特別包装「そもそもハロウィンよりクリスマスの方がよっぽど好きなんだ」
天使は言った。クロウリーは手元のスマートフォンから目線を外し、天使の言葉に耳を傾ける。「それで?」と視線で続きを促すと、アジラフェルは満足気に言葉を続けた。
「なぜなら、ハロウィンは邪悪だからだ。みんな悪いものの格好をして百鬼夜行のごとく街を練り歩いている。彼らの決めゼリフは決まってこうだ、『トリックオアトリート』。お菓子をよこさなければイタズラ……なんて便利な、いや酷いセリフだ!まるで悪魔みたいな所業だよ」
ハロウィンへの熱い抗議はアジラフェルの身振り手振りを大きくさせる。弾みでゴツッと手の甲がテーブルに当たることで、ようやくアジラフェルは我に返った。彼は紳士然とした態度を崩してしまった己を恥じ、冷えてしまった紅茶を喉に流すことでクールダウンを試みる。
「はあ。……まあ、なにも本気でハロウィンが嫌いなわけではないんだ。人間たちは仮装して賑やかにしているし、お菓子を配って回るなんて楽しそうじゃないか」
「だろうな」
ここで初めてクロウリーが口を開いた。
「それであーだこーだ言ってる天使さんはウキウキでカップケーキを作ったわけだ。もう無いが」
トントン。クロウリーは人差し指でテーブルを叩く。テーブルの上には白い皿があった。皿の上に目立つ物は何も乗っていないが、食べ滓のような小さな欠片がポツンポツンと散らばって白い皿を汚している。さっきまでそこに何かが乗っていたのだと、分かる。
食べてしまったのだそうだ。出来たてのカップケーキを全て。
というのもアジラフェルはハロウィンを迎えるにあたって、今年はカボチャを使ったカップケーキを作ろうと目論んでいた。それは数日前も本屋に出入りしていたクロウリーも知るところだった。
そして当日。上手くカップケーキが出来上がったところまではよかった。初めて作った物だったが、驚くべきほど完璧なカボチャカップケーキが出来たと。そしてアジラフェルは味見をした。これがいけなかった。完璧過ぎたカップケーキは、完璧故にアジラフェルが全て食べきってしまったのだ。
そこで先程からぐちぐち続いていたアジラフェルの発言である。ケーキが無くなってしまった途端に天使としての矜恃を思い出したかのように、幼稚な八つ当たりを始めた。しかし慣れないことはそう長く続かなかった。今のアジラフェルはただしょんぼりと椅子に座り込んでいる。
しばらくしてアジラフェルが顔を上げた。
「クロウリー、買い物に行こう。運転を頼む」
アジラフェルは立ち上がって外出用のコートを羽織る。クロウリーも了承し、車のキーを手に取った。
「で、何が足りないんだ?カボチャか?」
アジラフェルは首を振った。
「材料を買いに行くんじゃなくて、チョコレートキャンディーを買いに行くんだ。本屋に来た人にも配れるようにたくさん入ったやつを買いたい」
「はあ?作るのは諦めたのか?」
「ああ。なんというか、私は今自分に失望しているんだ。人にあげるために作ったものを自分で食べきってしまうなんて。今カップケーキなんて見たら八つ当たりしてしまうかも」
クロウリーは小さなカボチャケーキを威嚇する天使の姿を思い浮かべた。なんて滑稽なんだろう!ぜひ見てみたいという悪魔的な発想がひょいと顔を出す。
「いやいや天使さん。そこで諦めるのか?せっかく作り方を調べて、カボチャをくり抜いて、ラッピングとかも選んで買ってきたってのに今更?勿体ない、そう思うだろ?」
「別にカボチャはくり抜いてない。カットされたのを買ってきただけだ」
「別にそこは重要じゃ……じゃあ入り口に飾ってたあの光るカボチャは?」
