【ほしまつ5展示】「変わらぬものも変わるもの」 大学最後の冬休み。五年ぶりに、祖母の家に訪れた。
別に来たくなくて来なかったわけではない。流行り病だとか、就職活動だとか、様々なことが重なって五年も経ってしまっていたのである。
祖母の家は、絵に描いたような昔ながらの平屋建ての家で、私が小学生の頃までは共に生活していたが、父親の転勤に伴いこの家からも離れた。今では祖母は愛犬のシバ(柴犬である)と一緒に一人と一匹で生活をしている。
五年で様々なことが変わった。高校生で大学受験に怯えていた私はなんと企業に内定を貰ったし、猫型ロボットがウエイターをしていても驚かなくなったし、一日で最高気温が十度以上変わっても何とか生き延びた。
祖母は歳の割にはよく動き、気も強い。今朝もシバの散歩をしてやれと朝五時に私を叩き起こした。私は逆らうこともせずに、眠い眼を擦って祖母の気に入りのバンダナを付けたシバを連れて家を出た。
五年も経てばさぞこの街並みも変わったことだろうと思ったが、思っていたよりも変わらない。お隣の佐藤さんの盆栽趣味も、そのお隣の木村さんの塗装の禿げた不気味な置物もそのままだ。変わらないものもあるのかと、しみじみと早朝の閑散とした住宅街にシバのチャッチャッという足音を響かせながら散歩した。
向かいから歩いてくるのはご近所に住む本田さんだと、すぐに気づいた。何故ならば、本田さんも小学生の時の記憶と寸分違わず何も変わっていないからだ。親子と言っても不自然なぐらいに同じ姿で皺皺やしみ一つない綺麗な顔に、しゃんと伸びた背筋で、白いふわふわの犬(名前はぽちくんと記憶している)とお散歩をしている。
…………いや、いやいやいや。さすがにおかしいだろう。
本田さんとぽちくんが変わらぬ姿でいるなんて。
半ばうとうととしていた脳も冷や水をかぶせられたように急速に覚醒した。
五年ならばまだわかる。しかし、本田さんは、私の記憶の限りずっと、つまり二十年近く何も変わらない姿で生きていることになるのだ。
私がその異常性に今更気付き、背筋に汗が伝う。そうとも知らないシバが本田さんの足元にすり寄った。私は内心慌てふためきながら、ごめんなさい、と謝った。
「おや、シバくん」
本田さんは、可愛らしく微笑んで、シバを見て声を掛けた。
「今日はお姉さんにお散歩してもらってるんですか?」
しゃがんでシバに目線を合わせて撫でている。きっといつものことなのだろう。シバは気持ちよさそうに撫でられている。
「ほ、本田さん、ですよね」
「はい。あなたは花子さんのところの娘さんですか?」
「花子は祖母です」
「ああ、失礼しました。そうですよね。大きくなりましたねえ」
本田さんは不自然な間違え方をして、私に笑いかけた。
「……あ、あの、本田さんって、あの本田、菊さん?」
パニックになって我ながら訳の分からないことを言っていると思ったが、本田さんはどこか浮世離れした美しさで、顎に手を当ててそうですねえ、と考えて首を四十五度ほど傾けて、「私は私ですよ」と、微笑んだ。
私は転がり込むように帰宅すると、祖母にことの顛末を話し、本田さんについて聞いた。すると殊の外あっさりと話をしてくれた。本田さんはお国様、つまり〝日本〟らしい。事実、本田さんは人ならざる存在で、歳老いないのだと明かされた。
それを聞いた時、私は不思議と心の奥底ではわかっていたことを言語化された時のような清々しさで納得してしまった。子どもながらに、昔から彼の纏う雰囲気には人ならざる者のような、それなのに私たちと変わらぬ存在であるかのような、不思議な存在だと思っていた。
町内会の写真に写り込んだ本田さんを見つけていると、一枚の写真が気になった。一際目を引く見た目をしていたし、見覚えのある気がしたのである。
「……この人は?」
本田さんの隣には、眉が特徴的な金髪に緑色の瞳を持つ童話の中の王子様のような男性が立っていた。
瞬間、私は昔のことを思い出した。小学生の頃だった。私は彼を見たことがある。
ドラマでしか見ないような大きなバラの花束を携えて、トレンチコート姿の外人さんが日本家屋の前にいた。戸の前をぶつぶつと何事か呟きながら、うろうろとしているのを怪しく思った私は、防犯ブザーの紐を握って恐る恐る近づき、様子を窺った。私に気付いたその人は、大きな声を出して驚いたから、家の戸が開いて何事かと本田さんが目を丸くして現れた。
「おや、イギリスさん」
「お、おお、よう日本。偶然この辺りを通りかかってだな」
どうしてこの大人たちはお互いのことを国名で呼び合うのだろうと思っていたが、そういう遊びでもしているのかと気にも留めなかった。そんなことよりも、本田さんがこの怪しい金髪の男の人と知り合いだと知ってほっとした。
「なあんだ。眉毛のお兄さんが家の前をうろうろしてたから、」
「何を言っているんだレディ気のせいだと思うぞ俺はたった今ここに偶然通りかかっただけで」
変な人かと思った。そう言おうとしたのに、イギリスさんが顔を赤くして早口で私の言葉を遮ったから言えなかった。本田さんは何がおかしいのかくすくすと笑って、私に目線を合わせて言った。
「心配してくれたんですね。ありがとうございます。この人は、……私のお友達ですから怪しい人ではありませんよ」
「お友達?」
「ええ。とっても大切な」
本田さんがこれまでに見たことのないような、花が綻ぶ様に綺麗な笑顔でそう言うと、イギリスさんはさらに頬を赤らめた。私は、そうなんだ、と言って、なんだか不思議な気もちで帰宅したのだった。
二人は、お友達と言うには少し違和感があった。当時の私から言えば「ギクシャク」していて、今ならばそれが「意識し合っていた」と言い換えることができる。二人の関係性の名は知らないが。
時は移ろう。世界は変わる。国も、人も。それでも変わらずに彼らは、人と同じように自らの意思でお互いの手を取り合えているのだろうか。そうであればいいな、と思った。
再会の時は思いのほかすぐに訪れた。シバに着けていたバンダナを落としてしまったことに気付いた祖母が、散歩した道を戻って探して来いというのだ。その道中には本田さんのお宅もある。もしかしたら本田さんが在処に心当たりがあるかもしれないし、それに、本田さんが国ってどういうことなのか、イギリスさんとはどういう関係なのか、聞きたいこともある。
バンダナを探す頭の片隅でそんなことを考えながら本田さんのお宅の前に差し掛かると、金髪の外人さんが立っていた。少しくすんだ金色の髪の色も、横顔でも十分に存在を主張する特徴的な眉毛も、記憶のままだ。その向かいには本田さんが居た。丁度いい。
「本田さ」
声を掛けようとして、やめた。
まるで映画のワンシーンのように二つの影が重なって、共にある一秒一秒を愛おしむように、悠久にも思えるように、彼らはお互いの身体を抱き締めていた。
私が見入って動けずにいると、金色に縁どられたエメラルドの瞳がゆったりと開き、私と目が合った。
彼は私に見せつけるように口角の片方だけを上げた性格の悪い顔をして、人差し指を立てた。私は面食らって、声を上げようにも何もできなかった。
「〝お友達〟なんかじゃなくなってるじゃん」
私はぽつりとつぶやいて、二人が家の中に入っていくのを見送った。