七夕 初夏。夏真っ盛りというほどではないものの、高い空から降り注ぐ日差しが肌を焼く季節。外界はさぞや高い気温に悩まされているだろう――と、空調管理された海中の学園に住むオイラは思いを馳せる。
ただの現実逃避だ。手元には部の運営に関わる書類があり、いろんなことを書き込まなければいけないものの、さっきから一文字たりとも進んでいない。やる気がさっぱり出ないから致し方なし。
部室の中は静かなものだった。久しぶりにアカマツに四天王戦を挑む挑戦者が現われたということで、みんなこぞって観戦に行ってしまったのだ。オイラももちろんそうしたかったが、先んじてタロに「それ、終わらせておいてね?」と圧をかけられてしまったので残念無念。最近やる気出してるアカマツの戦いっぷり、見たかったねぃ。
そういうわけでこの部屋にいるのはオイラと、そのとなりに座って課題をするスグリだけだった。
「……元チャンピオ~ン。ちょいと休憩しないかい? 明日提出なのは分かるけど、そんなに頑張ってっと疲れちまうぜ? ほらオマエの好きなチョコだってあるし……」
スグリにむかってチョコを転がすが、彼はプリントにペンを走らせ続けて目もくれない。まるでオイラのことが見えていないようだ。
実のところ、オイラはさっきからこの調子でスグリにちょっかいをかけては無視されることを繰り返していた。真面目に仕事をしていたのなんて最初の五分だけで、あとはいかにスグリから反応を引き出すかに心血を注ぎ、それもままならないと分かって冒頭の現実逃避だ。いつもなら二、三回ほどふっかければなにかしら反応してくれるのに、今日のスグリはいやにスルースキルが高かった。
「スグリよぅ……このままじゃツバっさん、退屈で溶けちまうよ。いいのかい? スグリのせいでオイラ溶けるぜぃ? そしたらスグリに憑りついて風呂もトイレも恥ずかしいところぜ~んぶ見てやろ! あーらら、元チャンピオンったらいまだにおねしょなんてしてんのねぃ!」
オイラの煽り文句が終われば、部屋は途端に静まり返って、スグリの走らせるペンの音だけが響く。静寂。まるでこっちの言葉どころか存在すら気づいてないみたいに、スグリは不動だった。
そうなってしまえばこちらとしては机に突っ伏してクソデカため息を吐くしかない。オイラは怒られるのは全然かまわないが、無視されるのは堪えるタチだ。しかもそれが好きな相手ならなおさら。誰よりも楽しそうにバトルするこいつを好きになってしまったのに、絶賛シカト中なんてあまりにも脈がなさすぎる。
「スグリ~……。今日はずいぶん冷たいねぃ……。もうオイラのことなんて嫌いになっちまったかあ? 泣いちゃうぜぃ……」
いじけたように言う。すると、反応があった。ペンが止まり、ぺらりとプリントを裏返す。
そしてぽつりと話しはじめた。
「……今日はな、俺の実家の方では、七夕っていう日にあたるんだ」
タナバタ?
聞いたことのない言葉だった。加えてあまりに唐突な話し出しだったから、なにも相槌を打てないまま耳を傾ける。なに、いきなりなんの話?
「昔、とっても働き者のふたりがいたんだけど、恋人になったとたんにだらけ始めて、神様に怒られんだ。そんで川を挟んで離れ離れにさせられちまって、年に一回しか会えなくなるんだべ。それが今日、七夕の日……っていうおとぎ話」
「へえー……? だらけただけで離れ離れになっちまうのかい、世知辛いねぃ」
「んだな。だから俺、真面目に勉強するから、カキツバタも真面目に仕事して」
「え?」
思わず疑問符を浮かべて首をかしげた。スグリの言わんとしていることを汲み取れなかったのだ。「だから」って、なにが? 繋がってる話? 整理すると――
――だらけると神様に怒られて離れ離れにさせられるから、真面目に仕事して。
「……えっ、オイラと離れ離れになりたくないってこと……? 無視してたのもそういう?」
ぎょっとしながら尋ねれば、スグリは顔を微妙にそむけて表情を見せてくれない。そして小さく、本当に小さく囁いた。
「仕事さ、して。カキツバタ」