【ほしまつ5 展示】SSの過去作 ①「ダイヤモンド・ダスト」
神様とやらが本当にいるのなら、俺はよっぽどそいつに好かれてるらしい。
だって、こんなの早々ないだろう?
ずっと好きだった。愛していたあいつが。少し見ない間に薬指に指輪を光らせているなんて。
あまつさえそれを指摘されて、恥ずかしそうに、でも確かに嬉しそうに笑うだなんて。
なんて拷問。
なんて最高でクソッタレな────
「ああああっ!!!クソ!!!!!!」
思いつく限りのスラングを吐きながら部屋に入ると、古い扉が悲鳴を上げた。力任せに蹴飛ばしたゴミ箱は派手な音を立てて、飛んでいく。生ゴミの類はほとんどない、ティッシュとジャンクフード店の包み紙が集まったゴミ屑達は床に無惨に散らばった。
俺の八つ当たりの餌食になったゴミ箱は可哀想に、形が変わってしまっていた。
「クソ……お前ばっかり可哀想みたいにしやがって。世界で一番可哀想なのはきっと俺だよ」
アイツが全てだった俺の世界では間違いなくな。
いつまでも、いつまでも叫んでも物に当たっても、幸せそうに笑うアイツの顔が脳裏にこびり付いてる。
アイツは知っているのだろうか、その左手薬指の指輪がどれだけの威力を持つのか。その証拠に見ろ、被害第1号の英国人の部屋のゴミ箱の有様を。
アイツはもうこの部屋には来ないだろうから、見ることは無いだろうけど。
「あー、クソ。死にてえ…」
きっとあいつの前でも俺は酷い有様だった。正直、何を喋ったのかも覚えていない。
俺はちゃんと祝えただろうか?いつもの様に軽口を叩きながら〝友人〟の菊を祝えただろうか。
十数年間抱え込んだ想いだ。今更隠せないなんて、そんなことあるはずが無い。あっちゃいけない。
ただ、十数年間抱え込んだ想いが、ほんの数年目を離した内に打ちのめされることが受け入れられないだけだ。それだけだ。
余計なことを考えていないで寝よう。寝ればすぐに忘れる。嘘。考えなくて済む。
風呂にも入る気にならず、冷蔵庫にあったジンを煽ってリビングのソファに倒れ込んだ。
さあ、何も考えずに羊を数えよう。
脳内でふわふわと呑気に柵を飛び越える動物を次々に撃ち殺しながら、身体がソファに沈んでいく様な感覚に身をまかせた、ら。
ピーンポーン
深夜に誰だ俺の脳内の羊共と同じ目に合わせんぞクソ野郎早く帰れ。
ムカついているのもあって非常識な客に異常な程に腹が立ち、次々と罵詈雑言が浮かんだが、無視を決め込んだ。
ピーンポーン
どうせ宗教の勧誘かなにかだろう。
俺の神はさっき俺を地獄に叩き落して下さった最高にイカレタイカした奴ただ一人だ。俺は俺にただのひとつの恋も実らせないそいつに実は好かれてる。ということでグッバイグンナイ永遠に良い夢を。
そんなくだらないことを考えていると、カメラとマイク付きのインターホンが勝手に喋り出した。
『あの、アーサーさんのお宅ですよね?もう寝てしまわれましたでしょうか』
この瞬間俺はこの人生で一番速く腹筋を動かしたと思う。足をもたつかせながら急いでカメラを覗き込めば、やはり菊がいた。
『アーサーさん、足早にレジに大金を叩きつけて出て行ってしまうから。電話にも出ないし、急いで追いかけてきたんです。タクシーが中々捕まらなくて遅くなってしまったんですけど』
ああ、くそ、失敗した。
俺は心底穴に埋まって逃げ出したい気分になりながらも、相変わらずモニターから目が離せず立ち尽くしていた。
『実は、貴方にお話したいことがあるんです』
もういい、もう聞きたくない。
結婚して、幸せになった菊なんて、知るか。こんな面倒な男放っておけよ。
視線と聴覚は一点に集中していた。
『今日、お話した事なんですけど』
菊はインターホンについたライトに照らされてキラリと光るそれを、カメラに、俺に見せつけた。
耳も、目も塞げなかった。
『これ、私が買ったんです』
「何言ってんだ、お前」
