お題「愛」ダブルのベッドから身体を起こす。
鏡には、まだどこか眠たげな顔が映っていた。鏡の中の自分がにい、と口角をあげる。
しかし、顔は微笑んでいても、朝の冷えた空気がこわばった身体に染みた。
良くない目覚めだ。
アラスターがいた時は、珈琲の香りですっきりと目が冷めていたのに。
しかし一方で、珈琲の香りがしない生活にも慣れてきた。
ーーーアラスターがいなくなって7年近くになる。
生前も私を一人遺していったアラスターは、また私を置いていなくなってしまった。
一人にしては大きい部屋を見渡す。
しばらく聴いていなくて、すっかりねじの固くなったラジオのダイヤルを回す。
聴こえてきた天気予報によれば、今日は地獄でも珍しいほどの寒さらしい。
今日はうんと厚着をしよう。ニットも手袋もアラスターにもらった品だ。
しかし、感傷に浸るのももううんざりだ。
うんざりした気持ちから逃れようと、天気予報の後に続く番組を聴いたが、退屈すぎた。コメンテーターの声だってやたらとやかましく聴こえて好みじゃない。私は街に出かけることにした。
吐く息が白い。
今日は厚着にして良かった。
「こんな寒い日にはヴォックステックの最新技術搭載のヒーターはいかがですか!」
街のあちらこちらからヴォックステックのCMが流れている。最新技術搭載のヒーターなんかよりも、今着ているニットの方がずっとあたたかい。
そういえば、彼はずっとアラスターに固執していたのに、今ではアラスターのことなんか気にしてもいないのだろうか。
そうこう考えている間に、私はとある24時間営業の店に着いた。
この店には、アラスターの小間使いと化した男ーハスクがいる。
ギャンブルに負ける度に彼は小遣い稼ぎにここに来るのだ。
彼はグラスを拭きながらこちらに話しかけてきた。
「お前さん、なあ…言いにくいんだが…もうアラスターのことはいいのか?」
「え?」
きょとん、としていると、ハスクは言葉を続けた。
「いやもう何年も経っちまってるし、お前さん自体もかなり元気になってきただろ?そろそろこれからどうするのか聞いてもいいかと思って」
「忘れてるわけじゃない。」
きっぱりと答えられた。自分の意識と離れて口が動いたようですらあった。
「私はラジオデーモンの妻なんだから。」
苦笑いをするハスクに私は続ける。
「笑顔じゃなきゃ。」
そのために、やるべきことをやるだけだ。
「はあ…。本当に狂ってんな…。お似合いだよ」
アラスターと私は、世間一般の「夫婦」とは違うのかもしれない。
しかし、私達は生前にも地獄でも笑顔で生を謳歌した、している。それだけでお互いかけがえのない関係としては十分だろう。でも、ラジオデーモンの妻はもっと欲張りだ。地獄にだって落ちたのだから。
店を出ると、薄暗い路地に、「ラジオデーモンにご注意!」という貼り紙が見えた。すっかり紙は劣化してしまっていたが、ラジオデーモンの放送を思い出させるには十分だ。寒さでかじかんだ手で紙に触れると、紙は突然発火した。そして、背後から突然声がした。
『そんな顔は良くないな~~~!にしてもここは寒いね!紙はもう何枚か燃やしても構わないかい?』
「あっ…」
急に現れたアラスターは、7年前と変わらない様子だ。
背の高い彼を見るために少し見上げると、空から雪が降り始めるのがみえた。地獄では珍しい雪に思わず顔が綻ぶ。
『笑顔じゃなきゃおしゃれじゃないからね!笑ってくれてうれしいよ!マイディア!』
「雪が降ったからうれしかっただけよーーー。でも、あなたと一緒なら、どこでも笑顔でいられると思う」