ルノーの誕生日 前編 貴方の誕生日に何かしたい事はあるか、とルノーがアレインから聞かれたのは、冬が目前に迫ってきている晩秋の頃だった。戦いを終え、二人が恋仲となり初めて迎えるルノーの誕生日である。アレインは楽しそうに聞いてきたが、ルノーはと言えばこの歳で誕生を祝うのも、と複雑そうな表情を浮かべていた。
特にありません、と答えようとしてハタと止まる。そうだ、一つだけ、ずっと心に残っていたことがある。
「陛下のお時間はどれほど頂けますか?」
「どれだけでも、と言いたいがせいぜい二、三日くらいだろうか。」
国王に就任してからまだ半年程のアレイン、忙しい身でそれだけもらえるなら僥倖である。
「十分です。恐れ入りますが二日頂けますか、共に行きたい所がございます。」
「もちろんだ、貴方からそう言ってもらえて嬉しいよ。」
アレインがとろりと笑うのでルノーの心臓がピクリと跳ねる。恋人になってからまだ数ヶ月、アレインから向けられる特別な表情にまだ慣れないルノーは、気恥ずかしくて少しだけ目を逸らした。
「どこに行くんだ?」
「…ユークイット近郊です。ご心配なさらず、中には入りませんので。」
誕生日当日の朝、二人は馬でグランコリヌ城を出発した。行き先はユークイット近郊、一日走れば今日中に到着するだろうと思われた。
行き先をルノーから告げられた時、アレインは旅の目的をやんわりと聞いたがルノーから明確な回答はなかった。ルノーの誕生日だ、彼の希望に沿いたいアレインはそれ以上詮索せず今日の日を迎えたが、あれからずっと心はさざめいている。
ユークイットにはルノーを憎んでいる領民が居るであろうことは想像に難くなかったし、何よりルノーがやはりここに戻りたいと言い出したらと不安で仕方がなかった。ルノーの気持ちは尊重してやりたい、でもどうしても帰してやれないという揺れる思いが馬を走らせるアレインの心を包んでいた。
(将来を共にする約束がほしい…)
恋人になることには頷いてくれた、だが将来の話をするといつもルノーははぐらかす。若いのだから、国王なのだから、彼の言い分もわからなくもないが、ルノーを失うかもしれないという不安に比べれば些細なことに思われた。
前を走るルノーの表情を窺い知る事はできないが、アレインは少しでも不安を消したくて、ルノーが振り返って笑いかけてくれたらいいのにとぼんやりと思いながらの旅路となった。
休憩を挟みながら馬を走らせていると目的地であるユークイットが近付いてきた。夕方の強い西日が辺りを照らしている。ルノーの心情は大丈夫だろうか、アレインは注意深く様子を伺っていたが、実際街が近づいてくるとルノーの雰囲気に緊張が混じり始めたのを感じる。これが終戦後初めての帰還である、今はルノーの親族が街を治めているというが、会うのだろうか。
小高い丘からユークイットの街を見下ろすと夕陽に照らされたオレンジ色の屋根がとてもきれいで、復興が進んでいることが見て取れた。
「美しい街でしょう。私の誇りでした。」
「…あぁ、本当に。」
ルノーが領主を務めていた大きな城塞都市、同時にあの忌々しい十年を過ごした場所でもある。アレインはルノーの心情が気になって、街を見つめるルノーの横顔を盗み見ていた。
ルノーはしばらく静かに街を見つめたあと馬をひき方向を変える。
「目的地はこちらです。あと少しですよ。」
本当に街には入らないらしい。いいのか、と言いかけてアレインは口を継ぐんだ。
街から少し離れた見晴らしの良いところに着くと、そこは墓地であった。立派な墓石だけが並んでいるので、集団墓地というより高貴な身分の家の墓地であることは明らかだった。
二人は木に馬の手綱を括りつけると、歩いて墓地に入っていく。ルノーは荷物から取り出した小さな白い花束を二つ手にしていた。
「これが私の両親の墓石です。」
ルノーが歩みを止めた先には夫婦の名前が刻まれた立派な墓石が二つ並んでいる。
亡くなっているとは聞いていたがアレインは詳しい話を聞かされてはいなかった。
「…お二人は、いつ…」
「父は私が18の頃に病気で。急に家督を継ぐことになった私は毎日必死に父の真似事をして過ごしておりました。」
ルノーはしゃがみ、墓石に落ちた葉を払う。
「母もその数年後に。最後まで私の結婚について気を揉んでいたのですが私は領地の治政に必死で、とうとう機を逃してしまいました。」
