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    VonPoesie

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    VonPoesie

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    某方のお誕生日のお祝いに差し上げた同人誌です。

    トンチキポンコツ惚れ薬でズンドコする朝菊です!
    軽い気持ちで読んでください

    #朝菊
    chaoChrysanthemum
    #学パロ
    School Parody

    惚れ薬の効果効能にご注意ください「で、できた……!」
     完成した液体をカーテンの隙間から差し込む光に掲げると、瓶の中でとろんと淡くピンク色に発光する液体が悩まし気に揺らめいた。これは調合成功時特有の反応だ。
     そう、何を隠そうこれは我が家に伝わる秘伝の魔法の書にあった『惚れ薬』だ。
     勘違いされては困るが、俺はかなりモテる方だ。容姿は整っているし、成績も優秀の生徒会長で由緒正しい家の生まれで将来も有望。
     ならばなぜこんな惚れ薬など作っているのか。いや、作ってしまったのか。

    「うわっ、空気が邪悪で陰湿! また怪しげな黒魔術でもやってたのかよ」
     ノックもなしに、見慣れた髭野郎が生徒会室の倉庫部屋にズカズカと入り込み。窓を開けた。
     この男は腐れ縁のフランシス。俺はこいつのことを生まれた時から嫌いだが、同じ学校の生徒会の副会長としてなぜかこうして一緒に仕事をしている。
     こいつは用も仕事もないくせにこうして俺の邪魔をするためだけに昼休みの生徒会室にやってくる。俺が一人でいるところを惨めだなんだと言うのが趣味の男だ。関わるだけ時間の無駄だ。
    「用が無いなら帰れ」
     俺はフランシスを無視して、先ほど調合した薬をポケットの中にねじ込んだ。フランシスが興味を持って騒ぎ始めると碌なことにならないことが目に見えている。
     目に見えているのに、俺はよりにもよって作った薬に馬鹿正直に「Love Potion」というラベルを貼っていた。
     見つかるとまずいと言う意識が大きすぎると、人は無意識にそれを気にするようになる。そして、性格の悪いフランシスはその気配に敏感であった。
    「今ポケットに慌ててしまった小瓶は何だ?」
    「おい! 触るな!」
     スリのようにポケットから小瓶をかっさらっていく。そして、ラベルに目を落とした。口角が天井に突き刺さるんじゃないかという勢いでつき上がる。俺は怒りやら羞恥やら殺意やらでわなわなと震えた。
    「おいおいおいおい、なんだよこれ」
     によによと笑いながら瓶を摘まんで揺らしながら、肩を掴み、俺の顔を覗き込んでええ? と問い詰める。
    「早く三秒以内にその瓶を置いて立ち去れファッキンカエル野郎」
    「やーだーねーこんな面白そうな……げふんげふん。危ないもん置いて帰るほどお兄さん薄情者じゃないぜ」
     そう言うこの男の口角は限界まで上につり上がっている。面白がっている以外の何物でもない。
    「だったら今すぐその気色悪い笑い方をやめろ。そして今すぐ消え失せるかそこの窓かドアから出ていけ今すぐ」
     親指を出口の方に向けるが、出ていくどころか前のめりで問い詰めてくる。こいつは常日頃から面倒くさいが、色恋沙汰と俺に都合の悪いことになると輪にかけて厄介だ。今回はその両方だから厄介の最上級であり、率直に言って今すぐにでも消えて欲しい。
    「何お前、キクちゃんに飲ませるの? もうすぐお兄さんそういうやり方感心しないな~。お前が最悪な三枚舌の皮肉屋元ヤン野郎で振り向いて貰えないから絶望するのは十分わかるけどさ~」
    「おいこらお前表出ろ」
     いくらなんでも言い過ぎだろ。よくもまあぺらぺらと出てくるなと感心すら覚える。
    「でもお兄さんもそろそろ痺れ切らしてたんだ。いつ告白すんだこのヘタレ眉毛ってさ」
    「余計なお世話だ。お前が関わると自体が悪化する」
     そう言って胸倉を掴み、やっとのことでフランシスから小瓶を取り返した。
     その瞬間だった。生徒会のドアを控えめに叩く音が聞こえた。そして、ゆったりと扉が開き、隙間から小さな姿が見える。黒い髪が揺れて、どっかのバカと違って控えめな仕草で部屋の様子を覗く。
    「どうも。新聞部の取材をさせて頂きたいのですが……」
     いつもだったら歓迎していたが、今だけは頭を抱えた。その隙に、すかさずフランシスが小瓶を掠め取る。くそ野郎。そう思うが口には出せない。何故ならば、目の前に寄りにもよって最も表れて欲しくないタイミングで渦中の人間が現れたからだ。
     なんで寄りにもよって今来るんだ本田! 心中で嘆くが、来てしまったものは仕方がない。どうにかしてこの場をやり過ごさなければ。
    「お、おう、本田。今取り込み中で……」
    「そうでしたか」
     本田が肩を落とした。胸が痛む。本当ならばいつだってゆっくりお茶にでも誘いたいぐらいなのに。この瞬間でなければ。すべてはタイミングと、何より髭が悪い。
     そう言えばやけに髭が静かだ。嫌な予感がして、後ろを振り返る。すると、そいつはティーポットを持ってこちらに接近していた。こういうことに関しては行動が早くて嫌になる。
    「おい! それまだ試作ひ……」
     俺の必死の叫びもかき消して、髭がホンダをあれよあれよと招き入れて椅子に座らせた。
    「キクちゃーん! 丁度良かった! これこの眉毛が淹れたお茶。どうぞ」
    「? はあ……頂きます」
     そして、本田がその液体を、飲んだ。

