火花 「アレイン様だ!」
「えっ、アレイン国王陛下?!」
沿道の人々から、歓声が上がる。コルニアの国王であり、国を救った英雄でもあるアレインが馬を連れユークイットの大通りをゆっくりと歩いていくからだ。騎馬隊数人を引き連れたアレインは人々の歓声に応えて手を振りながら領主の屋敷へ進んでいく。
ユークイットの街はだいぶ復興が進んでいた。人々からは悲壮感が消え、活力に満ち溢れている。その様子に満足しながらアレインはルノーのいる屋敷へ入って行った。
「!…陛下!このようなところへわざわざ…事前にご連絡頂けたらお迎えにあがりましたのに…」
突然執務室までやってきたアレインの姿に驚いたルノーはガタリと立ち上がる。
「いや、視察の途中でな、近くを通ったから貴方に会いたくなったんだ、気を遣わないでくれ。」
「…茶を用意致しますのでお待ちいただけますよか。」
「いや、いらない、大丈夫だ。」
ルノーの屋敷はガランとしていて使用人の数はとても少ない、茶を淹れるのだって自らやるほどだ。兵の数も少ないようで先程屋敷に来た時は門番もおらず、年老いた執事の男性が迎えただけだった。屋敷はほぼ戦時中のままで傷みが激しく、使われていない部屋は煤けていて復興が進む街中とは対照的だった。
「この屋敷で働きたいと望む者は少ないので…」
前回訪れた時にそう呟いたルノーの姿を思い出す。誰もいない食堂にお供の兵達を置き、勝手知ったるこの屋敷の中を執務室に向かって歩いてきたが誰ともすれ違うことはなかった。
「街の中を見てきたが、だいぶ復興が進んでいるな。貴方の手腕のお陰だろう。」
「いえ、皆がよく働いてくれたお陰です。皆も陛下のお姿に励まされたことでしょう。…有難いことです。」
アレインがルノーの屋敷に足を運ぶ様子を見せることで、ルノーへの民の信頼を取り戻そうとしていることにルノーは気付いていた。その気遣いを恐縮しながら受け取る様子にアレインの心は満たされる。
「そういえば、改めましてご婚約、誠におめでとうございます。」
アレインが来客用のソファに腰をかけると、ルノーも対面にやってくる。
アレインの婚約発表は国中を歓喜に沸かせた。しかもお相手は教皇の娘で幼馴染とは、お伽話のようではないかと世間は囃し立てる。そんな世間の反応を見てアレインは、皆の期待に応えることができたと安堵した。
「あぁ、ありがとう」
アレインは前に座るルノーを注意深く観察する。疲れてはいないか、変わったところはないかと探すのが癖になっていた。元気そうで内心ホッとする。
「此度はどのような件で」
「いや、特には」
コンコンと執務室のドアがノックされる。使用人が茶を持ってきたのかと、ルノーが返事をするとドアがゆっくりと開けられた。
「ルノー様、西側の壁、綺麗になりましたよ…っ陛下!?」
「クライブ?」
気安い様子で入室してきたのはクライブであった。まさかアレインがいるとは思わなかったのだろう、大きな声を上げて後退りをする。
「どうしてクライブがここに…?」
アレインはクライブの姿を上から下まで見やった。汚れた作業着を着るその格好を見るに、昨日今日やってきたのではないと感じられる。
アレインの問いかけに、ルノーとクライブはバチリと目を合わせる。二人の間に僅かに緊張が走ったのをアレインは見逃さなかった。
「ええと、領地の管理について学ぼうと、いまルノー様のお世話になっております。どこも人手が足りませんからお屋敷のお手伝いもしております。」
平静を装った様子に嘘の匂いがする。いや嘘でなくても何か隠したい真実があるのではとアレインの勘が伝えていた。
「…いつからここに居るんだ」
「…三週間ほどになるでしょうか」
三週間前、それはアレインが婚約を発表した頃だった。改めて部屋を見渡すと、以前より綺麗に整理されていて、カーテンは新しいものに変わっている。もしかして煤けたままだった他の部屋も綺麗に掃除されているのかもしれない、クライブの手によって。
視界の端に、クライブに微笑むルノーを捉えた。
アレインの胸に洪水のように感情が流れてこんでくる。
十年間操られ、犯した罪に苦しむ可哀想なルノー、そんなルノーが心を許すのは俺しかいないのではなかったか?
この広く傷んだ屋敷で一人、俺が来るのを一日千秋の思いで待っているのではなかったのか?
ずっとルノーは俺だけのものではなかったか?
「………」
俺は今何を考えた。ルノーを何だと思っているのか。この感情はいったいなんだ
どっと汗が吹き出す感覚、心臓の音が徐々に大きくなる、喉が干からびる。今まで地面だと信じていたものが薄氷だったかのような不安感。
まさか、俺は、大きな間違いを犯してしまったのだろうか。
気付くのが恐ろしくて頭が考えることを拒否し始めるのに、すでに心が叫び出す。
『ルノーが俺のものでないなんて、耐えられない』
アレインはルノーの顔を改めて見る。元気そうだと思ったが、まさかクライブがそばに居るからなのだろうか、今、ルノーの心の中にいるのは誰なんだ。
「あ、そうでしたアレイン陛下、ご婚約、おめでとうございます。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。」
アレインはギロリと眼球だけを動かしてクライブを見つめた。先程の慌てた様子は無くなっていて、微笑んで祝辞を述べる姿に違和感を覚える。心の動揺を見透かすようなその態度、いったい何が言いたいのだろう。
「…あぁ」
短く返事をして腕を組む。
アレインはずっと周囲の期待に応えてきた。周りが望むことを丁寧に嗅ぎ取って正しい判断をしてきたはずだ。しかしいま、アレインは気付いてしまった、周りの期待とは違うからと、知らずに断ち切ってしまった自分の思いに。
「…クライブ、ルノーと二人で話がしたい、外してくれないか。」
低い声が部屋に落ちる。ルノーのまばたきの音が聞こえた気がした。
「…」
それは短い沈黙だった。
「……嫌です。」
「っ何を…」
まさか国王の命令に背くとは思わず、ルノーが強張った声を上げた。
「俺も同席させてください。ご婚約中の陛下が何をお話しになるかは知りませんが。」
言葉の意味がわからず眉を寄せるルノーとは反対に、アレインは小さく舌を鳴らす。
「俺と喧嘩をするつもりか。」
「それほどの覚悟があるということです。」
二人を交互に見るルノーを置き去りに、クライブとアレインは見つめ合いお互い一歩も譲らない状況がしばらく続いたが、先に視線を外したのはアレインだった。
「わかった、ではそこで聞いていろ、ルノー、今の俺の率直な気持ちを聞いて欲しい。俺は、」
ユークイットの赤い屋根が西日で更に赤々と照らされている。もうすぐ夜がやってくる。