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    siiba_n

    ミス晶♂/フィガ晶♂

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    siiba_n

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    白身さん(@0srm0)が描いたバニーボーイミス晶♂からインスピレーションを受けて書いた三次創作です。設定など一部使用させていただいており、私の独自設定も過分に含みます。
    (ご本人から掲載許可いただきました!ありがとうございます!)

    #ミス晶♂

    そのうさぎ、凶暴につき  橙色の柔らかな間接照明がフロアを照らしていた。ともすれば〈大いなる厄災〉の月光の下の方が明るさを感じるほどの薄暗闇のなかを、俺は駆け回っていた。
    「晶くーん! こっちもお願い!」
    「次はこっちに来て~!」
     客席のあちこちで呼び声がかかる度、ひょこりと耳が揺れる。普段であれば聞き取れないような些細な音にも反応してしまうのは、俺の頭部にこさえられたウサギの形をした耳だった。
    「は、はぁい……」
     踵を返すとひらりと燕尾ベストの裾が風に揺れた。吐き出せないため息を飲み込んで、方々から声がかかる度ににこやかに手を振る。
     西の国にある会員制のラウンジを経営するオーナーから魔法舎へ依頼があったのは、一週間前のことだ。西の国でも名の知れた魔法使いが経営するラウンジらしく、依頼主の名前を告げるとシャイロックも名前を知っていた。
     依頼の内容は、ラウンジを訪れた客が失踪しているという内容だった。それが〈大いなる厄災〉の影響であるのか、はたまた人災なのか判断に迷うところではあったが、どちらにせよ事件に巻き込まれている可能性があるならば無碍にも出来ない。
     バーカウンターで俺の横に座って話を聞いていたムルは「わーい! 俺、あのお店面白くって好きー!」とはしゃいでいたから、興味も湧いていた。飲食店でバイトしていた経験を活かして、俺も少しは役に立てるのかも知れないと、そう意気込んで向かった先で、俺はそこがどういう店なのか初めて知ったのである。
     まずは潜入捜査で調査するのはどうでしょう、とシャイロックが微笑んだわけを、俺はしっかりと聞くべきだった。
     バニーガールとバニーボーイが店内を周遊する様は、享楽的で、倒錯的だ。フロアには心地よい気分にさせる香が焚かれており、うさ耳と尻尾を着けている羞恥心は段々と薄れていく。
     子供たちを連れてこなくてよかった、と俺は給仕をしながら遠い目をした。今回の潜入任務のメンバーで最年少のクロエも、照れていたのも最初だけで既に馴染んでいた。持ち前の明るい笑顔でお姉さま方を虜にしている。
    「ミスラ、次はこっちです」
    「さっきから行ったり来たり、何がしたいんですか?」
    「お客さんに呼ばれたら注文を取りに行かないと。二番卓の次は五番卓も行かなきゃ」
    「ふぁ……眠いな……」
     やる気なく欠伸をこぼして肘を掻いているミスラの手を引いて歩く。長身と美貌はただでさえ注目を集めるのに、頭の上で愛らしいうさ耳が揺れるともなれば、破壊力はとてつもない。通り過ぎゆくだけでどこからともなくきゃあ、と黄色い声があがる。
     任務に行くことが決まった時、シャイロックのバーにたまたま昼寝をしにきていたミスラも、気づけば双子に唆されて任務に同行することになっていた。
     店に着いた後は西の魔法使いであるオーナーに押し切られる形でバニーボーイに着替えており、本人もなぜこの場所にいるのかも理解していない様子だった。
     ミスラの体躯に合うバニーボーイの衣装の用意がなかったため、着用している衣装はやや窮屈そうではあるけれど、引き締まった体のラインが映えて絶妙な色気を醸し出していた。
