとく見つけてしまい、まさか交渉が上手くいかなかったのかと不安が過ったのだが、レインの地を這うような「今すぐ離れろ」の声である程度理解した。

    「レインくん⋯嫉妬ですか?いくら羨ましくたってそんな怒ったりしたらダメですよ。ドラゴンさんの背中に乗ってみたいんですよね?」

    前半は合っているが、後半は全然違がう。なぜそんな解釈になるんだ。
    適度な距離感の状態を最後に見て離れたはずで、この短時間で何かが変わると誰が思う?

    二十分、それがレインがここを空けていた時間だ。
    たったそれだけの時間なのに、ドラゴンは猫のように甘え擦り寄っているし、マッシュは当然のように応え撫でる姿は、日常風景の一コマを見ているような自然さで馴染んでしまっている。本来なら不自然さを感じなければならない事のはずなのに、だ⋯。
    百歩譲って、マッシュは動物に好かれては撫でてほしいと要求されているので癖で出てしまうのは仕方がない。だが、どう考えてもドラゴンがああなっているのはおかしい。
    「おかしいだろ」と叫びたい衝動を堪えるために握りしめた剣の柄がミシッと音を立てた。

    それに、マッシュは知らないのだろう。ドラゴンが背に乗せるのは全幅の信頼を寄せる相手だけだという事実を。
    マッシュはドラゴンに背を許されている、つまりはそういう事だ。何度でも言おう。この短時間でだ。
    何度深呼吸を繰り返しても落ち着かないし、視界に映る光景に変化もない。

    「アースくん、レインくんも背中に乗せて⋯え?いや?どうしよう⋯」

    否定するために振られたドラゴンの首。
    マッシュは驚いて困惑しているが、むしろ何故許可が下りると思った?とレインは呆れる。
    さらに気に掛かったのは、しれっと呼ばれた名前だ。フルネームか愛称かなんてどうでもいい。だから、この短時間でそこまで仲良くなっているのは何でだ?
    慣れないこと尽くしの一日で、頭も体もそれなりに疲弊していたレインの我慢は限界にきていた。

    「いいかげん離れろ!マッシュ、今すぐにこっちに来い」

    レインにギリギリと握りしめられ続けていた剣の柄は、叫ぶと同時に強さが増した握力に耐えきれず、ついにヒビが入ってしまった。
    マッシュがレインの機嫌の悪さの原因がわからずにコテンと首を傾げていると、『狭量すぎる男は愛想を尽かされるぞと伝えてやるといい』とドラゴンに鼻先で背を押される。
    お前を待つ男の所へ行ってやれと後押しをされてしまった。
    押された勢いのまま、イライラと足を踏み鳴らすレインに近寄り、手を伸ばしてギュッと抱きつく。
    拗ねているレインを落ち着かせるにはこれが一番効果的だと経験上知っているから。

    「レインくんはドラゴンさんの背中には乗せて貰えないそうなので、これで我慢して下さいね?」

    マッシュに抱きつかれ、意味のわからない事を言われながらポンポンと宥めるように背を叩かれる。レインは情報を処理しきれずに固まってしまった。
    「我慢も何も、ドラゴンなんかよりお前がいい」そう口走りかけたが、それよりも先に訂正しておかなければトンデモ解釈がマッシュの中で確立されてしまう方が嫌だった。ドラゴンの背に乗り空飛ぶのを夢見るような時代は欠片だって持ち合わせていた事がない。絵本や童話の中で語られるドラゴンの英雄譚をかっこいいねと、そう言って憧れていた幼少期が存在しているのはフィンの方だ。俺じゃ無い。

    「はっ?いや、我慢も何も、俺は⋯」
    「これでは足りませんか?⋯背中だから、前からじゃない⋯はっ!おんぶですか?そうなんですね?任せてくだいひゃいっ」

    マッシュは人の話を聞かないとレインに苦言を呈してくる事があるが、それはお互い様だと思う。レインの言葉を遮り尚も続けようとするマッシュの頬をむいっと左右に遠慮なく引っ張った。

    「落ち着け。そして、俺の、話を、聞け」
    「ひゃい⋯」
    「俺はドラゴンの背中なんぞに興味はねぇ。それから、今後お前は俺の側から離れるな。いいな?」

    それはいくら何でも一方的過ぎやしないかと「横暴だ⋯」と小声で反論を試みたが、堅気とは思えない眼光で睨まれては口を噤むしかない。

    「い・い・な?返事は?」

    返事は、したく無い。
    屈したくも無い。
    せめてもの抵抗をと、さっきアースくんが伝えてやれと言ってた言葉を言ってみる事にする。気が変わるかもしれないと若干の期待を込めて。