マイクを入れていないのだから聞こえるはずもないが思わず呟いた。
だって、そりゃ、当たり前だろ。菊は生粋のノーマルで女が好きで、だから諦めたんだ。普通、結婚指輪は男から女に贈るものなんだから、菊が買ったに決まってる。
『貴方に、求婚しようと思って』
「は………?」
『ねえ、聞いてますよね?実は、凄く寒くて。ほら、まだ一月の終わりでしょう? 春にはまだまだ遠いって気付いてました?入れて下さいませんか』
菊が結婚指輪を見せつけた時と同じ表情で、恥ずかしそうに、嬉しそうに頬を赤く染めて俺に頼むから。俺は玄関まで走り出した。
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『この雨が降り止んだら』
「今日は雨が酷いな」
雨粒が地面をバラバラと叩き付ける音を聞きながら、恋人の英国紳上はいつものようにお気に入りの二人で揃えたティーカップに温かい紅茶を注ぐ。
ソーサーに載せられて私の前に運ばれてきたそれは、いつものように馨しい香りを放っている。そして彼は自分の分のティーカップも私のカップの横に置いて、当然のごとく私の隣にぴたりと腰を下ろした。
机を挟んでソファが二つ置かれた部屋で、向かいの席も空いているにも関わらず、だ。
互いにパーソナルスペースが広い私たちだが、私は驚きもせず、受け入れる。彼とのこの距離を私は自分でも意外なほど心地よく思っているし、彼は体温が高いからこんな雨の日にはきっとこれくらいが丁度いい。
「今日〝は〟?今日〝も〟でしょう」
折角のデートを潰された腹いせに雨男の彼を揶揄って、紅茶を少し口に含むと、いつかにとびきり良い茶葉が入ったから、と出してくれたダージリンと同じ香りが広がる。こんなに良いものを出さなくたっていいのに、と苦笑した。
「うるさい、いつもはこんなに酷くないさ。今日はお前がいるから」
「おや、私のせいですか?」
思いがけない言い訳が面白くって、上目でじっと見つめる。私のこの表情に弱いアーサーさんは肩を竦めてティーカップを置いた。
そして私の方に向き直って、額を私の額に付けると猫のように擦り寄る。バラの香りがふわりと香った。
「昔からそうなんだ。例えば、女王陛下に謁見する日とか、楽しみにしてたフットボールの試合の日とか、久しぶりの休暇で出かけようと思っていた日とか。楽しみにすればするほど酷く雨が降る」
こんな距離で唇を尖らせて言うから、慰めるように軽いキスを贈る。
「生粋の雨男なことで」
「そうだろ? それで、恋人と外を歩き回って観光でもしようと約束した日からずっと秘密裏に計画を立…いや、なんでもない。とにかく、馬鹿みたいにた、楽しみにした結果今日は豪雨。俺の気持ちがわかるか?」
「貴方は私が大好き」
正解とでも言うように、甘い口付けが降ってきて受け止めた。
「私、嫌いじゃないですよ。雨の日にこうやって過ごすのも、不憫で雨男な貴方も」
「嫌いじゃないじゃ足りない」
アーサーさんと付き合い始めて気付いたのは、意外と甘え上手なこと。四人兄弟の末っ子だと聞いて合点がいったのを覚えている。
そして、これも彼と付き合い始めてから分かったことだけれど、私だって仮にも兄のような存在の元で育ったからだろうか。この人に負けず劣らず大人気ない。
「だって、晴れの日の貴方も好きですから。貴方の声を雨音にかき消されないまま、貴方と一緒に屋根を必死に探さずに街を歩きたいんです。雨の日の貴方だけじゃ足りない」
「……見てろよ。絶対晴れにしてやる」
悔しそうな子供みたいな顔をして言うのがあんまりにも可愛くて。
「ええ、楽しみにしてます」
微笑んで甘えん坊の彼の、見た目よりも広い背中を撫でた。
「この雨が降り止んだら、子供扱いなんてさせないからな。ダーリン」
雨が、パラパラと地面に吸われていく。
窓の外を歩く英国紳士は、静かに傘を閉じた。