『好き』の、それ以上。夜の帳が下りるころ。薄暗い寝室の中では、白い壁に二人分の影がぼんやりと浮かび上がっていた。
ベッド横の棚の上に置かれたテーブルライトが、ちかりちかりと。光を放って網膜に滲んでいく。
「…………ななきくん、好きだよ」
彼の誘うような声の響きまで、部屋の隅々にまで浸透していくようで。
身体から発せられるせっけんの清潔な香りの中から、少しだけ感じる高ぶったような汗のにおいとか、時折零れる悩ましげなため息とか。その全てが俺を快楽の渦へと飲み込んでいく。
ちゅく、くちゅくちゅ、ちゅぱ。
けれども一番、俺を侵してたまらなかったもの。それは───もうずっと下から聞こえ続けている、あまりにも淫らな水音だった。
「ななきくん……んちゅ、……すき…………」
俺はというと大混乱だった。いつもは恥ずかしがってなかなか言ってくれない『好き』の嵐に襲われながら、頭の中でクラシックとロックが同時に大音量で流れて、もう脳の組織までぐちゃぐちゃに破壊されてしまいそうで。目の前で起きている事が信じられなくて眩暈がした。
だって。
興奮のあまりすっかり勃ち上がった俺自身を、楓さんが猫みたいに一生懸命舐めてる、とか。
そんな俺の妄想を具現化したような状況に、これって神様が見せてくれてる夢だなそうに違いない、なんて思ってしまうのも仕方ない訳で。
それなのに彼の舌から伝わるあたたかさが、あまりにもリアルだったから。これは夢なんかじゃなくて現実なんだって理解した途端、 ばっくんばっくんと。
心臓が身体を突き破って独りでに走り出しそうなくらい、それは激しく高鳴り始めて。
「…………楓さん、」
吐き出した息がやたらと熱い。手を伸ばして彼の黒髪を掻き撫でる。そのさらりとした指通りの良い感触と、先端を咥えられて痺れるように背筋を駆け抜ける快感が混ざり合って、もうおかしくなりそうだった。
───何で、こんな事になったんだっけ。
ふらふらとおぼつかない思考のままふと記憶を辿る。考えてみれば簡単な事だった。明日は休みだからとさっきまで二人でお酒を飲んでいて、それで……ふわふわした雰囲気のまま気づけば楓さんが俺の股の間に顔を埋めていた、という訳だ。
いや、そりゃもうすっごく嬉しいし楓さんのえっちな所を見てどうにかなりそうだけどやっぱり嬉しいものは嬉しい。だって大好きな恋人が必死に俺のを舐めてくれているんだから……ちょっと刺激が強すぎる気もするけど。
楓さんと付き合ってはや一年。夢でも見ているかのように幸せな日々の連続だった。その一年の間に俺たちは色々な経験をしたし、その中にはもちろんセッ……クスも含まれているけれど。でも至ってノーマルな行為しかした事が無かったし、こんなに大胆で積極的な彼を見るのは初めてで戸惑う。楓さんはお酒は強い方だと言っていたからこんなに酔っ払った姿を見る事も無かったし……お酒の力って、やっぱり偉大だ。
「………っ!」
その時、ぐっと性器を根元まで食まれて現実へと呼び戻される。やわらかい舌先に裏筋をしっとりと舐め上げられて。歯を立てないようにと気を使ってくれているのが分かる、緩慢なその動きが嬉しくて、どうしようもなく愛おしい。けれど、これじゃ生殺しだ。だって、俺だってもっと……触れたいのに。
「っ楓さん、俺も……」
「…………んむ、らめ、今日はおれがするから」
「ぅ、!そこで喋んないで……」
生暖かい吐息が俺のものを包み込む。その刺激だけでもう今にもイってしまいそうだったけれど、何とか耐えた。そりゃこの光景は絶景でしかないし興奮で今にも頭が破裂しそうだけど、やっぱり俺も楓さんを気持ち良くしたい。
「ぁふ、ぐっ…………ふぅ、んちゅ」
「っぁ、無理、しないで……ください」
俺のものが喉奥まで入り込みそうになって、制するように彼の頭にそっと触れる。熱い腔内で性器の側面がやさしく擦られて気持ちいい。すっごく気持ちいいけれど、これ以上は駄目だ。このままじゃ、彼の口の中に───
「かえでさん、だめ───!」
脳内の中枢が一気に熱を帯びていく。ちかちかと星が瞬いて目の前が真っ白になったと同時に、事の重大さを悟る。……どうしよう、やってしまった!