    「お待たせしました、ご注文お伺いします」
     呼ばれた先にはドレスに身を包んだ婦人が二人座っていた。ベルベットのカーペットの上に両膝をついて、ポケットの中からオーダーシートとペンを取り出す。俺に引き連れられたミスラはぼうっと立ちすくんでいたが、女性たちから文句の声は上がらなかった。
     異界から召喚された俺は、この世界の文字を読むことも書くことも出来ない。ルチルに教わってはいるが、自由に読み書きするには時間を要した。そのため、今日のために事前に丸暗記したメニューの文字を拙く書き記していく。もたつく度に耳が萎れて、婦人たちからは微笑ましい眼差しを向けられていた。
    「――カクテルを二つと、サイドメニューのフルーツを一皿…かしこまりました。ご注文承ります」
     注文を書いたオーダーシートを綴りから千切ると、紙が指先からするりと抜け落ちてパタパタと折り畳まれていく。間もなく蝶の形に折り上がったオーダーシートは、一人でに飛び立っていった。蝶は導かれるようにデシャップへ向かい、オーダーを受け取ったキッチンのスタッフが飲み物や食事を用意するという仕組みになっている。そのため、店内にはバニースタッフと同じぐらい蝶がひらひらと舞っている様子が散見された。
     これはオーナーが編み出した魔法道具らしく、俺の世界でいうハンディオーダーのようだ。魔法使い意外でも扱えるということで、忙しい店内では重宝されていた。
     物珍しげに蝶が去っていった方角を目で追っていた俺の前に、婦人が手を差し出した。白くて細い指は美しい意匠の指輪で彩られており、手のひらには銀貨が二枚乗っていた。
    「素敵なサービスをありがとう、うさぎさん。これはお礼よ」
    「あ、ありがとうございます……」
     この店のバニースタッフにはチップを渡すことが出来る。注文とは別に渡されるそれは個人の収入となるため、人気になればチップだけでも相当数の金額を稼げるらしい。潜入捜査という名目上、お金を受け取るのは気が引けたが、理由もなく拒絶することは逆に失礼に当たると言われれば拒めなかった。
    「晶くんに、ミスラくんの頭を撫でてあげてほしいの」
     お願い、とにこやかに微笑む婦人から銀貨を受け取ったのはミスラだった。
    「あなたも物好きですね」
     俺の隣に座り込んで、ミスラが頭を傾ける。チップを受け取った以上、婦人からの要望を断ることも出来ず、俺はミスラの髪に指先を潜らせた。
     チップを受け取ったら、お客様の要望を一つ聞く。それがこの店のルールだった。ただし、制約もある。たとえば、スタッフに対して性的な要求をすることは出来ない。他の客に対して加害を依頼する行為も禁止だ。あくまで健全なパフォーマンスの一環として、バニースタッフとの交流に重きを置いているのだと、オーナーはにこやかに語った。
     このパフォーマンスは注文が提供されるまで続けなければならない。はやくドリンクが運ばれてこないものかと居心地の悪い思いをしながら、俺は無心でミスラの頭を撫でた。うさ耳の付け根を指先で擽るのが気持ちいいのか、ミスラは嬉しそうに喉を鳴らしていた。
     手持ち無沙汰になったミスラの腕が俺の腰に回り、尾骶骨にちょこんと生えた小さな尻尾を摘んでくるのを制止する。
    「ねえ、二人はツガイなんでしょう? 思いを通じ合わせたのはいつから?」
    「ミスラくんは素敵な方ですし、きっと劇的な出会いと恋物語なんでしょうね…」
     うっとりと頬を染める婦人たちに、愛想笑いを返す。緊張でどきどきと心臓が跳ねた音をミスラには気づかれていませんようにと俺は心の中で祈った。
    「至って普通の出会いですよ。俺の一目惚れで、地道に何度も交流を重ねただけで、特別なことは何も……」
     俺たちの出会いの作り話も、何度も答えるうちにするりと喉を通り抜けていく。
