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    pittania10

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    pittania10

    ☆quiet follow

    桜花の約束、散らぬ想いひらり、ひらり。舞い上がる桜の波に、押し流されそうになりながら。坂道をゆっくりと上っていく。
    さくり、さくり。一歩足を進めるごとに、散った花びらを踏み締める音が耳に届いてくる。
    むなしく木から滑り落ちたその残骸たちは、桜の絨毯なんて使い古された言葉で、今もなお表現されてるけど。踏み荒らされて泥々になった花弁は、はっきり言って惨めとしか言いようがないし。絨毯というよりはずたずたに引き裂かれたシーツのように見えた。まあそれは、オレの感性が歪んでるからなのかもしれないけど。

    桜は、あんまり好きじゃない。

    頭の奥で再生される一場面。散りゆく桜色と風に靡く緋色。
    左右で色の違う瞳が潤みを帯びて艶めく。握られた手から伝わる温度は冷たいのに、少しだけ汗ばんでいて。薄く開かれた唇から紡がれた言葉は弱々しく、けれども確固たる決意に満ち溢れていた。

    「…………もし、オレがダメになったら。
    オレを……してくれ」

    使い古されたカセットテープが巻き戻されるように。何度も、何度も。
    きゅるきゅると音を立てながら繰り返される音声が、オレの脳内を支配する。
    今と同じような春の嵐が吹き荒れる中で、『彼』とした約束。祈るようにオレの手を包み込んだ彼の切望。その唯一の願いを。

    オレはあの時、確かに叶えたのだ。






    ───本物の『西園練牙』が死んだらしい。
    そんなに簡単に死ぬ男だとは思わなかったから、意外だなーっていうのがオレの第一印象。大鹿に依頼されて追ってた時も尻尾すら掴めなかったし、かなりのやり手だとは感じてたからさ。
    でも人間なんて死ぬ時は案外呆気なかったりするしね。特にオレたちみたいに裏の世界で生きてる奴にとっては、一瞬の油断が命取りだったりするし。いつ何が起こってもおかしくない場所に身を置いてる訳だから、そう考えたらまあ、意外でも何でもないのかもね。
    そんな、本物の訃報を受けて。偽物の西園練牙は……一言で言うと『壊れて』しまった。
    いっそ不愉快なくらいに生命力に満ち満ちていた美しい瞳は暗く陰り。
    それこそ犬のように分かりやすく常にコロコロと変わっていた表情は抜け落ちて。
    大切なものを失うと、人ってここまで変わるんだなって。
    この人にとっての『西園練牙』という存在の大きさを、まざまざと見せつけられた気がして。
    反吐が出そうだ。
    ……オレが何度、無理やり抱いても。滅茶苦茶にしてやっても。
    鬱陶しいほどの眩しい輝きが、その瞳から失われる事は無かったのに。
    あー、イライラする。
    チリチリと火花を散らす脳内の隅で、何の脈絡もなく。
    不意にフラッシュバックしたのは───

    とある春の日の出来事だった。

    「…………もし、オレがダメになったら。
    オレを殺してくれ」

    あまりにも切実な彼の声は初めて聞くものだった。いつもの底抜けに明るい声色とは真逆の、いっそ底冷えしそうなくらいに冷たいその言葉が骨身にまで浸透していくようで。
    ……今思えば、彼はこうなる事を予期していたのかもしれない。本当かどうかは知らないけど、双子って以心伝心するイキモノらしいし?あの人たちに血の繋がりが無いのは分かってるけどさ。でも血縁でも無いのに顔が同じとか……やっぱり前世では双子だったとか?はは、まさかね。
    その言葉を聞いて、こいつマジで相当イッてるなーとは思ったけど。まあ一人の男の居場所を守る為に仮初の人生を歩み続けてる時点で、頭のおかしい奴だとは思ってたけどさ。
    でも何で、そんな事をオレに頼んだんだろうね。
    ……『二番目』の友だちだから?あんなに手酷く抱いても、あの人の中ではオレは大切な友だちのままだったって事か。

