あなたに似合う人「年は取りたくないですねえ……」
「なんだ、急に」
「最近妙に老化を感じまして。膝やら腰やら、若い時のような無茶はもうできないなと」
「今、40だったか」
「ええ、ちょうどあなたと同年代ということになりますかね」
「二十年そこらで、そうなるものか……」
「ああ、でも心配しないでください。俺はまだまだ元気ですしトールマンの平均寿命を大幅更新して長生きしますから」
「そうしてくれ」
トールマンの平均寿命は六十だが、それを超えて長く生きるものもいる。
ミスルンと同程度とまではいかないが精一杯長生きするつもりだ。
しかし悲しいかな、40のカブルーは宰相補佐から更に肩書が増えに増え、多忙は頂点を極めていた。会議が朝まで続く日もある。
慢性的な寝不足と運動不足、そして負荷と責任ある仕事によるストレスはカブルーの体を不健康な中年男性としていた。
「中央から取り寄せた薬だ。トールマン用に配合してある。飲め。効果が見受けられるようなら、これからも取り寄せる」
「なんの薬ですか?」
「不老長寿の」
「えっ……そんなものがあるんですか」
「エルフは長い生を生きるが、それでも死の恐怖に怯えるものはいる。そういった連中が研究して作り出したものだ。トールマン用だから、実際の効能は疲労回復や滋養強壮くらいのものだ」
「ああ、そういうものならトールマンの間でも服用するものはいますよ」
「味は最悪だ。一息に飲め」
粉末状の薬が包に入っている。
味が悪いと言われたうえで口にするのは勇気がいるが、自分のためにわざわざ大陸を越えて取り寄せてくれたものだ。
その苦労と思いやりを思うと味の悪さなど気にもならない。
水を用意してざ、と粉末の薬をくちにする。
…………本当に味は悪かった。これから毎日口にするのは遠慮したいけれど、カブルーの愛の力は味覚を超えた。
「とても、き、効きそうな、味です…………!」
「そうか」
ミスルンはやわらかく微笑んだ。それだけで苦みは甘みにギリギリ変わった。
滋養強壮というのは、下の方もそうだったらしい。
その日の晩、─薬を飲んだのはちょうど夕食前だったのだが─食後にえらくむらむらとした。
一緒に食事を取れる日は穏やかにお茶でも飲み、ゆっくりと話すのが常だった。
だがその日のカブルーはミスルンを抱えベッドに押さえつけ欲情を煽るように激しく口づけた。
そうして、ここ最近あまりしていなかった性行為に夢中になって、夜中じゅう愛しあった。
「これはもしや、余計疲れるのではないか」
「はい……もう一滴も出ません…………」
結局エルフの不老長寿の薬は激しく性行為をする日以外は封印され、トールマンが売っている普通の栄養剤を飲むこととなったのだった。
「では言ってくる」
「ええ、道中気を付けて。いってらっしゃい」
数年に一度の生家への帰省にミスルンはでかけていった。
ミスルンの兄、オブリンが家督を継いでからケレンシルの家はミスルンを必要以上に忌避したり遠ざけることはなくなった。
オブリンとミスルンとの関係は良好でオブリンがメリニへ来訪したこともある。
その際ミスルンは自分で作った陶器の椀で、手打ちの蕎麦を兄にふるまった。
カブルーも伴侶になる男だとして紹介を受けその場におり、不器用な兄弟関係の絆の一端を見た。ケレンシル家の当主は西方エルフとは思えないほど穏やかで静かで善良な人だった。
そして日常会話がうまくできないミスルンのする話に対しても、よく笑い会話のできる人だった。
この先自分がいなくなっても、ミスルンには家族がいる。それは安心の材料になった。
ミスルンは帰省すると、船旅の関係もあって数ヶ月は帰ってこない。
その間ひとつ、カブルーはしようと思っていたことがあったのだ。
カブルーは40になってもまだ童顔で、年齢を5歳以上若く見られることもある。
種族間の年齢差は埋められないがせめて威厳をもたせようと髭をのばし始めることにしたのだった。
「えーカブルーって髭似合わないー」
「似合いませんかね」
「うん。全然」
「ヤアドの……まあ正確に言えばデルガルのような威厳が出ればと思ったんですが」
「ライオスはなんでもいいんじゃないか? とかそもそも髭なんて生えてたか? って言うと思うけど、私は反対だなー」
「……ミスルンさんはどう言うと思います?」
「絶対反対すると思う。顔の下半分を転移させられたくなければ剃れって言われるかも」
「それは怖い」
実際、自分ではまずまず整っていると思うのだが風貌のやや変わった自分に恋人がどういう反応を示すかには非常に興味があった。
ミスルンが帰ってくるまでの数ヶ月、カブルーは髭を伸ばし整え続けた。
いよいよミスルンが帰ってくるだろうという頃には鼻下のあたりから顎まで整えられた髭がしっかり生え揃っていた。
「ミスルンさん! おかえりなさい。無事に帰ってきてくれて嬉しいです」
船旅慣れしているミスルンは長旅でもやつれたり痩せすぎたりすることもなかった。カブルーは抱きしめて、胸の中の恋人の感触を味わう。
ミスルンは「ただいま」とひとつ返して、同じようにカブルーを抱きしめた。
屋敷へ帰ろうと手を引くと、ミスルンは少し抵抗した。カブルーが疑問に思うとミスルンは真剣な眼差しでぎ、っと見つめてきた。
「カブルー、何より先に言っておきたいことがある」
「なんですか?」
「お前にヒゲは似合わない」
カブルーは宰相補佐の見栄と恋人からの言外の要望を天秤にかけすぐに決断した
「今すぐ剃ります。理髪店へ寄りますが構いませんか?」
「よし。きれいさっぱり剃ってもらえ」
理髪店により、カブルーの数ヶ月に及ぶ威厳はひとときのまに剃り落とされた。
「うん。やはりこちらのほうがいい」
恋人はこの二十年で、随分と表情や感情を変えて見せるようになった。
カブルーのあごに触れる体温の低いかさついた手は喜びをあらわしていて、ラバーナムのような、黄色いリボンが花となっていくつも咲き誇るような、優しい微笑みをしていた。
「男前ですか?」
「私の男だ。当然だろう」
カブルーは今すぐにあのまずいエルフの不老長寿の薬を飲んで、この人と愛し合いたいと思った。
今夜は眠れないだろうし、運動不足の40の男には夜通しの性行為はつらかろうが。
それでも今夜は、抱きしめて、愛していると囁いて、きれいさっぱり剃ったひげの残らない頬をこすり合わせたいのだ。