ライブ後の楽屋で「ステージでキスするの、やめてくださいって前々から言ってるじゃないですか?」
「ええやん、ファンの子はみんな喜んどるし」
汗で色が変わったTシャツを脱ぎながら、桐島さんはそう言った。持っていたタオルで胸元の汗を乱暴に拭く。桐島さんの白い肌はまだ熱で火照っていた。アンコールでは花道だけでなく客席も駆け回り、最後に逆サイドのステージからメインステージまで超ダッシュ。スライディングで思いきり俺にぶつかって、勢いよく口づけてきた。ホール中が歓声と悲鳴で溢れ、轟音と興奮でステージが揺れた。
慌てて離れようとしたのに、一瞬の隙があったんだろう。振り向けば、メインスクリーンにキスの瞬間がデカデカと映し出されていた。怒りと恥辱で俯くと、客席から「かわいい~!」という大歓声が起こった。くそ、今思い出しても腹が立つ。
ふと気がつけば周囲は暗くなっていた。すれ違う人たちが口々に「おつかれさま」「よかったよ」と声をかけながら忙しなく通り過ぎていく。おそらく俺が困惑して思考停止し、棒立ちになったところを桐島さんが裏に引き摺っていったんだろう。SNSで確認すれば詳細は分かるだろうが、見たくない。どうせ尾鰭がついておもしろおかしくなっている。圭くんがしゅうと君に姫抱っこされて消えていった!とかなんとか、そういうやつだ。そうじゃない。俺が欲しいのは正確な情報なんだよ。
「要クン、のんびりしてへんと、Tシャツくらい脱ぎや。風邪ひくで」
俺に着替えを促す桐島さんは、アンコール衣装だったスキニージーンズも脱ぎ捨て、下着姿になっていた。あんたは早過ぎなんだって。
「あんなことでキャーキャー騒がれるなんて不服です」
文句を言う俺を見て、桐島さんはきょとんとした子狐みたいな顔をしたあと、口元に静かな笑みを浮かべた。目が細い弧を描く。俺が面倒ごとを言いだすと、いつもこの顔になる。面白いらしい。悔しい。そして、言いたくないが、気持ちは分かる。俺もこの人と同様に素直じゃない言動を面白がってしまうから。それにまあ、どんな絡み方をしても無視しないところは、この人の良いところだった。意図的に無視されることはあるが。
「小難しいこと言うやん。ライブは盛り上がったらええねん」
「それより、ライブはちゃんと歌ってください」
「……要くん」
桐島さんはじっとこちらを見つめながら近づいてきた。瞳に光がない。何を考えているか分からない。でも俺は呪いをかけられたみたいに動けなかった。白く滑らかな肌に包まれた締まった筋肉がゆっくりと迫ってくる。
「は……い……?」
んっ……ふ……っ!
雑に塞がれた口の隙間から間抜けな吐息が漏れた。恥ずかしい。どうせなら、もっと色気のある声がいい、と品のない願望が頭の片隅を駆け抜けていった。
「はぁ……ぁ……ぁ……」
桐島さんの舌が自分の中に器用にぬるりと侵入し、かろうじて乱暴とは言えない程度の強い力で俺の咥内を引っ掻き回した。
「なあ、要クンもしかして」
「…………はい?」
半分触れたままの唇に吐息がかかり、くすぐったい。眼球だけを動かし桐島さんを見上げると、すぐに彼と目が合った。奥が深く意図を読みずらい黒い瞳がこちらをじっと見つめる。見透かされそうで腹が立つな、と思った瞬間にそれは三日月になった。いちばん効果的なタイミングだ。腹立つ。
「ステージでもこのくらい激しくしてほしかったってこと?」
「馬鹿なんですか?」
努力しなくても呆れかえった声音になった。そんなわけあるか。
「ひどい。馬鹿なんて傷ついたわ」
「じゃあ、先輩はアホでいらっしゃいますか?」
「アホちゃいまんねんパーでんねんって知っとる?」
「知りません」
「知っとけや。さんまさんやぞ」
「はあ……。馬鹿でもアホでもパーでもいいんですけど、ステージでキスは、ダメです」
きっぱりとした口調で言い渡せば、彼は目を丸くし、きょとんとした子狐の顔に戻った。しばらくそうして俺を眺めていたが、数秒後におどけた動作で手を叩いた。ぽん!
せや、わかった。
「次は顔を隠してやったるから。みんなから顔を見られんのが嫌なんやろ?」
「違います」
「違うんかい」
「だって、半分しか合ってません」
キスの時のあなたの顔は、俺にしか見せないでほしいんですよ。
耳元で囁き、薄く白い耳朶に口づける。ビクビク、と細かく首筋を震わせた桐島さんは、浅くため息を吐いた。
「要クンにはかなわんわ」
呆れたように彼は呟き、俺の耳に軽く口づけた。
「まあ、でも、ステージでのキスは止めへんのやけどな」
だって俺のもんやって言われへんかったら、悔しいやんけ。
たぶん、そう言っていたと思うのだが、耳にめちゃくちゃキスするものだから、リップ音で耳はいっぱいになってしまった。本当は何を言っていたのか分からない。
俺の願望だったのかもしれない。
〆