ヘルタの本当にダメな日「あ~駄目ね。今日、駄目な日だわ」
「おや、」
今日は模擬宇宙の定期点検とフィードバックの日。時々意見を交わしながら互いの専門領域で黙々と仕事をしていた天才4人だったが、突如その静寂をヘルタが破ったのだ。
「回想:確かに、今日は演算効率が5.12%ほど低下しているようです」
スクリューガムは金属製のカップに注がれたオイルを堪能しながら答えた。
「…………」「………」
ルァン・メェイと通話越しのスティーブン・ロイドは黙ったままである。大方、何か夢中になるものがあってそれに没頭しているのだろう。
いや、スティーブンに関してはさっさと演算を終わらせて、サボりについて考えているのかもしれないが。
「今日は今朝から気持ちよく起きられなかったし、カンパニーの人間が執筆の催促に来るし、読みかけの本から栞を抜いちゃうし。とにかく、本当に、やる気が出ない日なの」
「ページ数は覚えているのでは?」
「321ページのどこか。あとは興味ない」
ヘルタはそう言うやいなや、机に突っ伏してスリープ状態に入った……かと思えば、急に起き上がってデータを弄くり始めもする。どうやら、今日は本当に正気じゃいられない日のようだ。
スクリューガムは彼女の『本体』がいる場所の気圧を検討した。
「ああ、もうやってらんない。スクリューガム、もう貴方の演算は終わったでしょ?私の分もやっておいて頂戴」
もう立式は済んでるし、途中までやってあるから。スクリューガムはそう言われて半ば強制的に押し付けられたデータを眺める。
本人の今の気分を反映したのか、だいぶ乱雑な計算なデータとなっているが計算式は美しく、計算ミスも当然ない。
もはや机に沈んでいる、と形容したほうが良さそうなヘルタの頭と渡されたデータを交互に見ていたスクリューガムは、感情モジュールが平常時の5.3%ほど沸き立ったのを感じた。
なるほど、「愉快」「感心」という感情である。
そう思っているのを目ざとく察知したのか、ヘルタが机からスクリューガムを見上げた。
「当然でしょ。私は『ヘルタ』だよ?こんな普通の人でも頑張れば解けるような計算、多少調子悪くても片手間で解ける。ただ本ッ当に、全部投げたいくらい、死ぬほど、面倒くさいだけ」
「同意:ミスヘルタ、貴女は全宇宙でも随一の頭脳です。これまで疑ったことはありませんが、謝罪します。申し訳ありません」
「あーはいはい、褒めてくれてありがとう。じゃ、よろしくね」
そう言ったが最後であった。
ヘルタは静かに机に頭を押し付け、もううんともすんとも言わない。今日は視界データすら鬱陶しいようだった。
一方、スクリューガムもオイルティーをまた少し飲んで、渡されたデータの演算に集中する。なんだかんだ作業量は残り少ない。すぐに終わりそうである──尤も、一般人からすれば生涯の仕事にしてやっと終わる量ではあるのだが。
そして、また静寂が訪れて0.5システム時間。
「時間です。休憩にしましょう」
次に静寂を破ったのはルァン・メェイだった。いつから用意してあったのだろうか、手には綺麗なお盆を持っている。
「今日は気に入ったお菓子たちを取り寄せたんです。スティーブン、気にしないでください。貴方のところにも持っていきますから」
ルァン・メェイの細い指が、お盆に載った薄い包み紙を剥がした。ニッケルのオイルゼリー寄せ、スティーブンお気に入りのスイカのゼリー。その傍らにはいつも通り梅のゼリーと、花形のブドウのゼリーもある。
お菓子の芳香と会話を聞きつけたのだろうか、ヘルタがガタッと椅子を揺らして起き上がった。
「ちょっと。私のところにも持ってきてくれるんでしょうね」
つくづく目ざといことである。