     このラウンジには「ツガイシステム」というものが存在する。基本的にはソロで給仕するスタッフも、ツガイであれば特別にペアで行動できるというものだった。
     ミスラを連れてきたはいいものの、一人で行動させるにはあまりにも危険すぎるから、とスノウとホワイトに泣きつかれて、気づけば俺とミスラはツガイ扱いになっていた。俺としてもミスラの気まぐれで自由な行動に目を配りながら潜入と給仕は難しいと思っていたため、渡に船だと安堵したのも束の間だった。
     ツガイシステムを利用するペアの多くが恋人関係にあり、店はそれを公認としているだなんて、知らなかった。
     ツガイとしてフロアに立てば、当然のように利用客からは恋人同士だと勘違いされた。不審に思われないためにも、今日限りの恋人という設定で働くことにしたことを、俺は深く後悔していた。
     あまりに刺激が強すぎる。ミスラもいつものように「面倒くさい……」と要求を拒めばいいのに、なぜか今に限って素直さを発揮していた。それがまた、客席を熱狂させていた。
    「ミスラくんに晶くんのうさ耳を齧って欲しいの!」
    「晶くんから、ミスラくんのほっぺにチューして…!」
    「膝枕でよしよししてあげてほしいわ」
    「晶くんの尻尾の付け根を撫で撫でして?」
     俺はミスラの容姿の良さを侮っていた。ラウンジには金貨と銀貨が飛び交い、俺たちは客席に赴く度に本物の恋人のように振る舞った。度を越した要求の場合はチップを断ることも出来るのだが、俺が躊躇している間にミスラが後ろから硬貨を受け取ってしまうため、フロア内の熱気は高まるばかりだ。
    「あ、今いい感じに眠れそうです……」
    「み、ミスラ! ここで眠るのはダメですよ!?」
     お腹あたりに向かってぽそぽそと呟かれた言葉に、俺は慌ててミスラのうさ耳を引っ張った。フロアの真ん中で眠りにつかれてしまえば、この巨躯を俺には運べない。
     婦人たちはミスラの顔を覗き込もうとしたけれど、むずがるように俺の体に身を寄せたためにそれは叶わなかった。そのことに落胆することもなく話題が振られる。
    「ミスラくんはいつも晶くんと一緒に寝てるの?」
    「そうですね。この人、全然俺のこと寝かせてくれないので、困ってますけど」
     拗ねた様子のミスラの発言に、婦人たちは色めきたった。俺は胃のあたりがキリキリと痛んで、絶対に誤解された、と遠い目をする。
    「まあまあ!」
    「晶くんたら、大人しそうに見えて意外と求めるタイプなのね」
    「あははー。そんなことないですよ」
     ミスラは〈大いなる厄災〉の傷で、賢者である俺の力を借りないと眠ることが出来ないのだと、事情の説明もしようがない。俺は曖昧に濁して愛想笑いを浮かべた。
     撫で過ぎてぼさぼさになったミスラの髪を整え直していると、トレイを手にしたバニーボーイが歩いてくるのが見えて、俺はこれ幸いと腰を上げた。
    「お客さま、俺たちはここで失礼します」
    「ふふ。とても素敵な時間を過ごせたわ。ありがとう。また呼ばせてね」
     ひらひらと優雅に手を振る婦人たちに一礼し、ドリンクと軽食を届けにきたバニーボーイと入れ替わる形で立ち去る。
     次に呼ばれたのは広いボックス席に一人で座る紳士だった。
     バニースタッフには女性もいる。男性の給仕服はスラックスに燕尾ベストと蝶ネクタイが基本だが、女性の給仕服は目のやり場に困るような際どい服装も多かった。どの世界もバニーガールは似たような服装なのかと複雑な気持ちになったが、当人たちは楽しんでいる様子だ。
     男性客はバニーガールを指名することが多いため、珍しさでつい観察してしまう。
     俺の視線に気づいた紳士は足を組み直して、ふふ、と声を漏らした。
    「こんばんは。注文をいいかな?」
