義家族でバレンタイン「おじさん、こっちの箱全部売れたよ」
木箱を重ねながら店の中に声をかける。
毎年この時期、バレンタインなる日が近付いてくるとどこの甘味屋も人手が足りなくてめちゃくちゃ忙しくなる。だけどそんな時こそ日々アルバイトで生計を立てるぼくら姉弟にとっては、絶好の稼ぎ時なわけで。
「おぉ!ありがとうよ!」
「おっちゃん、こっちも完売!」
飛ぶように売れて大満足なのか、満面の笑みで駆け寄ってきたきりちゃんから木箱を受け取って片付けていると、店主が「いや~助かった!」と朗らかに笑いながら店内から出てきた。
「あお衣ちゃんもきり丸くんもご苦労さん!今日はもうあがっていいよ、これバイト代な」
「まいどあり!」
「ありがとうございます」
ぼくときりちゃんそれぞれの手に乗せられた麻袋を受け取りながら頭を下げる。
ここの甘味屋はぼくのもう一つのバイト先である遊里のおばばから紹介された所で、季節やイベントなど、定期的に新メニューを出したりする、所謂女性に人気の甘味屋である。
店主は見た目が少々いかついけれど、考案するメニューが味もさることながら、繊細かつかわいらしいことで、そのギャップも相まって女性客が後を絶たない。
そんな店主がなぜあのおばばと顔見知りなのかはあえて詮索しないとして、ぼくもきりちゃんも姉弟揃っていつもお世話になっている大切な働き口なのだ。
「それじゃあおっちゃん、また手が必要だったらいつでも声かけてくださいね!」
「おうよ!二人がいたらあっという間に売りきってくれるから助かってんだ。またよろしくな!…っと、そうだ、忘れてた」
「ちょっと待ってな」そう言い残して店の奥に引っ込んで行った店主の背中を見送る。そう時間をおかずに戻ってきた店主に手を出すように言われ、きりちゃんと二人、顔を見合せながら差し出すと、ぽん、と手のひらに乗せられる見覚えのある…いや、ついさっきまでお客さんに売り歩いていた長方形の小さな箱。
「えッ、こ、これは…」
「いつも頑張る二人に差し入れだ。食ってくれ」
「いいんですか…!?売り物だったんじゃ…」
「言ったろ、差し入れだって。あと、それはちゃんとお前たちのために作ったものだから気にすんな」
「…ありがとうございます」
深々、改めて頭を下げる。そうして店主に手を振りながらきりちゃんと二人、学園に帰る道筋を手を繋いで帰ってきたわけだが。
「どうしよう、これ…」
忍術学園の自室にて、さっき甘味屋で店主からもらったちょこれいとの箱と睨めっこをする。
一人で食べるにはいささかもったいない気がするので、誰かと一緒に食べたい気持ち。いつもみたくきりちゃんとわけっこして食べよう、と腰を上げようとして、ふときりちゃんはきりちゃんで仲良いい乱太郎くんやしんベヱくんと食べてるかもしれないな、と思い、座り直した。
「うーん…」
こういのって日持ちするのかな…ちょこれいとなんて食べたことないからよくわかんないや。
ぱかり、蓋を開ける。まあるく象られたちょこれいとの上に格子状の模様が描かれてたり、小さな花が添えられていたり、ほかにもいろんなところに女性が喜びそうな工夫が凝らされてあって、あぁなるほど、甘味屋激戦区で勝ち残り続けてるわけだ、とどこから目線もかくや、一人頷いた。
とりあえず一粒、ほいっと口に放り込む。
「…おいひぃ」
口の中でとろりと溶け、ふんわりと広がる甘さの中に、ほんのわずかな苦味。少しでも噛み締めれば途端にほろりと溶けてなくなるそれは、普段ぼくが食べ慣れたどの甘味とも似通わなくて。
ぼくが知るどの言葉でも形容できない初めての味を感じて、思わず落ちてしまうのではと心配になった両頬を押さえた。
こんなにも美味しいもの、やっぱり一人で食べるにはもったいない。
誰かとこの美味しさを共有したい。そう思って一番初めに思い浮かんだのは、姉弟共々気にかけてくれている土井先生だった。
「………」
じ、と手元のちょこれいとを見つめる。土井先生は何かとぼくらを気にかけてくれて、長期休暇の時なんかは学園の長屋が閉まるからって姉弟共々自宅に招き入れ面倒をみてくれる。
初めこそ(主にぼくの)出会いはよくなくて、土井先生の優しさを疑い、言動の中に打算を探したけれど、接する時間が増えるにつれ、あぁ、この人は本当にぼくたちのことを大切に想ってくれて、本気で心配し、本気で怒ってくれる人なんだなって。そう気付いてから、土井先生のことをただの忍術学園の先生だけでなく、兄がいたらこんな感じなのかなとか、遠い昔に亡くした家族が戻ってきたような、そんな風に思うようになってしまったのだからどうしようもない。
…そんなことを面と向かって言える度胸なんてあいにくと持ち合わせてないし、言ったとしても案外子供っぽい土井先生が調子に乗ることは目に見えてるから絶対に言わないけれど。
ま、日頃の感謝としてわけてあげてもいいかもね。