    「レインくん、狭量な男は愛想を尽かされますよ?」
    「あ??」

    今までの眼光が生ぬるかったと知った。
    睨まれ"いまさら逃がすとでも思ってんのか?"とギリギリと身体を締め上げられる力の強さに「ヒェッ」と引き攣った声が出た。痛くは無いが、アナコンダに巻き付かれた常人の気持ちと言えばわかって貰えるだろうか?今まさにそんな気分だった。
    もうちょっと距離を取ってから言えば良かったと思っても遅い。

    「ごめんなさい。なんでもありません。レインくんだいすき」

    マッシュの掌返しはそれは華麗に行われた。
    だって怖かったんだもん。自慢の筋肉が得体のし知れない寒さにシバリングを起こすくらいには。
    プルプルと仔ウサギのように震えるマッシュに少しだけ溜飲は下がりはしたが、流れるように出る軽口で何度墓穴を掘れば気が済むのか、いい加減学習して欲しいとも思っているレインだ。
    「とって付けたような事を⋯」と呆れた声を呟き、そっとマッシュと人一人分の距離を空け、スッと視線をドラゴンへと滑らせる。

    「もういい、ライオさんとの話し合いは纏まった。そのドラゴン帰せるぞ」
    「本当ですか!」

    途端に表情が明るくなるマッシュに何とも言えない気分を味わうが、まあいいとレインは続ける。

    「ああ、ただし二つ条件がある。一つは、帰すにしても道中に見張りを付けなきゃならない。何が起こるかわからないからな。⋯その見張り役は俺がする事になってる」

    不本意ではあるが、了承を取り付ける際に最後まで責任を持つことを約束させられた。当然の事ではあるし、当初からそのつもりではいたが、マッシュとの馴れ合いを見てからでは腹立たしい事この上無い。道中、剣が滑らない保証ができないが⋯まあ、いう必要も無いだろう。

    「もう一つは、破壊した魔法道具の事だ。今回起こった事は一歩間違えば惨事になりかねなかった。壊されたとしても、それを引き起こした魔法道具の調査は必要になる」

    マッシュが頷いたのを確認して、ドラゴンを見れば、そちらも落ち着いた様子で頷き返してきた。
    似た所作をする一人と一匹にモヤッとしながらも、平常心とレインは自分に言い聞かせる。

    「後日⋯そうだな⋯準備や予定の調整を考えると一週間後が妥当か⋯それくらいに調査に行きたいんだが⋯」
    『私の仲間は魔法使いに良い感情は持っていない。必要最低限の人数で頼む』

    調査の件は納得していても、魔法使いが来るという点はやはり渋々と言った様子だ。
    いくらこのドラゴンが人間を嫌ってはいないと聞いていても、全ての仲間のドラゴンがそうではないのは当然のこと。

    「ドラゴンさん達は魔法使いに良い感情持ってないらしいですよ。レインくん、その日は何人で行く予定ですか?もちろん、僕も人数に入ってますよね?」

    少しでも心労を軽減させてあげたいと思っているマッシュは、自分もその日について行きたいとレインに訴える。
    当たり前だろう?とばかりに頷かれたのに、少しホッとした。魔法道具の調査だけなら、単独の方が早いと一人で行ってしまう可能性もあるだけに同行させてくれるようでよかった。

    「マッシュには来てもらわないと困るからな。マッシュと俺ともう一人⋯ライオさんも来る」
    「ライオさんも⋯?」
    『人選の内訳を尋ねても?』
    「アースくんが人選の内訳は?って、聞いてる⋯僕も、レインくんはわかるけどライオさんて⋯?」

    お前は分かってないとおかしいだろとレインに呆れられた視線を送られるが、正直分からない。
    今日も居るからライオさんなのかな?くらいにしか思っていない。

    「マッシュは通訳、俺は魔法道具を管理している責任者、あと一人は現在の神覚者の事実上のトップだ」
    『そうか、わかった。仲間には伝えておこう』

    レインの端的な返答に即答で答えたドラゴンにマッシュの方が混乱した。

    (えっ?あれだけで分かったの?僕何も分からない。アースくん凄いね?)