     瞬間、本田がぽーっと意識が遠のいたように瞳の焦点が合わなくなる。
    「ほ、本田……?」
     駆け寄って声を掛けると、本田は一度大きく瞬き、それを幾度か繰り返す。ゆったりと目と目が交わり、焦点が定まっていく。潤んだ大きな黒曜石のような瞳は、確かに狼狽しきった俺を映し出し、ふと目を細める。どきりとした。
    「あーさーさん?」
     普段よりも舌足らずで、艶やかな低音が鼓膜を撫ぜる。その声に媚薬が含まれているかのような錯覚がした。
     平静を装って本田の様子を窺う。
    「大丈夫か? 少し頬が赤い」
    「ええ、ご心配ありがとうございます」
     本田は微笑みを湛えてたおやかにそう言った。俺は意思疎通ができたことにひとまず胸を撫でおろ……したのも束の間。本田が俺の手を取り、自身の頬にそっと擦り寄せた。柔らかく、吸い付くような滑らかな肌はほんの少しだけ平熱以上の熱を帯びていた。
     
    「でもアーサーさんがそう言うのなら熱があるのかもしれません……あなたに」
     
     は?
    「「ええええええ⁉」」
     後ろで様子を見ていたフランシスと一緒に仰け反り絶叫した。
     突然発狂し始めた男二人を前に本田はぱちくりと目を瞬かせている。そんな様でさえ可愛らしくて危険だ。
     フランシスが興奮した様子で俺の首根っこを掴んで、部屋の隅に連れていく。
    「おい! 初めて見たよキクちゃんのこんな顔! どうなってんだお前の黒魔術! お兄さん怖いよ!」
    「だから止めただろうがばか! どうすんだこれ!」
    「あんな可愛いキクちゃんがお前なんかにあんな表情向けてるんだぜ⁉ そんなんさあ、お前、もうさあ」
     フランシスが鼻息を荒げる。こいつはド変態だからどうせろくなことを考えていない。
    「やめろお前の脳内で本田のことを汚すな気色悪い!」
    「あ、あの……」
     後ろから本田の声が聞こえて二人して肩を飛び跳ねさせて振り返る。
     本田はおずおずとそこに立っていた。佇まいはいつもの本田だが、今は何を言い出すか分からない。固唾を飲んで見守る。
    「美しいお二方」
    「「お二方……?」」
     信じられず、茫然とフランシスと二人で互いを指さす。
    「ええ。生徒会長と副会長、そして幼馴染でもあるお二方。仲睦まじいお二人の間に付け入る隙が無いことは重々承知ですが、その美しい相貌を私にも向けては下さいませんか?」
     俺たちはアホみたいに口を開いて本田の台詞を聞いていた。反論の余地がなかったわけではもちろんない。むしろその逆でツッコミどころしかなく、脳内であらゆる言葉が行き交って渋滞し、情報が処理しきれていなかった。
     ひょっとして、もしかすると、惚れ薬の効果の対象は。
     嫌な予感に脳を焼いている間にも、本田の腕が俺の横をすり抜けて、フランシスの鬱陶しい長髪に伸ばされた。
    「嗚呼、なんと美しいのでしょう。この美しさはあなたの日々の美に対する余念のなさと努力の表れです。私はあなたのそんなところが、」
    「うわああああああ!」
     俺はとても聞いていられずフランシスの横面を思い切り殴った。フランシスが吹き飛ぶ。
    「なんでお兄さんを殴る」
     床に転がったフランシスが悲劇のヒロインのように殴られた個所を抑えながら声を上げた。
    「正当防衛だろ!」
    「お前おかしいよ⁉」
     本田があんな顔をしてフランシスを口説くのを横で見せられた側の気持ちも考えろ。思い出しただけで吐き気がする。
     フランシスがいったいなあ……と言い、よろめきながら立ち上がる。そして、本田の横に並び、本田の肩に手を置いた。
     
    「じゃあお兄さん、キクちゃんと結婚するから」
    「死ねよ」
     率直に言葉を吐き捨てて、フランシスから本田を取り返す。
    「フランシスさん……!」
    「本田も進んで人生を棒に振るな!」
     言ったところで、本田の瞳は未だに洗脳されているかのように蕩けている。
     嫌な予感に次第にピントが合っていく。しかし、こればかりは確認しなくてはいけない。
    「あー、本田。お前、俺たちがどう見えてる」
    「ふふ、アーサーさん。そんなことを気にして愛おしいですね。」
     本田が身をくるりと翻し、俺の頬に手を寄せる。
    「もちろん、お二方とも美しく、愛おしい。お慕いしておりますよ」
    「……じゃあフェリシアーノは?」
    「フェリシアーノ君のあどけなさと明るさにはいつだって救われています。ヘタレだなんだと言われていますが、守ってあげたい可愛らしさもあって魅力的です」
    「お慕いしてるのか⁉」
    「ええ、もちろん」
    「じゃあアルフレッドはどうだ⁉」
    「アルフレッドさんもいつも元気で笑顔が眩しいです。よく食べてよく動くあの快活さに私は」
    「ああもういいわかったわかった早く殺せ!」
     なんで俺は好きな奴にこんなにくっつかれながら他の男の惚気を聞かされなきゃいけないんだ⁉ どういう新手の拷問だよ!
     しかし、この拷問を通して残念ながら確信した。
     