「あれはああいう商品だ。あの状態で、飾りのジャック・オ・ランタンとして売られているんだ。ロウソクじゃなくて電気で光ってるから安心だし、本物のカボチャじゃないから毎年使える」
「へえ、進んでるな。……コホン。だからカボチャのことは重要じゃない。つまり、あー、もう一度くらいチャレンジしてもいいんじゃないかってこと。時間もまだあるしな」
「うーん」
アジラフェルは少し考える仕草を見せたが、すぐに答えを出した。
「君がそう言うなら」
こうして2人は買い出しに出掛けた。
本屋の奥で美味しそうな甘い香りが漂っている。この季節の香りだ。
出来上がったカップケーキは8つ。アジラフェルは今度こそひとつだけ試食し、ちゃんと焼けているか、味に問題がないかを確認した。後ろから降ってきた「これ以上は食うなよ」というからかい混じりの声は無視する。
もちろんカップケーキに問題はなかった。間違いなく完璧だ。アジラフェル自ら太鼓判を押した。
あとは人に渡すために仕上げとラッピングが必要である。仕上げと言っても、溶かしたチョコをかけて、上からチョコスプレーを散らすだけだ。案の定最終工程は一瞬で終わった。このひと手間だけでカップケーキは随分愛らしくなり、アジラフェルもこれを渡す時のことを思うとなんだかウキウキしてきた。ラッピングさえ終わればとうとうハロウィンのお菓子が完成だ。アジラフェルは小さめの透明な袋を用意した。
まずは本屋のお隣さんにひとつずつ。それから友人のニーナとマギーにも。よく行くカフェの老店主にもひとつ渡そう。袋を締める針金はジャック・オ・ランタンの柄付きで、とても素敵だとアジラフェルは思った。
「おい、この2つはこのまま放置か?まさかまだ食う気か」
クロウリーはチョコのコーティングもカラフルなチョコスプレーも施されていない哀れな2つのカップケーキを指さして言った。
「ああ、それは」
アジラフェルは言葉を途切れさせて、オレンジ色が剥き出しのカップケーキを2つ手に取り、可愛いらしい柄の紙袋に詰め込んだ。
「これは君への分なんだ」
材料の買い出しや作業に付き合わせたからか、アジラフェルは少しばかりきまりが悪そうに言った。
「俺に?」
いつものことだが、クロウリーが何か言うよりも早く、紙袋はクロウリーの手の中に強引に押し付けられていた。
「材料はカボチャだし、これなら甘すぎることはないだろ。君でも美味しく食べられるはずだ。レシピの味は保証するよ」
「……そりゃ味見に9個も平らげてるからだろ」
「で、でも結果として私は君と買い物に出掛けることができたし、一緒にケーキ作りもした。つまり最初の8個の犠牲は必要なものだったんだよ」
「……」
よく分からない言い訳をこぼした天使は、誤魔化すように後片付けを始めた。急いで片して今日中にケーキを届けなければならない。
クロウリーはその後ろで手の中の紙袋を見下ろした。中身の熱が微かだが指先に届いている。彼は今日、本屋に来てからのことを思い返していた。今朝なんとなく本屋にやって来ると甘い匂いがして、かと思えば肝心のケーキは本人が食べてしまっていて無くなっていた。事情を聞いて無遠慮に笑う悪魔を天使が睨み、次にハロウィンそのものに対して八つ当たりを始め、その後はあれこれ言いながら材料を買いに行き、本屋に着くと天使がケーキを作っているのを横から眺めていた。出来上がったもののうち2つは、今クロウリーの手の中にある。
「……確かにな」
クロウリーは呟いた。
「うん?なんだって?」
アジラフェルは聞き返した。ガチャガチャという手元の音にかき消され、何と言ったかまでは聞き取れなかったのだ。
「俺はそこそこ好きだって言ったんだ、ハロウィンが」
「まあ、君は悪魔だからな」
素っ頓狂な天使の言葉にクロウリーは笑った。