    虚空を見つめ、意識を明後日の方向へと飛ばしかけていると、レインのため息が聞こえた。

    「今回の件は、神覚者クラスの人間しか知らない機密事項だ。その神覚者のトップがライオさん。そして、今回このドラゴンを見逃すと彼が言った時点で、ドラゴンの処遇は今後変わることになる。過去を繰り返さない方向でな」

    ここまで言われ、やっと気づくことができた。
    あの歴史を間違ってると思っていたのはレインくんや僕だけではなかったのだと。
    優しいこのドラゴンのことを知って貰えたなら、きっと悲しい選択を選ぶようなことはしないはずだし、きっと変えてくれる。そう思えるくらいにはライオの事は信頼していた。

    「それじゃあ、もういいな?移動用の箒を借りてくるから、どっちの方向に帰るのか聞いておいてくれ」
    「わかりまし⋯ぐぇっ?」

    言葉の途中でローブの襟を咥えられたことで軽く首が締まってしまい、返事を最後まで返すことはできなかった。
    何が起きているのかと疑問に思っているマッシュとは違い、レインは目の前のドラゴンを「テメェ⋯」と唸りながら眉間に深い皺を刻んで睨みつけている。

    そんなレインを尻目に、ドラゴンは咥えていたマッシュを背中にペイっと放り投げて乗せた。
    ふっと挑発するように細めた目でレインを見ると、未だ混乱しきりの様子のマッシュへと『ちゃんと捕まっていろ』とだけ告げ、軽快な動作で身体を翻す。

    「えっ?アースくん?えっ??なに⋯??」

    訳がわからないと声を上げるマッシュには悪いと思いつつ、タタタッと軽快な助走をつけ両翼を広げると、一度、二度と翼に込める力を強めていき、三度目の羽ばたきと同時に地を蹴り飛び上がった。
    あの男が尽力してくれた事は知ってはいるが、どうせなら帰る旅路も楽しい方がいい。こうでもしなければあの男と二人きりで、息が詰まるだけだっただろう。
    マッシュにはもう少しだけ付き合ってほしい。
    「レインくんと離れちゃった⋯」と不安げな声を出すマッシュに『心配ない』とだけ返す。そんな心配いなど無用だと。

    マッシュを背に乗せる際に、ドロリと纏わりつく執着と怒りを通り越した殺意が込められた眼光で”俺のものに何をする気だ”と睨みつけてくるのを見ていた。
    それほどに入れ込んでいる相手が目の前で攫われて追いかけて来ないなんてことは無い。
    その確信は間違っていなかった。
    遠くから「待ちやがれ!このクソトカゲ野郎!!」と叫び、どこからか出現させた剣に乗り追いかけてくるのが分かった。

    あんな剣幕で追いかけられ、待てと言われて待つ者がどこにいるというのか。
    そして、そんな男を見て嬉しそうにしているマッシュも理解できない。

    『マッシュは、あの男のどこがいいんだ?』

    真面目で責任感があるだろう事と強さは認めようと思うが、それ以外の印象が悪すぎる。
    態度からあの男の最愛がマッシュである事は明らかだが、執着の仕方が些か度が過ぎるように見えた。このままにしてマッシュは大丈夫なのかと心配になってしまうくらいには⋯。

    「レインくんの?どこだろう⋯」

    てっきり即答されるものと思っていたのに、マッシュは「う〜ん⋯」と尚も悩んでいる。

    『そんなに悩むか?』

    そこまで悩まれるとあの男が気の毒になってくるが⋯と考えはじめていたが、どうやら杞憂だったらしい。

    「そうですね、あり過ぎて何から伝えたら良いかなって」
    『⋯本当にあの男でいいのか?』

    きっとあの男は面倒な事の方が多いぞと、それを本人は承知の上なのかもしれないが、老婆心ながら聞いてしまうのは仕方がない。パッと見のベクトルが大分偏っているようだったし、それを重たいと思う日が来たら苦しむのはこの子なのだと。
    マッシュはそんな心配を払拭するように「レインくん以外にいませんよ」と軽い口調で言う。

    「だって、出会った時からレインくんは僕の中で特別だったんです。粗暴なのかと思ったら親切で、義理堅くて、優しくて⋯気にならずにいられない人で⋯。きっと、レインくんを知るたびに、何かして貰うたびに、知らず知らずのうちに小さな好きを積み重ねてて⋯自覚する前から、後戻りできないくらいに好きになってたんだなって⋯」
    『自覚する前から?』

