空っぽの月が転がっている「転子はいずれ月に帰っちゃうんですからね!」
そう言いながら転子はずっと、たとえうっとうしいと言われても秘密子の傍にいて、帰る気配など誰にも感じさせない少女であったし、そもそも月に帰るなんて凡そ信じ難い話である。帰ると言うからには月から来たのであろうが、その割に転子はどこまでも地球人だった。
「ねえ夢野さん、転子はいずれ月に帰っちゃうんですからね」
「お主そう言っていつもおるではないか」
「そりゃあ、夢野さんを置いてどこにも行けませんから!」
秘密子は、遠い昔の御伽噺でしか聞いたことのないような転子の出自をまったく信じていなかったが、どこにも行かないと言われる度に安心していた。本当は、ただ信じたくなかっただけなのかもしれない。秘密子は、転子が正直者であることをよく知っていたし、正直者である以上に秘密子を困らせるようなことはしないとわかっていた。
だからいま、ふいに消えてしまった彼女の行方に見当もつかないでいる。
無遅刻無欠席が当たり前の転子が登校してこないことは、それだけで教室を賑やかにした。あまつさえ連絡もつかないようで、級友たちはその心配と興味を、転子といちばん仲の良い秘密子へ向けた。どこに行ったの?何も聞いてないの?もう一度連絡してみて。口を揃えてそう言われ、聞きたいのはこっちだと泣き出したい気持ちであった。
いつだってさみしいと思う暇もないくらい傍に転子がいたと気が付いたのは、ひとりになってすぐだった。毎日柄にもなく探し回って、それでも見つからず、見上げた月はまるまるとしてやわらかく光っている。転子がいなくなってもう三度目の満月だった。
「どこに行ってしまったんじゃ、転子」
「本当に月に帰ってしまったのか」
「ウチを置いて行かないんじゃなかったのか」
「転子……、」
視界がゆらぐ。夜空に月が滲んでいく。秘密子はその場にうずくまって、とうとう泣き出した。おちる涙に濡れる地面がいつまでも乾かない。けれど泣いている暇はない、立ち上がって、転子を探しに行かなくては。そうして見つけた彼女に向かって、置いて行くなと言ってやるのだ。いっしょにいてほしいと、泣いて困らせてやるのだ。涙はそのためにとっておかなくては。
熱いまぶたをこすって、抱えた膝に埋めていた顔を上げる。土埃をはらってもう一度歩き出そうとした、そのときだった。
「夢野さん!」
この数箇月のあいだ一度たりともわすれたことなどない、転子の声がした。秘密子は勢いよく振り返る。その声の主を間違うはずもなく、振り返った先に立っていたのはさいごに見た姿と何ら変わらない転子であった。
つまずきながら駆け寄ってきた秘密子を受け止める。目元に残る感情の発露のあとが痛々しくて、転子にはそれがすこし嬉しかった。
「どこに行っておった!ウチが、どれだけ探したと思って……!」
「夢野さんごめんなさい。月へ帰っていたんです」
「どこにも行かないって、言っておったではないか……」
「はい。転子はもうどこにも行きません!そのために月へ帰っていたんですから」
「意味がわからん……」
「だから泣かないでください夢野さん。夢野さんが泣いてると、」
「んあ…?」
「転子も泣いてしまいます」
それからふたり仲良く泣きとおし、疲れ果てると手を繋いで帰っていった。転子の地球人らしくあたたかいてのひらを、秘密子は離すまいと強く握る。
いっしょにいてと細い声でつぶやく秘密子に笑う転子の頭上、からっぽの月が転がっている。