    ───そう、大切な……友だちのまま。

    「添、つらいのか……?」
    行為が終わると、彼は必ずそう聞いてきた。
    何かあったなら言ってくれ。オレにできる事はないか?
    「オレは添の、力になりたい」
    あー、もう。ほんっとウザい。
    ……勘弁してほしい。
    彼の笑顔が、声が、一挙一動が。ひとつひとつ脳裏に浮かんでは泡のように消えていく。
    まぶしくてきらきらしたもの。オレの一番苦手なもの。
    オレが───焦がれて、たまらなかったもの。

    「……練牙さん、一緒に死のっか」

    それが、彼の願いに対する、オレの答えだった。

    気付けばオレたちの目の前には海があった。
    オレは別に、二曲輪から逃げるつもりは無かったし。監獄のようなあの家の十番目として生きて、一生を終えるのだと。そう思ってたけど。
    ……でも何かもう、全部どうでもいいかなって。
    すっかり抜け殻と化した練牙さんの手を引いて、一緒に海の中へ入っていく。ちゃぷちゃぷ。じゃぶじゃぶ。可愛らしい音はすぐに色を変えて、浅瀬からどんどん深いところへ進むと、奥に続く階段が見えてくるような気がした。
    波が、うねうねと階段を作って。オレたち二人を、天上まで連れて行ってくれるのだと。
    あの世なんて、信じちゃいないけどさ。
    でもこの人と一緒なら、オレも綺麗なまま死ねるんじゃないかって。そんな幻想を、抱いてしまったから。
    二人で手を繋いだまま、片手には『彼女』を抱えて。オレたちは三人で水底に沈んでいく。
    不思議と息苦しくはなかった。むしろいつもより息がしやすい気すらした。
    練牙さんが最期にどんな表情をしていたのかは、よく分からなかったけど。
    ああでも、これでようやく……。

    ふっと意識が浮上する。突如目に飛び込んできたのは真白い天井。白熱灯の眩い明かりが、警鐘を鳴らすかのように熱くオレを照らしていた。ちらりと視線だけを横に向けると、身体から伸びているのはたくさん繋がれた管のようなもの。
    ……あの世って、こんなに消毒液臭い場所だったわけ?
    そう現実逃避したくなるくらいには。
    オレの置かれた状況は、やはり絶望的だったらしい。
    身体中に繋がれたチューブを引きちぎる。窓から病室を抜け出して。夜の街に身を浸すように、走って。走り続けて。
    それでも目に痛いくらいに眩しい赤髪は、どこにも見当たらなくて。
    自分だけが、この世界に取り残されてしまったのだと。
    頭に鈍器で殴りつけられたような痛みを感じながら───オレは、ようやく理解した。

    それからの事は、よく覚えていない。
    いつものように。毎日毎日、二曲輪から与えられる任務を自動人形のようにこなし。
    自分の身を削るように、死に急ぐように。そんな生活が……まあ三、四年くらい?は続いたような気がする。
    ずっと、そんな馬鹿みたいな身体の使い方をしていたから。気付けばオレは背後を取られて。
    自分の腹を突き破るナイフを、どこか他人事のように見つめている自分がいた。
    結局オレは、こうして汚いまま死んでいくんだなって。
    暗く染まっていく意識の中、最期に思い出すのは。
    目に焼き付いて離れない、太陽のような燦然たる赤で。
    眼前に広がるどす黒い赤とは、似ても似つかないはずなのに。
    ぼやける視界のなか。彼が持つうつくしい赤と、オレから流れ続けるきたない赤が、
    まざり、あって……。