    『そんなことがあるものなのか?』と呆れ口調で問うドラゴンに、「あったみたいですね」と言いづらそうに一瞬口籠る。

    「僕に自覚は無かったんですけど、好きな相手にだけ取る行動をしてしまっていたらしいです。周りの友人には言及された事はなかったんですけど、好きな相手には筒抜けだったようで⋯おかげで自覚させられた時のレインくんは容赦がなかった⋯」

    何か思い出しているのか、悔しそうに唸るマッシュの様子が気になった。

    『何かされたのか⋯』
    「されたというか⋯まあ、いろいろと?とりあえず、あの時のレインくんは獲物を追い詰めた時の肉食獣みたいでした」

    自覚させるためにあの男は何をしたんだ?
    それに、一般的にそんな追い込み方をする人間を優しいなどと形容してはいけない。真に優しい人間に失礼だろう。

    『そんなヤツのどこがいいんだ?』

    改めて問う言葉に刺々しさが加わってしまうが、それを改める気は毛頭なかった。
    頸の辺りに添えられていたマッシュの手が優しく撫でる手つきに変わり、まるで”そんなことを言わないで”と宥められているようで釈然としなかった。

    「あのね、レインくんには大切なものが沢山あるんですよ。家族だったり、友人だったり、叶えたい目標だったり、お仕事やそれに付随するいろんな事ひっくるめて大事にしてる人なんですけど⋯」

    マッシュは唐突に話し始めたが、前の会話とどう繋がるのかがドラゴンには読めない。
    聞く姿勢自体は変えないが、どう返したらいいのかと相槌を打てないドラゴンを気にすることなくマッシュは続けた。

    「その大事なものが自分のせいで危険に晒される可能性があると判断するとレインくんは遠ざけようとしてしまうんです。守るために。一人で全部抱えて、平然とした顔で辛いのも苦しいのも隠して。悪い癖だなって思う。⋯だけどね、僕だけは”みんな”と違うんですよ」

    マッシュの声は嬉しさを表すように所々弾んでいたが、区切るごとに秘め事を囁く時のような甘さが少しずつ加わっていったように思う。正しく、好いた相手を語る人間の声音だった。

    「どんなに危なくても、どんなに厄介な事だと理解していても、レインくんは僕に隣にいる権利を用意してくれる。当たり前に、それが当然みたいに。レインくんが他の人には許していない僕だけの居場所をくれるんです。彼にとってそれ以上の特別なんてないから、僕は嬉しい。⋯それに、可愛いでしょう?隣に居て、他の事に気を取られそうになると怒るの⋯俺だけ見てろって言ってるみたいで」

    どこから見ても可愛くない男を指して"可愛い"と言ったマッシュの声は、蠱惑的でとびきり甘い響きを纏ってそれは愉快そうに紡いでいた。
    あの男の行動原理を理解しているようでしきれていないマッシュに”みたい”ではなくそうなのだと言おうとしたが、「でも、何でだろうね?」と続く声に、まだ何かあるのかと、聞くために開けかけた口を閉ざす。

    「どんなに遠回りしても、寄り道しても、最後に帰る場所はレインくんの所しかないのに⋯最後に見るのはレインくんだけなのに、何がそんなに心配なんだろうね?」と笑うマッシュは無邪気なほどなのに。向ける執着の強さはレインと呼ばれていたあの男にも引けを取らないのだと、この時に初めて知った。

    あの男も大概と思っていたが、厄介さで言えばマッシュはそれ以上なのかもしれない。
    この子は誑し込んだ自覚も無ければ周囲から向けられる恋愛面への好意に鈍感で、それでいて自分が向ける特別な好意はただ一人に向けている自負だけはあるときた。
    自分が恋愛の対象と思われる事など考えもせずに愛した人は一人だけと思っているのなら、相手の不安など理解できようはずがない。
    それに比べ、無自覚に関わる者の多くを誑し込むこの子が相手では、全方位に威嚇して回ったとしてもあの男は気が気では無いだろう。
    それで、あの態度だったのかと腑に落ちた。
    認識が噛み合わない限りは⋯と考えかけたが、すぐに無理だなと考えを改める。
    無意識、無自覚、鈍感の三拍子が揃ったマッシュの認識を変える事がそもそも最難関の気がしたからだ。