    「これ惚れ薬っつーか『惚れっぽくなる薬』だろ!」


     『惚れ薬の効果効能にご注意ください』


    「昼休みは残り10分だ。端的に情報を整理するぞ」
     俺とフランシス、そして本田で生徒会室の机を囲んだ。この状態の本田を野放しにしておくのは危険すぎる。そのため急遽作戦会議を立てることにした。
    「御覧の通り、本田は誰彼構わず好意を抱くようになってしまった。例えばこんな性格が悪い髭野郎にもだ。有り得ない」
    「お、喧嘩か? 買うぜ?」
    「お二人とも魅力的ですよ。落ち着いてください」
     渦中の男がおっとりと微笑んで窘める。おそらく状況がよくわかっていないのだろう。
    「お前のための作戦会議なんだが……まあいい。本田、お前はどんな奴がタイプだ?」
     普段だったら絶対に聞けないが、状況が状況だ。だから仕方ないから問いかけてみる。
    「たいぷ……」
     本田が顎に手を添えて、首を傾ける。そして掌を頬に添えて、まさに想い人を思い浮かべているようなうっとりとした表情で言った。
    「顔があって、息をしている人って素敵ですよね」
    「いいか、本田の守備範囲は『人類全て』だ」
     ホワイトボードに「Human」と書いてくるりと線で囲う。
    「どんな魔法⁉」
    「手記によると、取り柄がない魔法使いがどうしても意中の人に振り向いてほしくて、相手の好みのタイプを拡張していったらこうなったらしい」
    「哀れにもほどがあるだろ……」
     正直のところ俺だってこうなるとは知らなかった。意中の相手が好意を持つようになるまじない程度の薬だと思っていたのだ。
    「ああ、なぜ今までこんなに素敵な皆様に囲まれながら私はその魅力に気づくことも、思いを打明けることもできなかったのでしょうか。早く皆さんに私の思いの丈を伝えに行かなくては……!」
    「待て待て待て待て!」
     まさかこんなことになるとは。暴走している本田の腕を引き、椅子に座らせる。縛っておきたいぐらいだが、いくら中身がこれでも本田は本田だ。何か薄ら暗い趣味に目覚めそうだから辞めておく。
    「こんな本田を放っておくわけにはいかない。そこで対策を立てるぞ」
    「どこの馬の骨とも知れない奴らにこんな状態のキクちゃんを捕られたら溜まったもんじゃないもんなあ」
    「この魔法の解除の条件は2つだ。1つは6時間経過すること。あくまでこれは薬だからな。持続時間がある」
     解除方法①と書いて、ホワイトボードに現在の時間と下校時間を線でつなぐ。
    「今は12時半だから、生徒が完全に下校する18時半まで本田の貞操を守り抜けばいいってことか」
     先程の時間の線の中に、授業は16時に終わり、そのあとは各自部活動や委員会、補習と書き記す。
     つまり、授業時間中と放課後の時間を守り抜かなくてはならない。
    「それからもう1つ。これは……お前には教えない」
     解除方法②、と書いて機密事項と書き足した。
    「はあ⁉ なんで」
    「なんでもだ」
     この変態ファッキン髭野郎に知られたらとんでもないことになる。俺は過ちを重ねないように、フランシスとの会話は切り上げた。
     ホワイトボード用のペンの蓋をしめながら振り返り、本田が座っていた方に目を向けた。
    「本田、今のお前を一人で教室に行かせるわけにはいかな……ってもういねえ!」
    「わお、お兄さんも気付かなかった! すっげえジャパニーズニンジャ!」
     言ってる場合か! 俺はフランシスの後頭部をしばいてから廊下に駆け出した。