    「あ、はい。おうかがいします」
    「月夜のカクテルを追加でひとつ」
    「以上でよろしいですか?」
    「ああ」
     注文を書いて千切ったオーダーシートをデシャップに飛ばしながら、俺は座り込んだまま紳士の顔をじっと見つめなおした。真紅の瞳の奥に光る虹彩が、万華鏡のように姿を変えたように見えたためだ。
     紳士は俺がチップを待っていると勘違いしたのか、懐から金貨を三枚取り出して机の上に置いた。
    「ああ、チップだね。これでいかがかな」
    「あ――え、こんないただけないです!」
     金貨は多くても一枚が相場だと、シャイロックは言っていた。多すぎる対価を支払われた時はお気をつけて、とも。身を固くした俺を安堵させるように、紳士は笑った。
    「あの北のミスラが人間相手に給仕する姿を見れたんだ。そのお礼だよ。お客人」
    「……」
     瞳がきらりと光る。宝石のような光沢に魅入られてしまいそうで、俺は傍に立つミスラの腕を掴んだ。
     この人はミスラが北の魔法使いであることも、おそらく俺が賢者であることも知っている。
     この店で起きている事件に関与している可能性もあった。すぐに先生役の誰かに伝えなければと一歩後退りしたところで、隣に立つミスラが動いた。
    「……はあ、どうも」
     大きな体を屈めて、机の上に並んだ金貨を手に取った。それがどれほどの価値のあるものなのか理解していないのか、乱雑に俺のポケットに押し込んでくる。
    「そうだな、追加のサービスは…晶くんにチョコを食べさせて貰おうかな」
     紳士の視線が卓上に置かれたチョコレートに向いた。釣られるように俺も視線を追いかける。美しい意匠のガラスの器に盛られたチョコレートは一口サイズで小さく丸められていた。俺の世界でいうところの生チョコに近い。金貨三枚を渡すのだから、どんな要求をされるのかと身構えていただけに、少しだけ肩透かしを喰らう。
    「……わかりました」
     ここで騒ぎを起こせばお店に迷惑がかかるかも知れない、と緊張で喉を鳴らしながらソファの空いている空間に恐る恐る腰掛ける。僅かに奥まった場所へ座る紳士に手の届く位置まで辿り着いたところで、チョコレートをひとつまみ手に取った。
     小さく開けられた口に触れる直前、背後から腕を攫われた。いつの間に俺の背後に回り込んでいたのか、ソファ越しにミスラが身を乗り出してくる。あ、と思う間もなく、指ごと唇に食まれていた。
     ミスラの口の中の熱さに驚いて、すぐに指を引き抜いた。僅かに溶けたチョコレートが指先に付着していて、艶かしく光を反射している様はどこか現実離れしていた。
    「あなたが誰だか知りませんが、この人に触れるやつは俺が殺します。――賢者様」
    「ぁ……な、――に」
     ミスラに呼ばれるまま顔を上げて、その距離の近さに驚く間も無く吐息を奪われて。
     唇が触れていた。
     首裏をぐ、と引き寄せられる。咄嗟に掴んだミスラのシャツに溶けたチョコレートが跡を残した。
     頭の中が真っ白になって呆然とする俺をよそに、ミスラの舌が俺の唇に割り入った。チョコレートの甘ったるさが口の中いっぱいに広がって、頭の奥がくらくらとする。
     フロアの喧騒が遠く感じる。客の前で失礼だとミスラを咎めるための唇はままならず、息継ぎのために離れてもすぐにくっ付いてしまう。パズルのピースのようにぴとりと凹凸がはまって、それがあるべき形なのだと知らしめられていた。
     チョコレートの甘さもわからなくなるほど、口付けは甘美な味がした。俺は夢中になっていた。尻尾の付け根をするりと撫でられると堪らない気持ちになって腰が震える。ミスラの背中に腕をまわすと、嬉しそうに笑う声が喉を震わせていた。
    「ねえねえ、月夜のカクテル頼んだのは誰?」