なんて、全くもってかわいくないことを思いながらちょこれいとの箱を片手に自室を出る。事務員であるため教員長屋に部屋を置くぼくが土井先生の部屋へ行くにはさほど時間はかからない。
襖に手を伸ばし…すぐに引っこめる。
「ぬぅう…」
どうしよう、今になってなんだか恥ずかしくなってきた。そもそも土井先生、甘いものとか好きなのかな。というか、さっきぼくが一粒食べちゃったから、一緒に食べようも何も実質食いかけをあげることになるよな。それってちょっと失礼では。先生がちょこれいとあまり好きじゃなかったらどうしよう。
襖に手を伸ばしては引っ込めるを無意味に繰り返す。よくよく考えたら、別にぼくがこんなに頭を悩ませる必要なんてないけれど、でも、とか、もしかしたら、とか、らしくないたらればばかりが頭を巡る。ここ最近はいつもそうだ。躊躇することが増えた。ちょっとしたことで悩むようになった。それってつまり…
「あお衣、さっきから何やってるんだ?」
「う、わぁ!」
突然目の前の襖が音もなく開いて飛び上がる。危うくぶっ飛ばしかけた箱を慌てて背中に隠し、半目で襖を開けた張本人…土井先生をねめつけた。
「急に開けるからびっくりしたじゃありませんか」
「ずっと私の部屋の前でうろうろしてたのはあお衣じゃないか…」
「う…そう、ですけど…」
「で?私に何か用事か?」
もごり、口ごもる。さっきまでちょこれいとを一緒に食べる気満々でいたのに、いざ本人を前にするとしゅるしゅる勢いがしぼんでいくのだから、いかに自分の意志が弱いのか自覚する。
視線を床に落としながら左右にうろつかせる。そうしたら、いつまでもまごつくぼくの顔を覗き込むように土井先生は片膝を床につけた。
「どうした?」
ひどく、優しい声だ。ちろり、土井先生の顔に視線をやれば、子供が口を開くのを待つような、しょうがないな、と言うように、ふんわりと眦を下げた穏やかな顔でぼくを見ていた。あぁ、この顔は、この人は、ぼくが言い淀んでいることにきっと気付いている。それでいてぼくの言葉を待ってくれている。
この人のこういう目がぼくは少し苦手だった。だって、こんな、慈しみに満ちた優しい目がぼくを見つめるから、どうしようもなく恥ずかしくて、気まずくて、でも嬉しくて。背反する感情を無理矢理嚥下する。これ以上この人の目を見ていると、自分の中に残るほんの少しだけの意地とかそういうの全部溶けてなくなりそうだ。
背後に隠した箱を握りしめ、やっぱりなんでもない、そう言おうとして。
「あれ、姉ちゃん?」
廊下の向こうから湯のみと急須が乗ったお盆を抱えたきりちゃんがやって来た
「なにしてんの?」
「え!?い、いや…なんでもないよ」
なんて、咄嗟に言ったものの、すぐにぼくの挙動に気付いたらしいきりちゃんは僅かににやつきながら「ふーん」と鼻を鳴らす。なんだ、そのふーんは。そのにやついた顔は。
「土井先生、あまり姉ちゃんをからかわないでくださいよ」
「えッ」
「はは、ごめんごめん。一生懸命言おうとしてくれてるのがかわいくて」
「はッ…」
「もお~。そんなことするから余計に姉ちゃんが素直にならないんすからね」
土井先生ときりちゃんのやり取りに呆然とする。え、何?ぼく、からかわれてたの?
ばッと土井先生を見れば、さっきまでの優しげな目はどこへやら、困ったような、それでいてほんの少しだけ楽しげに笑っていて、自分の口がへの字にひん曲がる。
「…ひっどい」
「ごめんって!悪気があったわけじゃないんだ」
「もし悪気があったならもう二度と土井先生と口利きません」
「わー!!それは勘弁!」
途端にあたふたし始める土井先生を横目にふん、とそっぽを向く。全く、先生の優しい目に掻き回されたぼくの情緒どうしてくれるんだ。
この人にはいつも振り回されてばかりだ、なんて心の中で憤ってみせるけど、きっとそんなことろも引っ括めてぼくはこの人のことが大切で大好きなんだろうなって思う。
だけどそれはそうとして反省してください。
「というか、姉ちゃんもここに来たってことはやっぱり俺と同じこと考えてたんじゃん」
「へ?」
「多分そうだと思うよ」
「同じこと、って」
へへ、と笑うきりちゃんの顔を見て、手元の3つの湯のみが乗ったお盆を見て、最後に土井先生を見る。ふと先生が掲げた右手には、見覚えのある箱が握られていて、ぱちり、と目を瞬かせた。
「あお衣、一緒に食べよう」
それ、先生じゃなくてぼくらが言うセリフですよ、とか、なんでぼくも土井先生にちょこれいと持ってくるってわかったんだろう、とか、言いたいこと思ったこと色々あったけど、そんなこと全部どうでもいいと思えるくらい今のぼくは緩みそうな頬を引き上げるのに必死だった。
当たり前のようにぼくの分の湯のみを用意してくれてて、なんだか胸があったかくて、くすぐったくて。観念して背中に隠したちょこれいとの箱を突き出すと、土井先生もきりちゃんも、心底おかしそうに笑った。