     廊下に出ると、容易に本田は見つかった。明らかに空気が異質であったからだ。
     蝶が様々な花に惹かれるようにふらふらと本田がお世辞にも見目が整っているとは言えない一人の地味な男子生徒に話しかけた。
    「ああ、どうしてあなたの魅力に今まで気付かなかったのでしょう。その丸みを帯びた身体、緩やかな曲線を描く眼鏡がよく似合っています」
     全体的に丸いことしか褒めてねえ。そこは正直なのかよ。
     しかし、男から見てもぐっとくるほどに中性的で整った容姿の本田菊に口説かれては、この明らかにモテたことのなさそうな男子では一溜りもない。案の定、男子生徒は頬を紅潮させて、鼻息を荒げていた。
    「ほ、本田くん、お、俺……」
    「くそ! マジで誰でもいいのかよ⁉」
     本田を後ろから抱き寄せて、まるこめ醜男から引き剝がした。
    「おや、アーサーさん。どうされたのですか?」
    「どうされたもこうされたもねぇわ! お前、勝手にふらふら出ていって寄りにもよってこんなまるこめクソチョロ醜男捕まえやがって!」
    「失敬な! 本田くんと僕との仲を引き裂かないでくれないか!」
    「うるっせーな! 5秒で即落ちしやがって! 早くそのノミみたいな脳みそからさっきの5秒の記憶消して消え失せろ!」
     まるこめモブ男を怒鳴りつけて威圧してやると、縮みあがって情けなく覚えてろ! と負け犬特有の捨て台詞を吐いて走り去っていった。
     腕の中の本田が身じろいだ。小さな身体だが、意外にもしっかりと筋肉が付いており、抱き心地が良い。それに、なんか良い匂いがする。不覚にもこんな状況なのにときめいた。
    「アーサーさん。そんなに束縛しなくたって私はあなたのこともお慕いしておりますから、ご安心を」
    「その『も』って言うのが全然安心できねえんだよな……」
     そうこうしている内に、予鈴が鳴る。間違いなく人生で一番恐ろしい授業が始まるまでのタイムリミットが迫っている。今のを見てやはりひとりで授業に行かせることはできないと身に染みた。
    「いいか、本田。誰に何を言われても、余計なことはするな。喋るな。目立つな。いいな?」
    「は、はあ……なぜ?」
    「なぜ⁉」
     恐ろしいことに本人にはこの状況の深刻さが分かっていない。じゃあこの警告も無駄。俺はため息を吐いて次の策を頭の中で練る。
    「……次の授業は?」
    「アンソニー先生の数学です。ああ、アンソニー先生。あの気だるげな表情、仕草。思い出すだけでうっとりしてしまいます」
     数学のアンソニー先生はやる気がなく、点呼も取らない適当な教員だ。今日ばかりはその自堕落さに感謝するほかない。
    「俺も行く。……片時もお前から離れたくないんだ」
     どさくさに紛れて本田を抱きしめて囁いた。これぐらいなら許されるだろう。
     魔法が掛かってる本田になら言えるのにな、と内心で自嘲する。本田は花開くように笑い、可愛らしい人、と俺を口説いた。
     別にドキドキなんてしていない。


     アンソニー先生はやはり点呼を取らずに授業を始めたから、授業の侵入には容易く成功した。
     本田は教室に入るなり、言ったセリフは「はあ、こんなにも素敵な人に囲まれて授業を受けるなんて、胸が高鳴ります」だ。間違いなく俺の方が心拍数は上昇している。もちろん別の意味でだ。
     本田は男女問わず目が合った生徒に口説きに行ったが、俺が全員目で威圧して相手の方を黙らせた。
     本田の奇行よりも、授業に関係ない俺が授業に紛れ込んであらゆる人間を睨みつけている方が不審に映っただろう。
     俺は本田を教室の隅の席に追いやって、隣に座って見張ることにした。
     頼むから、授業中くらい静かにしていてくれ……!
     そんな俺の希望はものの3分で崩れ去った。
    「はい、先生」
     本田が何も言われていないのに手を挙げ始めたのである。頼むから余計なことを言うな座ってくれ今すぐに……!
    「なんだ、本田」
     ぽう、と頬を赤らめる。その表情は悩まし気で愛らしく、クラスメイトも何事かとぎょっとして本田の方に意識が集まる。
    「どうしてそんなにも気だるげで魅惑的な雰囲気を纏っているのでしょ」
    「ゲホッゴホッ!」
     俺は死ぬ間際みたいな咳をして遮った。その突拍子のなさと本田の台詞をかき消す声量に逆隣の生徒が驚いてびく、と小さく肩を上げた。
    「ああ? すまんよく聞こえなかった。……っておい、お前カークランドじゃないか。お前この授業とってたか?」
    「どうしても先生の数学を学びたくなったんです。早く授業を始めてください」
    「お、おう……。意欲的なのは良いことだな」
     先生が背を向け、教科書に目を落とす。まさか教師の適当さに助けられる日が来るとは思わなかった。
    「はあ、そのように生徒を評価できる審美眼も素て」
    「ゲッホッゴッホッ! あ˝ー!」
     安心したのも束の間、本田がまた口説き文句を垂れ流す。俺はまたしても咄嗟に結核患者のような末期の咳を披露する羽目になった。これ以上やればマジで喉がイカれる。
    「うっわびっくりした! カークランド、お前大丈夫か」
    「はい。本田が三角関数の合成の成り立ちについて質問しています」
    「いや、まだ三角関数の公式を押さえただけなんだが……」
    「じゃあ生徒と絡んでないで授業を進めてくれ!」
     完全に傍迷惑な狂人になりきって何とか丸め込む。俺はこの教室で人相の悪い結核患者の数学狂いの変人になったわけだが、背に腹は代えられない。嫌われてるのは別に慣れているから気にしていない。本当だ。
    「いや本田が挙手をして……、まあいいか……。じゃあ授業始めるぞ」
     俺の様子にアンソニー先生は困惑した表情を浮かべていたが、対応するのも面倒だったのだろう。頭の後ろを掻いて、黒板に向き直った。
     ひとまずこれであの教師がこちらに何かコミュニケーションをとることはなくなった。胸を撫で下ろす。
     あとは本田が他の生徒を口説かないように注意を払うことと、それから。
     