    凸凹が上手く噛み合ってしまった少しタイプの違う似たもの同士。似た部分もあるのだろうが、基本ズレている二人が絶妙なバランスで成立させている関係は一見しただけでは歪に見えてしまう。それを他人が見たときに”合っていない”と思ってしまうのかと何とも言えない気分になる。自分もそれに当てはまる⋯とんだ藪蛇だったのだと。
    ある意味では、これ以上無いくらいに似合の二人だ。
    どちらが捕まえ、どちらが捕まったのか⋯周囲はおろか自分たちですら理解していない可能性も出てきたが、お互いがそこにいるならどっちだって構わない些細な差でしか無いのかもしれない。
    あの男も苦労するな⋯と、少しだけ同情心が沸いた。本当に少しだけだが⋯。
    どうか拗れる事なく末長く共にあり続けて欲しいと、これほどまでに願った事はないかもしれない。
    拗れたら最後、周囲への被害がデカそうだ⋯。

    『お前がその調子でいる限り、あの男の不安は消えんだろうな⋯』
    「アースくんはレインくんの気持ちがわかるんですか?」

    わかる気もするが、分かりたくは無いので『さあな⋯』とだけ返した。

    そうこうしているうちに、陸の端から広がる海が視界に映る。
    どうやらマッシュとの別れの時間が来てしまったらしい。
    話した事といえばとんでもない惚気話ではあったが、マッシュがちゃんと幸せそうならそれでいいと認識も改められた。
    納得がいかない様子のマッシュに前を見るよう促す。

    『マッシュ、沖にある岩礁が見えるか?』
    「え?あの海の中にある岩場みたいな所ですか?」

    ドラゴンの視力でも遠く見える岩礁が果たして人間のマッシュに見えるだろうかと、最悪海上部分まで飛行しようかとも考えていたがちゃんと見えているらしい。どこまでも規格外な男だが、そのおかげで名残惜しまずに別れられそうだ。

    『そうだ、あの場所をしっかり覚えておけ。あそこに私たちの住処が隠されている』
    「隠されて⋯そんな事ができるの?」
    「我らの一族は精霊との親和性が高いからな、自然の気が多い場所では精霊が協力してくれる。目眩し程度なら容易いものらしい。おかげで、今まで気づかれる事がなかった⋯」

    誰にとは言わなかったが、マッシュもそれだけでわかったのか「そっか、アースくんたちにとって安全な場所があって良かった」と返してきた。飾り気の無い素直な本心だとわかる言葉が嬉しい。『あぁ、そうだな』と返す声は震えてはいなかっただろうか?
    ほんの少し前まで惜しまずに別れられると思っていたのに、このままではこの子と離れるのが寂しいと感じてしまう。そうなる前に早く下ろしてあげなくてはと、周囲を見渡し足場になりそうな岸壁に当たりをつけた。

    『⋯そこの岩場に下ろすとしよう』

    陸と海の境界線に聳(そび)える岸壁に軽やかに着地すると、マッシュも背から下りドラゴンの眼前へと移動する。

    『私たちの住処は後であの男に伝えてやるといい』
    「ちゃんと伝えてきます。あっ、レインくんも来ましたね」

    ドラゴンに頷き、近づいて来る馴染み深い気配を辿って振り返るが、マッシュはビクッと身体を跳ねさせた後に小刻みに震え出した。
    「えっ?もしかしてレインくん激おこ⋯顔、こわっ⋯」と小声で漏らしながらジリジリ後退しようと試みるが、
    乗っていた剣から勢いつけて飛び降りたレインが足早に近寄る方が早かった。
    逃すまいとガッとマッシュの両肩を掴んだ時の気迫はえげつない。
    マッシュはあまりの恐怖に泣きたくなった。
    闇堕ちしたようにハイライトが消え去った目で見てくる所も、掴まれた肩がミシミシ言ってる気がしてくるくらい力が込められている所も怖い。

    「離れるなって言ったよな?舌の根も乾かねえうちに破った挙句、抵抗する素振りすら無かったのはどういう了見だ?あ?」

    完全に輩口調である。
    もう怖いところの方がないが⋯だがしかし、因縁を付けられたまま引き下がるわけにもいかない。負けず嫌いなのはお互い様なのだから。

    「不可抗力です。それに、僕はその件については返事してませんよね?守る義務は無いし、ドラゴンさんたちのお家の場所は聞けたので結果オーライでしょう?」

    レインはチッと舌打ちした後に「何も良くねぇ」と不満を漏らした。マッシュの肩から手を離すと当たる標的をドラゴンへと変える。そもそも、コイツのせいで⋯そんな怒りが沸々と沸き上がってしまったのだ。

