この銀河にマトモな神なんかいない。
なんせ、下水の溜まった路地裏で煤まみれの両手を擦って鼻水垂らして霞んだ瞳で夜空を見上げても、神が目をくれるのは輝くような人だけ。聞けば、どこぞの国が信仰している星神は別の星神とずっと争い続けているんだと!!星神サマだって忙しいんだな。こんな宇宙のゴミを拾ってる場合じゃないってことか。
「嗚呼、クソッタレな世界だこと!!」
こんな裏路地にも輝く銀河のスター──ロビンのポスターに無性に苛立った。調和ってなんだ。調和を謳うなら俺も救ってくれよ!
そんな俺の魂の叫びは呆気なく叶えられた。
父と母が幼い俺の手を緩く掴み、きらびやかなクロックボーイ広場を歩く、あまりにも幸せな白昼夢を見ていたあの日に。独りピノコニーに置き去りにされた俺の最初で最後の思い出に縋っていた俺は、突然繋いでいた手ごと切り飛ばされて「目覚めた」。
全くもって二度寝もしたくないほど最悪な目覚めだ。周りを見渡せば、同じように目を擦る人々がいる。
そして、あの豪華絢爛なピノコニー大劇場はいつもにも増して輝いていた。
起きたばかりの妙に冴えた耳はあの歌を聞いた。かなり長い間続いた爆発と閃光の中、途切れず続く歌声。この世の終わりみたいな衝撃音が続いているのに、いかにも負けそうだと思っていた可愛らしい声は強靭な芯を以て響く。ピノコニーの端にいる俺なんかにも届いてくれるものだから、思わず手を擦り合わせてしまった。
天に祈ったって明日の金が手に入るわけじゃない。祈る暇があるならその手で客の一人でも捕まえた方がいい。
時間を無駄にしているぞ、と頭の冷静な部分が囁く。こんな異常事態には今までにない金稼ぎのチャンスがあるはずなのに、足も目も全く動いちゃくれない。
幻覚だろうか、淡く発光する羽根が落ちてきて、溢れた涙を掠めて飛んでいく。
結局、閃光が止むまで、俺は慌ててふためく他の人々の群れの中、ちょくちょく蹴られるなどしながらも歌を最後まで聞き遂げることになった。
あれからピノコニーは大騒ぎだった。
気付けばオーク家当主は行方不明で、秩序とやらの残党が暴れまわって、星穹列車とやらが英雄になっていた。ピノコニーの最底辺である俺にあまり現実味のない話だった。
ふと見上げた、通勤途中のテレビに映るロビンのCM。結構前から流れ続けていて、ロビンが笑顔でCDを宣伝するという内容。
そういえば、発売日はどうなったのだろう?ここ最近のゴタゴタで何回も延期になったと聞いたが。
「私のニューアルバム、INSIDEが発売中よ!!みなさん、長らくお待たせしてごめんなさい。沢山聞いてくれると嬉しいわ」
「今ァ!?……コホン」
思わず道端で大声が出た。少し疲れた笑顔で宣伝するロビンの映像はさっさと移り変わってファッションの宣伝になってしまう。
変わる寸前に必死で捉えた値段を呟きながら、オンボロの財布──もはや財布というかボロ布だが──を開いて信用ポイントを数える。1枚、2枚……。
INSIDEは、俺の残金の3倍と同じ値段だった。
「無理だろ」
やっぱりこの宇宙はクソッタレである。
いや、と思い通販サイトを開いてみる。転売で数倍に膨れ上がった値段は俺の半生と臓器を合わせた値段でも足りないほど。
「やっぱりクソッタレだよ!!!!***!!(ピノコニースラング)」
そもそもCDを買えたところで流す機械を持っていない訳だが、その機械はもっと高い。身の丈にあっていないのだ。俺のような底辺の人間は、街で流れる歌を細々と聞き続けるのがお似合い。
それでも、高天の歌を、いつかは自由に聞けるという確証──というよりは拠り所を持っていたかった。
「……オーディオは、誰かから借りよう……信用ポイントは、貯蓄と2ヶ月の勤務を切り詰めれば……」
俺はデモ音声に導かれるようにショッピングセンターに歩いていった。
結果だけ言おう。無理だった。
店の前には身なりのきれいな老若男女がズラリと並び、店外れには怪しい転売屋もズラリと並ぶ。明らかに俺は場違い、確実に転売屋の一味としか思われない様相で、足を踏み入れようとした瞬間ジロジロと見られる有様だった。
こうして敗走を喫した俺は、店1軒挟んだ向こう側で、ぼーっと1番だけ繰り返されるデモ音声を聞いている。どれだけ虚ろな目をしていたのだろうか、見ず知らずのオムニックの女性が声をかけてきた。
「どうしたのですか?何か調子でも……」
「ああ、すみません、調子は……悪いというか悪くないというか……とにかく、命に関わるようなことじゃあありませんから」
慌てて壁から背中を剥がして謝る。こんな不審者に声を掛ける優しいお嬢さんに『ロビンのCDを買えなくてこの世の終わりくらい落ち込んでました』なんて言えるわけない。
しかし、目の前の善良なお嬢さんは本気で心配している。
「あの、遠慮なんて……明らかに顔色が悪いですよ」
これで善意で病院に連れて行ってもらったら財布と良心が死ぬ。俺は観念して重い口を開いた。
「あ〜……その、実はロビンのCDを買いたかったんですけど。ほら、あれだけ並んでるし転売屋も多くて……。自分、懐が潤ってるタイプじゃないので、とても」
久々に奮発しようかと思ったんですけど、と言ったところで何言ってんだ……と頭を抱える。見ず知らずの人に身の上まで話すな。
表情はわからないが、恐らく真剣に話を聞いてくれた親切なオムニックは、懐に手をやった。
「あの、これどうぞ」
「いやいやそんな親切に……ってえぇ!?!?これはインサ」「すみません静かに!」
オムニックの手の上に乗っかっているのはあれほど夢見たINSIDE。薄いビニールがまだかかった状態の新品で、キラキラと輝いている。表に印刷されたロビンは相変わらず優しい顔で緩く微笑んでいた。
「私、家族の分と私でINSIDEを2つ持ってて。1つなくなっても家族と一緒に聞けばいいから……」
「待ってくれ、いや待ってください!いやいやそんな」
「じゃあ、私が買ったときの値段で買い取ってもらうのはどう?」
そうやって女性が提示したのは、さっきの店よりかなり下がった値段だ。
突然訪れた幸運への興奮と、有難すぎて逆に募る不安で手はビッチャビチャである。吃りながら意思は迷っていたが、手は自然に財布へと向かっていた。
「あ、ありがとうございます!!なんと言っていいか」
「いいのよ。私もファンに会えて嬉しかったわ」
オムニックの方にしては随分変わった話をするな、と思ったが恩人にそんなこと言うほど愚かではない。手を振って去っていく女性を、何度も何度もお辞儀しながら見送った。
ビニールが手汗で滑る。ああ良くない。必死で一張羅の内ポケットにしまいこんだ。
「さっきの人、ロビンファンだったか……」
俺は神なんか信じてないし、ファミリーも信じていない。しかし、あの調和の歌い手によって確かに広がった調和もあったのだと、今でも信じている。
数日後。道端で回線の悪いラジオが途切れ途切れに今日の情報を伝えている。
『本日のラジオは、あのロビンさんをゲストに──ロビンさん、INSIDEが発売されましたが、反響はどうで──』
『こんにち──ロビンよ。ええ、たくさんの嬉しい感想が──届──この前──で──ファンに会──全力で応援して──嬉しかっ──』