「い、今すぐ吐き出して!」
慌てて起き上がり枕元に置いてあったティッシュを取ろうとするも、その時微かに聞こえてきたのはごくん、と何かを嚥下するような音だった。暗闇の中、薄明かりが照らし出していたのは、いたずらっ子のように舌を突き出す楓さんの姿で。
「…………ふふ、のんじゃった」
潤んだ瞳。汗で髪が張り付いた頬。瑞々しい果実のように真っ赤な舌。
視覚が捉えたその全ては、俺の理性を崩壊させるには十分すぎる光景だった。
「っわ!?」
勢いのまま彼を押し倒す。ぎしりと軋むベッドのスプリング音ですら、俺を高ぶらせる要因にしかならなかった。「すみません」と一言だけ詫びて、耳につくくらいまで彼の両足をぐいっと折り曲げる。
「な、七基くん!?この格好、やだ……!!」
その美しい肢体が惜しげもなく露わになる。俺のを舐めていたせいだろうか、すっかり勃ち上がって涙を零している健気な雄芯も、淡く色づききゅっと閉じた窄みも、白い肌も、何もかもが……綺麗で。
「? ななきく………………ひぁっ!!??」
高く上がった嬌声がしっとりと耳孔を濡らす。俺しか見た事が無いであろう彼の秘所に舌を入れ込んで、ぐるぐると中を掻き回す。
「んんっ!ぁは、ァ………ぅん!!」
皺を伸ばすように丁寧に、ゆっくりと時間を掛けて楓さんの中を解していく。舌に触れる温度が、どうしようもなく熱くて。あられもない声を上げ続ける彼が可愛くて、愛おしくて……もっと優しくしたいと思うのに。
ああでも、楓さんを前にすると俺は全く余裕が無くなる。ドライだとか塩対応だとか、周りはよく俺の事をそう言うけれど……この人が俺を変えた、変えられてしまった。それがたまらなく嬉しい。
「は、ぁ…………ななきく、ンっ!」
仕上げとばかりにちゅうっと窪みに口付ける。楓さんの身体はどこもかしこも桜のように色づいて、食べてしまいたいくらいに可愛らしかった。ふぅふぅと息を荒げながらこちらを見上げていた彼は、頭を上げると俺の頬にそっと触れて。
「…………はやく、きて」
唇に、触れるだけのキスが落とされた。
「ひぁっ……は、ぁん、ななきくん、ぁ!」
「ぐ、楓さんっ……!」
熱気のこもった部屋中を満たすのは水気を含んだ音。テーブルライトの暖色の光によって照らされた彼は、今日も美しい。
「好きです、大好きです……!」
「ふ、ぁ、ンン…………ぁん!」
「好き」と言うたびにきゅんっと絡みついてくる内部に煽られて、勢いを増す腰の動きをもうどうする事もできなかった。このまま混ざり合ってひとつになりたい、なんて馬鹿な事を考えている間にも、彼から与えられる刺激の強さに翻弄されて。
育ち切った俺のものを必死に受け止めてくれる優しい彼が好きだ。浅い所を突いても深い所を突いても気持ち良さそうに瞳を蕩けさせる可愛い彼が好きだ。乳首を撫でるように舐めると、物欲しそうな声で「もっと」とねだってくれるえっちな彼が好きだ。
……どうしよう。こんなの初めてだ。身体がぜんぶ、溶けてしまいそう。
「んは、ぁ、ぁあっ……ななきくん、っ!」
「好き、好き、好きです、愛してる……!!」
くちゅくちゅと深く舌を絡ませ合いながら、律動はいっそう激しさを増していく。
ばちゅ、どちゅっ、ずちゅん。
腰を何度も上下させ、彼のいいところに狙いを定めるようにして突き上げると中が更にうねって俺のものがぎゅっと引き絞られた。その間もキスは止まず、ちゅっちゅっと境界がなくなるまで唇と唇を押し付け合う。
「ふぁっ、ちゅぱ、んぁあ……っななきくん、だいすきぃっ!」
前にも手を伸ばして先走りに塗れた愛しい彼の性器をやさしく扱いていると、喘ぎと共に零れ落ちた愛の言葉がズドンと心臓を貫いた。脳がぱちぱちとスパークして、もう、何も考えられなくなってしまう。
唇を離した途端、ぱたたっと俺の汗が楓さんの頬に零れ落ちていくのが見えた。と同時に視界がじんわりと滲んでいく。楓さん、すっかり顔が蕩けちゃってる。可愛い。可愛い。もっと、もっと可愛い所が見たい。彼の全身を舐めたい。甘く蕩けた声が聞きたい。全部俺のものにしたい。彼のものになりたい。彼の全てが見たい。もっと、もっと、もっと───!