     ここがどこで、今何をしているのかも忘れてしまいそうになるほど与えられる口付けに夢中になっていた俺は、その声でぱちんとシャボン玉が弾けるように夢から醒めた。慌ててミスラを突き放して距離をとる。動揺でうさ耳がぺたんと頭に張り付いて離れなかった。ラウンジ中の客席から視線を浴びているような錯覚がして、顔に熱が集中する。
     チップで要求されたサービスを無視する形になったにも関わらず、紳士は気を悪くした様子も見せず、チョコレートを一粒優雅に摘んでいた。
     卓の前には追加でオーダーしたドリンクを持つムルが立っていた。彼の頭にも勿論うさ耳が揺れている。
     紳士はムルに向かって微笑みかけた。
    「私だよ。やあ、ムル。元気そうで何よりだ」
    「もしかして俺のこと知ってるの?俺は俺のこと忘れちゃった!にゃ〜お」
    「ふふ。天才の発言というものは奥が深いね」
    「わーい!褒められた!」
     紳士とムルが顔見知りだったことに驚く心の余裕はなかった。放心状態の俺の膝に、床に座り込んだムルが腕を乗せた。
    「あれ、賢者様、顔が真っ赤だ。何があったの?」
    「ム、ル……なんでもない、です」
    「私が少々意地悪をしてしまって、ツガイの彼を怒らせてしまったんだよ。北のミスラをからかえるなんて、そうそう機会はないからはしゃぎ過ぎてしまった。いやはや、長生きはするものだ」
    「いいな!俺も賢者様と遊びたい!にゃ〜んごろごろ」
     紳士の言葉に好奇心の塊とも言えるムルの瞳が煌めいた。新しい玩具を与えられた猫のように飛びついてくる。瞬きのうちに、ムルの頭についたうさ耳が猫の耳に変わった。
     可愛さにほっと心が和むのを、後ろに立つ男は気に入らなかったのか、後ろから羽交い絞めにされる。
     肩口に頭をぐりぐりと押し付ける姿は構って欲しがりぐずる子供のようだった。ミスラの耳が視界の端で揺れ動くのを視線で追いかけながら、俺は心臓の奥がぎゅうと苦しくなるのを感じていた。
    「こら、ムル。今日のあなたは猫じゃなくてうさぎです。あまりふざけすぎると怖い狼に石にされて食べられてしまいますよ」
    「わあ、食べられちゃう~」
     仕事を放棄して俺に絡んでいたムルを回収しにシャイロックがやってきて、緊張していた肩の力が抜ける。ムルは猫耳をうさ耳に戻すと、ぴんと伸ばした耳をひょこひょこと左右に動かした。シャイロックの忠告を聞いても恐れることなく笑顔で喜ぶのだから、西の魔法使いは怖いもの知らずだ。
     ムルの襟首を掴んだまま、シャイロックがボックス席に座る紳士に視線を向けた。そこに警戒の色がないことにはすぐに気が付いた。
    「賢者様、こちらのお客様は西の国の魔法使い。私たちとも旧知の仲です。今回の件とは無関係なのでご安心ください」
    「あ……そうだったんですね。ミスラのことも、俺のことも知っているみたいだったので、どうしてだろうと思っていました」
    「ツガイの給仕をからかって遊ぶ趣味がある方なんです」
     にこやかなシャイロックの言葉を、紳士は否定しなかった。ムルが運んできたカクテルに口をつけて、穏やかな笑みをたたえる。
    「君たちはとても楽しかったよ。追加の注文もお願いしたいぐらいだ」
    「おや。私たちがお相手では役不足でしょうか」
    「まさか。ベネットの酒場の店主と稀代の天才学者ムルを侍らせるなんて、皆に自慢が出来てしまうよ」
    「とびきりのサービスをご提供させていただきます。さて、賢者様。ずっとフロアで働きづめでしたでしょう。バックヤードで休憩なさってはいかがです?」
    「でも、調査は……」
    「私たちで滞りなく。後ろの狼さんも腹を空かせているようですし、遠慮なく休んできてください」
    「(狼? ミスラもバニーボーイのはずだけど)」