    「アーサーさん、見過ぎですよ。そんなに見つめられるとときめいてしまいます」

     俺に対するこの犯罪級に可愛い八方美人の誘惑をどうにかして躱さなくてはいけないということだ。
    「すまん、気になって」
    「私のことが? 嬉しい。私もアーサーさんのことが気になります」
     するり、と本田が俺の手に手を重ねる。いくらなんでも授業中にこれはきつい。
    ラリっているとはいえ、好きな相手だ。まるで本当に恋をしているかのようなうっとりとした瞳で見つめないでくれ。
    「綺麗な手。あなたって指先まで綺麗なんですか? もっと触れてもいいですか?」
     一応授業中だからという理性が働いているのか、それとも俺を徹底的に狂わせるためか、耳元で囁いてきやがる。
     理性がミシミシと音を立てて、これはさすがにこいつが悪いんじゃないか? これでこいつを襲ったところで俺に非は無いんじゃないだろうか? と良くない声が脳内で渦巻く。

     しかし、これはあくまで薬の効果だ。
     そう言い聞かせて、俺は甘美な拷問みたいな時間を耐え抜いた。……少し惜しい気がするのは気のせいだ。


    「や……っと授業が終わった……どっと疲れたぜ……」
     授業を終わるなりSPさながらキクを護り、キクが誰かに話しかける前に遮り、声を掛けてくる馬鹿どもを威圧して遠ざけて、ようやく人気のない体育館裏まで逃げ果せた。
    「飲み物を買ってきましょうか?」
     キクは惚れっぽくこそなったものの、キク本来が持ち合わせている気を利かせる性格や、努力家で真面目なところは変わらない。異常に軟派になっただけだ。そこが普段とのギャップも相まって最悪の相乗効果でとんでもない魔性が完成したわけではあるが。
    「ああ……ありがとな」
     好きだという想いがとめどなく溢れていく。……この感情をいつもの本田に素直に伝えられたならこんなことにならなかったのに。
    「ふふ、愛おしいあなたの為ならなんなりと」
     本田がどうやらウィンクをしようとして、失敗して変な顔をしていた。くそ、可愛いな。そんなんだから心配で護衛する羽目になるんだよ。
     辺りを見渡して、人気がないことを確認する。下手に動き回るよりもここに居た方がましだろう。
    「でもお前はここで座ってろ。絶対に動くなよ」
    「え、でも」
    「いいから。お前のことが大切なんだよ」
     ラリってる相手にならこんなことも言えるのにな。本田の頭を撫でて自嘲する。
    「アーサーさん……」
     頬を染めてしおらしく呟く姿は普段通りの本田にしか見えなくて、気まずくなって背を向けた。

     近くの自販機に辿り着くと、後ろからうるさい声が聞こえた。振り返らなくたって声の主は明らかだ。
    「やっと見つけた! お前どこ行ってたわけ⁉」
     フランシスだ。
    「本田の教室で授業受けてた」
    「そんなことだろうと思った。で、キクちゃんは無事なのか?」
     俺は自販機で普段本田が買っている緑茶のボタンを押す。ピ、と短く機械音が鳴って、良く冷えた緑茶が落ちて来た。
    「ああ。今人気のない体育館で休ませてる。あいつもあんな調子だけど、普段使わない脳みそを強制的に使わされて疲労してるはずだから休ませてやらねえと」
     惚れ薬で意識の範囲が拡張されて言葉が引き出されて別人格のようになっているが、あれらを出力しているのは紛れもなく本田の脳みそだ。その証拠に言葉の節々に本田の品の良さや優しさ、博愛主義が表れているし、嘘は吐けていない。何故か彼を日頃覆い隠している恥じらいと言う感情が消し飛んでいた。
     だから俺はあの本田の扱いに困っている。紛れもなく本田自身であるし、彼の尊厳は残っている。
    「まあもとはと言えばお前があんな薬作ってたからだけどな」
    「お前が勝手に飲ませたからだろうが!」
     苛々しながら俺は自分用の紅茶を買った。早く戻ってやらないと本田の無事が不安だ。俺が居ないうちに誰かと既成事実でも作られたらと思うとぞっとする。
    「んで、お前は何のためにあの薬作ってたわけ?」
     そんな時に、フランシスが余計なことを聞いてきた。こいつはめんどくさいから、答えるまで何度だって付き纏ってくる。だから早急に解放されるためにも俺は答えた。
    「それは、」



     体育館の裏は日陰になっていて、涼しい風が吹いている。普段よりも少し高い体温をしている本田菊には心地よく、目を閉じてこの環境を享受する。
     本田菊は、アーサー・カークランドの言いつけを守り、一人で体育館裏に座っていた。
     言いつけを守って、というと些か事実と異なるかもしれない。本田菊は、アーサー・カークランドのことで頭をいっぱいにしていた。
     彼は素敵な人だ。目が合えば胸が高鳴るし、彼の造詣は筆舌に尽くし難いほどに美しい。授業中に隣に座る彼は、本田の言葉に頬を染めて抗うように授業を真面目に聞いているふりをしていた。その横顔はまるで精巧に作られたガラス細工のように冷たいのに、温かく、本田菊の心にするすると入り込み、満ちていった。
     しかし、本田菊は悩んでいた。
     この世界には魅力的な人が多すぎる。
     フランシスさんだって、アンソニー先生だって、すれ違う生徒の皆さんも、全員が魅力的で胸が高鳴るのである。
     しかし、それを言葉に表そうとすると阻止してくるアーサー・カークランドに不満を抱くばかりか、愛おしさが込み上げる。
     もちろん、彼のことは大好きだ。しかし、その他の人々と何が違うって言うんだろう?
     本田菊は頭をうんうんと捻っていたがいつまでだっても答えは出て来ない。