「………………ぁ、」
瞬間、楓さんの頬に赤い染みがぽたりと落ちて。汗と混じり合ってシーツへと流れていくのが見えた。
どうにも頭がくらくらする。視界もどんどんぼやけていって、何だか熱でも、出たみたいな……。
「ななきくん………?
七基くん!しっかりして!七基くん!!」
───その後。混乱と興奮のあまり鼻血を出して気を失った俺がようやく目覚めた頃には、時計の針は午前一時を指していた。あんな中途半端なところで、とあまりの申し訳なさに平謝りする事しかできなかった俺だけど。楓さんは「ほんとに気にしないで。俺も気づかないうちにイっちゃってたみたいだし……すっごく気持ちよかったから」と顔を真っ赤にしながら答えてくれて……。思わずキスしてしまいそうになったけれど何とか耐えた。というか俺、流石にカッコ悪すぎでしょと楓さんが入れてくれたホットミルクを飲みながら大きなため息を吐いた。その白い湖面にはゆらゆらと情けない顔が揺れている。頭をぶんぶん振って切り替えるように、俺はもう一つ気になっていた事を彼に尋ねた。
「……楓さん。身体は大丈夫ですか?無理、させちゃったから」
「うん、大丈夫だよ。……それに、誘ったのは俺の方だし」
手の甲にそっと重ねられていた彼の手がゆっくりと動き始めて、撫でるように指と指が繋がれていく。それが何ともくすぐったくて。今いるのは寝室じゃなくて明るいリビングなのに、さっきまでしていた行為のせいか夜の気配の名残りを感じてどうにもどぎまぎしてしまう。流石にこれから二回戦はもう無理なのは分かっているけれど。また鼻血を出す訳にはいかないしね。いや、気持ち的にはいつだって楓さんとしたいに決まってるけど……!
「……えっと。その、舐めたりとか……あ、あんな事してくれるとは思わなくて」
「…………嫌だった?」
「嫌な訳ない!!」
ぐっと身を乗り出して大声で答えた俺のあまりの勢いの良さに、楓さんは思わずといった様子でふはっと吹き出した。……うう、恥ずかしい。
でも可愛い。今の楓さんの顔、写真に撮りたかったな……と少し残念に思いつつ、俺は心の中でこっそりとシャッターを切った。
「そ、それに!あんなに酔ってる楓さんを見たのは初めてだったから……」
「……酔ってるように見えたんだ?」
「え?」
───酔ってないよ。
その時、ふっと息を吐き出すように耳元で囁かれた言葉が、その響きが。
時間差で俺の脳内に、全身に。じわじわと浸透していって。
「……じゃあ、時間も遅いしもう寝るね!おやすみなさい!」
「え、か、楓さ───」
そう言い残し足早に部屋を出ていった彼からちらりと覗いた耳先は、見てすぐ分かるくらい真っ赤になっていた。
そうして一人、取り残されたリビングで。溢れんばかりの愛おしさが大きな波となって胸の奥から込み上げてくる。舌に残っていたホットミルクのやさしい甘さが少しずつ口内に広がっていった。俺の大好きな、最愛の恋人。そんな彼の可愛いところをこんなにいっぱい、見てしまったら。
たまらない気持ちになって、俺は思わず頭を抱えた。はぁ、と深く吐いたため息はさっきとは全く種類の違うものだった。
……だってもう、こんなに好きなのに。
好きすぎておかしくなるくらい、こんなにも大好きなのに。それ以上があるなんて知らなかった。好きすぎて怖い、だなんて。こんな気持ちがあるなんて知らなかった。『好き』に限度が無いなんて、知らなかった。好きだと何度伝えても足りないくらいの『好き』があるなんて、知らなかった。
「…………これ以上、夢中にさせてどうするの」
ホットミルクの甘さの余韻は───まだ、消えない。