    桜の死骸が積み重なって出来た道を歩く。さくりさくりと、その憐れな花びらたちにとどめを刺すように踏み潰していく。
    ……この桜にも、もしかしたら第二の人生ってやつが待ってるのかもね。
    成長期を見越し、着丈の長いだぼついた制服に身を包んだオレは、どう見ても普通の『中学生』にしか見えないだろう。周りと同じように学校と家の往復を繰り返すだけの、欠伸が出そうなくらい退屈な日常。
    ───今のオレは、どこにでもいる十三歳のただのガキだ。サラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれ、特別裕福でも、かといって貧しくもない中流家庭で当たり前のように愛されながら育った。
    けれどもオレには、この世に再び生を受けたその時から、脳髄にこびり付いて離れない記憶があった。
    瞬間、オレの頭の上に浮かんだのは『転生』の二文字。といっても見た目は前世と全く変わらないけど。
    でもこんな漫画みたいな出来事が、まさか自分の身に起こるなんてね。
    心のどこかでずっと、ほのかな憧憬を抱いていた平凡な日々の中に突然放られて。
    子どもらしさなんて欠片も無かっただろうオレを、両親は『愛』とかいう生暖かい感情で包んで。
    前世のオレがどれだけ手を伸ばしても届かなかったものを、今のオレは無条件で手にしているのに。
    それなのに。
    夜を全て覆い隠してしまう緋色の幻が、目の端に映り込んだまま消えないのは───

    「…………え」

    ……いや、あれは本当に幻なのか?

    ゆらゆらと。桜吹雪の中で。朝の光を受けていっそう輝きを増す赤髪が目の前で揺れている。
    まだ過去の記憶に囚われているのかと、何度瞬きしてみても。彼の姿は変わらずそこにあった。襟元とネクタイを少し弛めてブレザーを着こなしているその姿は、学ランに着られているオレとはまるで正反対だ。記憶の中の彼よりも幾分長く伸びている髪は、首より少し下の位置で束ねられて風に揺れている。
    ほとんど変わらなかった身長は、今はオレよりも頭一つ分抜きん出ていて───まあ、どう見ても高校生だよね。ブレザーだし。顔立ちも『前』と比べてちょっと幼いような気がするし。
    そう頭の中で冷静に分析しつつも、やっぱり信じられなくて。オレの都合の良い妄想が見せた幻覚なんじゃないかって。
    けれどもばちっと目が合った瞬間、つり目がちな煉瓦色の瞳がふっと緩んで。
    美しいかたちの口元は、桜の花のようにやわらかく綻んで……。

    「──────添!」

    気付けばオレは彼に抱きしめられていた。
    全身をすっぽりと包み込まれて、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。薔薇のようなその匂いは遠い昔、あの人を抱いていた時に感じたものと全く同じだった。

    「ずっと、探してたんだ、添」

    彼から分け与えられる体温が、じわりじわりとオレの体内まで蝕んでいくようで。

    「ずっと………謝りたかった。オレがあんな事頼んだせいで、添を苦しめたんじゃないかって」

    オレを胸に抱いたまま、ごめんな、と。ぽつりと静かに零した彼に、少しずつ首を絞められるような……そんな錯覚すら覚えた。
    苦しかった?オレが?

    「あんな事……友だちの添にしか頼めなかったんだ。謝っても許される事じゃないけど……でもオレ、嬉しかったんだ」

    ゆっくりと抱擁が解かれていく。言っている意味がよく分からなくて思わず彼をじっと見つめてしまう。

    「あの時添がオレにしてくれた事、全部覚えてるんだ。
    添は、オレと終わる事を望んでくれたんだって知って……どうしようもなく、嬉しかった」

    雲の間から梯子のように伸びた陽射しが、彼の横顔を照らして。
    天使のように微笑むその姿は、まるで宗教画でも見ているかのようで。あまりにも、美しいのに。

    ……何それ、一緒に死のうとしてくれてありがとうって事?
    やっぱりコイツ、頭イカレてるよ。

    はっと吐き捨てるように笑ったオレに、不思議そうな顔をして覗き込んでくる彼が、あまりにも滑稽で。流石にひとこと言ってやるかと俯けていた顔を上げたその時。

    「………っ、」

    突如ざあっと吹き荒れた春風に、花びらが舞い上がって。
    一瞬だけ視界が桜の海に覆い隠されて、何も見えなくなって。
    何とか薄く目を開いた瞬間、桜色の渦の中、眼前に飛び込んできたのは。
    にいっと口端を吊り上げて、勝ち誇ったような微笑を浮かべる『練牙』さんの姿で───
    一瞬だけ、視界が暗闇に包まれて。気付けばオレは手を伸ばし、彼の制服の襟を引っ掴んでいた。