     風が強く吹いた。木の葉が頬の先を掠めて、ハッとする。
     そして、顔を上げると、そこにはこれまた素敵な女性が立っていた。
     彼女とは面識がある。彼女は図書館のマドンナで、目が合うたびに本田に微笑みかけて、本を勧めてくれていた。
    「本田くん。こんにちは」
     やっと見つけた、と彼女が微笑んだ。その笑顔は一般的な生徒から見ても美しかったが、現在の本田にはさらに輝いて見えた。
    「おや、あなたは図書委員の」
    「私本田くんにずっと伝えたいことがあって……。今度プロムがあるでしょ? だから、私本田くんと」
    「待ってください」
     本田が彼女を腕と壁の間に閉じ込めた。本田よりも幾分か背の低い彼女は、本田の豹変ぶりに驚きつつも満更でもなさそうに上目に本田を見つめる。
    「本田くん⁉」
    「私も、あなたのことは何て美しい人なんでしょう。貴方の美貌とその知性は素晴らしい。どうかその先は私に言わせてください」
     ふと、本田の言葉が止まる。これ以上は言えない、と本能がさざめいた。言葉の行き場を失った。
    「……本田くん?」
    「キク!」
     颯爽と現れた誰かが本田の腕を引く。
     本田は何故だかほっとした。安心する声と体温だった。

    「悪い、こいつ今熱あるんだ。誘うならまた今度にしてくれ。美人さん」

     *

     危なかった。

     本田の手を引いて人気のない場所を駆けずり回り、誰も居ない校舎裏のベンチに二人で座った。
     未だに心臓が忙しなく脈打ち、存在を主張している。
     あのまま間に合わなかったらどうなってた? この責任感の塊みたいな男がラリっていたとしても自分を慕っている女性と交際することになっていたら? きっとゴールインして墓場まで面倒を見ようと努力するし、好きになろうとする。そのぐらいくそ真面目で自己犠牲の塊のような奴だ。
     
     俺はそれを知っている。俺はそれを知っていて惚れ薬を作った。

     本田を惚れ薬で俺に惚れさせて既成事実さえ作ってしまえば、プロムの相手は俺だし、もっとうまくいけば付き合って俺のものにできると思ってた。
     いや、実際できただろう。こんな無差別攻撃型の兵器ができるとは予想外であったが。
     半分ぐらい責任はフランシスにあるんじゃないかとも思っているが、この混乱に陥れて本田にとんでもない目に遭わせたのは紛れもない俺だ。
     俺は自分の手を強く握った。こうでもしないと気がおかしくなりそうだった。
     
    「……本田、お前キスしたいほど好きな奴いるか」
     これは、フランシスには言わなかった解除方法の2つ目だ。キスをすれば魔法は解ける。お伽噺のラストと一緒だ。
     惚れ薬の効果が解除されるまでの時間は残り1時間。さっきみたいな事故が起きる前に呪いを解いてしまった方がいい。冷静に考えればそうだ。
     ずるい問いかけをした。この状況で問えば、よっぽど本田に想う相手が居なければ目の前にいる俺の名前が高確率で挙がるだろう。もしも俺以外の名前が挙がった時には大人しく地面に埋まる。
     惚れ薬を飲んだ本田にキスをするなんて、そんなことをしていいわけがない。これは本田の尊厳を守るためでもあるし、何より俺が虚しい。
     だってそんなの、全くもってフェアじゃない。惚れ薬を作った時からわかっていたことだが、現実として直面するとこんなにも泣きたい気分になるなんて思ってなかった。

    「……アーサーさん、私、あなたのことが好きです」
     そりゃそうだろうな。
     俺の中では俺以外の名前が出なかった安堵と、本田に告白されたという動揺と喜び、俺にも残っていたのかと自分でも驚くべき程僅かでありながら確かに主張する良心の呵責とで渦巻いていた。
     
     俺の気も知らずに、本田はそっとすり寄り、俺と本田の脚が触れ合うほどに近づき、体温が伝染する。
     本田の大きな瞳が潤み、次第に距離が縮まる。呼吸さえ、心臓の音さえ聞こえる気がする。俺のも、本田のも。
     呼吸が短くなっていく。身体中の力が抜けて、その耽美な誘いに身を委ねてしまいたくなる。
     バクバクとパニックになった心臓が大慌てで身体中に血液を送り出す。
     近づく本田の顔はどこからどう見たって綺麗で、伏せられた睫毛の繊細さに息を呑んだ。端正な顔立ちはどこからどう見たって本田菊そのもので、美しかった。
     咲いたばかりの桜のような瑞々しく小さな唇は、小さく震えている。
     夢のような光景だ。だから。
    「……やっぱりダメだよな、こんなの」
     俺は、鉛のような手を動かして本田の肩をそっと押した。
     本田は、ゆったりと目を開き、何が起こっているのかわからないと言わんばかりにぱちくりと瞬きをした。
    「本田、好きだよ。呪いたくなるくらいに」