     不思議な言い回しをするシャイロックに、けれど俺は疑問をぶつけることなく素直に頷いた。働いている間はアドレナリンが巡って自覚していなかったが、お昼を食べる時間もなくフロア中を駆け回っていたため、全身を緩やかに覆う疲労感が途端に重みを増したような気がした。
    「わ、わかりました。それじゃあ、お言葉に甘えて……少し休んできます」
    「はい。賢者様、くれぐれも、お気をつけて」
    「? はい。じゃあミスラ、少し休憩しましょう」
    「俺はもう帰りたいです。腹も減ったし……」
     シャイロックとムルがソファに腰掛けるのと入れ替わりで席を立つ。
     気を付けて、とシャイロックは言った。それが、店で発生している事件のことなのだと解釈して、緩んでいた気持ちを引き締めなおす。華やかで煌びやかなフロアの空気に吞まれて浮き足立っていたが、潜入した目的は行方不明になっている客についての調査だ。少し休憩したら、働きながら聞き込みをした成果をまとめようと、バックヤードのドアをくぐった。
     背後をついてくるミスラも疲れているのか、口数は少ない。
     バックヤードには休憩中のスタッフや出勤準備中のスタッフが入り乱れている。すれ違うバニースタッフに挨拶をしながら、俺たちは奥まった場所にある応接室へと向かった。今回、調査をするために赴いた俺たち専用の休憩室としてあてがわれた場所だった。
     応接室には誰もおらず、表の喧騒が嘘のようにしんと静まりかえっていた。
    「流石に疲れましたね……」
     革張りのソファに身を預け、ごろんと横になる。情報の整理をしないといけないのに、体が重くていうことを聞かない。少しだけ休もう、と目を閉じた。とろりと蜂蜜を溶かしたような眠気が瞼の裏側をじんわりと温めた。うさぎの尻尾は小さいながらも体の下敷きにすると痛いため、横向きに倒れたまま深く息を吐いた。
     今日一日で色々なことがありすぎて、頭の中がパンクしてしまいそうだ。
     ミスラと恋人のふりをしている間も、ずっと心臓が痛かった。北の魔法使いと恐れられる人を前にする恐怖からではない。俺はミスラが好きだった。ミスラが俺のことをただの賢者としか思っていないと知っていても、抗えないほど惹かれている。
    「(はあ……心臓持たないかも……ミスラとキスだってしちゃったし……――あれ。キスした?)」
     はた、と。衝撃のあまり抜け落ちていた記憶が、色鮮やかに蘇った。なんでこんな大事なことを忘れていたんだろう。舌の熱さも、口の中に広がるチョコレートの甘さも、生々しく俺の記憶に刻まれたはずなのに。
     微睡は足音を立てて逃げていった。思い出しただけで心臓が早鐘を打つ。どんな顔してミスラと話せばいいのか途端にわからなくなった。
    「俺の前で寝るとか、いい度胸してますよね」
    「……っ」
     耳元でミスラの声がした。手のひらにじわりと汗が滲む。うさ耳に息がかかって、柔らかな皮を堪能するように根元を食まれた。耳の根元の肉は熱に敏感でこそばゆく、俺は尻尾を振るわせた。蕩けるような吐息が唇の間から溢れて、ソファを曇らせた。
     恐る恐る瞼を押し上げると、ソファに転がる俺に覆い被さった男の指先が、俺のベストをめくり上げようしているところだった。
     驚愕で喉が引き攣った音を立てた。触れた肌から火照った体の熱に気づかれたくなくて、俺は出来る限り体を縮めた。
    「ね、寝てませんよ。少し目を瞑ってただけです」
    「ふぅん。寝るなら、俺を先に眠らせてからにください」
     そう言いながら、ミスラの指は着々と俺の装備を剥いでいく。何をしようとしているのか、何が起きようとしているのか、理解が追いつかなかった。ベストがはだけられ、リボンタイに指がかかる。
    「ミスラ、どうしたんですか?眠いなら、手を貸しますよ」
    「今はいいです。それより、まだ帰っちゃダメなんですか?」
    「調査が途中なので、もう少し頑張ってください」