    「……お前は誰だ」

    オレの低く凄むような声に、彼はきょとんといつもの馬鹿面で呆けていて。
    さっき見た『練牙』さんは、桜が全て攫っていったかのように。跡形もなく消え去っていた。

    「……やっぱり添は、分かるんだな」
    「は?何の話………」
    「───オレたち、ひとつになったんだ」

    恍惚とした表情で、ほうっと悩ましいため息を吐き出す彼を目にして。
    その言葉の意味を、ようやく理解して。
    ……あー、なるほどね。
    どういう訳でそうなったのかは知らないけど。一番のオトモダチは、今は彼と『一緒』にいるらしい。
    ふーん、そういう事。
    一番のトモダチは、すぐ傍にいるから。それで二番手のオレにもお声が掛かった訳ね。
    へー……それはそれは。
    チリッと映像に亀裂が走るように。背筋にもその不快感という名のノイズが走り抜けていった。
    その苛立ちを、彼にぶつけるように。
    掴んだままだった襟に、皺ができるほど。ぐっと手に力を入れて引っ張って。オレは強引にその唇を奪った。

    「!? ン、ぐ」

    驚いたせいか半端に開いた彼の口内に、そのまま舌を入れ込んで。その昔、彼を抱いていた時も何度もやっていた事を再現するみたいに。

    「んん、ちゅ、ふ、ァ」

    ガキになったオレの短い舌じゃ、喉奥まで犯す事はできなかったけど。
    歯の裏側から頬の内側をなぞって。舌どうしを縺れ合わせて。オレが与える温度で溶けてしまえばいいと。
    そんな風に思いながら、上顎までしつこく舐め回して───

    「ぁふ、むぐ、ちゅぱ……んぁ、……ぷはっ!」

    苦しくなったのか、彼は顔を背けて。唇と唇が離れていく。名残惜しむように繋がっていた銀の糸がぷつりと途切れていくのを、横目に捉えながら。

    「…………て、てん……何で、」

    顔を真っ赤にして、腰が抜けたのか座り込んでしまった練牙さんに、少しだけ胸がすいたような感覚を覚えた。

    「……ま、宣戦布告ってやつですかね」
    「せ、センセン……?どういう意味だ??」

    頭上にハテナを浮かべた彼の、口の端から垂れた唾液を舐めとってやると、びくっと肩を震わせて。
    相変わらず頬を桜色に染めたまま、何が起こったのか分からないという表情でオレを見上げる練牙さんを見て。じわじわと胸に広がるのは紛れもない満足感だった。

    「……ひとつになったなら、あいつとこういう事はできない訳だし。まあ、アドバンテージはこっちにあるよね」
    「あ、あど…………?」
    「練牙さん」

    散った花びらを尻に敷いてへたり込んでいる彼に手を差し伸べる。

    「自己紹介、しよっか。初めまして、オレの名前は───」

    添でも貂でもない、オレの新しい名前。
    それを告げた途端、また春風に襲われて。花嵐の中で散っていく桜のざわめきに、オレの声までかき消されたんじゃないかって思ったけど。
    直後、ふわりと開花した彼の笑顔に、声が届いていた事を悟って……。

    「初めまして、───。オレの名前は………」

    花吹雪とともに告げられたその名前を、オレはこの桜色の光景と共に、脳内に刻みつけた。



    ───やっぱり桜は、あんまり好きじゃない。

    こんなもの、いくつもの奇跡が積み重なった故の結果でしかない。……彼の中には、一番大事なトモダチが相変わらずいる訳だし。
    それでも。
    このイカレた馬鹿犬と、何の因果かまた巡り会えた事を。
    悪くないなんて思ってしまう自分がいるのを、もう認めざるを得なかったから。


    オレが差し出した手をぎゅっと握りしめる彼と二人。
    蝶のようにひらひらと舞う桜に導かれるように。

    オレたちは再び、淡く染まった並木道を歩き出した。




    今度は───桜の花びらを、踏み潰さないようにしながら。
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