    「それで、テメェはいつまでそこにいるつもりだ?マッシュに居場所吐いたんなら用は済んだだろう。さっさと帰りやがれ」

    ギッと睨みつける視線は慣れた人間でも竦み上がっていただろうし、耐性のない人間なら泡を吹いて倒れていたかもしれない。だが、二百年生きて様々な修羅場を潜り抜けたドラゴンには効かなかった。
    「レインくん、そんな言い方はないでしょう」と嗜めるマッシュの後ろで『やれやれ』と呆れる余裕すらあった。

    『⋯その余裕の無さではマッシュの隣は務まらんぞ⋯。では、マッシュ、達者でな』

    前半は誰にも聞こえないような小声で、後半はマッシュにだけ向けて。
    あの男への挨拶など一瞥程度で良いだろう。

    「うん、アースくんも。来週?会いに行くから待ってて」
    『あぁ、仲間にお前のことを話しておこう』

    離れがたくなる前にと、崖を蹴り降りる。海から吹き付ける風が強い上昇気流となり、軽くないはずの体を難なく浮かせた。あとは振り返らずに帰るだけ。
    ”一週間後が待ち遠しいなどと思う日が来ようとは思わなかった”そう思いながらドラゴンは仲間の元へと帰った。




    ドラゴンの姿が米粒よりも小さくなった頃、マッシュがやっとレインへと振り返った。

    「アースくんは無事に帰れそうかな。僕たちはどうします?」
    「疲れた⋯」

    マッシュへとそれだけを返したレインは、本当に疲れ切った様子で壁を背にもたれ掛かっていた。
    ドラゴンがいる間は意地でも疲れた姿など見せなかったが、この場にマッシュしかいないなら意地を張る必要もない。
    ドラゴンと戦い、マッシュと戦い、慣れない交渉に赴き、最後に剣サーフィンで追いかけっこまでして疲れないはずがなかった。どれも、マッシュのためにしてくれた事で、ここまで疲弊させてしまったのだから帰りくらいはなんとかしてあげたいと思っていた。

    「レインくん頑張ってくれたもんね。帰りは僕が背負って帰りましょうか?」
    「⋯⋯⋯少し休むだけでいい⋯マッシュ、肩貸せ⋯」

    背負うの部分で物凄く嫌そうな顔をされたし長めの沈黙があったが、ちゃんとマッシュを頼って甘えてはくれるらしい。
    それが嬉しくて「どうぞ?」と両腕を広げて待機していれば、レインが前から抱きつく形でマッシュの肩に額を押し付けてくる。
    周囲には散々”知ってる肩の貸し方と違う”と言われてきたが、僕たちはこの方法がいいと変えたりはしていない。この方がお互いの状態がわかりやすいし、小声でも相手の声がちゃんと聞こえて合理的だと思うのになと言っても誰も理解を示してくれなかった。レインくんを除いて⋯。

    「ドラゴンと何を話してた⋯」

    レインの常より抑えられた小さな声もちゃんと聞こえる。ほら、やっぱりこの方がいい。
    フッと笑えば、早く言えと催促されてしまう。

    「気になるんですか?何を⋯⋯うーん⋯しいて言うなら、レインくんの話を?」
    「陰口か?」
    「どうしてそうなるかな⋯違います。⋯えっと⋯レインくんの好きなところの話、かな?」
    「どんな所だ?」

    マッシュが言い終わるかどうかのタイミングで被せるように聞くレインに、そんなに気になるのかと不思議に思うが、お互いにそんな話をすることの方が少ない事に気づく。付き合うきっかけの時くらいだろうか?お互いの気持ちを明確化したのは⋯。それからは何となく察するだけだった。言葉がいらない訳ではないが、マッシュもレインも感情や思っていることを逐一言葉にするタイプではない。
    今回のように求められるのは悪い気はしないが、ドラゴンに話したことを言ってしまえばレインが自覚してしまう事になる。自覚したらマッシュも”みんな”と同じ括りに入れられてしまう可能性があるのはよろしく無い。無自覚だからこそ特別がより特別感を増すのだから。
    だから、言わない。レインくんにだけは。