実はその頃イレニアの婿選びがあり名前が上がっていたようだが箸にも棒にもかからなかった、という話をルノーは苦笑しながら飲み込んだ。
「…それは、寂しかったろう。」
アレインは言葉に迷ってからポツリとつぶやく。
「そうかもしれません。しかし私には領主としての仕事がありましたので、それに気付かないフリをしていたのかもしれませんね。」
ルノーは落ち葉を払い終わると持参した小さな花束をそれぞれに置いた。
「ですが…両親が他界していたのはある意味幸運だったのかもしれません。あのクーデターで支配の術を受け狂う私を、見なくて済んだのですから。」
段々と暗くなる空にルノーの声が静かに響いた。
「妻子が居なかったのも不幸中の幸いでしょう。もし居たらあの十年の間、私のせいで領民からの憎悪を浴び、どんな仕打ちを受けたかわかりません。…これが私の運命だったのでしょう。」
一日も早く領民からの信頼を得たくて縁談話を断ってまで務めていた若き日々、それが一瞬にして全て壊されたあの日、そして今は。
「貴方の隣には、俺がいる。」
ふとルノーに影が落ち、アレインが隣に膝をついた。
「いま貴方に妻子がいないのはそんな悲しい運命の話ではなくて、俺に出会うためだったと思って欲しい。」
アレインの美しい瞳がルノーを真っ直ぐに見つめるので、ルノーは思わず目を細めた。鼻の奥がツンとする、きっと歳のせいだと心の中で自嘲すると言葉が出ない代わりにアレインに微笑んで見せた。
膝をついたまま墓石に向かって頭を下げ目を瞑り、祈りを捧げる。アレインもそれに倣うと辺りは静寂に包まれる。すっかり肌寒くなった風が二人の間を吹き抜けていった。
鎧が動く音がしてアレインが目を開けるとルノーも目を開けて墓石を見ていた。
「ご両親にはなんと?」
アレインの問いかけに少し口をまごつかせた後、ルノーが横目でチラリとアレインを見た。
「領民を守るという使命を全う出来なかったことへの謝罪と…陛下の紹介を…」
「紹介…」
「…この方が私の愛する人です、と…」
アレインは目を大きく見開いた。恋人になってまだ数ヶ月、ルノーからそんな言葉が出るとは思わなかったからだ。
「ご迷惑でしたか?」
「いや、そんなはずはない…嬉しいよ。」
アレインが首を振りながら言うのを見て、ルノーはホッと胸を撫で下ろす。
「でも少し俺が祈った言葉とは少し違う。」
そう言うとアレインは墓石に向かって口を開いた。
「父君、母君、コルニア国国王アレインと申します。私は御子息ルノー殿を人生の伴侶に迎えようと思っております。」
「!?」
「どうぞ見守っていて下さい、必ずルノーを幸せに致します。」
アレインの声が風に消えていくと、ルノーの顔をじわじわと火照らせた。
「なんてことを…」
ルノーは額に手を置いて心底呆れたような声を出した。
「…驚いて、化けて出たらどうするのです。」
「んふふ、そしたら直接挨拶をさせてもらおう。」
つられてルノーもフッと吹き出して微笑んだ。
「それは、面白そうですね」
「…ちなみに冗談ではないぞ。貴方の返事は?」
「…陛下はまだお若いのですから…いえ、この話はよしましょう。」
またさらりとアレインの言葉をかわすルノー。
恋人になって数ヶ月、まだルノーはこの関係をアレインの気の迷いであると思っている節がある。アレインが飽きたらすぐにこの関係を終わらせ身を引き、正妃を迎えてもらおうという考えであろうことはアレインも気付いていた。
(俺が本気であることにいつ気付くのだろう。)
近いうちに必ずわからせようと心の中でアレインは決意する。
「今日はここへ陛下と来ることができて幸せでした。両親へ報告が出来ていないことがずっと心残りだったのです。よい誕生日になりました。」
二人は立ち上がりお互い向き合うとルノーが穏やかな顔でアレインに礼を述べる。
「こちらこそ今までここに伺わずすまなかった、ご両親にご挨拶ができてよかったよ。…なぁ、ルノー…」
アレインは少し顔を緊張させて問いかける。
「俺と一緒に城に帰ってくれるな?」
ルノーは微かに目を見開いた。
「…なにをいまさら。グランコリヌ城が私の唯一の居場所です。違いますか?」
「違わない、ずっとそばに居てくれ。」
アレインの真剣な瞳にルノーはそっと目を伏せると帰り道を振り返る。
「さぁそろそろ別荘に向かいましょう。完全に日が落ちる前に。」
今夜はユークイット郊外にある王家所有の別荘へ泊まる予定になっていた。