     不満げに曲がったミスラの唇を見ていたら先程のキスの感覚が思い出されて、俺は慌てて視線を逸らした。その隙にタイは解かれていた。
    「じゃあ、ここでいいです」
    「じゃあ?ここで?」
     渋々妥協するような物言いだった。
     俺の上に乗り上げたまま、ミスラは俺のズボンに手をかけた。
    「何してるんですか!?」
    「何って……セックスです」
    「セッ――え!?」
    「だって、ツガイなんでしょう。俺と賢者様。北の国にいる獣がツガイ同士で交尾しているのを見たことがあります」
    「それは、あくまで潜入してる時の設定って話で……」
    「俺の顔が好きだと、人間に言っていたでしょう?」
    「それは――」
     それは、本当のことだった。一目惚れとは少し違うけれど、客席で話した気持ちに偽りはない。口籠る俺を見て、ミスラは満足そうに笑った。
    「ツガイになれば、あなたをずっと、俺のものに出来るなら、それも悪くないと思いました。これですぐどこかに居なくなることもなくなりますよね」
     それは、ミスラは俺と本物のツガイ──恋人になってくれるという意味なのか。問い返したら都合のいい夢はとけてしまいそうで、俺は開いた口を継ぐんだ。
     鼻の奥には甘い香の匂いが残っている。
     不意に、シャイロックの言葉を思い出した。お気をつけて、と、彼は微笑んでいた。その前には、ミスラのことを狼とも表現していた。彼はこうなることを予期していたのだ。それでいて俺とミスラを休憩へ送り出したのは、おそらく俺の心の底に押し殺した感情を悟っていたからに違いない。
     俺の世界の童話の多くでは、うさぎは狼に捕食される。それがこの世界でも当てはまるのか、ルチルに聞いておけばよかった。
    「ねえ、いいでしょう?賢者様」
     有無を言わせない微笑みだった。ポケットから金貨が落ちる。
     任務中、だとか、ここは他の魔法使いたちも利用する場所だとか、賢者としてミスラを諌める言葉はいくらでも湧き出てくるのに、それは喉奥で詰まって出てこない。
    「………………す、少しだけなら………」
     ミスラの頭でうさ耳が揺れる。
     北の魔法使いが草食動物に扮したところで、うちに潜む凶暴な捕食者としての性質までは変えられないのだと、俺は身を持って知ることになる。
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    siiba_n

    MAIKING※書きかけで未完結。2021年に書いていたものです※
    捏造100%/なんでも許せる人向け/流血注意

    魔法使いによる襲撃を受けた魔法舎で、賢者は瀕死の重傷を負ってしまう。
    『道連れにしますね、晶』
    そう言ってミスラに意識を奪われ、目が覚めた時に賢者は北の国の雪原にたった一人取り残されていて──
    終焉がそこにはあった#1〜301

     短い人生の中で、一番大きな事故といえば思いつく限りで家の階段から落ちたことだった。まだ俺がよたよたと足取りもおぼつかない赤子の頃、母親が少し目を離したすきにごろごろと転げ落ちたらしい。当然のように俺はその事故を覚えていないが、額にはその時に切ったという傷跡が今でもうっすらと残っている。五ミリほどの裂傷は肌に馴染んでいるため今では気にすることもないが、思い出話として母親は時折口にした。「貴方はとってもお転婆だったのよ」と。果たして、お転婆の使い方としてあっているかどうかは疑問をもつところではあったが。
     バンジージャンプもスカイダイビングもしたことのない、落下初心者の俺には難易度の高い紐なしバンジーダイビング中、このまま死んでしまうのだろうかと、そんな取り留めのない記憶を思い出していた。
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