     俺は目の前にある本田の首を押さえた。本田の意識が遠退いて、俺の肩口にその身を沈めた。

     *

     俺は寮母にも寮生にも訝しがられながらも、本田を寮の部屋に担ぎこんでベッドに寝かせることに成功した。
     まさか好きな相手の部屋に初めて入るのが、気絶した(させた)本人を介抱するために侵入することになるとは夢にも思わなかった。
     本田の部屋はその几帳面さと可愛いもの好きなところが反映された、物は多いがよく整頓されていて居心地の良い雰囲気の部屋だった。その雰囲気の反面、部屋に一歩入ると本田の匂いに包まれていて、ずっとそわそわとしてしまっていた。
     何故だか気まずくて、俺はベッドで眠る本田の横に腰かけて、気を紛らわすために本を開いた。しかし、1行だって頭に入ってこなかった。結局本田の寝顔を終始眺め続けることになった。

     2時間ほど経過して、外はすっかり暗くなってしまっていた。
     本田がううん、と唸り声をあげて目頭に力を入れた。俺は本を慌てて開いて取り繕って、俺にできる最上級の優しい声で本田の名前を呼んだ。まるで許しを請うようだと自嘲する。
    「ここは……私の部屋……?」
    「起きたのか。調子はどうだ?」
     矢継ぎ早に問いかけるも、本田はまだ起き抜けでぼんやりとしている。
    「アーサーさん……?」
     本田の頬を掴み、その瞳を覗き込む。見開かれたその瞳に薬を飲んだ時に宿っていた熱は無く、至って健全だ。
    「良かった……」
     安堵のため息を吐くと、本田がみるみるうちに赤くなる。どういうことだろうかと首を傾げると、俺の肩を遠慮がちに押した。
    「あ、あの、近いです」
    「あ? あー、わ、悪い!」
     ほんの先程まで躊躇なく息が振れるほどの至近距離にいたものだから、距離感がバグっていた。本来互いにパーソナルスペースの広い俺たちは、こんなにも近くで話すこともない。
     しかしこの動揺の仕方、気絶した拍子に完全に今日の記憶は消えているのかもしれない。それならそれで好都合だが。
    「本田、その、今日のことって……」
     どう問いかければいいのか言葉を選んでいると、最初こそキョトンとしていた本田の顔が青くなったり赤くなったりする。
    「せ、切腹」
    「待て待て! 何を謝罪の最上級と勘違いしてんだ日本人!」
     本田がよろめきながら立ち上がり、キッチンに向かおうとするのをなんとか羽交い絞めにして止める。
    「ええい、止めてくれるな! 武士たるもの、散り際は美しく、潔く散るものです!」
    「ここで武士の魂発揮すんな! 覚えてんだな、そうなんだな⁉」
     確認すると、うう……とへたり込み、今度は布団にくるまって閉じこもってしまった。
     これは記憶があるんだろう。なんて悲劇だ、可哀想に……。本田の背を撫でる。犯人は俺なわけだが。

     しかし俺は覚悟を決めている。ここで言わなくては、本当に本田が思い悩んでしまうだろうし、何よりいつか本当のことが明らかになった時のリスクがデカすぎる。俺はこの期に及んで本田に心の底から嫌悪される未来を回避したかった。それは紛れもなく自分自身の心の為にだ。
     いつかの未来にデカいしっぺ返しを食らうくらいなら、今のうちに自爆しておいた方が被害が最小限だと考えた。我ながら懸命な判断だと思う。
     つまり、俺は本田に本当のことを話し、謝罪するつもりでここに居た。
     俺は大きく深呼吸をして、布団の中の本田の背中に当たるであろう箇所を撫でた。
    「本田、落ち着いて聞いてくれ」
     布団の端の方が少し揺れた。恐らく頷いている。
     
    「実は……あの惚れ薬を飲ませたのはフランシスだ」
    「ちょっとぉ⁉」
     ドアが開いて、髭野郎が部屋の中に入り込んでくる。布団が大きく揺れた。恐らく驚いている。ああ、可哀想に。
     俺はこそこそ盗み聞きしていた癖に割り込んできた性格の悪い髭野郎を無視して俺は話を続けた。
    「確かに惚れ薬を作ったのは俺だ。認めよう。しかし、それをすぐさまお前に飲ませてやろうとかいうことは考えていなかった。ここに誓う。だが、そこの馬鹿が面白そうだからとか言ってお前にあの薬を飲ませたんだ」
    「おっ前自分ばっか良い面しやがって! キクちゃん! 騙されないで! こいつは三枚舌を持ってるペテン師だ! もとはと言えばこの眉毛がキクちゃんを惚れさせるために作った薬が原因でぇ!」
     ギャアギャアとフランシスが暴れ出す。なんと言い訳の見苦しいことだろうか。
     それに俺は嘘は言っていない。これでフランシスの好感度は地に落ちても俺に対する評価の下落はある程度は抑えられただろう。
     本田はどんな反応をしているのか、布団越しには読めないし、何よりフランシスが掴みかかってくるのが邪魔で仕方がない。
     俺は布団の方に耳を澄ませた。すると、か細い声で何か言う声が聞こえた。
    「……サーさんは、……ですか?」
    「うるせえ髭! ……申し訳ない、本田。もう一度言ってくれないか?」
     俺も髭も黙って布団に耳を澄ませる。何だこの状況、と傍から見れば思うだろうが俺たちは至って真剣だ。
     静まり返った室内で布団の衣擦れの音だけが聞こえて、止むと本田の顔が表れた。静電気で布団にくっついた髪の毛も、下がった眉も抱きしめたくなるほど愛おしかった。
     しかし、本田が顔を出したのはその美貌を見せつけるためではなく、俺の表情を見るためだったとわかる。
    「アーサーさんは、どうして惚れ薬なんて作ったんですか?」
     その視線は何もかもを見透かすように俺を射抜き、俺はまるで真実しか喋れない魔法にでも掛けられた気分になった。
     俺は、背筋に汗が伝うのを感じながら、その視線からは逃れられずに震える口角を叱咤して言葉を紡いだ。