    「レインくんには秘密」
    「本人に言えないことを出会ったばかりのトカゲには言うのか?」

    ”他の誰にでも言えるけど、レインくんにだけは言いたくない”そんなこと言えるはずもなく、納得もせず拗ねてみせるこの可愛い人をどう宥めようかとマッシュは考える。
    こんなことで嘘はつきたくない。お互いに何か不利益が生じるようなことも嫌だ。
    レインくんが自分だけを見てて欲しいなら、僕は⋯?
    そこまで考えて方向性が決まった。
    ギブアンドテイクのどちらも損のない、そんなおねだりしてみようかな?と。

    「うん。レインくんには言わない。だから、考えて?レインくんのどんなところを僕が好きだと思ってるか。その考えてくれてる一分一秒で僕は今よりもっと君を好きになるから」

    嘘は無い。不正解だって無い。君が想像してくれることはきっと全部合ってる。だって、僕は君の全部が好き。ダメなところも含めて、全部。
    だからね、考えて?僕のこと、僕だけのこと。僕のことだけ考えてくれてるレインくんは、僕だけのものでしょう?
    君が僕のことだけ想ってくれてる間はよそ見したりなんかしないから⋯僕が欲しいなら、僕だけのレインくんをちょうだい?
    そんな想いを込めて、ダメ押しで「ね?」と囁けば「ずるいだろ」とレインが唸った。

    そうかもしれない。でも、こうさせたのはレインくんだよ?
    そんなことを口にしてしまえば、どんな目に合わされるかわかったものでは無いので絶対に言わないが、たくさん頑張ってくれた大事な人への感謝は伝えておきたい。

    「あの、レインくん⋯ありがとうございました。僕の我儘を聞いてくれて」
    「俺がやりたくてした事だ。気にしなくていい」

    レインらしいいつも通りの返事に安心する。

    「うん。ありがとう」

    マッシュも普段と同じように返す。
    言葉と共にレインの頬に手を添えて、ありがとうの気持ちを込めて触れるだけの口付けを。

    ただ、いつもはちゃんと口にしていたが、ここは外なので口の端へと場所をずらした。それがレインは気に入らなかったのか、軽く睨んでくる。

    「おい、そこは口にすべきだろ」

    そうは言いますが、君は軽いキスで止まってくれた試しがないじゃ無いですか。場所も開放的すぎてなんか落ち着かなくてやだし⋯。そう言うつもりでいたのだが、改めて口を塞ぎにかかろうとするレインを制止するために色々と端折るしかなくなってしまった。

    「口は、レインくんしつこいし、それと、外は、イヤです」

    動きこそ止めてくれたが、なぜ目を見開いた状態でこちらを見てくるのだろうか?
    しつこいはまずかったか?いやでもそれならイラつくか怒るだろうし、そんな感じとも違うし。
    何がだめだったのかと首を傾げると、レインがハッとしたように「帰るぞ⋯」と言ってくるので、ますますよくわからない。この短時間じゃ休んだ気がしないだろうと「えっ?まだ数分しか休んでないでしょう⋯?」と声をかけたがレインは頑に意見を変えようとしない。

    「今すぐ、帰るぞ」

    時に言葉足らずのまま有言実行する男レインは、パルチザンを出してマッシュを小脇に抱えると来た時以上の速度で自宅まで飛ばした。
    ”魔力の残りはそれほど多くはないが、自宅に着きさえすればそれで良い”そんな考えで速力に風魔法も上乗せして自身の最速記録を更新しにかかる。
    その理由が”外ではいや”にちょっとどころではなくムラっときてしまったからだなんて誰が想像できるだろうか。
    本当ならマッシュを本日中に寮に帰さないといけなかったが、出来そうにないなと判断すると、弟へと連絡を付ける算段を考える。無断外泊などさせようものなら後が怖いからなと、今までの経験が警鐘を鳴らすから。
    弟に連絡を付けたら、可愛げのあることばかり無自覚に吐き散らしてくれたこいつをどうしてくれようか。そう考えるだけで、今日一日が骨折り損ではないと思えるのだから現金なものだと自分でも呆れる。




    そうして、マッシュを抱えたままの帰宅となったのだが、レインが鬼気迫る表情で市街を駆け抜けた姿はかなりの人数に目撃されることとなる。それに対し、何か緊急の事件が起きたのではないかと不安に駆られ魔法局へと駆け込む住民が出てしまっていたのだが、それを当人たちが知るのは後日のこと。



    -終-
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