    「お前をプロムに誘いたかったんだ。……お前のことが好きだから」

     俺の台詞を聞くと、本田は頬を染めて瞳を潤ませた。その姿が惚れ薬を飲んだ時の姿を彷彿とさせたが、明らかに違う。
     あの時よりもずっとその表情は俺の脈拍を速める絶大な威力を持っていた。
     本田が逡巡し、控えめに言った。
    「どうして惚れ薬なんか……そんなものなくても、誘ってくれれば」
    「誘いに乗てくれたのか?」
     まさかの返答に布団の中に閉じこもる本田の手を取って、握る。たじろぐ本田は目線を彷徨わせながら、おずおずと言う。
    「……私男ですよ?」
    「知ってるよ。つかお前男だろうが誰だろうが問答無用で口説いてたじゃねえか」
    「それは忘れてください」
     相当な黒歴史なのだろう、また布団の方に身体を潜り込ませようとするのを手を絡ませて阻止した。
    「覚えてるよ。お前が俺のこと口説いてたのも全部な」
    「……私も覚えてます。アーサーさんが身を挺して私を守ってくれたこと」
     本田が目を細めて、俺を見つめる。その表情には怒りのようなものはなくむしろその逆で、良心が痛む。本当に人が良すぎて心配になる。
    「そりゃ当然だろ。お前のことが好きなのに、お前は俺以外の人間も全員口説くんだ。地獄かと思った」
    「お兄さんは結構楽しかったけどね」
    「お前に聞いてねえよ」
     髭を一蹴すると、本田はくすくすと笑った。
    「とんでもない黒歴史はできましたけど、アーサーさんの話を聞けたのは良かったです」
     本田が授業中にそうしたように、するりと俺の手を撫でてまじまじと眺めた。
     もしかしたら、今も俺の指を綺麗だと思ってくれているのかもしれない。
     もしかしたら、俺のために飲み物を買ってきたいと思えるほどに愛おしいと思っているのかもしれない。
     もしかしたら、俺のことをキスしたいと思うほどに好きだと思ってくれているのかもしれない。
     とめどなく今日の本田の言動が希望とともに湧き上がってくる。
    「つ、つまりプロムの誘いの返事は?」
     意を決して、問いかけると、本田は魔性の笑みで指を顎に当てた。
    「うーんそうだなあ」
     言ったものの、まるで自信はない。なにせ本田に黒歴史を植え付けた張本人だ。これで許してもらってプロムにも一緒に参加してもらうなんて虫が良すぎる。
     そう思うのに、期待をやめることができない。もしかしたらが全部本当だったらいいのに、と願う。
     じれったくなるほどにゆったりとした動作でうんうんと唸る本田の仕草は事実数秒程度であっただろうが、数分にも数時間にも感じられた。
     俺は冷や汗を垂らし断罪を待つような気分で、フランシスは面白がって本田の様子を窺っている。死ねよ。
     そして、とうとう本田が口を開いた。
     
    「……この気持ちは惚れ薬の効果なんでしょうか? アーサーさんが可愛く見えて仕方がないんです」
     俺は顔を上げて、救いを待つ信徒の顔で本田を見た。
     そして、本田は悪魔のように美しい魔性の笑みで悪戯っぽく言った。
     
    「だから、また今度」
    「「ええええ⁉」」


     それから俺はプロム当日まで心臓を冷やしながら、フランシスには揶揄われながら、本田に尽くして日々を過ごすことになる。
     プロム当日に本田が俺の手を取り、俺が涙して黒歴史を刻むのはまた別の話だ。
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    VonPoesie

    DONEほしまつ5の当日小説企画にて、「World Stars 92設定の朝菊」で参加させていただきました。
    こちらでも展示させていただきます。
    一部誤脱等を修正しております。
    改めまして、運営様、すてきな企画に参加させていただきありがとうございました!
    【ほしまつ5展示】「変わらぬものも変わるもの」  大学最後の冬休み。五年ぶりに、祖母の家に訪れた。

     別に来たくなくて来なかったわけではない。流行り病だとか、就職活動だとか、様々なことが重なって五年も経ってしまっていたのである。

     祖母の家は、絵に描いたような昔ながらの平屋建ての家で、私が小学生の頃までは共に生活していたが、父親の転勤に伴いこの家からも離れた。今では祖母は愛犬のシバ(柴犬である)と一緒に一人と一匹で生活をしている。

     五年で様々なことが変わった。高校生で大学受験に怯えていた私はなんと企業に内定を貰ったし、猫型ロボットがウエイターをしていても驚かなくなったし、一日で最高気温が十度以上変わっても何とか生き延びた。

     祖母は歳の割にはよく動き、気も強い。今朝もシバの散歩をしてやれと朝五時に私を叩き起こした。私は逆らうこともせずに、眠い眼を擦って祖母の気に入りのバンダナを付けたシバを連れて家を出た。
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